真宗大谷派 第14回親鸞フォーラムを開催

真宗大谷派

 

第14回親鸞フォーラムを開催

平成を振り返り今を生きるヒントを

 

真宗大谷派真宗会館が主催する「第14回親鸞フォーラム」が5月25日に千代田区で開かれた。(写真)仏教者と各界の有識者が対話するシンポジウムとして毎年開催している。

今回は「時代×記憶×仏教―〝平成〟という名のモニュメント」をテーマに、政治学者の中島岳志東京工業大学教授、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏、一楽真大谷大学教授、そしてコー ディネーターを名和達宣氏(真宗大谷派教学研究所研究員)が務め、平成を振り返り、今を生きるためのヒントを考えた。

中島氏は「単なる政治の問題ではなく、現代日本の内面的な心の不安と関係している」と、平成における右傾化の問題を取り上げた。中島氏は現代の不安を語る上で、岡崎京子『リバーズ・エッジ』、鶴見済『完全自殺マニュアル』、小林よしのり『戦争論』の平成初頭の三つのベストセラー作品を紹介。『リバーズ・エッジ』と『完全自殺マニュアル』は、バブル崩壊後の日本で、死が隣になければ生きているリアリティーも獲得できないという問題を問い掛け、この問題に一つの形を与えたのが『戦争論』だったと語った。

「『戦争論』は、うだるような平和という文章から始まる。しかし50年前、私たちの祖父母の世代は命をかけて国のために戦い、戦死をすれば靖国神社に英霊として祀ってもらえるという究極の意味を国家は与えた。『本当に国家に意味は必要ないのか、現代社会で死に対する物語は必要ないのか。私は必要だ』というのが小林さんの主張だった。『戦争論』が若者に響いたのは生の空白という部分。愛国という名の下で生の意味、国の物語を取り戻そうと若者が共感した背景を考えなければならない」と、日本の右傾化を、現代日本の根源的な不安の問題、生のリアリティーの欠如という視点から問題提起した。

安田氏は大学時代に通い続けたシリアについて、内戦のイメージとはかけ離れた美しい風景を紹介し、「最初から戦場と呼ばれていた場所はなく、最初から難民と呼ばれていた方もいなかった」と訴えた。

安田氏は東日本大震災発生後、夫の両親が住む陸前髙田に向かった。義母は津波により気仙川を9㎞もさかのぼった場所で、愛犬2匹の散歩ひもを握りしめたまま見つかった。外科医だった義父は県立高田病院の最上階で首まで波に漬かりながらベッドにしがみついて一命をとりとめた。

安田氏が震災直後に唯一シャッターを切れたのが、陸前髙田の一本松の写真だった。「一本だけ、波に耐え抜いたなんてすごい」と夢中になって撮った写真はその後、新聞に掲載され、「奇跡の一本松」と名付けられた。

「ようやくこの町のことが伝えられる」と喜び、新聞記事を持って義父に見せに行った。すると義父は「なんでこんなに海の近くに寄ったんだ。津波が来たらどこに逃げるんだ」と声を荒げ、さらに「あなたたちのように震災前の7万本あった松の木と一緒に暮らしていなかった人たちにとっては希望に見えるかもしれない。でも、僕たちのようにここで生活していた人たちにとっては、たった一本しか残らなかったことは、津波の威力の象徴以外の何ものでもなく、見たくはなかった」と言われた。

その言葉に安田氏は「誰のための希望を撮りたかったのか」「一体誰の立場に立って写真を撮ろうとしていたのか」と自問する。「私自身が取材者として完ぺきではなかったように、私たちはそれぞれ不完全な存在。だからこそ、常に問い続けなければならない」と語った。

フォーラムの最後に中島氏は「死者の問題こそが未来志向」と語り、柳田國男の『先祖の話』の序文を引用した。

『先祖の話』では全国の先祖供養の話を紹介している。柳田國男は現在の町田あたりで調査を終えて停留所でバスを待っているとき、一人の老人と会話した。その老人は財を成し、子どもも育て、「あとやることは良いご先祖になることです」と語った。柳田國男はいい言葉だなと思うと同時に、この老人には死んだ後にも仕事があるのだと感動した。

中島氏は「先祖の問題を考えることによって、まだ見ぬ未来の他者との対話が始まる。死んでから始まる人生がある。先祖のことを思い、自分が先祖になる自覚の中で生きていくことは、極めて未来志向。今の人間は一代主義になっているが、先祖の問題、死者の問題こそが、私たちが長いスパンで生きていく場所や環境を保つ上でも重要で、仏教が大切にしてきたこと。そのことをないがしろにしては未来を失ってしまう」と提言した。