大本山増上寺 聖冏上人600年遠忌を開筵

大本山増上寺

 

聖冏上人600年遠忌を開筵

遺徳偲び約400人参集

 

大本山増上寺は3日、浄土宗第7祖・聖冏上人600年遠忌報恩法要を大殿で勤めた。(写真)八木季生法主が親修し、上人と縁の深い茨城教区の檀信徒をはじめ、総大本山からの団参など約400人が参列した。

浄土宗中興の祖とされる聖冏上人は、後世檀林教学の教科書となる『頌義』をまとめた。また、法然上人の教えを、機・法・解・証・信の綱格にまとめて、五重相伝を創設。宗徒を養成するための基礎を確立し宗門内外に大きな影響を与えた。

法要は、500遠忌報恩事業をまとめた『聖冏禅師五百年遠忌記念帖』や聖冏上人が第2祖となった瓜連常福寺の書類など200~400年遠忌の記録を元に、文京区の小石川傳通院に事務局を置く「了譽聖冏上人六百年御遠忌報恩の会」が準備運営を行った。

八木法主は垂示の中で、上人が五重相伝の基礎をまとめた意義を伝え、「上人の伝法に関する業績は大変に大きい。600年遠忌に際して、改めて感謝したい」と語った。

聖冏上人が開山した傳通院の麻生諦善貫主は「上人の存在が増上寺の開山につながり、また、知恩院も徳川幕府と縁を結ぶことができた。上人の業績なくして、今日の浄土宗は語れない」と話し、上人が第2祖となった常福寺の小笠原純生住職は「浄土宗中興あるいは7祖といわれるものの、どのような方かを知る人は少なく、全国の人が上人の功績を再認識する機会となってほしい。これまでにない盛大な法要を営んでくださった増上寺に感謝している」と話した。

友田達祐執事長は「法然上人の名前は誰でも知っているが、聖冏上人のことは、僧侶でも知らない人がいる。上人がいなければ、伝法は存在しない。他宗派に認められるようになったのも上人あってこそ」と話した。

法要後、服部淳一善光寺大本願布教師会長が「聖冏上人報恩」と題して基調講演をし、知恩院布教師会の中村晃和氏や増上寺布教師会の慶野匡文、善導寺布教師会の早田空善氏が法話を行った。翌4日は、「了譽聖冏上人報恩巡拝の旅」として、増上寺、傳通院、常福寺、誕生寺、香仙寺の霊跡を巡った。