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文化時報社 について

文化時報社は大正12年に創刊以来、伝統ある寺社に取材し各神社、総大本山、教団、全国寺院の動向や情報、教団関連の学園や関連業者の記事を掲載した宗教専門紙『文化時報』を発行しており教団同士の情報交換にも役立っています。

伝統の「貝寺」発信

浄土宗本覚寺・山岡龍史住職

 和歌山県白浜町の浄土宗本覚寺は、徳川御三家の紀州藩に縁があり、藩主に珍しい貝殻の収集を命じられた歴史から「貝寺」と呼ばれている。所蔵する約千種・3万点に上る貝殻を活用し、お寺を地域のシンボルにできないか。在家出身で音響照明の仕事をしてきた山岡龍史住職(44)は「新しいことにチャレンジしたい」と話す。

隠れた所に音響照明のプロの技。機材はネットオークションで買った

 山岡住職は1976年、松山市生まれ。内装工事業を営む家庭で育った。四国八十八ヶ所霊場51番札所石手寺(真言宗豊山派)が子どもの頃の遊び場で、高校時代に読んだダンテの『神曲』でキリスト教にも死後の世界があると知った。

 専門学校を卒業後、20歳の時にイベントやコンサートで音響照明を手掛ける地元企業に就職。愛媛県や高知県の文化会館で、派遣職員として勤務した。

 結婚相手の父親は、浄土宗寺院の住職。義兄と義弟も法務を手伝っていた。人手は足りていたが、義父に「得度して寺を手伝わないか」と誘われた。「僧侶という生き方もいいかも」と、転職して仕事の都合をつけながら、2年4期にわたり修行する教師養成道場に入った。

 『観無量寿経』の一節から、自分自身が大きな慈悲に支えられていることに気付いた一方、道場では講師陣からは「教えを伝える僧侶としての姿勢」を学んだ。感じるだけでなく、伝えるのが宗教者だと思い知った。

空間を感じ、魅力伝える

 浄土宗教師としての資格を得た後も、会社勤務の傍ら休日に法務を手伝うだけだった。「果たして、これが自分自身の歩む道なのだろうか」。こなしているだけのような日々に疑問が湧いていた頃、別の寺院の法要を手伝った縁で、「貝寺」の後継者にならないかと誘われた。

 伝統ある寺だと聞いていた。だが、いつも集まるのは、御詠歌の講員と檀家総代しかいない。「寺が心のよりどころであってほしい」。2016年4月に住職として晋山した後は、地域の人々と交流するために試行錯誤した。

 「寺の空間を感じることが、阿弥陀仏を感じることに通じるはず」。音響照明の仕事をしてきた経験を生かし、翌17年1月25日の御忌大会では、刑務所で慰問活動に取り組む女性デュオを招いてコンサートを開いた。秋の十夜法要では尺八の演奏会を開催。以来、年2回程度のペースでイベントを行っている。

 少子高齢化が進み、リゾート地でありながらさびれつつある白浜町のことが気に掛かる。最近は東京に本社がある企業がサテライトオフィスを置くようになるなど明るい材料もあるが、地域の魅力のさらなる発信が必要と感じている。

 幸いなことに「貝寺」には、先代住職が整備した「貝の展示室」がある。「寺は地域のシンボル。新しいことにチャレンジし、町の発展に貢献したい」と意気込む。

(文化時報2020年12月19日号から再構成)
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出世街道捨て出家「自分の力だけ信じていた」

 「信じられるのは自分の力だけ」と考えていた婦人服ブランド開発会社のバイヤーが、出世街道を投げ捨てて出家したのは、自分以外の力によって生かされていると感じるようになったからだった。浄土宗安楽寺(大阪府泉大津市)の常住(とこずみ)哲也住職(48)がそれまで敬遠していた仏教に目を向けるようになったのは、妻や師匠との出会いがきっかけだった。(大橋学修)

常住哲也住職

父の急逝と苦学生活

 大阪府阪南市で1972(昭和47)年5月、建具店を営む父のもとで生まれた。バブル経済の華やかな時世で育った少年は、ツアーコンダクターになることを夢見ていた。大学進学を控えた高校3年の6月、父のがんが発覚。すでに末期で、11月末に急逝した。

 「こんな大事な時に、なぜ僕だけ…。神も仏もあるものか」

 心の落ち着かないまま臨んだ受験は、失敗に終わった。経済的な余裕もなく、進学を諦めようと考えていたが、兄と母の援助で予備校に通い、1年後の受験を目指すことになった。

 アルバイトで学費を稼ぎながら通える近畿大学の夜学を受験し、経済学部に合格。朝8時から午後3時半まで、生活協同組合で仕分け作業のアルバイト。終業後に通学し、帰路は毎日終電だった。日曜日は泥のように眠った。

 在学中にバブルが崩壊し、憧れだった旅行業界にも陰りが見えはじめた。興味の方向はファッション業界に向かい、卒業後は婦人服ブランドを展開する老舗企業に入社。店舗での接客を振り出しに、5年目にはバイヤー、7年目には新規事業の立ち上げメンバーとなり、海外を飛び回るようになった。

見守られている喜び

 妻との出会いは、高校時代の剣道部の先輩が縁だった。多忙な学生生活の中でも交際を続け、28歳で結婚した。妻は、安楽寺住職の二人娘の長女だったが、次女が寺を継ぐことが決まっていた。

 結婚前は寄り付きもしなかった寺だったが、入籍後は大きな法要があるたびに、親族として裏方の仕事を手伝うようになった。檀信徒が手を合わせる前で、布教師である義父が法話を行っていた。

