曹洞宗大本山總持寺 石川素童禅師100回御遠忌を厳修

曹洞宗大本山總持寺

 

石川素童禅師100回御遠忌を厳修

能登から鶴見への本山移転を英断

 

曹洞宗の大本山總持寺は2~5日まで、本山独住第四世中興・石川素童禅師100回御遠忌を厳修した。

能登にあった總持寺は1898(明治31)年4月13日に大火に見舞われ、伽藍の大半を焼失。その後、貫首となった石川禅師は能登總持寺の伽藍復興を行うと同時に、本山の鶴見への移転という大事業を決断し、1911(明治44)年11月5日に遷祖式が営まれ、今日の本山の姿がある。

石川禅師は1841(天保12)年に尾張国大曾根村で道家家の三男として誕生し、数え9歳で出家を決断し、5年後に得度。名古屋の泰増寺住職となった後、いくつかの住職地を歴任し、1905(明治38)年に總持寺貫首に就任。20(大正9)年11月16日に世寿80歳で遷化した。

5日の禺中諷経の焼香師は鬼生田俊英宗務総長、献香諷経は福山諦法大本山永平寺貫首の御親香で、正当は江川辰三貫首の御親香により盛大に勤めた。

江川貫首にとって石川禅師は法系上の三代前の師僧にあたるが、「禅師さま直系の法を相承しているという、ありがたい御縁をかみしめている。今回の御遠忌を経て、石川禅師さまの妙用縦横の境涯の一端が活き活きとよみがえり、ご遺徳称揚の機縁が今後もますます熟していくことを願う」と語っている。

また石附周行副貫首は「本山が移転して100年が経過したが、次の100年のありようをどのように示していくのか。今こそ私どもが石川禅師さまを通じて力をいただき、発揮する時ではないか」と話した。

乙川暎元監院は「ただ単に行持を勤めるのではなく、石川禅師さまの御心を体しながら、もう一度初心に帰って、本山の役割、すなわち人材の打出と社会への貢献を深く胸に刻んで歩みを進めていきたい」と決意を語っている。