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終末期ケアを考える 沖縄大学、僧侶招き

 沖縄大学は9月25日、土曜教養講座「大切な人を最期に看取ること―終末期ケアを考える」をオンラインで開いた。高野山真言宗飛騨千光寺(岐阜県高山市)住職でスピリチュアルケア=用語解説=に詳しい大下大圓氏が基調講演を行い、沖縄県内の病院看護師2人と共に議論。約140人がケアの本質について学びを深めた。

 土曜教養講座は1976(昭和51)年に開講した一般公開講座で、今回が578回目。長年にわたって多彩なテーマを扱っており、沖縄大学の研究成果を社会に還元している。昨年、大下氏が理事を務める日本スピリチュアルケア学会の学術大会が同大学で開かれたことが、今回の開催につながった。

 大下氏は、定義の難しいスピリチュアリティーについて、「病気や事故など、自分の人生や家族にとっての危機に出現するもの」と説明。これに対処するために、医学には死生学の知見が必要だとの認識を示した。

 具体的には、死生学を「死から生きる意味を探索・省察する学問」と位置付け、宗教学や哲学、心理学などを通じ「死に対する心構えと、生の価値を問い直す試み」と指摘した。

 地元のクリニックなどでスピリチュアルケアに携わった実例も紹介。活動を始めた当初は「苦しみから救わなければ、助けなければ、役に立たなければという高慢な姿勢があった」と振り返り、「人は苦しみの中から成長すると気付いた。その後は『成長を支える』という視点を持つようになった」と語った。

 また、「苦悩は財産であり、自分を育てる『仏種』。ケアラーも家族も本人も、自分を高めつつ他者と共に生きる自利利他の関係性が重要になる」と呼び掛けた。

死生観学習 ACPと対話で

 基調講演の後には、元がん患者で看護師の上原弘美氏と、緩和ケア認定看護師の金城ユカリ氏も登壇。医師の山代寛副学長が司会を務め、大下氏と語り合った。

登壇した山代副学長、大下氏、上原氏、金城氏(沖縄大学提供)

 参加者からは、子どもが末期がんで自身もがんになった母親に対し、どのように接すればいいかという質問があった。

 上原氏は「つらい気持ちにフォーカスするとよりつらくなるので、心をほぐしながら人となりを知る」、金城氏は「結果は出なくても時間が解決することと思って、そばにいるよう心掛ける」と回答した。

 これに対し、大下氏は「全部を医師や看護師で解決しようとせず、無理しないこと」と述べ、十分な対応ができない場合に専門家に問題解決を委ねる「リファー」の重要性を指摘。スピリチュアルケア師=用語解説=臨床宗教師=用語解説=を活用し、親子に別々に関わる必要性を説いた。

 死生観をどう育むかも話題になった。大下氏は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)=用語解説=を通じて「元気なうちから、いのちについて考えることが大切」と強調。葬儀や法事、人生の節目となる出来事を捉えることを提案した。

 一方で、死を目前にした相手に対しては「議論や決めつけではなく、死後の世界についてやりとりすることが死生観学習になる。信仰がなくても、漠然とした思いを意識化することで、死後への希望を持てる」と語った。

 沖縄大学の須藤義人准教授(宗教哲学・映像民俗学)は「参加者からさまざまな反響があり、早くも医療・看護職や研究者、宗教者らによるネットワークが立ち上がった。大学としても、スピリチュアルケアの社会人講座の開催の検討を始めたい」と話している。
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【用語解説】スピリチュアルケア
 人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。

【用語解説】スピリチュアルケア師
 日本スピリチュアルケア学会が認定する心のケアに関する資格。社会のあらゆる場面でケアを実践できるよう、医療、福祉、教育などの分野で活動する。2012年に制度が設けられ、上智大学や高野山大学など8団体で認定教育プログラムが行われている。

【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う、心のケアの専門職。2011年の東日本大震災をきっかけに、東北大学で本格的に養成が始まった。近年は医療従事者との協働が進む。ほかにも、浄土真宗本願寺派のビハーラ僧、キリスト教系のチャプレンなど、主に緩和ケアの現場で終末期の患者に寄り添う宗教者が知られている。

【用語解説】アドバンス・ケア・プランニング(ACP)
 主に終末期医療において希望する治療やケアを受けるために、本人と家族、医療従事者らが事前に話し合って方針を共有すること。過度な延命治療を疑問視する声から考案された。「人生会議」の愛称で知られる。

(文化時報2021年10月4日号から再構成)
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重機操る僧侶、古里復旧に奔走

 真言宗豊山派浄光寺(長野県小布施町)の林映寿副住職(45)が代表を務める一般財団法人日本笑顔プロジェクトが、8月の記録的大雨で被災した小布施町の農地復旧を終えた。被害に遭った他の地域を転戦し、地元では重機やバギーの講習を重ねて災害ボランティアの育成にも努める。現地で活動を共にした民間団体や行政と連携の輪も広がっている。(春尾悦子)

浸水した民家の土砂を重機で撤去する日本笑顔プロジェクトのメンバーら=長野県辰野町

3年連続の水害に

 長野県北部を流れる千曲川。小布施町側の右岸では、河川敷の農地で名物のクリやリンゴを栽培している。この一帯が、8月の記録的大雨で3年連続の水害に見舞われた。

 最初の水害は2019(令和元)年10月の台風19号。日本笑顔プロジェクトが発足する契機となった災害だ。重機はあっても操縦できる人が足りなかったことを教訓に活動を始めた。