 亡くなった父は、消えてなくなったと思っていた。

「念仏を唱えることで極楽浄土に往生する。行き先があって、見守ってくれている」。このような信仰があったのかという驚きと、見守られていることへの喜びが込み上げた。

 「生かされている」をテーマとする法話もあった。会社で出世街道を駆け抜けているのは、自分の力によるものだと思っていた。「仕事ができて、結婚できたのは、ありがたいことなのだ。周りや父母がいることで、自分が存在しているのだ」。父の死後、がむしゃらに生きてきた肩の荷が下りた気がした。

 社内を見渡すと、以前の自分と同じような人たちがいる。ライバルを出し抜こうとする人もいる。「以前の自分と同じように考えている人に、今思っていることを伝えたい」。そう考えて仕事に取り組むと、周囲が協力してくれるようになった。さらに仕事への道が開けた。

阿弥陀如来に献じる灯明を準備する

妻と義父も驚愕

 安楽寺の後継者を迎え入れる見込みだった妻の妹が、在家に嫁ぐことになった。アパレル業界でチャンスをつかもうと磨いてきたアンテナが反応した。「僧侶を目指したい。自分の思いを伝えたい」。妻は驚いた表情で「本当にするの?」と尋ね、期待していなかった義父も驚愕した。

 会社の上司に辞意を伝え、1年後の退職を目指して後進を育成。浄土宗僧侶としての基礎知識を学ぶ教師養成道場に、退職してすぐ入行した。夏と冬に開かれる2週間の道場に、計4回入行し、36歳の時に伝宗伝戒道場=用語解説=に入った。

 伝宗伝戒道場では、暗闇の中で灯明に照らされた阿弥陀如来に礼拝を重ねる修行がある。それまでの人生が思い起こされ、懺悔の気持ちが沸き上がった。

 安楽寺で法務に励む一方、義父も現役として活動しており、時間はあった。そんな折に声を掛けてくれたのが、同じ泉大津市にある生福寺の石原成昭住職。地域貢献に取り組む泉大津青年会議所(JC)への勧誘だった。親しみやすい石原住職を見て、「これからのお坊さんは、身近な存在でなければ」と感じた。

 メンバーとともに2009年に設立したのが、NPO法人「泉州てらこや」。石原住職が理事長、常住住職は福理事長となった。中学校への出前授業や、東日本大震災で被災した地域の特産品の販売、地域イベントなどに、現在も取り組む。

 地域に入っていくことが、これからの僧侶に求められると考えている。つらい気持ちを抱える人の相談を受けるには、身近な存在になることが必要だからだ。

 常住住職は言う。「寄り添うとは、相手の世界の一員となること。思いを共に感じたい」
          ◇
【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

(文化時報2020年12月12日号から再構成)
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noteで連日記事公開 2021年7月4連休

 こんにちは。宗教専門紙「文化時報」編集局です。

 東京オリンピック開会式に合わせた7月22日からの4連休に、文化時報は東日本大震災に関する読み物を連日、ブログサービス「note」で公開します。
 https://note.com/bunkajiho

 連載「復興へ 福島の春」。福島第1原発事故から10年という節目を迎え、現地の寺院の「いま」と「これから」を描きました。

 「復興五輪」を掲げる東京五輪だからこそ、期間中に被災地へ思いを馳せたい。そんな願いを込めた記事公開です。

 アップされ次第、noteの以下のページにリンクを貼っていきますので、日程表としてご活用ください。
 https://note.com/bunkajiho/n/n13418673ee98

お寺は町の宝物 天橋立・大頂寺

 日本三景の一つ、天橋立に近い浄土宗大頂寺(京都府宮津市)は、名刹としてだけでなく、積極的に市民とイベントを行う寺院として知られている。地元の観光協会が主催するライトアップに参加したり、独自にコンサートを開催したり。「観光とは、光を観ると書く。だから市民が輝いていなければならない」。土方了哉住職(62)はその一念で、自坊を地域に開いている。(大橋学修)

2020年11月8日に開催した大頂寺オータムコンサート

観光業の斜陽化懸念

 宮津市は、天橋立を中心とした観光のまち。就業人口の約73%が第3次産業に就いている。2015年に京都縦貫自動車道が全線開通し、市内への流入人口が増えた。一方で、京阪神からの日帰りが可能になり、新型コロナウイルスの影響も相まって、観光業の斜陽化が懸念されている。

 こうした中、毎年10月に約1万個の手作り灯籠などで夜の寺町周辺をライトアップする「城下町宮津七万石 和火(やわらび)」(天橋立観光協会主催)も2020年は中止になった。市民が一体となって07年から続けているイベントで、かつての宮津城下町を中心に、大頂寺など11カ寺をライトアップし、各所で芸術イベントを開催。域の交流にも一役買う秋の風物詩とあって、市民からは残念がる声が上がっていた。

 「地域のために、何かできないか」。そう考えていた土方住職の元に、ある知らせが届いた。ジャズピアニストで関西を拠点に活動する金谷(かなたに)こうすけさん(62)が、宮津市に移住したという話だった。

渇望されたコンサート

 金谷さんは幼少期を宮津で過ごした経験がある。同級生の土方住職は、すぐに「帰郷コンサートを開かないか」と持ち掛け、11月8日に「大頂寺オータムコンサート2020~浄土の庭で音楽の集い」を開いた。

 コンサートを独自開催できたのは、これまで「和火」に参加し続けてきたからだった。中古の照明設備を買い、野外ステージを作った経験が、今回の会場設営に役立った。何より、地域の人々が進んで協力してくれた。

