地域包括、終活で充実 カフェで「官仏連携」

 終活をキーワードに地域包括ケアシステム=用語解説=を充実させようという取り組みが、神奈川県厚木市で進んでいる。終活カウンセラーと公的機関、お寺が協力し、「お寺『終活カフェ』」を開催。「心、体、先の不安をケアできる交流の場」と位置付け、1年間で約30人がメンバー登録した。地域包括ケアシステムにお寺を活用する事例として注目を集めそうだ。

曹洞宗長谷寺で開かれた「お寺『終活カフェ』」=2019年10月、神奈川県厚木市

営業・宗教勧誘は行わない

 厚木市の住宅街にある曹洞宗長谷寺(ちょうこくじ)。約千年の歴史がありながら焼失を繰り返し、1993年に加藤英宗住職(51)が再建した。檀家を持たない一方で、ヨガや詩吟、坐禅会などの〝寺子屋〟に人が集まる。

 ここを会場に開く「お寺『終活カフェ』」で中心的な役割を果たしているのが、終活カウンセラー上級の資格を持つ「神奈川葬祭」企画営業部次長、髙橋良彦さん(56)。仕事で付き合いのあった長谷寺と厚木市南毛利地域包括支援センターをつないだ。

 カフェでは、営業活動や宗教勧誘を一切行わない。昨年6月に「地域の相談窓口『地域包括支援センター』ってなに?」をテーマに第1回を開催。以降は老人ホームの選び方やエンディングノートの活用法など、参加者から提案のあった講演会を開いてきた。

 加藤住職の法話や後半に行うカフェタイムも好評で、参加者は終活にまつわるさまざまな悩みや苦労話を語り合う。

 髙橋さんは「死生観にたけた宗教者が参加すれば、きちんとした地域包括ケアシステムが構築できる」と話している。

弔いを宗教に任せる

 髙橋さんは「終活に関する相談は、『死んだら自分はどうなるのか』と死生観に踏み込んでくる。医療・介護の専門職では対処が難しい」と話し、宗教者の役割に期待する。

 「お寺『終活カフェ』」は、お寺で開く流れが自然にできた。もともとは、市内の主婦が会員制交流サイト「フェイスブック」で始めた「老後を真剣に考える会」が出発点。ファミリーレストランで情報交換する内輪の勉強会で、そこに髙橋さんと長谷寺の関係者も参加していた。

 髙橋さんは「葬儀で後悔する人をなくしたい」との思いから、市内の地域包括支援センターと協力し、2016年から終活講座や相談会を行ってきた。「生き方や人生に関する悩みは、お寺が相談窓口になればいいのではないか」と話す。

カフェタイムでは、終活関連の話をざっくばらんに語り合う=2019年7月、神奈川県厚木市の曹洞宗長谷寺

 一方、地域包括支援センターは、住民から介護に関するよろず相談を受けており、市町村が設置主体となっている。公的機関として、宗教法人との協働には難しい面もあるが、お寺は安心できる会場で僧侶は心のケアの専門家、と位置付けている。

 厚木市南毛利地域包括支援センターの職員で保健師の鈴木瑞穂さん(37)は「お寺で話をしたい、聞きたいという需要は少なからずある。必要な方に支援が届くよう、カフェを通じて情報発信したい」と語る。

 お寺にとっても、メリットは大きい。長谷寺には、「お寺『終活カフェ』」への参加をきっかけに、ふらりと訪れる人や坐禅会に関心を持つ人が増えた。加藤住職は「地域に開かれていて、いろいろな専門家に相談できる環境を作るのが、本来のお寺の役割」と強調する。

 地域包括ケアシステムは高齢者の健康を扱うため、医療・介護を中心に構築されている。生前のケアは得意だが、死後の弔いまで目配りできているケースは少ない。弔いを宗教に任せれば、切れ目のない看取りによって、最期まで自分らしく生きるという地域包括ケアシステムの理念が達成される。

 新型コロナウイルスの影響で、カフェの開催は今年4月に予定されていた第7回が延期されたまま中断している。再開し「厚木モデル」として普及することが期待される。(主筆 小野木康雄)
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【用語解説】地域包括ケアシステム
誰もが住み慣れた地域で自分らしく最期まで暮らせる社会を目指し、厚生労働省が提唱している仕組み。医療機関と介護施設、自治会などが連携し、予防や生活支援を含めて一体的に高齢者を支える。団塊の世代が75歳以上となる2025年をめどに実現を図っている。

(文化時報2020年6月10日号から再構成)
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僧侶になったバーテンダー「誰もが救われる」

 「命尽きる前に思い出して、お念仏を唱えてくれれば、必ず往生できる」。浄土宗光明寺(兵庫県三木市)の住職、小泉慶典氏(53)は、そう言い切る。青年時代にバーテンダーやコピーライターを経験し、仏門へ。今では布教師として、自死遺族の支援にも取り組む。往生できるという確信はいつ、どのようなきっかけで生まれたのか。(大橋学修)

