真宗大谷派大阪教区 親鸞フォーラムを大阪で初開催

真宗大谷派大阪教区

 

親鸞フォーラムを大阪で初開催

「仏教×勇気」をテーマに

 

真宗大谷派大阪教区教化委員会は2日、山門一体型ビルのオープンに合わせて教化の拠点を内外に発信するため、「親鸞フォーラムin OSAKA」を難波別院で初開催した。

東京、福岡に続く大阪での初回は「仏教×勇気」をテーマに、小説家・和田竜氏、精神科医・名越康文氏、木越康大谷大学学長をパネリストに迎え、本明義樹氏(大谷派聖教編纂室主任編纂研究員)をコーディネーターに“生きる勇気”について3者の視点から考えた。

和田氏の長編歴史小説『村上海賊の娘』は、主人公である村上水軍の当主の娘・景が、窮地に陥った本願寺を救うため、毛利家から物資の輸送を依頼され、戦いに身を投じていく作品。

和田氏は、小説のもつ役割について触れ、「私は勇敢さや勇気を主軸にしながら書いている。主人公が何らかの勇敢さを発揮した時、心を揺さぶられる。勇敢さとは正しいことを判断できる能力であり、それができれば大抵の人生の困難は克服できるのではないか」と語った。

『村上海賊の娘』には、信長が大坂本願寺を攻め、一向宗の門徒が「進まば往生極楽、退かば無間地獄」の旗を手に立ち向かうシーンもある。木越学長は「間違った勇気は狂気にもなる。その点をどのように考えながら書かれたのか。そして信仰が生まれたわけでもないのに、主人公の景がどうして本願寺に加勢したのか」と和田氏に問い、和田氏は「無間地獄という旗を目撃し、真宗の教えと違うと景が怒る場面もあるが、門徒たちの無償の行動の純粋さに心を打たれたから」と説明した。

今フォーラムの案内文には、「ふと感じる虚しさ。これが『私』の人生か。私はどこにいる。何のために生まれてきたのか。今こそ、立ちどまり、人生に『私』を取り戻す“勇気”について考えてみませんか」とある。この点を木越学長は「最近、ふと感じる虚しさも心地よくなってきた。そもそも取り戻すような“私”というものがあるのか。そう考えるからしんどいのではないのか。“私”とは今までその人が蓄積してきたさまざまな経験が、一つの袋に込められているようなもの。だから、このフォーラムに来る前の“私”と、袋に何かが入って帰っていく“私”とはまた違うわけで、むしろ自我や我執を捨て去る勇気が必要なのではないか」と語った。