 「和火」の企画運営に携わる大西了さん(58)は「ライブハウスと違い、最初から音楽環境が出来上がっていたわけではない。地元のみんなで最初から創り上げるコンサートだったからこそ、魅力があった」と話した。

 当日は約200人が来場。金谷さんら5人が、モダンジャズからオリジナル曲まで幅広い曲を屋外で演奏し、一時は雨がぱらついものの、大いに盛り上がった。金谷さんは「こんなすてきなロケーションで演奏できたのは初めて。僕の音楽の原点である宮津に恩返しできた。来年もやりたい」と語った。

 人が集まらない可能性を危惧しながら参加したという檀信徒総代の岩見清次さん(85)は「みんながこういうイベントを渇望していた。気分を高揚させるのが、長生きの秘ひ訣けつですから」と笑った。

お焚き上げが契機

 大頂寺は1606(慶長11)年、宮津藩主京極高知によって建立され、歴代藩主の菩提所となった。地域に開かれるようになった契機は、撥遣式(はっけんしき)=用語解説=の後に位牌や仏具を焚き上げる浄焚式(じょうぼんしき)を行ったこと。出入りの仏具店から「これまでごみ処理場に持ち込んで心を痛めていた」と打ち明けられ、定期的に行ってほしいと頼まれた。すると、仏具やお札にとどまらず、ぬいぐるみや人形が檀信徒や地域住民から持ち込まれた。

 「それぞれの人が、思いのこもったものを何とかしたいという気持ちを持っていることに気付いた」。これ降、土方住職は寺院を地域に開くことを意識するようになった。

 そこで始めたのが、寺宝の常時公開。法然上人一代記絵伝や5代将軍徳川綱吉直筆の墨書などを、奥書院に並べて展示した。すると、檀信徒から宮津藩に関する品々が寄託され、展示品が増えていった。

徳川綱吉直筆の墨書について説明する土方住職

 「文化財的な価値はなくても、お寺の歴史を物語っている。奥にしまっていては、生かされない。見るために人が集まるなら、寺宝は町の宝とも言える」

 土方住職は、それぞれの寺院が特色を生かして、地域発展の一端を担うことを強く勧める。「寺院を町の人に使ってもらい、街の歴史や文化を磨いて輝かせることが大切。さまざまなことに取り組むのは大変だが、寺院の意識改革が必要だ」と話している。
          ◇
【用語解説】撥遣式(はっけんしき=浄土宗)
 一般的に「魂抜き」や「お性根抜き」と呼ばれる法会の浄土宗における正式名称。仏像・菩薩像、曼陀羅(まんだら)、位牌、お墓、石塔など、礼拝の対象となるものを修理・処分する際に行われる。

(文化時報2020年12月5日号から再構成)
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在宅医療に電子連絡ノート「宗教者も参加を」

 在宅医療の現場で、医療者がタブレット端末「iPad」を通じ、宗教者と患者情報を共有する研究が進んでいる。端末に搭載されたアプリは、その名も「電子連絡ノート」。野本愼一京都大学名誉教授(医学博士)らの研究グループが開発した。スピリチュアルケア=用語解説=を行う臨床宗教師=用語解説=に着目し、「チームで対処すれば、患者や家族の悩みを解決につなげられるのではないか」と考えている。(主筆 小野木康雄)

電子連絡ノートのメッセージ画面

心のケアに活路

 「他者に認められることに満足し、精神的苦痛も緩和されているようです」。施設の相談員が電子連絡ノートに記入した内容を見て、主治医はこう応じた。「悲観的な発言がなくなり、とても落ち着いている」

 背骨の靱帯が骨になる難病を患った74歳男性。入居する老人ホームで、当初は周囲に「こんな体で生きている意味がない」「死にたい」と漏らし、自ら食事を絶つまで落ち込んでいた。

 そこへ、臨床宗教師が訪問しはじめると、男性は病気になる前のことや、輝いていた過去のことを語りだした。表情は明るくなり、食事も再開したという。

 これらの情報は電子連絡ノートを通じ、医療者と臨床宗教師で共有されていた。野本名誉教授らのグループは今年6月、男性のケースを含む4症例を研究成果にまとめ、こう結論付けた。

 「臨床宗教師が在宅医療・介護チームに参加することは、心のケアになり得る。電子連絡ノートを活用することで、医療職・介護職が知り得ない情報を共有できる」

患者・家族を主体に

 電子連絡ノートの開発が始まったのは2010年。日本でiPadが発売された年で、野本名誉教授らは文部科学省の科学研究費助成を受け、研究開始にこぎつけた。翌年から試験利用をスタートさせ、13年に商標録。14年には野本名誉教授を理事長とする一般社団法人電子連絡ノート協会を設立した。

 コンセプトは、患者宅にある手書きの連絡帳の情報通信技術(ICT)化。患者・家族を情報発信の主体と捉えることで、従来の医療職中心ではなく、職種の壁を越えた連携が可能になったという。そうした中、話すことのできなくなった神経難病の患者が、わずかな指の力でこう記入したことが、野本名誉教授らの胸を打った。

 「iPadさえあれば、主治医に連絡がすぐ取れる。愚痴ることもできるのです。文字ならば通じることもできるのです」

 完治を望めない患者の愚痴を聞けるのは、医師や看護師、介護スタッフではなく、傾聴の訓練を受けた専門職ではないか。医療職とは異なる人でもチームに入れるという電子連絡ノートの特性を生かし、死生観に長けた人に加わってもらうべきではないか―。そうした発想で、臨床宗教師に研究への参加を呼び掛けるようになったという。