浄土宗光明寺の小泉慶典住職

レールに乗ることへの抵抗感

 父は先代の住職で、中学校の社会科教員と兼業していた。小泉氏は、少年の頃から聞き分けのいい子どもとして育ったが、進学先の同志社大学では2年を待たずして退学。「みんなが浮かれている状況になじむことができず、大学がつまらなく感じた」。時代はバブルの真っ盛りだった。

 東京で絵描きとして活動していた友人宅に転がり込み、実家には事後報告。「二度と戻らない」と伝えた。「生き方を決められ、レールに乗って粛々と過ごすことが嫌だった」。文章を扱う仕事を夢見たが、生活のために、レストランのウエーターやバーテンダーなどの職を転々とした。
 
 20歳を過ぎ、コピーライターの職を得た。スキルアップを目指して1年余りで転職したが、思うように仕事が進まず、プレッシャーに押しつぶされて退職。バーテンダーに戻った。

 バックコーラスや作曲活動を行う女性と結婚。神奈川県藤沢市に引っ越した。折しもフリーランスのコピーライターとして仕事をもらい、さまざまな広告のコピーを6年間、綿々とつづり続けた。

僧侶養成講座で圧倒

 僧侶となったきっかけは、結婚式。音信不通だった両親に出席を請うと、「僧侶の資格を取るなら、出席してもいい」と言われた。

 それだけの理由で、佛教大学の仏教通信課程で学び、29歳の時に僧侶資格を得た。すると、教えが気にかかるようになった。「まだ自分は何も分かっていない」。きちんと知った上で、身の振り方を考えようと思った。

 妻を藤沢市に残して、いったん実家の光明寺に戻った後、藤沢市に近い鎌倉市の大本山光明寺で、布教師養成講座が開催されることを知った。妻に会いに行くチャンスと思って気楽に参加してみると、後に大正大学の教授となった林田康順氏がノンストップで何時間も話し続ける講義内容に圧倒された。教えの素晴らしさと、伝えることの大切さに気付いた瞬間だった。

 「極楽浄土には、実際に阿弥陀さまがおられる。お念仏を唱えれば、そこに往生できる。この世で大切な方との別れがあっても、いずれはお浄土で肩をたたき合ったり、抱き合ったりできる」。小泉氏がそう断言する理由は、明解だ。「人間が説くのではなく、仏さまが説かれたのだから、間違いない」

 修了後は、総本山知恩院の布教師会に入会。さらに、休眠状態だった大本山金戒光明寺布教師会の活動再開にも関わった。

状況に応じるな

 金戒光明寺布教師会は、法然上人の教えをそのまま伝えることを最も重視している。時代とともにライフスタイルが変化しても、人間がたどる生老病死は変わらない。苦しみは、昔も今も同じ。だからこそ、当時の教えは現代にもそのまま通用するという。

 小泉氏は、僧侶の役割をパイプにたとえる。「太さや長さが違っていて、表面がどんな色をしていてもいいが、筒の中は奇麗でないと、教えに異物が入る」

 金戒光明寺布教師会のメンバーが中心となって取り組む「自死遺族のための法話の会」でも活動。自坊の檀信徒に話すときと、同じ内容を伝えている。「残された人は、亡くなった人と、お浄土で再会できる」と確信しているからだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、右往左往する僧侶を苦々しく思っている。「これまでは『仏さまに生かされている』『仏さまのおかげ』と言いながら、コロナ禍になって『この世は苦しみ』などと語り出した僧侶がいる。状況によってコロコロ変わる教えで、人が救われるのか」

 その上で、こう指摘する。

 「法然上人の教えで、誰もが必ず救われる。浄土宗の僧侶は、たとえ納得してもらえなくても、繰り返し説かなければならない。後から気付いてお念仏を唱えてくれれば、往生できるのだから」

(文化時報2020年6月3日号から再構成)
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Zoomで医療者ケア 宗教者が悩み聴く

 新型コロナウイルスへの対処で疲弊した医療従事者に安らぎの場を提供しようと、上智大学の研究者らが「感染症と闘う医療・介護従事者の話を聴く会」を立ち上げた。心理専門職や臨床宗教師=用語解説=がテレビ会議システム「Zoom(ズーム)」で相談を受け付け、傾聴を通じて悩みに寄り添う。コロナ禍で社会の分断が進む中、職種を超えた支え合いが期待されている。(安岡遥)

「Zoom」による傾聴のイメージ(感染症と闘う医療従事者の話を聴く会提供)

経験踏まえ、医師が始める

 世話人代表の井口真紀子氏は、上智大学大学院実践宗教学研究科で心のケアを学んでおり、在宅医療や家庭医療を手掛ける医師でもある。自身の経験や周囲の声から医療従事者の窮状を知り、「心の重荷を降ろす場を作りたい」との思いで会を設立した。