 今年の大雨で、プロジェクトのメンバーらは8月16日、地元農家の立ち会いの下、千曲川流域を調査。水はなかなか引かず、水没した道路や流れ着いたごみなどが行く手を阻んだ。リンゴの木は水に漬かると細菌が入って腐ってしまうといい、収穫量は激減することが確実に。「またか」。一同は胸を痛めた。

 復旧作業は9月3日に着手。「1カ月はかかるだろう」と言われていたが、延べ70人が参加し、流木や土砂などの撤去を同15日に終えたという。

長野県内でフル稼働

 地元での活動に取り掛かるまで、メンバーらは被災地を転戦していた。

 長野県社会福祉協議会の要請を受け、8月20日、県中部の辰野町で発生した土砂災害の現場に入った。堆積はひどい箇所だと高さ約4メートルになっており、民家にも入り込んでいた。

 8月23~26日に泊まり込みで重機5台をフル稼働させ、家屋の周りにあった土砂を搬出。ダンプカー約200台分にも上った。講習を終えたばかりの3人も、スタッフの指導を受けながら参加した。それでも先が見えない状態が続き、9月になって再度現地入りした。途中から小布施町の現場と掛け持ちになったが、延べ70人以上が参加して7日に任務を完了させた。

 一方で、5日夜には同じく県中部の茅野市で局地的な豪雨が発生。下馬沢川の上流で土石流があり、住宅など64棟が被害を受けた。こちらも県社会福祉協議会の要請を受けて現地入りし、復旧に全力を傾けている。

広がるネットワーク

 災害支援で出会った人たちの中から、協力者が増えている。

 7月には、静岡県熱海市の土石流災害現場で、現地のメンバーらが災害救助犬や犬を扱うハンドラーの後方支援を行った。この経験から、救助犬のボランティア団体と提携。林副住職は「救助現場に向かう救助犬とハンドラーを、ぎりぎりの所までバギーに乗せていき、少しでも負担を減らすのが目的」と話す。

 心掛けているのは「見える活動」。最初は途方に暮れる被災者たちも、大勢のボランティアと重機の威力で見る見るうちに土砂が運び出されていくと、励みになるという。

地元・小布施町の農地復旧は見込みより早く完了した

 3年前の台風19号で被災した人たちは今回、辰野町でも活動した。被災した者同士だからこそ通じ合うものがあったようだ。家屋の状況説明や家財の撤去、リフォームについて自分たちの経験を伝えたところ、住民らは泣きながら、「私たちも頑張ります。頑張らないと」と声を震わせたという。

 土石流災害の現場では、人的被害がなければ自衛隊や消防、警察の出動はなく、復旧はボランティア頼みという現実があるという。「民間だからこそできるスピード感と、連携する皆さんとのチームワークで、災害現場にイノベーションを起こせるよう全力で挑む」。林副住職は語る。

 併せて、こうした災害が今後も毎年続くようであれば、廃業する農家が増えそうだと危惧する。「行政と情報共有しながら、できることがあれば協力していきたい。全国の皆さんも、農作物を買うなど支援できることはある。民間の復旧力を強くして、笑顔を広げたい」と協力を呼び掛けている。

(文化時報2021年9月23日号から再構成)
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新型コロナの罰則 根拠なき導入に警鐘

真宗念仏者・刑事法学者 平川宗信名誉教授に聞く

 新型コロナウイルス対策関連法が改正され、営業時間の短縮命令に従わない飲食店や入院に従わない感染者らへの罰則が盛り込まれた。前科のつく刑事罰こそ見送られたが、行政罰である20万円以下、30万円以下、50万円以下の過料が設けられたことに仏教界の関心は高く、かつてのハンセン病差別を想起させるとして、真宗大谷派は反対声明を出した。法改正の問題点は何か。「真宗大谷派九条の会」共同代表世話人で、刑事法の専門家でもある平川宗信名古屋大学名誉教授に聞いた。(編集委員 泉英明)

平川宗信(ひらかわ・むねのぶ)1944年生まれ。東京大学法学部卒。名古屋大学と中京大学の法学部教授を務め、現在は両大学の名誉教授。仏教をよりどころとする真宗念仏者として、「真宗大谷派九条の会」の共同代表世話人を務める。著書に『憲法的刑事法学の展開―仏教思想を基盤として』(有斐閣)など多数。

法改正は拙速、不適切

 《改正されたのは「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(特措法)と「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)。1月18日に開会した通常国会で審議され、2月3日に成立、10日後に施行されたことで、スピード審議を印象付けた》

──専門家から見て、今回の改正の問題点は。

 「まず非常に拙速です。安倍晋三前首相は『当面は現行法で対応する』と言い続けていました。当時、官房長官だった菅義偉首相も同様でしたが、年末に突然法改正の意向が示され、十分な議論もなく、衆議院・参議院合わせて4日ほどのスピード審議で可決した。あまりにもいきなり過ぎます。一般的に法改正で罰則を入れる時には、検討すべき要素が数多くあります。それらが全部飛ばされ、最初から罰則ありきでした。適切ではありません」

 「立法には、この法律が必要だという根拠となる『立法事実』がなければなりません。『このように感染が広がっているから、このような罰則が必要なのだ』ということが、きちんと示されていません。エビデンス(根拠)に基づいていないのです」

 「刑事罰で臨んだらどういうことが起こるのか、過料にすればどうか、過料もなく現状のままならどう推移していくのか。効果と副作用を含めて、どの対応が一番賢明であるかを考え、決めていくのが最近の刑事政策です」