臨床宗教師らに電子連絡ノートを使った研究参加を呼び掛ける野本愼一名誉教授(左)ら

研究協力で無償利用

 研究は在宅医療関連の財団から助成を受けながら続いているが、新型コロナウイルスの影響で思うように症例が集まっていない。

 また、野本名誉教授によれば、医療者にとっては、臨床宗教師の活動がまだよく知られておらず、宗教というだけで布教や霊感商法を連想し、警戒する人も少なくないという。

 今後は在宅医療の医師らに研究への協力と臨床宗教師への理解を呼び掛け、代わりに電子連絡ノートを無償で使ってもらいたいとしている。

 野本名誉教授は言う。「臨床宗教師をはじめとする宗教者には、ぜひ目覚めてほしい。あなたたちを待っている人は、たくさんいる」
        ◇
【用語解説】スピリチュアルケア
 人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。

【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 被災者やがん患者らの悲嘆を和らげる宗教者の専門職。布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う。2012年に東北大学大学院で養成が始まり、18年に一般社団法人日本臨床宗教師会の認定資格になった。認定者数は21年3月現在で203人。

(文化時報2020年11月28日号から再構成)
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「看仏連携」初の研修会 まず病院内から

 看取りやスピリチュアルケア=用語解説=を巡って看護師と僧侶の連携を目指す「看仏連携研究会」の第1回研修会が10月11日、オンラインで開かれた。「病院内における看護師と僧侶の連携と協働」をテーマに、約30人が講演やグループワークで学びを深めた。

オンラインで行われた看仏連携研究会の第1回研修会

 看仏連携研究会は、臨済宗妙心寺派僧侶で、医療経営コンサルティングなどを手掛ける株式会社サフィールの河野秀一代表取締役が呼び掛けて設立。研修会を通じ、病院・看護師と寺院・僧侶を結び付けることを目的としている。

 研修会では、長岡西病院ビハーラ病棟(新潟県長岡市)で約10年間、常勤ビハーラ僧を務めた森田敬史龍谷大学大学院教授の講演ビデオを上映。森田教授は「僧侶が患者に関わることの即効性は、限られている」と指摘した上で、「心に響くポイントは、患者それぞれ。何げないお世話を通じて関係性を作り、アンテナを張っている」と、僧侶の役割を語った。

 続いてパネルディスカッションとして、浄土宗僧侶で松阪市民病院緩和ケア病棟(三重県)の臨床宗教師、坂野大徹氏と、がん看護専門看護師の小山富美子神戸市看護大学准教授が、それぞれの立場から連携のポイントを語った。小山准教授は事前収録で臨んだ。

 また、2020年5月に訪問看護ステーション「さっとさんが願生寺」(大阪市住吉区)を開所した浄土宗願生寺の大河内大博住職が、自身の取り組みを紹介。僧侶は医療・福祉との連携を通じて公共性を身に付けることや、患者・家族のスピリチュアルケアに当たることが問われるとした上で、「寺檀関係以外の関係をいかに紡ぐかが重要」と述べた。

 その後、参加者が3~4人ずつに分かれ、鍋島直樹龍谷大学大学院教授の司会で「看取りで必要なもの」について意見交換した。

 公益社団法人大阪府看護協会の高橋弘枝会長は「僧侶と看護師は互いの専門性を生かしてチームを組むべきだ。この活動をどんどん続けていかなければならない」と強調。「僧侶は看取りにこだわらず、生き方を支えるアプローチをしてもいいのでは」と話した。

 登壇者の主な発言は以下の通り。

「対機説法」が有効
龍谷大学大学院教授・森田敬史氏

 私が常勤ビハーラ僧として10年間勤務していた長岡西病院ビハーラ病棟(新潟県長岡市)は「お坊さんのいる病棟」として認知されていた。仏堂では朝夕の勤行があり、その様子は病室のテレビに中継されていた。

 ビハーラ僧は、何げない身の回りのお世話を通じて、患者との関係性を構築している。心に響くポイントが違うので、型にはまったケアのメニューを作るのではなく、その場で対応することが重要。「対機説法」の考え方が有効だ。あえてふらふらしてアンテナを張り、空気感をキャッチする。

 「宗教者は救いの世界に導いてくれる」「心のケアの専門家だから安心だ」などと、医療者からは期待されているかもしれないが、即効性が確認できるのはほぼ一部。宗教者は、生き切ろうと一生懸命な人に、心を寄せることしかできない。無力な自分をしっかりわきまえておく必要がある。

 医療者は0か1かのデジタル的アプローチをするが、宗教者はアナログ的アプローチを試みる。隙間産業のような状態を作り出すことを目指すといえる。

 宗教者には、医療者の負担をなくすことは難しいが、軽くすることはできる。生死の問題に関われるのも、宗教者ならではだろう。

布教・伝道は目的外
松阪市民病院緩和ケア病棟臨床宗教師・坂野大徹氏

 スピリチュアルペインはがんと診断されたときから生じる。告知を受け、診察室から出たとき、患者は誰かに話を聞いてほしいという思いになる。この時点から、緩和ケアは必要だ。

 松阪市民病院緩和ケア病棟には、最期を迎える方が入院する。理念は「静かに自分自身を見つめる場」。これ以上治療を望めない人が、自分の来た道を振り返る。その中で臨床宗教師は、亡くなるまでのスピリチュアルケアを担い、亡くなった後は患者が所属する宗教・宗派の宗教者や遺族会にバトンタッチする。

