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「自他の縁、見つめ直せ」コロナ後の宗教界に提言

 国際宗教同志会(IRF、芳村正徳会長)は3日、東京工業大学の弓山達也教授(宗教学)を講師に招き、講演会「コロナ禍中/後の日本の宗教はどうなる」を金光教泉尾教会(大阪市大正区)で開催した。僧侶や神職ら17人が出席し、コロナ後の社会で宗教者が果たすべき役割について語り合った。

弓山達也教授

 【講演・質疑応答のポイント】
・過去の疫病で人々は宗教にすがった
・オンラインで宗教が身近になった
・宗教界独自の「新しい生活様式」が必要
・コロナ後の社会動向を察知せよ

 弓山教授は新興宗教ブームの1980年代に大学へ進学し、自身も複数の教団に傾倒した経験がある。人を引き付ける宗教の力に関心を持ち、大学院では宗教現象の研究に没頭。現在は、ボランティアや社会貢献など「宗教の社会的な力」について研究している。

 冒頭で弓山教授は、スペイン風邪が流行した大正期に大本や太霊道=用語解説=が台頭したことなどを例に、「疫病によって社会不安が広がると、人々は宗教にすがり、霊的な導きを求める傾向がある」と分析した。

 さらに、終戦直後の50年代に提唱された新生活運動=用語解説=を挙げ、「冠婚葬祭の縮小など、生活の簡略化・合理化を求める運動が、国難のたびに政府主導で行われてきた」と指摘。コロナ禍を受けた「新しい生活様式」の提唱も、これと同質の動きであると述べた。

 「人と人とが密接に関わり合うことは、宗教の本質でもある。それを排除する動きは、宗教界にとってひとごとではない」と強調。「お上の指示を受け入れるだけでなく、独自の『新しい生活様式』を発信していく必要がある」と提言した。

 弓山教授は東日本大震災による被災者のライフスタイルや価値観の変化に着目している。被災地で目にしたのは、独自の追悼行事や祭礼を生み出し、誰に言われるでもなく「菩薩のように」隣人を支える市民の姿だったという。

 コロナ後の社会にも同様に「市民主体の新しい生き方、物事の感じ方が生まれてくる」と予測し、「宗教者は、そうした社会の動きを敏感に察知すべきだ」と語った。具体的には、接触や移動の制約から「障害を抱えた人が日常的に味わう不自由さ」に目を向け、葬儀や法要の縮小から「人の生死」「死者への思慕」について考えるべきだと指摘。「自他を結ぶ縁の在り方を考え、発信することが、宗教者に求められる〝霊的な力〟ではないか」と締めくくった。

一人の人間として社会と向き合う

 講演に対し、宗教者からは率直な質問が寄せられた。高野山真言宗観音院(堺市南区)の大西龍心住職は、東大寺が呼び掛けた「正午の祈り」に参加。防犯を理由に閉じていた自坊の門を「祈り」の時間帯に合わせて開けるようにしたところ、目に見えて参拝者が増加したという。

講演会はソーシャルディスタンスを確保して行われた

 その経験から「不安なときこそ民衆は宗教を求める」との弓山教授の見解に共感を示しつつ、「宗教に対し、一般の方々は具体的に何を求めているのか」と問うた。

 弓山教授は「人々が宗教施設を訪れたい、宗教者の話を聞いてみたいという思いは常にある」と回答。一方で「拝観時間の制限によってお寺に来られない人や、僧侶に対して心理的なハードルの高さを感じる人も多い」と指摘した。

 そうしたハードルが、テレビ会議システム「Zoom(ズーム)」などのオンラインツールによって解消されつつあるという。ネット法要に多くの参拝者が集まった事例を挙げ「時間や距離に関係なく、宗教者と一対一で語り合えることは、一般人にとって大きな魅力」と語った。

 一方、生島神社(兵庫県尼崎市)の上村宜道宮司は、「オンラインの導入に抵抗を感じる宗教者も多い」と指摘した。自身の周りでも、オンライン祈禱を提案する声が聞かれたが、「祈りの場でのネットの利用はよくないことだという見解が、神社界の暗黙の了解となっている」と話す。その上で「参拝者の立場で、ネットを介した信仰をどう考えるか」と見解を問うた。