憲法との整合性に問題

 《平川名誉教授は、日本国憲法との整合性や、「排除ありき」というかつての感染症対策に回帰する危険性を指摘する》

──憲法との兼ね合いはどうでしょう。
 
「改正法の内容を見ると、罰則は蔓延(まんえん)防止等重点措置と緊急事態宣言が前提になっています。これらが裁量によって決められる部分が大きい。しかも、要請命令は政令で定めます」

 「憲法が要請する通り、刑法は罪刑法定主義=用語解説=が基本です。何が犯罪となるのかを、国民に法律で示しておかねばならない。ところが、何をやったら処罰されるかが、この法律にほとんど書かれていません。政令で初めて分かるのです。『行政罰である過料ならばいいだろう』という話ではありません」

 「制裁を科す場合は合理的でなければなりません。過料に見合うだけの抑止が正確に示されない限り、合理的な制裁とはなりません。例えば営業時間の短縮は、なぜ午後8時までなら良くて、9時までならだめなのか。保健所調査への回答を拒否した場合にも過料は科されますが、守秘義務を負う弁護士や宗教者、新聞記者が、どこまで質問に答えねばならないのか。ほとんど配慮されていません」

──これまでの感染症対策の理念という観点からは、いかがですか。

 「感染症患者を危険な存在として社会から隔離排除するという考え方は、感染症患者の人権を侵害し、差別を引き起こしてきました。そうした歴史への反省が、らい予防法の廃止や感染症法の前文・本文の人権条項につながったのです。特措法にも患者の人権尊重や差別防止が書いてあります」

 「これらをきちんと考慮した上で、改正されたのでしょうか。患者差別につながる『お墨付き』を、国が与えていないか。検査や医療体制を整備する国の責任を具体的に規定するなど、患者の人権や治療を受ける権利を実質的に保障する条項を盛り込む必要があったはずです」

落ち度ではなく業縁

 《コロナ禍以降、感染者や家族、医療従事者への偏見などが表面化した。真宗念仏者として業縁=用語解説=による受け止めを説き、「穢(けが)れ」としないことを呼び掛ける》

──感染者へのバッシングが社会問題になっています。

 「バッシングする人々の感染者に対する感覚を見ていると、犯罪者や犯罪被害者への感覚との共通点を感じます。犯罪者は『社会にとって危害を及ぼす迷惑な存在で、社会から排除・抑圧すべきだ』という意識です。犯罪被害者への『落ち度があったから被害に遭ったのではないか』という偏見です。感染者のことも『危険な存在』『感染したことに落ち度があった』と見ていないでしょうか。感染自体は、いろいろな要素が重なった結果の『業縁』です」

 「犯罪とのもう一つの共通点は、穢れの問題です。日本は古代から犯罪を穢れと捉えてきました。巻き込まれた被害者も穢れた存在と見なされてしまう。そのままにしておくと神に罰を与えられるから、共同体の外に放逐しなければならない、という意識が残存している気がします。感染者のことも、穢れた存在と見ているのではないでしょうか。そう見てしまうと、家族や医療関係者にも穢れが広がります」

──解決の手立てはありますか。

 「罰則に賛同する方々は、疫病の時、強い力を持つ鬼神に祈禱(きとう)するように、国家権力に何とかしてほしいと考えているのだと思います。いわば依存であり、従属です。国家の強権に頼らず合理的な行動をとり、自分たちで危険を回避することが必要です」

 「感染しないことだけを考えると、周囲のすべてが自分に脅威を及ぼす人になってしまいます。自分だけが人間で、相手は人間ではないと思う。犯罪者を『人間じゃない』と非難する言い方を耳にしますが、誰かを『人間じゃない』と見た時には、こちらも人間性を失っています」

 「誰もが同じ人間であり、全ての命が共に生きられる世界を目指すのが本願。少なくとも感染者やその家族、医療従事者を排除しない。困っている人たちがいれば、できる範囲内で助ける。その意識で行動することによって、状況は変わるのではないでしょうか」
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【用語解説】罪刑法定主義
 どんな行為が犯罪となり、いかなる刑罰が科されるかをあらかじめ法律で定めるという原則。起源は英国のマグナ・カルタ(1215) までさかのぼるとされ、日本国憲法にも盛り込まれている。

【用語解説】業縁(ごうえん=浄土真宗)
 縁によって起こる行為などを指す。親鸞の弟子である唯円が記した『歎異抄』では、縁によっては、誰もが何をしでかすかわからない存在であることを親鸞が指摘している。

(文化時報2021年3月8日号から再構成)
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「サラナ親子教室」でお寺を身近に 地域の〝お荷物〟から大逆転

 「ゆりかごから墓場まで」という社会保障の理想を実現するには、行政だけでは難しい。ならば、地域のお寺が人の一生を支えることはできないだろうか。滋賀県東近江市の浄土宗正福寺(関正見住職)では、0歳児を連れた母親も高齢者も、くつろいだ雰囲気で同じ時間を過ごす。人間の基本を追求することが、お寺の基本なのかもしれない。(大橋学修)

サラナ親子教室の参加者とコミュニケーションを取る関住職

育児の悩み受け止める

 1月19日午前9時半。急な冷え込みで雪がちらつく中、作務衣姿の関住職が門前に立ち、車で来る親子を出迎える。「よく来たね。元気してた?」。「正福寺サラナ親子教室」の参加者だ。

 サラナ親子教室は、浄土宗総本山知恩院が教化活動の一環として取り組む子育てサロンだ。サラナは古代インドのパーリ語で安らぎを意味する。

 活動場所は本堂。この日集まった9組の親子は、教室が始まるまで自由に時間を過ごす。本堂内陣の脇間にはおもちゃが並び、まるで子供部屋のよう。法要はいつもそのままの状態で営むという。