 出勤日は、朝の申し送りで患者の状態を確認し、午後のカンファレンスに参加する。症例検討会に出席することもある。各病室を必ず1回は訪れ、患者と話をする。話ができない状態でも、聞こえている前提で、家族といろいろな会話をする。談話室で一緒にお茶を飲むこともある。病棟の行事や外出支援も行う。

 布教・伝道を目的とした活動はしていない。こちらから宗教的な話はしないし、尋ねられれば宗教・宗派を問わず、自分の知識を基に答えている。ただ、患者から求められて、御詠歌のCDを貸したことや、双方了解の上で般若心経を唱えたことはある。

葛藤に寄り添って
神戸市看護大学准教授・小山富美子氏

 医療現場で看護師が僧侶に期待することは、二つある。一つは、生きること・死ぬことに関する現場の葛藤に寄り添い、一緒に考えてくれる存在であること。もう一つが、死への恐れと専門職としての成長の間で葛藤する若い看護師の「揺らぎ」への支援だ。

 僧侶には、チームに入って、スピリチュアルペインを抱える患者・家族の直接的なケアやサポートをしてほしい。看護師にとっては、スピリチュアルペインのことを分かっている人がそばにいることは心強いし、スキルアップにもつながる。

 緩和ケア病棟では、亡くなった後に患者のことを振り返る「デスカンファレンス」を行い、悲嘆を支え合っている。ただ、多忙で時間の確保が難しく、建設的な意見交換が目的なのに、責められている感情になることもある。僧侶が加われば、違う視点を示せるはずだ。

 新型コロナウイルスの影響で、2020年度卒業の看護師は実習を十分に受けていない。自分の死生観を問い直したり、素直に話し合ったりする環境がない。そうした若い看護師への支援も含め、ケアを一緒に考えてくれる人、そばに寄り添ってくれる人として、僧侶には同じチームにいてほしいと願っている。

寺檀以外の関係紡ぐ
浄土宗願生寺住職・大河内大博氏

 訪問看護ステーション「さっとさんが願生寺」(大阪市住吉区)を2020年5月に開所した。社会と寺院が困難を抱える中、これからどんな時代を生きるのかを考えたことが出発点となった。

 寺檀制度が限界を迎え、墓じまいや仏壇じまいが進んでいる。新型コロナウイルスの影響で、儀礼の簡素化も進んだ。檀家というメンバーシップは弱体化せざるを得ない。

 日本は人口減少と高齢化で他の先進国にない事態を迎える。社会保障や死生観も変化するだろう。いずれは宗教者らが医療・福祉に関わるが、今は時期尚早で、本番は2030~50年ごろではないか。それに向けて、鍛錬しておく必要がある。

 さっとさんが願生寺は、ケアの専門職を在宅医療の現場に派遣する「スピリチュアルケア在宅臨床センター」と両輪だと考えている。目標は、社会全体に仏教精神を伝えることだ。

 大切なのは、僧侶が公共性を持って、どう多職種連携できるか。世代間をいかにつなぎ、多様な価値観を尊重し合えるかだろう。

 地域によって課題は違うが、寺院は寺檀関係以外の関係を紡ぐ必要がある。社会の中でさまざまな人と支え合い、信頼関係を育む役割があるのではないか。
            ◇
【用語解説】スピリチュアルケア
 人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。

(文化時報2020年10月17日号から再構成)
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交通安全の花咲かそう お寺×警察×支援学校

 浄土宗大本山くろ谷金戒光明寺(京都市左京区)は、京都府警川端署と京都市立白河総合支援学校(同区)との協働で、命の大切さを伝える「ひまわりの絆プロジェクト」を開始した。全国の警察署が交通事故防止を訴える活動に、大本山が協力。地域活動の輪が広がりを見せている。(大橋学修)

金戒光明寺の花壇に苗を植える「ひまわりの絆プロジェクト」の参加者ら

 「ひまわりの絆プロジェクト」は、2011(平成23)年に京都府南部で起きた交通事故で、当時4歳の東陽大(あずま・はると)君が亡くなったことをきっかけに始まった。陽大君が幼稚園から持ち帰っていたヒマワリの種を、生きた証しとして育て、交通安全の輪を広げて命の大切さを伝える取り組み。全国の警察署が推進している。

 5月26日、金戒光明寺の高麗門前に新設した花壇に、プロジェクトのヒマワリの苗30株を植えた。育苗を手掛けた白河総合支援学校の生徒12人と共に、川端警察署黒谷交番の堀大介巡査部長や金戒光明寺の職員、地域住民らが参加した。

 今回の取り組みに合わせて、金戒光明寺ではヒマワリ模様の特別御朱印の授与を開始。集まった浄財の一部を京都犯罪被害者支援センターに寄付し、犯罪や事故の抑止活動に生かしてもらう。

 浦田正宗執事長は「ヒマワリが育つ様子を楽しみながら、地域の人々の心が潤ってほしい」と話し、堀巡査部長は「白河総合支援学校に育ててもらった初めての苗。亡くなった陽大君と同世代の生徒たちが植え付けることも感慨深い」と語った。

子ども食堂が契機に

 「ひまわりの絆プロジェクト」の実施は、金戒光明寺の職員有志が3月から行っている「くろ谷子ども食堂」に、川端警察署が参加するようになったことが契機になった。金戒光明寺と交流を持つようになった黒谷交番の堀巡査部長が提案し、金戒光明寺が地域貢献の一環として快諾した。

 川端署は、世代を重ねるたびにヒマワリの発芽率が下がっていくのを打開しようと、農園芸専門教科がある白河総合支援学校に育成を依頼。同校と金戒光明寺の縁を紡ぐことになった。

