日蓮宗 鈴木教授が教義の見直し訴え

日蓮宗

 

第49回近畿教区教化研究会議より

鈴木教授が教義の見直し訴え

 

日蓮宗近畿教区は8日、教化研究会議を大阪市内で行い、講師の鈴木隆泰山口県立大学教授(東京都善應院住職)が「仏教における『いのち』とは」をテーマに、霊魂を大事にする日本人に沿った日本仏教独自の教義解釈の再編を訴えた。

仏典を原典から読み下した鈴木教授は、比丘マールンキャープッタが「世界の謎全てが解決しないと安心できない」と霊魂や死後について釈尊に聞いた「毒矢の譬え」を取り上げ、「そのような疑問を持つことは覚りへの妨げになる」と釈尊が答えたことが、今の日本の仏教者を萎縮させているのではないかと問題提起した。

さらに、日本仏教が“誤解”の上に立っているのが、初転法輪における「諸法無我説」だという。全てに実態がないと説く仏教の基本と解説されるが、原典を読み解くと、正確には「五蘊非我」であるとした。原典では自己の本体・霊魂(アートマン)が五蘊以外にも存在する可能性を否定も肯定もしていないことを説明。楞伽経には、アートマン(自己の本体)=仏性=阿頼耶識=輪廻主体「いのち」=霊魂であることが、はっきりと示されていると述べた。

日本における仏教は、原典を大幅に誤解して解釈しているため、死後の世界を否定するかのように霊魂観を示していないと指摘。初期仏典のスッタニパータなどには、詳細な地獄の描写や、殺人鬼のアングリマーラが現世でリンチを受けて堕地獄を回避したという記述があり、仏教において「死後の世界」は大前提だと語った。また鈴木教授は「増支部経典には、何であれよく説かれたものは全て釈尊の直説(仏説)と記されている。『方便の力』に基づいて人々を救い、安心に向かわせる教えであれば、それは治療薬であり、『釈尊の直説』と見なすのが仏教の本来の特性だ」と述べた。その上で、従来から日本人が仏教に最も強く望んできたのは、除災招福や、死者の魂を浄化して祖先神として強化すること。その求めに応じ、また人を善導する方便としての日本の葬式仏教は、「釈尊の直説」に他ならないとした。

現代は「宗教離れ」といわれるが、鈴木教授は宗教の基本として、ロゴス(理論)に基づく大学教育、パトス(篤い信仰心)に基づく僧侶の修行、対象となるエートス(一般の気風)のうち、「現状はロゴスを前面に出せば失敗する。前面に出せないロゴスしかない点が、むしろ問題」と話した。日本の仏教(各宗祖師を含む)は、日本人の気風に応じて法を説き、今日まで発展・存続してきており、「エートスに着目し、時代や環境にも配慮して、それらに応じて教学(口ゴス)を再整備し、修行・布教(パトス)を実践していく必要がある」と“処方箋”を示した。

講演は、宗門大学で教学を学んできた受講生には新鮮な内容だったようだ。分科会では、「ロゴス再編までは参究は進まないものの、普段の通夜説教などで『善導』を試みてきたことが仏説につながるという説に大いに力付けられた」との意見も出ていた。

最終の全体会議では「宗教離れの中で、霊魂など見えないものを証明して語るには」との質問があり、鈴木教授は「見えないものを証明するのは難しい。しかし僧侶が死後の世界があることを確信し、魂・永遠のいのちがあると信じて安心を得て、死後の世界や霊魂の実在を堂々と説けばよい」と、自身の言葉や体によって証明することが肝要と語り、釈尊が説いた死後の世界の実存を信じて行学に励み、永遠のいのちを生きる僧侶が幸福度の高い生活を社会に示すことが大事だとした。