 教室は、お勤めから始まる。関住職が唱える念仏に合わせて、子どもたちも木魚をたたく。短い法話があったかと思うと、歌やダンス、牛乳パックを使った工作、節分にちなんだ鬼退治ゲーム…と目まぐるしく活動が行われる。

 その傍らで関住職と妻の菊世さんは、親たちと子育てについて語り合う。悩みに共感したり、アドバイスを送ったり。参加者の高橋亜沙子さんは「親が肩肘張る必要がなく、リラックスできる」と話し、成田彩さんは「それぞれの子どもの思いに沿っているところがいい」と話した。

 子どもが教室を卒業した後も、8人の保護者がスタッフとしてとどまった。佐生浩子さんは「ここから離れるのが寂しくて、手伝わせてもらっている。こういうほんわかとした雰囲気は他にない」と話す。

「寺なんて負担ばかり」

 正福寺は、東近江市の旧伊野部村にある。これまで住職がいなかったり他寺院の住職が兼務したりした時期があり、地域との関係は希薄だったという。

 関住職は、奈良県御所市の眞清寺出身で、旧伊野部村とは縁もゆかりもなかったが、前住職が逝去し、後継者として入寺することになった。1995(平成7)年のことだ。

 求められてやって来たにもかかわらず、檀信徒から「寺なんて負担ばかり。メリットも何もない」という言葉が飛び出すほど、風当たりは強かった。定期法要ではお供えだけ渡し、参列しない人もいた。

 地域との関係をいかに築くかを考えているときに出会ったのが、サラナ親子教室だったという。

 妻の菊世さんは第一子を出産するまで、旧五個荘町職員として、乳幼児育成指導などの子育て支援に携わっていた。「公平な制度設計が必要とされる行政にはできない支援に、サラナ親子教室なら取り組めると感じた」と話す。

 知恩院で開かれるインストラクター養成講座に、夫婦で参加。2002年に菊世さんを教室長として「正福寺サラナ親子教室」をスタートさせた。

おもちゃが並ぶ内陣脇間

檀信徒に必要な存在

 関住職は、サラナ親子教室の開設に続いて、小中学生を対象とした寺子屋や、高齢者が交流するふれあい・いきいきサロン=用語解説=の運営にも乗り出した。いずれもサラナ親子教室の仕組みを〝応用〟したという。

 「お勤めをして、参加する世代に合わせた活動を行って、しゃべって、食べる。人間の基本なのでしょうね。それしかできないのですけど」と、関住職は笑顔で語る。

 活動を続けることで、寺に批判的な意見を持っていた人たちからも協力を得られるようになった。現在は、地域包括ケアシステム=用語解説=の拠点の一つになれないか、檀家総代と検討を始めている。

 サラナ親子教室の運営は、参加費を得てはいるものの、収支はマイナス。ただ、長い目でみれば、寺にとってプラスになると考えている。関住職は「檀信徒にとって必要な存在になれば、協力的になってもらえる。地域に貢献することが、これからの寺院の役割の一つ」と胸を張った。
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【用語解説】ふれあい・いきいきサロン
 介護予防活動などを通じて、地域の高齢者が交流する場。住み慣れた地域でいきいきと暮らせる環境づくりのため、厚生労働省が社会福祉協議会を通じ、自治会単位で開設することを推奨している。

【用語解説】地域包括ケアシステム
 誰もが住み慣れた地域で自分らしく最期まで暮らせる社会を目指し、厚生労働省が提唱している仕組み。医療機関と介護施設、自治会などが連携し、予防や生活支援を含めて一体的に高齢者を支える。団塊の世代が75歳以上となる2025年をめどに実現を図っている。

(文化時報2021年3月18日号から再構成)
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臨床宗教師 85%が活動自粛

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、医療機関や福祉施設でボランティア活動をする臨床宗教師=用語解説=のうち、85%が活動を休止していることが、谷山洋三東北大学大学院准教授(臨床死生学)らの調査で分かった。谷山准教授は、「残念ながら国内ではまだ、臨床宗教師が日常生活に欠かせない『エッセンシャルワーカー』として認められていない」と話している。(安岡遥)

講演中の谷山洋三准教授

 1月13日に龍谷大学大学院実践真宗学研究科が開いたシンポジウム「臨床宗教師研修の闇と光」で明らかにした。谷山准教授は昨年夏、山本佳世子天理医療大学講師と共同で、臨床宗教師らの現状に関するアンケートを実施。日本臨床宗教師会と日本スピリチュアルケア学会の会員104人が、昨年2月以降の活動状況について回答した。

 それによると、医療機関や福祉施設でボランティア活動を行う35人のうち、活動を継続していたのは5人。残り30人は、施設からの要請や自身の判断で活動を自粛していたことが明らかになった。

 また、職員として雇用されている臨床宗教師や医療スタッフへの業務集中を懸念する声や、オンラインや手紙などを通じ、施設外での活動を工夫して続けているとの報告も聞かれた。

 一方、米国では、ボランティアを含む病院付きの聖職者「チャプレン」が、窓越しやオンラインで患者のケアに当たり、医療スタッフらの悩みに耳を傾けているという。谷山准教授は「チャプレンの必要性を社会全体が認めている米国に対し、日本ではまだまだ認識が進んでいない」と話している。