医療現場では感染防止のため、最小限の時間で診察が行われている。患者とは距離をとり、会話も最低限。面会の受け入れを停止した緩和ケア病棟で、一人きりで亡くなっていく患者を見送った医療従事者もいる。こうした接触の制限が、患者との心の交流まで制限してしまう。

 井口氏は「家庭医療や緩和ケアは、治療以外での触れ合いも大切にする分野。十分なケアが行えていないと感じ、葛藤する医療従事者が多い」と分析する。

 認定臨床宗教師として傾聴に当たる高野山真言宗の僧侶、井川裕覚氏は「答えの出ない問題と向き合っている医療従事者にとって、話すことを通じて自身をケアする時間は極めて重要」と話している。

臨床宗教師はチームの一員

 「なぜ、私が死ななければならないのか」「神も仏もない」―。患者の吐き出す苦しみは、ときに不条理だ。治療の専門家である医師や看護師が満足な答えを示すことは、難しい。臨床宗教師は、そのような叫びにひたすら耳を傾け、苦痛を分かち合う。

 向き合う相手は、患者だけではない。治療に当たる医師や看護師、患者の生活を支えるソーシャルワーカーなど、共に働く医療スタッフの悩みに寄り添うのも臨床宗教師の役割だ。

 コロナ禍の今、医療従事者の抱えるストレスは枚挙にいとまがない。感染の危険と隣り合わせの労働環境、家族や友人を感染させてしまうことへの不安。町へ出れば、心ない言葉や交通機関への乗車拒否など、いわれのない差別を受けることもある。

 龍谷大学大学院で臨床宗教師の研修を担当する鍋島直樹教授(実践真宗学)は、「感染症と闘う医療・介護従事者の話を聴く会」の活動について「医療者と宗教者の日頃の信頼関係のたまもの」と分析する。「医療従事者にとって、臨床宗教師はチームの一員。同じ職場で悩みを分かち合ってきたという信頼があるからこそ、他人に言えないような心の苦しみを打ち明けられる」と話す。

経験を語り継ぐ…傾聴から継承へ

 鍋島教授はさらに、傾聴において重要なのは「継承する姿勢」だと指摘する。
 神戸市出身の鍋島教授は、阪神・淡路大震災の被災者の話を傾聴する機会も多い。自身も被災者の一人として耳を傾けた経験が、防災意識を高めるきっかけになったという。

 医療従事者への傾聴についても同様だ。懸念されている感染拡大の第2波や、アフターコロナの社会の変化に対応するためにも、感染防止の最前線に立つ医療従事者の苦悩から学ぶべき点は多い。鍋島教授は「苦しみを分かち合うだけにとどまらず、教訓として語り継ぐ努力が必要」と語る。

 「聴く会」のサポーターの一人である上智大学の島薗進教授(宗教社会学)は、傾聴の基本は「体、行動、空間を相手と共有すること」と話す。身体的に接近することで「自分が相手のためにしている行動、相手が自分のためにしてくれている行動がはっきりと伝わり、共感や思いやりが生まれやすくなる」という。

 だが、コロナ禍の影響で、対面での傾聴活動は難航している。テレビ会議システム「Zoom(ズーム)」などが導入されつつあるが、「体、行動、空間」の伴わない画面越しのやりとりでは、心の交流にも限界がある。

 一方、物理的な距離に関係なく、自由に人間関係が築けるという利点もある。例えば宗教界では、祈りの場に「Zoom」が活用され、世界中の人々が心を合わせたケースもあった。

 島薗教授は「阪神・淡路大震災以降、市民同士が協力し合う〝横の支援関係〟が非常に重視されている。今回の活動を通じ、強い支援の輪が築かれることを期待している」と語った。
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【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う、心のケアの専門職。2011年の東日本大震災をきっかけに、東北大学で養成が始まった。近年は医療従事者との協働が進む。ほかにも、浄土真宗本願寺派のビハーラ僧、キリスト教系のチャプレンなど、主に緩和ケアの現場で終末期の患者に寄り添う宗教者が知られている。

(文化時報2020年6月3日号から再構成)
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教えは救い そのままで

 「自分の信念ではなく、教えをそのまま伝えるのが布教師の役割だ」。浄土宗法輪寺(兵庫県尼崎市)の北村隆彦住職(49)はそう語る。布教師は、特に研鑽を積んだ僧侶でないとなれないが、若かりし頃は僧侶になることさえ拒んでいたという。教えが救いになると確信し、自死遺族に法話を行うまでになった北村氏。どんな心境の変化があったのか。(大橋学修)

勇気のない進学

 住職の長男として生まれたときから、法輪寺の跡継として嘱望されていた。小学校の文集に書いたのは「将来は、お坊さんになる」。それが思春期になると、忌避するようになった。

 高校は、父の了承を得つつも地元から離れようと、浄土宗関連学校の上宮高校(大阪市天王寺区)を選んだ。しかし、3年の担任は法輪寺にゆかりがあり、現在は校長を務める山縣真平氏。強力な勧めに抗し切れず、佛教大学仏教学部仏教学科に進学した。

