「岐路に立つ仏教寺院」のすべきこと 川又俊則鈴鹿大学教授に聞く(中)

「岐路に立つ仏教寺院」のすべきこと

川又俊則鈴鹿大学教授に聞く(中)

 

――寺院を取り巻く様子 が変化している具体例は ありますか。

川又教授 15年住んでいる三重県の「地域社会と宗教」の関わりに関心をもち、県内各地を訪ねました。伊勢神宮のある三重県ですが、宗教法人の数で見ると、神社本庁822に対し、仏教系の法人は2347もあり、さまざまな宗派の寺院が存在する土地柄です。仏教系の法人数でもっとも多いのは曹洞宗の438、以下、真宗高田派403、浄土宗300、真宗大谷派213、天台真盛宗207、浄土真宗本願寺派195と続きます。

真宗高田派は、束西両本願寺派に続く寺院数を誇り、本山専修寺の如来堂と御影堂が2年前に国宝に認定されました。門前町も、今風に言えば「インスタ映え」する街並みに整備され、本山専修寺の年中行事なども活況を呈しています。

しかし、昭和中期の頃の新聞記事や写真を見ると、現在と参拝者規模が全く異なっています。日曜だけでなく、平日から多くの参詣者がいたのでしょう。同派の七里講には、平日も高齢者が法要に参列する姿がありますが、近居していない後継者にも受け継がれていくことは、なかなか難しそうに見えます。

 

――「岐路に立つ仏教」は、どう舵を切るべきでしょうか。

 

川又教授 あるご住職の声を紹介すると、「自身はかつて教員などを兼職して現在は年金 暮らしをしており、寺院年収が300万円未満であっても生活は成り立つが、次の世代には寺院を譲れない(生活できない)」と考えています。

「生き残り」というと語弊があるかも知れませんが、現代は、寺院だけでなく、私が副学長を務めている地方の大学なども、「生き残り」を模索しています。

ではどうすればいいのか。例えば、複数の寺院を一人の住職が担うことを恒常化するような、大胆な再編も検討の余地があるのではないでしょうか。これについては神道が先行しており、一人の宮司が何十社も兼務している事例があります。また、キリスト教会では、二つの教会を一人の牧師で維持困難なため、思い切って交通の便の良い小さな教会の方に合併したケースもあります。ただ、歴史が浅いキリスト教の教会とは違い、寺院は創建の成り立ちなどもあり、かつ宗教法人格も全く別なので難しいかも知れません。

しかし、単体で「生き残れない」場合は、伝統的な一寺院一住職という制度自体から見直す必要があるのではないかと思います。(続く)