 コロナ禍の影響は、臨床宗教師の養成にも波及。龍谷大学でも、予定していた実習の大半が中止やオンラインでの開催となった。本年度の実習生は昨年秋になってようやく、僧侶が常駐する浄土真宗本願寺派の独立型緩和ケア病棟「あそかビハーラ病院」(京都府城陽市)で、初めての対面実習が実現した。

 こうした状況を踏まえ、谷山准教授は、宗教的ケアの効果を科学的に実証することと、各教団の教義に基づく臨床宗教師の位置付けを確立することを、今後の課題に据える。「少しずつ教団内に理解者を増やし、活動の下支えにつなげたい」と展望を語った。
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【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
被災者やがん患者らの悲嘆を和らげる宗教者の専門職。布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う。2012年に東北大学大学院で養成が始まり、18年に一般社団法人日本臨床宗教師会の認定資格になった。認定者数は21年3月現在で203人。

(文化時報2021年2月8日号から再構成)
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嫌った故郷で住職継ぐ

浄土宗林昌寺 静永敬雄氏

 三重県伊賀市の浄土宗林昌寺は、「一村一カ寺」という言葉が当てはまる典型的な中山間地域の寺院だ。唯一のお寺だからこそ、寺族の一挙手一投足が地域住民の目に留まる。そんな環境を嫌って、29年間にわたり一般企業に身を置いた静永敬雄氏(56)は、4年前に専任の住職となった。「たとえ地域から人がいなくなっても、寺の存在感は発揮したい」。そう考えるまでになった心境の変化とは―。(大橋学修)

一時は「逃げ切った」

 林昌寺には、小学4年生の時に移り住んだ。僧侶で元NHK記者の父が、祖父の後を継いで住職になったからだ。6年生までは父の言い付け通り朝のお勤めに出ていたが、中学に入ると嫌に思うようになった。

 地域の人々から言動を注視され、将来は住職になるのが当然と思われている。「自分は後を継ぎたくない」。佛教大学を勧める父の反対を押し切り、金沢大学法学部に入学した。それでも父は口うるさく僧侶になるよう求めたので、道場に入りながらも修行期間を調整。僧侶になることなく、1988年4月に日本経済新聞社へ入社した。「逃げ切った」と思った。

 大阪本社販売局に配属され、販売店との折衝などで西日本各地を飛び回る日々。林昌寺に寄り付きもしなかったが、妻子をもうけたことを契機に、帰省するようになった。父は、面と向かって「帰ってこい」とは一言も言わなかったが、老いを深めていた。

 95年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。当時は、兵庫県西宮市と芦屋市が担当区域だった。翌日にオフロードバイクで現地入りし、取引する販売店を目指して、壊滅的な被害を受けた街を巡った。世の無常を感じ、いつしか寺を継承しようという気持ちが湧いた。

 「地域に関わりのない住職が葬儀を勤めるよりも、幼い頃から見知った私が執り行った方が良いのではないか」
 
 幸いにも、伝宗伝戒道場=用語解説=に入行する単位取得方法が変更され、一般企業で就業していても道場に入りやすくなった。決算で忙しい12月の開催だったにもかかわらず、同僚たちも会社も協力的だった。2008年12月に満行し、僧侶資格を得た。

動画配信に活路

 林昌寺の法灯を絶やすまいと、17年に日経を退職し、住職に専念するようになった。地域で行われる集まりには全て顔を出し、道で出会った人には必ず声を掛ける。そうして地域と一体になろうとするのは、寺院を公的機関と考えているからだ。

 「あくまで寺に住まわせてもらっている身。だから、檀信徒がスイッチを入れるとすぐ起動できるよう、待機状態であることが必要だ」。ただ、林昌寺の立地する伊賀市中柘植(つげ)地区にも、過疎が忍び寄る。兼業農家が大部分を占め、若い世代が農業に関わる家は少ない。静永氏は「今後10年間で耕作放棄が進むのではないか」と危惧する。

林昌寺は、中山間地域の中柘植地区に立地する

 地区では毎年1月半ばに「勧請縄(かんじょうなわ)さん」と呼ばれる無病息災を祈る行事が営まれる。直径15センチほどの縄3本でしめ縄を作り、地区を流れる柘植川を渡して架ける。近年は縄を結える人が少なくなり、周辺には行事が途絶えた地区もある。そうした地区ほど、若い世代が流出して人口が減っている。

 人口減少が進めば、他の寺の住職を兼ねる兼務寺院や住職のいない無住寺院が増え、寺院消滅の危機を招く。静永氏は「兼務寺院として一時は存続できても、そうした寺院を檀信徒は信頼しない。結局、仏事を営むビジネスになってしまう」と話す。

 若い世代を、いかに地域につなぎ留めるか。

 試みているのは、懐かしい古里の風景を紹介する動画の配信だ。伊賀霊場会が動画投稿サイト「ユーチューブ」に開設した「法然上人伊賀霊場チャンネル」で、豊岡浩史念佛寺副住職、西野龍弥西念寺住職とともに伊賀霊場を巡り、地域の情景や霊場の特色を紹介している。これまでに50カ寺中21カ寺で取材を終えた。

 「住職として寺を残していくことは当然のこと。寺の存在感を発揮するためには、人との関係性が大切」と話す静永氏。かつての自分のように、地域を出て行った人々と縁を結ぶことで、いつまでも地域に心を残してもらうことを目指している。具体的な取り組みは、これからだ。
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 【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

(文化時報2021年1月28日号から再構成)
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伝統の「貝寺」発信