 「逃げたい割には、逆らい切れない。だからと言って、したいこともない。親のせい、人のせいにして不平を口にするが、飛び出す勇気もない。自分自身が嫌だった」。それなりに単位を取得し、伝宗伝戒道場=用語解説=に入った。

 道場のせんべい布団にくるまりながら「本気でやっている人はいいな」としみじみ感じた。道場長だった森田康友興善寺住職(奈良市)の指導が心に響き、僧侶の道へと心が向いた。

人は簡単に死ぬ

 世間を知らなければ教えを説けないと、大学卒業後はあえて一般企業に就職した。洋服に刺繍を施す会社の営業マン。バブル崩壊直後だったが、社内には華やかな雰囲気が残っており、会社のヨットでのクルージングが新入社員の歓迎会だった。

 先輩社員が、うまく帆を上げられず苦戦していた。ようやく風を捉え、くわえたばこでロープに体を預けた瞬間、船が揺れて海に転落した。帰らぬ人となった。

 「こんな簡単に人が死ぬのか」。帰宅した夜、怖くて泣いた。涙しながら一心に念仏を唱え、阿弥陀仏にすがる自分がいた。

 中途で退職し、浄土宗教師が自己研鑽する教師修練道場に入行。そこで出会った日下部謙旨氏ら指導者に触発され、布教師の道を歩み始めた。

 2015年には、所属する大本山くろ谷金戒光明寺の布教師会の有志で、東日本大震災で死別した人たちのための法話会をスタート。年5回のペースで営むようになった。

 仏教の教えが伝わりにくいと言われている現代社会。それでも北村氏は「救われたいと思う人がいるからこそ、浄土がどのような所かを真剣に説かなければならない」と強調する。

 「自分が癒やしてあげていると勘違いしてはならない」とも語る。大切な人を突然亡くすという痛みは、想像はできても、実際に感じることはできない。「むしろ、自分が学ぶことの方が断然多い」と語る。

 教えを自分なりに解釈することにも否定的だ。「自分なりに考えたものは、その人の信念であって、仏の教えではない。教えに向き合い、信仰をもって伝えることが、僧侶としてやるべきことだ」と話した。
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【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 僧階を持つ僧侶になるための道場。「加行」「加行道場」とも言う。

(文化時報2020年5月20日号から再構成)
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今や寺院は企業化 僧侶は自らを省みよ

 新型コロナウイルスの感染拡大や政府の緊急事態宣言などで揺れる社会を、戦時中と同じとみている有識者は少なくない。曹洞宗萩の寺東光院(大阪府豊中市)の村山廣甫住職(76)もその一人。先人たちが境内の萩を守り抜いた壮絶な歴史をひもとき、現代の仏教界にこう苦言を呈する。「寺院が企業化し、僧侶に気概がない」

萩を守って餓死

 東光院は735(天平7)年、行基菩薩がわが国最初の民衆火葬を執り行った際、死者の霊を慰めるために薬師如来像を造ったのが開創の由来。その際、淀川水系に群生していた萩の花を手折って霊前に供えたことから、萩は1200年以上にわたって同院で大切にされてきた。

 村山住職が50年前に26歳で赴任してきた際、信者から聞かされて驚いた話がある。食糧難だった戦時中、近隣住民から「イモ畑にしろ」と迫られても、僧侶たちは萩を守った。中には、気概を貫いて餓死した寺僧もいたという。

 「由緒ある萩の花を守らねばならないという使命感から、『死を賭してまで』という、やむにやまれぬ気持ちだったのだろう」

 東光院にとって、萩の植栽は単に植えて花を咲かせることではない。花の心を知った先人たちの願いや思いが、嫡々相承(てきてきそうじょう)=用語解説=されてきたのだと、村山住職は説明する。

 「萩を育て続けていると、『そこの草を取ってください』などと、花の声なき声が聞こえてくる。それはご先祖をおまつりして仏に出会うことと、何ら変わるところのない尊い仏の修行でもある」

納屋の一室で法要

 東光院は今春、恒例の「三十三観音まつり」の祭典を取りやめた。5月3~5日の期間中は内献=用語解説=で法要を営み、「新型コロナウイルス終息祈願の祈禱」を修行した。
 
 三十三観音まつりは、秋の「萩まつり道了祭」と同様、明治維新まで約250年間続いた川崎東照宮の「権現まつり」の流れをくむ。川崎東照宮は現在の大阪市北区にあった徳川家康をまつる神社で、境内には同宮付属の建国寺もあった。

 戊辰戦争で、長州藩は川崎東照宮に本営を置き、ちょうど家康の250回忌があった。長州藩士がわが物顔で境内を行き交う中、僧侶らは納屋の一室で懸命に法要を勤めたという。