 白河総合支援学校は、高等部単独の職業訓練学校。社会貢献を通じて、生徒たちが就労意欲を高めることを目指しており、今回のプロジェクトへの参加もその一環と捉えている。今後は農園芸専門教科で育てた野菜の提供などを視野に、くろ谷子ども食堂への参加を検討する。

 白河総合支援学校の筧薫(かけひ・かおる)教諭は「自分が人の役に立っていることを感じることで、自己肯定感を持ってもらい、働く意欲を高めてほしい」と話した。

 子ども食堂を通じた寺域の開放により、わずか3カ月で地域での交流が進む金戒光明寺。職員の伊藤英亮氏は「顔の見える関係をつくることで、互いに支え合い、安心して暮らせる地域にしたい」と話した。

(文化時報2021年6月21日号から再構成)
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尼僧は死に際に、満面の笑みを見せた

 大手ゴムメーカーの社長を父に持つ浄土宗西遊寺(京都府八幡市)の和田恵聞住職は、これまでの人生で何度も目標を見失ってきた。浄土宗僧侶の家系に生まれながらも、育った環境は寺院と関わりの少ない一般家庭。それが、大本山百萬遍知恩寺の布教師会員として活動するほどまで信仰を渇望したのは、ある尼僧の死を経験したからだった。(大橋学修)

医師の道を断念

 少年の頃は、病弱だった祖母のために、医師を目指していた。だが、中学受験で志望校に合格できず、挫折。中学3年の頃には、学校に行かず遊び歩くようになった。

 母からは「悪いことはするな」「学校に行かなくても勉強はしろ」「体を動かせ」と命じられた。学習塾に通い、ゴルフ練習場の後片付けを手伝いながらゴルフを練習したおかげで、大きく道を外すことはなかった。

 高校は、浄土宗立学校の東山高校へ。浄土宗僧侶の伯父に「東山高校はスポーツが強い」と勧められたためだった。入学後はラグビー部に入り、苦楽を共にするチームメートと、同じ方向を目指すことができた。

 大学受験は、僧侶になる気がなかったにもかかわらず、佛教大学仏教学科を目指すことになった。友人らが志望していたことや、担任から「親戚に浄土宗僧侶が多いのだから」と勧められたことがきっかけになった。

海外での活躍夢見る

 無事に入学したが、僧侶になる気は元々ない。1年生を終えて休学し、ラグビー強豪国のオーストラリアに留学した。初めて親元を離れたことで、親のありがたみを感じるようになり、日本人としての誇りやアイデンティティーを持つ自分にも気付いた。

 いつしか、世界を股に掛けるスポーツジャーナリストになることを夢見るようになった。「国際人は皆、大学を卒業している」と両親に諭され、帰国して復学することを決めた。

 2年生の秋、友人が「うちで五重相伝=用語解説=を開くから手伝いにこないか」と誘いを受けた。生まれて初めて僧衣をまとい、塗香を参加者の手のひらに渡す役割を担った。儀式の中で、人が変わる姿を見た。「サラリーマンは、一緒に仕事をしていても、根底はライバル。僧侶は、利害関係なく協力し合い、同じ目標に向かう」。父からそう聞いたこともあって、僧侶に興味を持つようになった。

 卒業間近の年末に伝宗伝戒道場=用語解説=に入行。阿弥陀如来と一対一で対話しているような感覚の中で、充実した時間を過ごした。ただ、その感覚は道場を終えると霧散してしまった。

百萬遍布教師会の会員として後進の指導にも当たる(写真は百萬遍知恩寺の中庭)

代務の不自由さ

 卒業後の身の振り方は、いつの間にか伯父が決めていた。広島県呉市の瑞雲寺で1年間、随身=用語解説=を務めた後、大阪市の地蔵寺で代務住職になった。

 入院している70代の尼僧住職の代役。ただ、寺には〝姉弟子〟に当たる80代の尼僧と、認知症が疑われる百歳近い先代住職が同居していた。

 全員が突然やってきた和田氏を受け入れようとしない。話もほとんど通じない。それなのに法務は任されるし、住職の入院先ともやりとりしなければならない。思うようにならない毎日の始まりだった。

 5年目に、病院から連絡があった。住職が危篤だという。駆け付けると血縁関係もないのに、延命治療を行うかどうかの判断を突き付けられた。2時間後、住職は息を引き取った。これが生まれて初めて、臨終に立ち会った経験だった。動転して、掛けるべき言葉も、行うべき儀式も分からなかった。

 喪主として葬儀を執行することになったが、後ろめたかった。出棺前に花を手向けるとき、恐ろしい顔でにらみつけられるのではないかと、おびえながら亡きがらをはすに見た。

 満面の笑みだった。

 中陰法要=用語解説=を務めるたびに、笑顔の意味を考えた。満中陰になって、ようやく分かった。「私を見ているのではなく、阿弥陀仏にお任せすればいいという笑顔なんだ」。それ以来、葬儀や法要に臨むときの心境が変わった。

 「仏さまは存在するか否かではなく、いてもらわないと困る」

 目標を見失い続けた先に、どうしても伝えなければならないという真実の教えに出会った。布教師になり、今では道場の運営を通じて後進の育成にも当たる。

 和田住職は言う。「今でも模索し続けています」
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【用語解説】五重相伝(ごじゅうそうでん=浄土宗)
 浄土宗第7祖の聖冏(しょうげい)上人が確立した宗脈と戒脈によって構成される伝法制度の総称。五重相伝会の略称としても用いられる。五重相伝会は、檀信徒が一堂に会して、5日間の日程で実施。初重、二重、三重、四重、五重の順に法話やお勤めを行い、念仏の奥義を口伝する。

