「岐路に立つ仏教寺院」のすべきこと 川又俊則鈴鹿大学教授に聞く(下)

「岐路に立つ仏教寺院」のすべきこと

川又俊則鈴鹿大学教授に聞く(下)

 

――複数の寺院を兼務することのデメリットも、宗教界では指摘されています。

川又教授 私は教団とは無関係な立場なので、簡単に考えるのかも知れませんが、30代、40代の青年僧侶と話していると、宗教的な自覚を持って寺院運営を目指す人ばかりです。そういう人たちによる宗派の青年会等の集まりに参加できていない人には、例えば兼職など、教化活動ができない事情があります。各地で超宗派合同による仏青活動が展開され、若い感覚で教化のノウハウを積み上げていますが、これを各宗派へ、各地域へ還元していくことで、新たな教化活動の可能性が開けると感じます。

私は坐禅会や梅花講など教化団体や教化のあり方に関する章を執筆しましたが、明らかに高収入寺院の方が教化活動を活発に展開しています。また墓地開発によって檀家数が増えたケースもあります。低収入寺院には“負のスパイラル”が見受けられます。

要するに、若い人が宗教的な自覚を持って宗教専従の道を進むためには、2ヵ寺を兼務するなどの収入面の手当てが必要です。

また、曹洞宗では1984年に坐禅会運動を始め、多くの寺院で坐禅会が開催されるようになりました。その後二十年も経つと、右肩下がりで開催寺院数は減りましたが、坐禅のニーズは禅宗の檀家以外にも確実にあります。一般寺院への直接支援はできなくても、包括宗教法人である宗門が、宗教心ある若者が兼務できるように寺院を誘導したり、坐禅会の盛り上げを図るなど、できることはあります。

――宗教に興味を持たない若者や、檀家の寺離れが増加しています。

川又教授 他宗派も同様でしょうが、曹洞宗でも道元禅師の教えを信奉しているとの自覚が強い檀家は希少です。宗教界は戦後の高度経済成長期とともに、葬儀・法事により収入が増加したと思われます。しかし、仮説に過ぎませんが、長い仏教の歴史の中で、葬儀・法事が主だったのは昭和の後期から平成の初めまでという見方もできます。

供養文化の先細りが懸念されますが、かつて寺院が所有する田畑を耕していた時代には、寺院は近隣の住民が寄り集まる場所でした。現代においても、青少年教化などを地道に続けている寺院には人が集っています。何らかの活動をしている住職の周りには世代にかかわらず啓発された人たちがいます。

私が勤務する鈴鹿大学には国際地域学部があり、韓国・中国・ベトナム・タイ・ネパールなど各地からの留学生で半数を占めています。日本では、いずれ外国人労働者が日本人の人数を超えるとの予測もありますが、それは確実に来る現実でしょう。その時に仏教者が「うちの宗祖は……」といっても、仏教国の人には通じません。多文化共生、多世代共生は一朝一夕にはできないことなので、この面からも今が岐路と言えるでしょう。