 神道国教化を目指した明治新政府により、川崎東照宮と建国寺は廃絶されたが、東光院第8世・大雄義寧(だいゆう・ぎねい)大和尚が名跡を引き継ぎ、家康ゆかりの宝物を引き取った。現在の境内にある東照閣仏舎利殿・あごなし地蔵堂(豊中市有形文化財)は、旧川崎東照宮本地堂を移築した。

懸命の実践見せよ

 数々の法難に見舞われた東光院の歴史を見るにつけ、村山住職は、新型コロナウイルスに揺れる現代の宗教者に対し、違和感を持つようになった。「昔の僧侶は偉かった。今の僧侶も葬儀や法事だけでなく、人々の命を守るための教えを懸命に実践している姿を、背中で見せなければならない」と説く。

 東光院は今年の三十三観音まつりについて、祭典を取りやめてもポスターは例年通り制作した。そこには、伝統仏教も人々の健康と安全のために厄疫終息を祈り、がんばっていることを周知する意図があった。

 「今や寺院は企業化してそろばん勘定で行動し、人を集めることばかり考えている。新型コロナウイルスが蔓延する今こそ、僧侶は自らを省みなければならない」

 ただ、日本の仏教を取り巻く環境は、変革の時を迎えるのではないか、と感じている。「僧侶がそれを大いに自覚し、目覚めなければならない」。村山住職は力を込めた。
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【用語解説】
 嫡々相承(てきてきそうじょう=仏教全般)
 師から弟子へと仏法が正しく伝承されること。「師資相承」ともいう。

 内献(ないけん=仏教全般)
 檀信徒の参列や近隣寺院の出仕を頼まず、内々で簡略に法要を勤める形式。内勤め。

(文化時報2020年5月20日号から再構成)
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父の事故死、コロナ禍に重ね 浄土宗常楽寺・浦上住職

 「感染者だからと言って、誰にも見送られず火葬場に行くことがあってはならない。より丁寧な葬儀をしたい」。浄土宗常楽寺(兵庫県尼崎市)の浦上博隆住職(66)がそう語るのには、理由がある。15歳のとき、父を交通事故で亡くした。その体験を、新型コロナウイルス感染症で近親者を亡くした遺族に重ね、葬儀の大切さを説く。「現代人は、目に見えるものしか信用しない傾向にある。だからこそ、思いを説かなければならない」と語る。(大橋学修)

「感染者に丁寧な葬儀を」と話す浄土宗常楽寺の浦上博隆住職


お迎えを実感

 常楽寺は、1504(永正元)年に創建された。尼崎城築城の際に現在地に移されたが、太平洋戦争の空襲で全焼。焼け野原から廃材を集めて建てたバラックの寺院で、浦上氏は生まれ育った。「ボロボロの穴だらけで、雨が降ると屋根の波板がバラバラと音をたてた。阿弥陀さんの三方に金の紙を貼っただけの貧乏な寺だった」

 1966年に寺を再建した父は、その数年後に逝去した。バイクを運転中、出合い頭の事故に遭った。手術は行ったが、手の施しようのない状態だった。「なんでこんなことに」。浦上氏が中学3年の時だった。

 2日後に息を引き取る直前、父がいびきをかき始めた。折しも、窓から差し込んだ西日が体全体を覆い始めた。お迎えが来たと感じた。「阿弥陀さんにすがるしかない。楽に浄土へ旅立ってほしい」という悲痛な心が救われた。

 父の代わりに、関係寺院の住職だった故貴田徹善師が常楽寺を護持し、青年期を過ごした。スタジオミュージシャンを夢見ていたが、さまざまな人々の支えを胸に、僧侶になることを決めた。

 父から、読経の指導を受けたことはなかった。唯一の思い出は中学1年の時、お盆の棚経に連れていかれた記憶。口伝する陀羅尼=用語解説=を、母が聞き取って経本に書き留めてくれていた。後ろ姿を見て倣えという姿勢だった。

大病を患って

 伝宗伝戒道場=用語解説=を終えて住職になると、30歳ごろで「説教の天才」と呼ばれた故伊藤教導師に見込まれた。「布教師にならないか」。そう声を掛けられたが、父が再建した安普請の本堂と庫裏をもう一度建て直すなど、30代は法務に振り回される毎日だった。

 42歳になり、大病を患った。左耳からウイルスが入り、脳に達しかかって入院。顔の左半分がまひし、命が危ぶまれた。何とか一命をとりとめて退院し、本堂でお勤めをしていたとき、阿弥陀仏が両手を広げて近づいてくるのを感じた。涙が出た。「頂いた命だと思った。その命を生かすために、何かできないか」。布教師になることを決めた。

 総本山知恩院布教師会の試験を通過したのは、法然上人が開宗した年齢と同じ43歳のとき。以降は、布教師の道を突き進んだ。

念仏から安寧へ

 近年の社会を見て思うことがある。「寺院は檀信徒のものなのに、住職のものと捉えられるようになった。われわれがちゃんと説明しておくべきだった」。寺院へのイメージや、宗教に対する考え方が変わりゆく状況を「大河の流れのよう」と表現し、激しくはなくてもあらがえない力があると感じている。

