追想 酒井日慈82世貫首を偲ぶ 大本山池上本門寺83世を継ぐ菅野日彰貫首に聞く

追想 酒井日慈82世貫首を偲ぶ

大本山池上本門寺83世を継ぐ菅野日彰貫首に聞く

 

日蓮宗第51代管長・大本山池上本門寺第82世貫首であった酒井日慈上人の本葬儀が4日、菅野日彰83世貫首を大導師に、池上本門寺で営まれた。酒井上人は日蓮宗のみならず宗派を超えて活動し、「南無の会」を立ち上げて仏教の教えを多くの人に伝えた。葬儀では、宗派を超えて上人を偲ぶ声が寄せられた。菅野貫首にとって酒井上人は、1967年に池上本門寺に奉職してから半世紀に及ぶ師弟関係だったという。

 

――本葬儀の弔辞で山田一眞東京都仏教連合会会長は、「南無の会」の精神を受け継いでいくと遺影に語り掛けられました。

菅野貫首 山田会長は、八王子金剛院山主として酒井山主と共に「南無の会」を引っ張ってこられた。当時は酒井山主が最も活発に活動された時期だった。その時を知る山田会長が酒井山主の生涯を語ってくださることで、次の世代が山主の精神を引き継いでほしいという思いで弔辞をお願いした。

――超宗派で組織された「南無の会」の活動は、一般社会からも注目されました。

菅野貫首 「南無の会」の立ち上げは、臨済宗の松原泰道師に出合われたことが一番大きかった。最初に出会ったときに深々と一礼される松原師の姿を見て、「俺は負けたと感じた」と後に聞いた。松原師の人間性にほれ込み、宗派を超えて学び続ける姿勢を尊敬し、「同志であり、兄貴であり、師匠でもあった」と語っておられた。

――当時、超宗派で活動するのは画期的なことですね。

菅野貫首 酒井山主は戦争から帰ってきて、池上實相寺の復興に尽くし、その後に池上本門寺の文化部長(後に合併して布教部)から執事長にと、山内の教化体制を整えられた。朗子クラブや池上スポーツクラブなど、青少年教化にも力を入れられた。都内にある池上は日蓮宗の教えはもちろんだが、より多くの人を教化するには、仏教という広い視野での布教展開が必要だと考えられたのだろう。しかし、これにはいろいろ異論が寄せられ、また「僧多聞」のペンネームで執筆されたものにも、さまざまな反応が寄せられた。特に管長に就任されていた時期は、立場を考えて少し堪えられていたようだった。

――酒井上人との縁をお聞かせください。

菅野貫首 私は昭和32年に北海道から出てきて池上永寿院にわらじを脱いだ。42年に文化部員として池上本門寺に奉職し、その時からいろいろな面で引っ張ってもらった。酒井山主は人を育てるのが本当に上手で、私はそれを“指揮者”と表現している。大学を出て伝道車に乗って一人前の布教をしていると自信を持っていた20代後半~30代前半の私に、「法話の内容をこのように替えれば、もう一段階うまくなる」とか、「文章は寺内大吉師の方が読ませるが、内容はお前の方が良いな」とか、ほめながら文章や布教のイロハを手取り足取り教えてくださった。また、時には「これは昨晩読んだ」と突き返され、鼻っ柱の強い私は「なにくそ」と一から書き直すこともあったが、常に目標が示されているので迷うことなく取り組むことができた。今から思えば、小僧として北海道の寺に入り、掃除、お経の大切さを仕込まれ、大学で教学を学んで社会に出た私に、一番大事な実社会に通用する布教を教えてくださった。その大恩のおかげで、十分ではないかもしれないが日蓮宗学寮の寮監という職をいただいた時にも、すぐにカッとなるものの、基本は「一人一人に合った育て方、近い目標を与えて育てる」という信念を持って寮生に向き合うことができた。

――生涯にわたる大恩を受けたと。

菅野貫首 人前での説教は、「俺はやらないよ」と「南無の会」でもされなかったが、少人数の対談はよくされた。その話術に引かれて、池上に寺庭婦人の会ができて談義に花が咲いた時期もあった。対話を得意とされたのは、松原先生の影響もあったのかもしれない。私が永平寺に坐禅修行に行くとき、松原先生から「永平寺に行くと日蓮さんに遇えますよ」といわれた。その時は意味がわからなかったが、永平寺で道元禅師の解釈する法華経か、日蓮聖人のお題目のどちらに進むかを考えた時、「日蓮聖人の説かれた南無妙法蓮華経がいい」と道が固まった。その後、身延山布教部長として赴任するときから、給仕する日蓮聖人に叱られるからと酒を断った。海長寺に入る際に法類役員らの前で「今は酒を断っています」と述べると、「酒で失敗したのか」と茶化す人がいて、私が黙っていると、酒井山主が「酒に失敗するような人には、酒は止められないよ」と、わかったような、わからないようなことを言われ、助けられた思い出がある。よくよく思えば、私は幾度となく師に助けられた。若い人たちも、宗派にかかわらず良き師を選び、自身の信仰を深め、増上慢にならず、市井の人に教えを伝えていってほしい。もちろん指導する側も、いつ若い人が門をたたいて来ても応えられるように修行を怠らないことも大事。私は酒井山主の本葬で、師に誓いを立てつつ、少しでも恩に報いられるよう山務員ともどもに儀礼を営んだ。