浄土宗本覚寺・山岡龍史住職

 和歌山県白浜町の浄土宗本覚寺は、徳川御三家の紀州藩に縁があり、藩主に珍しい貝殻の収集を命じられた歴史から「貝寺」と呼ばれている。所蔵する約千種・3万点に上る貝殻を活用し、お寺を地域のシンボルにできないか。在家出身で音響照明の仕事をしてきた山岡龍史住職(44)は「新しいことにチャレンジしたい」と話す。

隠れた所に音響照明のプロの技。機材はネットオークションで買った

 山岡住職は1976年、松山市生まれ。内装工事業を営む家庭で育った。四国八十八ヶ所霊場51番札所石手寺(真言宗豊山派)が子どもの頃の遊び場で、高校時代に読んだダンテの『神曲』でキリスト教にも死後の世界があると知った。

 専門学校を卒業後、20歳の時にイベントやコンサートで音響照明を手掛ける地元企業に就職。愛媛県や高知県の文化会館で、派遣職員として勤務した。

 結婚相手の父親は、浄土宗寺院の住職。義兄と義弟も法務を手伝っていた。人手は足りていたが、義父に「得度して寺を手伝わないか」と誘われた。「僧侶という生き方もいいかも」と、転職して仕事の都合をつけながら、2年4期にわたり修行する教師養成道場に入った。

 『観無量寿経』の一節から、自分自身が大きな慈悲に支えられていることに気付いた一方、道場では講師陣からは「教えを伝える僧侶としての姿勢」を学んだ。感じるだけでなく、伝えるのが宗教者だと思い知った。

空間を感じ、魅力伝える

 浄土宗教師としての資格を得た後も、会社勤務の傍ら休日に法務を手伝うだけだった。「果たして、これが自分自身の歩む道なのだろうか」。こなしているだけのような日々に疑問が湧いていた頃、別の寺院の法要を手伝った縁で、「貝寺」の後継者にならないかと誘われた。

 伝統ある寺だと聞いていた。だが、いつも集まるのは、御詠歌の講員と檀家総代しかいない。「寺が心のよりどころであってほしい」。2016年4月に住職として晋山した後は、地域の人々と交流するために試行錯誤した。

 「寺の空間を感じることが、阿弥陀仏を感じることに通じるはず」。音響照明の仕事をしてきた経験を生かし、翌17年1月25日の御忌大会では、刑務所で慰問活動に取り組む女性デュオを招いてコンサートを開いた。秋の十夜法要では尺八の演奏会を開催。以来、年2回程度のペースでイベントを行っている。

 少子高齢化が進み、リゾート地でありながらさびれつつある白浜町のことが気に掛かる。最近は東京に本社がある企業がサテライトオフィスを置くようになるなど明るい材料もあるが、地域の魅力のさらなる発信が必要と感じている。

 幸いなことに「貝寺」には、先代住職が整備した「貝の展示室」がある。「寺は地域のシンボル。新しいことにチャレンジし、町の発展に貢献したい」と意気込む。

(文化時報2020年12月19日号から再構成)
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出世街道捨て出家「自分の力だけ信じていた」

 「信じられるのは自分の力だけ」と考えていた婦人服ブランド開発会社のバイヤーが、出世街道を投げ捨てて出家したのは、自分以外の力によって生かされていると感じるようになったからだった。浄土宗安楽寺(大阪府泉大津市)の常住(とこずみ)哲也住職(48)がそれまで敬遠していた仏教に目を向けるようになったのは、妻や師匠との出会いがきっかけだった。(大橋学修)

常住哲也住職

父の急逝と苦学生活

 大阪府阪南市で1972(昭和47)年5月、建具店を営む父のもとで生まれた。バブル経済の華やかな時世で育った少年は、ツアーコンダクターになることを夢見ていた。大学進学を控えた高校3年の6月、父のがんが発覚。すでに末期で、11月末に急逝した。

 「こんな大事な時に、なぜ僕だけ…。神も仏もあるものか」

 心の落ち着かないまま臨んだ受験は、失敗に終わった。経済的な余裕もなく、進学を諦めようと考えていたが、兄と母の援助で予備校に通い、1年後の受験を目指すことになった。

 アルバイトで学費を稼ぎながら通える近畿大学の夜学を受験し、経済学部に合格。朝8時から午後3時半まで、生活協同組合で仕分け作業のアルバイト。終業後に通学し、帰路は毎日終電だった。日曜日は泥のように眠った。

 在学中にバブルが崩壊し、憧れだった旅行業界にも陰りが見えはじめた。興味の方向はファッション業界に向かい、卒業後は婦人服ブランドを展開する老舗企業に入社。店舗での接客を振り出しに、5年目にはバイヤー、7年目には新規事業の立ち上げメンバーとなり、海外を飛び回るようになった。

見守られている喜び

 妻との出会いは、高校時代の剣道部の先輩が縁だった。多忙な学生生活の中でも交際を続け、28歳で結婚した。妻は、安楽寺住職の二人娘の長女だったが、次女が寺を継ぐことが決まっていた。

 結婚前は寄り付きもしなかった寺だったが、入籍後は大きな法要があるたびに、親族として裏方の仕事を手伝うようになった。檀信徒が手を合わせる前で、布教師である義父が法話を行っていた。

 亡くなった父は、消えてなくなったと思っていた。

「念仏を唱えることで極楽浄土に往生する。行き先があって、見守ってくれている」。このような信仰があったのかという驚きと、見守られていることへの喜びが込み上げた。

 「生かされている」をテーマとする法話もあった。会社で出世街道を駆け抜けているのは、自分の力によるものだと思っていた。「仕事ができて、結婚できたのは、ありがたいことなのだ。周りや父母がいることで、自分が存在しているのだ」。父の死後、がむしゃらに生きてきた肩の荷が下りた気がした。