 新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の葬儀については、人一倍憂慮している。「遺族の心が救われるように、丁寧に行うことが大切。ましてや、亡くなった方を物のように扱うのはやりきれない。できることとできないことがあったとしても、せめて普通に営んでほしい」

 葬儀が簡素化されれば、信仰心が希薄になってしまう。父を送ったあのときの経験を持つ者として、伝えたい思いがある。

 例えば、「不殺生戒=用語解説=を破らなければ生きられない自分であっても、往生浄土を得る」ということ。日々の念仏の中から、こうした教えを感じ取ることが、社会の安寧や安心感につながるのだという。

 「この世に迎合することになるかもしれないが、世間の人々がファンになってくれるような僧侶でなくてはならない」。自らをそう戒める。大切なことを、伝え続けるために。
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【用語解説】
 陀羅尼(だらに=仏教全般)
 サンスクリット語の「ダーラニー」の音写。記憶する力、保持する力という意味から、呪文の意味として使われるようになった。

 伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 僧階を持つ僧侶になるための道場。「加行」「加行道場」とも言う。

 不殺生戒(ふせっしょうかい=仏教全般)
 生き物を故意に殺してはならないという戒。仏教徒が守るべき五戒の一つ。

(文化時報2020年5月13日号から再構成)
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「門付け」で月参り 昔ながらで3密避ける

 浄土宗浄福寺(京都市上京区)は、多くの寺院が新型コロナウイルスの感染拡大に配慮して月参りを中止する中、玄関前や庭先で読経する「門付け(かどづけ)」を開始した。菅原好規住職は「法然上人は屋外で布教活動を行っておられた。檀信徒に話すと『昔に戻ったのですね』と安心した顔をみせてくれた。月参りで思い悩む僧侶に知ってもらいたい」と話す。

玄関や庭で読経する「門付け」


 「門付け」は、陰陽師に源流を持つ声聞師(しょうもじ)が、各家の門前で読経や曲舞(くせまい)を行うことで金銭を得た慣習。釈尊の弟子たちは、街を巡る頭陀行(ずだぎょう)を行い、いわゆる鎌倉新仏教の多くの祖師は、辻説法で教えを説いていた歴史を持つ。

 浄福寺では、政府による緊急事態宣言の発令後、年忌法要や月参りの中止・延期を申し入れる檀信徒が増加。外出自粛要請の長期化を感じていた菅原住職は「信仰の基本となる月参りの習慣がなくなれば、身近に話をしながら教化する機会を失うと思い、悩んでいた」と話す。

 4月20日、檀信徒宅へ月参りに移動する道中に「庭や玄関で読経すれば密閉、密集、密接の3密を回避できる」と思いついた。1軒目は庭で、2軒目は玄関で読経。江戸時代以前の僧侶が、野外で布教活動をしていたことを思い浮かべながら称名=用語解説=した。檀信徒も「これなら安心」と喜んだという。

 年忌法要についても、堂外の広縁部分に椅子を並べて3密を回避することにし、全檀信徒に提案することを決めた。多くの人が集まる行事では、動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信することも考えている。菅原住職は「遠方にお住まいで、お寺に参拝しにくい人にお説法を届ける機会になるのではないか」と話す。

 【用語解説】称名(しょうみょう=浄土宗、浄土真宗など)
 念仏をとなえること。浄土教における称名念仏は、「南無阿弥陀仏」の六字名号をとなえる行法のことを言う。

(文化時報2020年5月9日号から再構成)
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オンライン法要は万能か 住職の違った真意

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、法要や行事をインターネットで中継する寺院が増えている。テレビ会議システム「Zoom(ズーム)」を利用して法要の同時配信を始めた曹洞宗瑞岩寺(群馬県太田市、長谷川俊道住職)もその一つ。法事の新たな選択肢として複数のメディアが報じたが、長谷川住職の真意は〝ネット法要〟の普及ではなかったという。(安岡遥)
 

(写真と本文は関係ありません)


施主がスマホ撮影

 瑞岩寺の広い本堂には、長谷川住職と施主の姿のみ。粛々と読経する長谷川住職を、施主がスマートフォンで撮影し、「Zoom」を通じて配信する。自宅から見守る親族が、画面越しに手を合わせた。

 感染拡大の影響で、通常は月に10件ほどある法事の依頼が大幅に減少した。移動中の感染を懸念して遠方の親族を招くことができず、施主と2人だけの寂しい法事になることもあったという。

 長谷川住職は、普段から会員制交流サイト(SNS)で檀信徒と交流するなど、ネットに明るい。「遺族にとって法事は大切な節目。お寺に来られなくても参加できれば」との思いから「Zoom」の利用を提案し、これまで数件の法要をネット配信した。

