死後の世界、霊は存在するか? 日蓮宗現代宗教研究所が取り上げ

死後の世界、霊は存在するか?

日蓮宗現代宗教研究所が取り上げ

 

旧来の仏教学が、あえて踏み込んでこなかった死後の世界や転生。墓離れや法事離れなど、死者に対する儀礼が急速に疎かになっていく中、日蓮宗現代宗教研究所がテーマに取り上げた。

第52回中央教化研究会議が4、5日、日蓮宗宗務院で開催された。三原正資所長が「死の宗教 生の宗教」と題し基調講演を行った。

三原所長は、明治以降の西洋近代教育に影響された仏教学では、証明できないものについてはあ えて避けられてきたとし、それにより「釈尊は死後のことを述べなかった」との論が“一つの常識”となっていたと説明。「死んだらおしまい」との風潮がはびこる世間に対して各宗ともに「死後のこと」を明確に説けなくなっていることを危惧しての企画だった。

会議では、三原所長や研究所嘱託である鈴木隆泰山口県立大学教授が日蓮聖人の考えについて解説。カール・ベッカー京都大学特任教授が「日本人の死生観~生まれ変わりの明と暗」を講演した。

5日午後に開かれた分科会報告では、ベッカー氏が指摘した「日本人が死を恐れ、見ぬふりをするのは死後のことをイメージとして持っていないからではないか」について、「大事な視点」として共感する感想が複数聞かれた。「死後がわかれば、宗教者が行う追善供養の意義がさらに高まる。これら一連のことを学校教育機関(宗門大学)で教えられ なかったが、今後は沙弥教育の時点から教えるべき」との意見も出ていた。

また、「亡くなった人の身内に赤ちゃんが生まれる際などに『生まれ変わりでしょうか』と 尋ねられたことがある。確証を持てないまま相づちを打っていたが、『それは願生です』と、確信を持って転生であると言うことができれば楽になる」と話す人もいた。

助言者を務めた蓑輪顕量東京大学大学院教授は、「釈尊は死後を説かなかったとされているが、『転生』は説かれた」と指摘。また、「釈尊も日蓮聖人も過去・現在・未来の三世を説かれた」と 述べ、「死んだらおしまい」という風潮に強く反論できる仏教教義(初期仏教聖典)が日蓮聖人の教えの中にあることが確認された。

次回は、『チベット死者の書』も取り上げて、教化学側から仏教学に問題提起していく。