【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

【用語解説】随身(ずいしん=仏教全般)
 本山などで作務に従事しながら、法務や教えを学ぶ初心の僧侶。

【用語解説】中陰法要(ちゅういんほうよう=仏教全般)
 故人が亡くなった日から49日間、7日ごとに行う法要。7日目に行う法要を「初七日(しょなのか)」と呼び、最後の法要を「満中陰(まんちゅういん)」あるいは「四十九日忌(しじゅうくにちき)」などと呼ぶ。『瑜伽(ゆが)論』『預修十王(よしゅじゅうおう)生七経』『地蔵十王経』などの教説に基づいて営まれるようになった。

(文化時報2020年11月21日号から再構成)
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ビハーラから地域包括へ 東西本願寺僧侶ら勉強会

 東西本願寺の僧侶が宗派を超えて医療・介護従事者と連携する動きが、富山県南砺市で始まった。同市政策参与を務める南眞司・南砺市民病院前院長の呼び掛けで、市内の僧侶約20人が1年半前から協議。11月7日には、チームを組む医師、看護師、ケアマネジャーらとの初の意見交換の場となる「看仏連携勉強会」を南砺市地域包括ケアセンターで開いた。宗教者が行政の協力を得て地域包括ケアシステム=用語解説=に参画する新たな取り組みとして注目を集めそうだ。(編集委員 泉英明)

それぞれの立場で話し合った「看仏連携勉強会」

 勉強会では、田代俊孝仁愛大学学長が「医療者と僧侶が協働し、地域共生社会の実現へ―地域包括ケアにおける医療と宗教の連携の可能性」と題して講演した。

 田代学長は、ビハーラ=用語解説=の経緯や、仏教を学ぶ医療者による「ビハーラ医療団」の結成などを振り返った。「仏教は悩んでいる人のためにある。死にゆく身のまま『私でよかった』と受け止められるような価値観の転換が僧侶の仕事」と指摘。その上で「医療者も介護者も宗教者も一人では何もできない。チームを組み、一緒に気付いていく学びを進めてほしい」と、協働を呼び掛けた。

 参加した約60人は、それぞれの立場で意見や質問を出した。訪問看護を行う看護師は、患者の物語を聞くことの難しさを明かし、介護職員は「今こそ僧侶の出番では」と語った。

 また、別の訪問看護師が、家族に自身の考えを言えずに我慢する患者がしばしばいることを話すと、ケアマネジャーが、担当者会議で情報交換しながら解決につなげる形があることを示す場面もあった。

 浄土真宗本願寺派の栗山宣雄本福寺住職は「今でも公立病院には僧衣姿で入れない。檀家制度を含めて根本的な課題はあるが、医療者側からの働き掛けで始まった取り組みでもあり、宗派を超えて今後につなげたい」と語った。

講演する田代俊孝仁愛大学学長

「幸せ度」向上に力を

 東西本願寺僧侶による協議は、南眞司・南砺市民病院前院長の働き掛けで、真宗大谷派の太田浩史大福寺住職らが宗派を超えて地域医療に貢献しようと呼び掛けてきた。

 1年半前から在宅介護や終末期医療の現場、臨終説法などについて定期的に意見交換。今回の看仏連携勉強会は、医療・介護従事者と僧侶が広く連携する第一歩となった。

 「私の父が亡くなる直前、僧侶が臨終説法をする姿があった。今は、一対一で対機説法をする機会はほとんどないと聞く。地域の中でお寺が本来の役割を果たしてほしい」。南前院長は僧侶への期待をそう話す。

 協議を開始した直接のきっかけは、南砺市が実施した「幸せ度」に関するアンケートだった。要介護認定で最も重い「要介護5」とされた人の11.7%が「とても不幸」と回答。市内の70代女性の自殺率が全国平均の3倍以上の水準に達し、しかもその全員が家族と同居していたことが明らかになった。

 南前院長は医療者であると同時に、南砺市の政策顧問として、地域包括ケアシステムの推進に尽力している。「医療者や介護者は懸命に患者を支えているが、まだ足りない」と考え、南砺市に熱心な浄土真宗門徒が多いとに着目。大谷派井波別院瑞泉寺の暁天講座への出講を機に、東西本願寺の僧侶との連携を構想したという。

 今回の勉強会を共催した南砺市訪問看護ステーションの吉澤環所長は、在宅看護の現場で、家族が僧侶に患者へ話をするよう求め、穏やかな死を迎える姿を目の当たりにしたという。「医療者も寄り添うことを心掛けるが、どうしても常識から入ってしまう。命の終わりが決して最後ではないことを説いてほしい」と話す。

 田代俊孝仁愛大学学長は「医療従事者の理解を進めようとビハーラ医療団を立ち上げて活動してきたが、行政や医療界が僧侶と連携する例はまだ少ない。ビハーラ活動が刑務所・拘置所での教誨師のように、地域に根付いた活動になってほしい」と、南砺市での取り組みに期待を寄せた。
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【用語解説】地域包括ケアシステム
 誰もが住み慣れた地域で自分らしく最期まで暮らせる社会を目指し、厚生労働省が提唱している仕組み。医療機関と介護施設、自治会などが連携し、予防や生活支援を含めて一体的に高齢者を支える。団塊の世代が75歳以上となる2025年をめどに実現を図っている。