 新型コロナウイルス感染症の有効な治療法の確立には1年以上を要するといわれる。長谷川住職は「お寺にとっても1~2年は厳しい状況が続く」と予測し、「宗派や政府の対応を待っていては遅い。さまざまなツールを駆使し、臨機応変に対応すべきだ」と話す。

「仏さまに失礼では」

 長谷川住職は、コロナ禍の終息後も、離郷檀信徒や入院中の高齢者を対象に「Zoom」の活用を検討している。「親族全員が地元で暮らしていた時代と違い、今は法事で集まるのも容易ではない。お寺に来られない事情のある檀信徒の選択肢になれば」。施主からの希望があれば、今後も同時配信を受け付ける見通しだ。

 だが、課題は多い。スマートフォンやパソコンに不慣れな高齢者にとっては、「Zoom」のハードルは高い。「大切な法要を撮影で済ませるなど、仏さまに失礼ではないか」と戸惑いの声もあるという。

 対面の法要でしか得られない経験もある。「遺族の悲しみは、体を動かすことで少しずつ癒やされていく」。供花や供物を買いに出掛け、お寺に足を運ぶという行為を促せば、法要もグリーフ(悲嘆)ケアになる。長谷川住職も「私自身、遺族とじかに顔を合わせることで、心が通じ合う」と語る。

「普及させたくない」

 ネット法要は選択肢を増やすが、実際に集まって行う法要の良さはなくなる。長谷川住職は「現状ではネット法要が最善だが、いつでも誰にでも通用する万能の策ではない。選択肢の一つではあっても、普及させたいという思いは一切ない」と断言する。

 その上で、コロナ禍の終息後には「法要を行う必要があるのか、そもそも宗教の存在意義は何なのか、ということが改めて問われる」と指摘。「諸行無常というお釈迦さまの教え通り、予想すらしなかった事態が今後も必ず起こる。宗教者に必要なのは、そのときにできる最善のことを選択する力だ」と強調した。

(文化時報2020年5月2日号から再構成)
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生きる喜び彫って伝える…「仏師僧」前田昌宏氏の波瀾万丈な半生

 紀伊水道を望む和歌山県日高町の浄土宗浄土院に所属する仏師僧、前田昌宏氏(47)が仏像を彫り始めたきっかけは、少年時代に起きた盗難事件だった。「仏づくりを通じて、仏の心を伝えていくことが、自分の持ち分」。僧侶であり、仏師でもある前田氏がこうした境地に至るまでには、師の失踪や貧困といった数々の試練を乗り越えねばならなかった。波瀾万丈の半生が、心を打つ仏像を生み出している。(大橋学修)

仏師僧の前田昌宏氏


執念の薬師如来像

 浄土院は、本堂や庫裏のほかにも地蔵堂、大師堂を備えている。少年時代の前田氏は祖父と共に毎朝、仏飯を手に諸堂を巡っては勤行を行っていた。

 中学2年生だった1988年のある日。大師堂に行くと、いつも手を合わせる薬師如来がいない。荘厳仏具が中央に寄せられ、仏像がない不自然さをごまかした痕跡があった。

盗難事件とみて駆け付けた警察官は「戻ってくることはないだろう」と言った。ならば、自分が薬師如来を彫り上げる。そう誓った。

 中学卒業後は、高野山真言宗が運営する高野山高校に進学。入学後初めての美術の授業で、美術の先生が「自分は仏師だ」と自己紹介した。前田氏は授業後、すぐ職員室へ乗り込み、仏像を彫りたいと伝えた。高野山内にある工房に来るよう言われた。

 これ以降、放課後に片道約30分かけて工房に通うことが日課となった。高校3年間、厳しい寮生活の合間を縫って、授業終了後から門限の午後5時までという限られた時間の全てを、仏像制作に費やした。

 最初は、先生が用意した松の木に、盗まれた薬師如来を彫った。1年半がたち、ようやく形を成してきたころに、今度はヒノキ材を与えられた。「これで、もう一度彫り直しなさい」。松の仏像は習作だった。

 それでも卒業までに、仏像本体のほか、台座や後背を何とか彫り上げた。「今から見れば、笑ってしまうような造作」と振り返る薬師如来像は、今も浄土院の大師堂にまつってある。

運転手をしながら

 高校卒業を目前にして、先生が姿を消した。「洞窟で観音さまを彫ってくる。君は、これからも良い仏像をつくるよう励みなさい」。そう言い残したまま、今も所在は知れない。

 「もし先生がそのままおられれば、高野山にとどまっていたかもしれない」

 佛教大学に進学し、仏師として活動するため、資金作りのアルバイトに励んだ。午前3時に起床し、京都市中央卸売市場から商品を配送するトラックの運転手として勤務。午前8時の業務終了後、大学に通った。