 社内を見渡すと、以前の自分と同じような人たちがいる。ライバルを出し抜こうとする人もいる。「以前の自分と同じように考えている人に、今思っていることを伝えたい」。そう考えて仕事に取り組むと、周囲が協力してくれるようになった。さらに仕事への道が開けた。

阿弥陀如来に献じる灯明を準備する

妻と義父も驚愕

 安楽寺の後継者を迎え入れる見込みだった妻の妹が、在家に嫁ぐことになった。アパレル業界でチャンスをつかもうと磨いてきたアンテナが反応した。「僧侶を目指したい。自分の思いを伝えたい」。妻は驚いた表情で「本当にするの?」と尋ね、期待していなかった義父も驚愕した。

 会社の上司に辞意を伝え、1年後の退職を目指して後進を育成。浄土宗僧侶としての基礎知識を学ぶ教師養成道場に、退職してすぐ入行した。夏と冬に開かれる2週間の道場に、計4回入行し、36歳の時に伝宗伝戒道場=用語解説=に入った。

 伝宗伝戒道場では、暗闇の中で灯明に照らされた阿弥陀如来に礼拝を重ねる修行がある。それまでの人生が思い起こされ、懺悔の気持ちが沸き上がった。

 安楽寺で法務に励む一方、義父も現役として活動しており、時間はあった。そんな折に声を掛けてくれたのが、同じ泉大津市にある生福寺の石原成昭住職。地域貢献に取り組む泉大津青年会議所(JC)への勧誘だった。親しみやすい石原住職を見て、「これからのお坊さんは、身近な存在でなければ」と感じた。

 メンバーとともに2009年に設立したのが、NPO法人「泉州てらこや」。石原住職が理事長、常住住職は福理事長となった。中学校への出前授業や、東日本大震災で被災した地域の特産品の販売、地域イベントなどに、現在も取り組む。

 地域に入っていくことが、これからの僧侶に求められると考えている。つらい気持ちを抱える人の相談を受けるには、身近な存在になることが必要だからだ。

 常住住職は言う。「寄り添うとは、相手の世界の一員となること。思いを共に感じたい」
          ◇
【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

(文化時報2020年12月12日号から再構成)
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お寺は町の宝物 天橋立・大頂寺

 日本三景の一つ、天橋立に近い浄土宗大頂寺(京都府宮津市)は、名刹としてだけでなく、積極的に市民とイベントを行う寺院として知られている。地元の観光協会が主催するライトアップに参加したり、独自にコンサートを開催したり。「観光とは、光を観ると書く。だから市民が輝いていなければならない」。土方了哉住職(62)はその一念で、自坊を地域に開いている。(大橋学修)

2020年11月8日に開催した大頂寺オータムコンサート

観光業の斜陽化懸念

 宮津市は、天橋立を中心とした観光のまち。就業人口の約73%が第3次産業に就いている。2015年に京都縦貫自動車道が全線開通し、市内への流入人口が増えた。一方で、京阪神からの日帰りが可能になり、新型コロナウイルスの影響も相まって、観光業の斜陽化が懸念されている。

 こうした中、毎年10月に約1万個の手作り灯籠などで夜の寺町周辺をライトアップする「城下町宮津七万石 和火(やわらび)」(天橋立観光協会主催)も2020年は中止になった。市民が一体となって07年から続けているイベントで、かつての宮津城下町を中心に、大頂寺など11カ寺をライトアップし、各所で芸術イベントを開催。域の交流にも一役買う秋の風物詩とあって、市民からは残念がる声が上がっていた。

 「地域のために、何かできないか」。そう考えていた土方住職の元に、ある知らせが届いた。ジャズピアニストで関西を拠点に活動する金谷(かなたに)こうすけさん(62)が、宮津市に移住したという話だった。

渇望されたコンサート

 金谷さんは幼少期を宮津で過ごした経験がある。同級生の土方住職は、すぐに「帰郷コンサートを開かないか」と持ち掛け、11月8日に「大頂寺オータムコンサート2020~浄土の庭で音楽の集い」を開いた。

 コンサートを独自開催できたのは、これまで「和火」に参加し続けてきたからだった。中古の照明設備を買い、野外ステージを作った経験が、今回の会場設営に役立った。何より、地域の人々が進んで協力してくれた。

 「和火」の企画運営に携わる大西了さん(58)は「ライブハウスと違い、最初から音楽環境が出来上がっていたわけではない。地元のみんなで最初から創り上げるコンサートだったからこそ、魅力があった」と話した。

 当日は約200人が来場。金谷さんら5人が、モダンジャズからオリジナル曲まで幅広い曲を屋外で演奏し、一時は雨がぱらついものの、大いに盛り上がった。金谷さんは「こんなすてきなロケーションで演奏できたのは初めて。僕の音楽の原点である宮津に恩返しできた。来年もやりたい」と語った。

 人が集まらない可能性を危惧しながら参加したという檀信徒総代の岩見清次さん(85)は「みんながこういうイベントを渇望していた。気分を高揚させるのが、長生きの秘ひ訣けつですから」と笑った。

お焚き上げが契機

 大頂寺は1606(慶長11)年、宮津藩主京極高知によって建立され、歴代藩主の菩提所となった。地域に開かれるようになった契機は、撥遣式(はっけんしき)=用語解説=の後に位牌や仏具を焚き上げる浄焚式(じょうぼんしき)を行ったこと。出入りの仏具店から「これまでごみ処理場に持ち込んで心を痛めていた」と打ち明けられ、定期的に行ってほしいと頼まれた。すると、仏具やお札にとどまらず、ぬいぐるみや人形が檀信徒や地域住民から持ち込まれた。