 弓山教授は「オンラインでできること、できないことについて、自分の考えを参拝者に説明するチャンスではないか」と回答。オンラインツールの普及により、宗教者が「一人の人間として一般人と向き合うことができるようになった」とし、「伝統にとらわれず自分の言葉で説明すれば、参拝者からも優れた理解が得られるはずだ」と話した。(安岡遥)

【用語解説】太霊道(たいれいどう)
田中守平(1884~1928)が創始した霊術教団。修行によって読心術などの霊能の開花を目指す。大正~昭和初期にかけて大流行したが、田中の死をきっかけに消滅した。
     ◇
【用語解説】新生活運動(しんせいかつうんどう)
第2次世界大戦後の生活水準の向上を目的に、鳩山一郎内閣が1955年に提唱した運動。冠婚葬祭の簡略化、封建的因習の排除などが主な内容。

(文化時報2020年6月13日号から再構成)
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動じないクマのような精神力 櫻井随峰氏

 西山浄土宗の櫻井随峰前宗務総長は混乱期に宗務行政を担い、昨年9月の退任まで「火中の栗を拾わされた」とささやかれた。公立中学校の教師を経て出家した異色の元宗門トップ。新型コロナウイルスの感染拡大に対しても「クマが冬眠するように過ごすしかない」と動じない。混乱期を生き抜く強靭な精神力は、どのように培われたのだろうか。(大橋学修)

西山浄土宗の櫻井随峰前宗務総長

平穏な宗門取り戻す

 宗派や本山の仕事とは、無縁の半生を歩んできた。

 宗政の世界に身を置いた直接のきっかけは、僧侶資格を得るための「加行道場」で指導者になったこと。上司に当たる監督の日下俊精氏が宗務総長に選出され、数年後に自身も教学部長として内局に引き入れられた。

 管長・法主の任期や本山墓地拡張計画を巡り、宗議会が荒れていた時代。日下氏が任期満了で宗務総長を退任すると、今度は櫻井氏にお鉢が回ってきた。課題は山積していた。

 2016年の就任当初は財政再建のため、支出抑制を断行。一方で、総本山光明寺(京都府長岡京市)の拝観事業を拡大させ、宗門に回付金として還流させる道筋を付けた。近年は度重なる災害からの復旧や防災対策にも取り組んだ。「平穏無事な状態を取り戻すことはできた」と振り返る。

 コロナ禍では、御忌大会などの重要な法要を想定外の形で行ったが、泰然自若としていた。「うまくいかないときは、じっと我慢しながら、クマが冬眠するように過ごすしかない。クマは、必要があるから冬眠するのであって、ピンチのときにもやるべきことはある」

校内暴力には仏教で

 新潟県魚沼市出身。父は労働基準監督署で勤務していた。少年時代は、国のために身命をなげうつことをいとわない偉人たちの伝記や小説を読みあさり、「国士」になることを夢見ていた。

 高校卒業後は就職を考えていたが、進学を勧められて思い直した。「新選組の本拠があった京都に行こう」。京都市中京区の花園大学に進学した。何が国士なのか分かっていなかったが、夢は持ち続けていた。

 当時の花園大学は、後に臨済宗妙心寺派の管長を務めた故山田無文老師の学長最後の年。周囲からは僧堂に入ることを勧められたが、僧侶になろうとは微塵も思わなかった。「老師は輝いていて、神に近い人だと感じた。自分にはとてもなれない」

 卒業後の1982年4月から、教員として大阪市大正区の中学校に赴任した。校内暴力が荒れ狂っていたころで、かわいがっていた生徒から角材で襲われたことも。連日の飲酒とストレスで肝機能障害を患った。

 精神的支柱を求め、仏教に希望を見いだした。教員研修旅行で、釈尊が初めて法を説いたインドのサールナートを訪れたことも、何かの縁だった。「救いでなく、悟りを求めていた。暴力に対抗できるのは、それしかないと思っていた」

出会い―妻・師匠・教え

 30歳になる直前、妻と出会った。西山浄土宗の僧侶で宗門随一の説教師と評された故橋本随暢師の三女。師は、4人いた娘の夫全員が出家するなど影響力のある僧侶だった。

 兄弟子が苦しみながらも救いを求める姿に、心を動かされた。嘉禄の法難=用語解説=に行う念仏行脚に参加し、法然上人と心が通じ合った気がした。結婚して1年たたないころの妻には、事後承諾で出家。総本山光明寺の随身=用語解説=となった。