 卒業後も、地元での就職を勧める父の反対を振り切り、配送の仕事を続けながら、仏像制作の修行に励んだ。仏師になる夢を捨てきれなかった。
 
 27歳で結婚。共働きだったが、決して豊かな生活とは言えなかった。古くて狭いアパート生活。ふりかけをかけた白米だけで糊口をしのいだこともあった。昼間働きに出ていた妻とは擦れ違いの生活だったが、妻は不平を言わなかった。「絶対に成功させる」と前田氏の背中を押し、材料のヒノキを贈ってくれた。

 そんな折、佛教大学の同級生から「逝去した母に似せた観音像をつくりたいと父が言っている」と相談を受けた。台座を含めて高さ約4尺(約1・2㍍)の観音像の制作を始めたところ、やはり同級生で浄土宗総本山知恩院に奉職する九鬼昌司氏から、こう声を掛けられた。「今、どんな仏像を彫っているのか見せてくれないか」

妻が贈ったヒノキに彫った阿弥陀如来像


 おおむね完成した観音像を知恩院に運んだ。折しも、日本人僧侶らの支援でインド・ブッダガヤに建立した仏心寺を紹介する展示の最終日で、「仏心寺を支援する会」の理事が集まっていた。仏心寺に釈迦如来像を納めようとの計画があったことから、「ボランティアになるけど、彫ってみないか」と誘われた。

実演から教室へ

 時を同じくして、真言宗善通寺派の大本山隨心院(京都市山科区)に働き口が見つかった。法務の手伝いや朱印を書く仕事だったが、拝観受付に実演スペースを設けてもらい、仏心寺の釈迦如来像の制作に打ち込んだ。

 座高90センチの仏像を完成させるまでに1年を要したが、実演は拝観者と触れ合う機会になった。今でも交流が続くファンがいるという。

 仏師として認知されるにつれ、さまざまな依頼が入るようになった。浄土宗極楽寺の古本肇滋住職からは、仏像制作教室の講師になってほしいと頼まれた。常に手元に置いて、最後を迎える時に共に棺に納めてもらう持仏をつくるための教室だった。

 それ以来、全国各地を回り、仏像制作を教えるようになった。「無心に彫っている人の顔は、子どもの笑顔のよう」と語る前田さんは、半生を振り返ってこう感じているという。

 「人生にはつらいこともあるが、彫って仏をつくることを通じて、いろいろな方々に生きる喜びを伝えていければ」

(文化時報2020年4月29日号から再構成)
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「離郷檀信徒」の葬儀仲介 都市と地方の寺結ぶ

浄土宗の葬儀


 浄土宗東京教区は、地方から都心に移り住んだ「離郷檀信徒」の葬儀や年忌法要を、地方の菩提寺に代わって都内の浄土宗教師が営めるように仲介するインターネットシステム「浄土宗東京教区・寺院ネットワーク」(https://samgha.jodo-tokyo.jp/ ) の運用を始めた。

 地方の菩提寺か離郷檀信徒自身が、納めたい布施の金額を入力して申請。条件の合致する教師が自動的に選び出される。依頼者は、受託の意思を示した教師の中から委託先を決める。

 布施の約半分を、離郷檀信徒の菩提寺に「御本尊前」として還流させる。配分の割合は、菩提寺を交えた話し合いで決める。菩提寺が後から判明した場合は、内規に従った金額を菩提寺に納める。

 これまで東京教区では、離郷檀信徒から問い合わせがあるたびに菩提寺に相談するよう伝え、菩提寺が寺院名鑑から委託できそうな寺院を探して個別に法務を依頼していた。

 近年は、インターネットを通じて僧侶を派遣する企業が台頭するなど、伝統仏教教団を取り巻く環境が変化。檀信徒のニーズに組織的に対応する必要があるとして、浄土真宗本願寺派の築地本願寺などで行われている事例を参考にしながら、独自のシステムを構築した。

 西日本でも、過疎地域に菩提寺を持ちながら京阪神に移り住むケースがあり、東京都内と共通した課題がある。愛媛教区の教師は「大阪に移り住んだ檀信徒に対応できていない。寺院ネットワークのような仕組みがあるとありがたい」と語る。

 一方、大阪教区の教師は「法務も教化もすべて都市部の教師が担い、菩提寺はキックバックを得るだけになる。菩提寺が教化しないなら、檀信徒とは何かという話になる」と懸念する。

 宗が「寺院ネットワーク」と同様のシステムを運用すべきだとする声も聞かれるが、京阪神では、檀信徒宅で月命日に読経する「月参り」の習慣が残っており、教化の機会としても機能している。離郷檀信徒の法要を受託し「月参り」も行くようになると、元の菩提寺から離郷檀信徒が離れてしまう懸念がある。

 大阪教区の山北光彦教区長は「大阪教区でも、離郷檀信徒からの問い合わせがあると、菩提寺に相談するようアドバイスしている。東京教区での運用状況を見ながら、今後の対応を考えるべきだろう」と話している。

(文化時報2020年4月18日号から再構成)
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