 「それぞれの人が、思いのこもったものを何とかしたいという気持ちを持っていることに気付いた」。これ降、土方住職は寺院を地域に開くことを意識するようになった。

 そこで始めたのが、寺宝の常時公開。法然上人一代記絵伝や5代将軍徳川綱吉直筆の墨書などを、奥書院に並べて展示した。すると、檀信徒から宮津藩に関する品々が寄託され、展示品が増えていった。

徳川綱吉直筆の墨書について説明する土方住職

 「文化財的な価値はなくても、お寺の歴史を物語っている。奥にしまっていては、生かされない。見るために人が集まるなら、寺宝は町の宝とも言える」

 土方住職は、それぞれの寺院が特色を生かして、地域発展の一端を担うことを強く勧める。「寺院を町の人に使ってもらい、街の歴史や文化を磨いて輝かせることが大切。さまざまなことに取り組むのは大変だが、寺院の意識改革が必要だ」と話している。
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【用語解説】撥遣式(はっけんしき=浄土宗)
 一般的に「魂抜き」や「お性根抜き」と呼ばれる法会の浄土宗における正式名称。仏像・菩薩像、曼陀羅(まんだら)、位牌、お墓、石塔など、礼拝の対象となるものを修理・処分する際に行われる。

(文化時報2020年12月5日号から再構成)
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在宅医療に電子連絡ノート「宗教者も参加を」

 在宅医療の現場で、医療者がタブレット端末「iPad」を通じ、宗教者と患者情報を共有する研究が進んでいる。端末に搭載されたアプリは、その名も「電子連絡ノート」。野本愼一京都大学名誉教授(医学博士)らの研究グループが開発した。スピリチュアルケア=用語解説=を行う臨床宗教師=用語解説=に着目し、「チームで対処すれば、患者や家族の悩みを解決につなげられるのではないか」と考えている。(主筆 小野木康雄)

電子連絡ノートのメッセージ画面

心のケアに活路

 「他者に認められることに満足し、精神的苦痛も緩和されているようです」。施設の相談員が電子連絡ノートに記入した内容を見て、主治医はこう応じた。「悲観的な発言がなくなり、とても落ち着いている」

 背骨の靱帯が骨になる難病を患った74歳男性。入居する老人ホームで、当初は周囲に「こんな体で生きている意味がない」「死にたい」と漏らし、自ら食事を絶つまで落ち込んでいた。

 そこへ、臨床宗教師が訪問しはじめると、男性は病気になる前のことや、輝いていた過去のことを語りだした。表情は明るくなり、食事も再開したという。

 これらの情報は電子連絡ノートを通じ、医療者と臨床宗教師で共有されていた。野本名誉教授らのグループは今年6月、男性のケースを含む4症例を研究成果にまとめ、こう結論付けた。

 「臨床宗教師が在宅医療・介護チームに参加することは、心のケアになり得る。電子連絡ノートを活用することで、医療職・介護職が知り得ない情報を共有できる」

患者・家族を主体に

 電子連絡ノートの開発が始まったのは2010年。日本でiPadが発売された年で、野本名誉教授らは文部科学省の科学研究費助成を受け、研究開始にこぎつけた。翌年から試験利用をスタートさせ、13年に商標録。14年には野本名誉教授を理事長とする一般社団法人電子連絡ノート協会を設立した。

 コンセプトは、患者宅にある手書きの連絡帳の情報通信技術(ICT)化。患者・家族を情報発信の主体と捉えることで、従来の医療職中心ではなく、職種の壁を越えた連携が可能になったという。そうした中、話すことのできなくなった神経難病の患者が、わずかな指の力でこう記入したことが、野本名誉教授らの胸を打った。

 「iPadさえあれば、主治医に連絡がすぐ取れる。愚痴ることもできるのです。文字ならば通じることもできるのです」

 完治を望めない患者の愚痴を聞けるのは、医師や看護師、介護スタッフではなく、傾聴の訓練を受けた専門職ではないか。医療職とは異なる人でもチームに入れるという電子連絡ノートの特性を生かし、死生観に長けた人に加わってもらうべきではないか―。そうした発想で、臨床宗教師に研究への参加を呼び掛けるようになったという。

臨床宗教師らに電子連絡ノートを使った研究参加を呼び掛ける野本愼一名誉教授(左)ら

研究協力で無償利用

 研究は在宅医療関連の財団から助成を受けながら続いているが、新型コロナウイルスの影響で思うように症例が集まっていない。

 また、野本名誉教授によれば、医療者にとっては、臨床宗教師の活動がまだよく知られておらず、宗教というだけで布教や霊感商法を連想し、警戒する人も少なくないという。

 今後は在宅医療の医師らに研究への協力と臨床宗教師への理解を呼び掛け、代わりに電子連絡ノートを無償で使ってもらいたいとしている。

 野本名誉教授は言う。「臨床宗教師をはじめとする宗教者には、ぜひ目覚めてほしい。あなたたちを待っている人は、たくさんいる」
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【用語解説】スピリチュアルケア
 人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。

【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 被災者やがん患者らの悲嘆を和らげる宗教者の専門職。布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う。2012年に東北大学大学院で養成が始まり、18年に一般社団法人日本臨床宗教師会の認定資格になった。認定者数は21年3月現在で203人。

(文化時報2020年11月28日号から再構成)
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