【用語解説】ビハーラ(仏教全般)
 サンスクリット語で「僧院」「身心の安らぎ」「休息の場所」などの意味。仏教ホスピスに代わる用語として、当時佛教大学の研究員だった田宮仁氏らが1985年に提唱した。その後、主に浄土真宗本願寺派が、医療・福祉と協働し、生死にまつわる人々の苦悩を和らげる仏教徒の活動を「ビハーラ活動」と称するようになった。

(文化時報2020年11月18日号から再構成)
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性的少数者の龍谷大生が語る「他者への優しさ」

 浄土真宗本願寺派の宗門関係学校、龍谷大学で10月23日、学内外に向けたオンライントークイベント「LGBTQ+を語る」が開かれた。文学部臨床心理学科3年の山崎ゆきあさんが、性的少数者の当事者として経験を語り、知識と想像力に基づく「優しさ」の重要性を訴えた。(安岡遥)

当事者の山崎ゆきあさん

 山崎さんは、男女のどちらにも当てはまらない性で、中性・両性・無性など、個人によってさまざまな傾向がある「エックスジェンダー」にあたる。身体的には男性で、精神的には男女の中間である「中性」と、いずれにも属さない「無性」の状態を行き来しているという。「中性の状態では、服装や所作を女性に近づけることで身体の性とのバランスを取るが、無性の状態では男性の身体を受け入れることもできる」と話す。

 “山崎ゆきあ”は通称名で、学内でも使う。「出身地について話すように、セクシュアリティー(性)を語れる世の中を作りたい」との思いから、学内の講演会や会員制交流サイト(SNS)を通して自身の考えを発信してきた。

 2019年は、浄土真宗の精神に基づく学生の活動を大学が支援する「仏教活動奨学生」に応募。より多くの人々に性的少数者の存在を知ってもらうためのラジオ番組の制作などを通して、「学内から学外へ、私の声が届く範囲を少しずつ広げていきたい」と意気込みを語る。

多様性、真に認めて

 山崎さんは、幼い頃から自身のセクシュアリティーに違和感を抱いていたという。趣味や好みが女性に近く、男性として扱われることになじめなかったが、女性としての接し方を望む気持ちもなかった。

 大学の講義をきっかけに、エックスジェンダーという言葉を知り、当事者であることを自覚。「救われた気持ちになった」と振り返る。

 一方で、「言葉や概念を知ることと理解することはイコールではない」と指摘。

 例えば、LGBTの呼称は、女性の同性愛者レズビアン(L)、男性の同性愛者ゲイ(G)、両性愛者バイセクシュアル(B)、身体の性と心の性が異なるトランスジェンダー(T)の頭文字を取っている。

 性的少数者全般を表す意味で使われることもあるが、自分の性別が分からないクエスチョニング(Q)やエックスジェンダーなど、LGBTに含まれないセクシュアリティーの知名度は依然低い。「性的少数者は普通と違う、かわいそうな存在だ」などと誤った認識にもつながりかねず、過剰な配慮を一方的に押し付ける「逆差別」が起きる場合もある。

 こうした問題について、山崎さんは「多様性という言葉が誤って理解され、多様性を認めない姿勢が悪とされてきたことが一因」と分析。「そもそも、差別や偏見は誰の心にもある。問題はそれを外に向け、相手を攻撃することだ」と力を込める。

 その上で、行き過ぎた配慮や特別扱いではなく、正しい知識と相手への想像力に基づく「優しさ」が必要だと強調。「多様性とは、自分と違う存在を『さまざまな人がいる』と受け止めること。他者を完全に理解することは不可能だと知った上でなお、知る努力や想像する努力を続ける必要がある」と、山崎さんは呼び掛けた。

社会の10年先を行く

 自分がどの性に当てはまると感じるか(性自認)、どの性に性的魅力や恋愛感情を覚えるか(性的指向)などに基づいて、男女以外にも多様なセクシュアリティーが存在することが、国内でも近年、広く知られるようになった。

 浄土真宗を建学の精神とする龍谷大学は2016年、性的マイノリティーの現状を把握する目的で、学生と教職員を対象にアンケートを実施。回答者の15%が性的マイノリティーであることを自認し、セクシュアリティーへの無理解な言動にしばしば直面している状況が明らかになった。

 そこで大学は、学生らがセクシュアリティーを理由に差別やハラスメントを受けることなく生活できるよう、人権問題などに取り組む宗教部を中心にさまざまなサポートを展開している。

 宗教部の安食真城課長は「私たちは、ともすれば自分の感覚が『普通』だと思い込みやすい。良かれと思って気を回しすぎ、逆に相手を傷付ける場合がある」と指摘。「何をするにも、まずは当事者の話を聞くことから」として、セクシュアリティーについて気軽に語り合える茶話会や相談室を設けている。

龍谷大学宗教部の安食真城課長

 学生の意見を踏まえた取り組みの一つに、性別や障害の有無などにかかわらず使用できる「だれでもトイレ」がある。「男女別のトイレだけでなく、性自認に応じて選択できるトイレがほしい」との要望をきっかけに「多目的トイレ」から名称を変更し、京都市と大津市の全学舎に計60カ所以上設置されている。

 また、山崎さんのように、戸籍上の名前と異なる通称名で過ごすことを希望する学生も少なくない。将来戸籍名を変更する場合、通称名の使用実績が考慮されることを踏まえて、大学が発行する証明書や出席名簿に通称名を記載できる制度の整備を検討しているという。

 「若い世代が集まる大学は、社会の10年先を行く必要がある。支援を必要とする学生がいつでも気付いてくれるよう、今後も取り組みを発信し続けたい」と、安食課長は展望を語った。

(文化時報2020年11月7日号から再構成)
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