 その後、薬善寺(和歌山市)の住職となったが、「釈尊はありがたくても、阿弥陀如来はわからない」と感じていた。常光寺(京都府長岡京市)の菅田祐凖氏の元に通い詰めて薫陶を受け、阿弥陀仏の存在に対する疑いがなくなった。救れていることに気付いた。ただ、社会を見渡すと、救われない人々ばかりだった。「自分は救われているのに、救われていない人が、ばかに見えたり、かわいそうに思えたりした」という。

救いは特別でない

 21年間に及んだ「加行道場」の指導者生活では、歴代法主の講釈を聞く機会に恵まれた。総本山光明寺第77世・故須佐晋龍法主の「要懴悔=用語解説=が一番ありがたい」という言葉が頭に残った。

 要懴悔の一節に「勝縁勝境悉現前(しょうえんしょうきょうしつげんぜん)」という言葉がある。優れた縁と素晴らしい境地が、ことごとく目の前に現れる、という意味だ。

 「同じ生活をしていても、満足する人もいれば、不満を持つ人もいる。どのような状況でも、念仏を唱えていれば『勝縁勝境悉現前』なのだ」。そう感じるようになって、自分だけが救われているという高慢な考えも変わった。49歳のときだ。

 「自分が救われることは特別なことだと思っていた。そうではなく、たまたま、その縁にあずかっていると知った」

 花園大学で山田老師の後に学長になった故大森曹玄師は、「もはや国士は誰一人としていない」と語ったという。

 国士になるという夢は、いつの間にか消えていた。今の自分を国士だとも思っていない。「この国に生まれて、ただ幸せを感じている。身を粉にして働く人々を見ると頭が下がる思いがするし、僧侶の姿はかすむ」。そう笑った。
             ◇
【用語解説】嘉禄の法難(かろくのほうなん=浄土宗など)
 1227(嘉禄3)年に法然上人門下が弾圧された事件。上人の祖廟を壊して遺骸を鴨川に流そうと画策され、門下の高弟が配流された。上人没後で最大の法難。

【用語解説】随身(ずいしん=仏教全般)
 本山などで作務に従事しながら、法務や教えを学ぶ初心の僧侶。

【用語解説】要懴悔(ようさんげ=西山浄土宗など)
 中国浄土教の大家・善導大師の著書で、往生極楽を願う儀式を定めた『往生礼讃』の抜粋。

(文化時報2020年6月6日号から再構成)
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持続化給付金 宗教法人はなぜ除外されたのか

 新型コロナウイルス対策で中小企業や個人事業主に支給される国の持続化給付金を巡り、宗教法人を支給対象にすべきかどうかという議論が起きた。全日本仏教会などが加盟する日本宗教連盟(岡田光央理事長)が、宗教法人も対象とするよう要望。政府・与党内で議論されたが、決定には至らなかった。政教分離の原則に抵触することが懸念されたとみられるが、果たして問題はそれだけなのだろうか。(大橋学修)

当座をしのぐ資金は必要

 持続化給付金の創設は4月7日の閣議で決定。事業者に加え、「法人税法別表第2に規定する法人」も特例として給付対象にすることも決まった。ところが、別表第2に規定される宗教法人は、例外として対象から除外された。

 日宗連の要望を受けて、「政府が新たに中小の宗教法人を対象に追加する方向で最終調整に入った」と、テレビ東京が5月14日に報道。同28日には共同通信などが、政府が宗教法人を対象に含める案を一時、検討していたものの、自民党内の反発で閣議決定から除外された―と伝えた。

 仏教界では、新型コロナウイルスの影響で葬儀や法要が相次ぎ中止・延期となり、多くの寺院が減収している。日宗連や全日仏には「切羽詰まっている」「持続化給付金の支給は助かる」などの声が寄せられていた。

 これまでも、過疎化や少子化によって寺院は存続が危ぶまれていたが、コロナ禍で危機が一気に加速することが懸念された。経営破綻に伴って不活動法人が増加し、宗教法人の不正利用が進むことも心配された。

 宗教法人が公益法人に規定されている以上、経済的に追い込まれた寺院にも、当座をしのぐ資金として持続化給付金を給付すべきだと求めたのが、日宗連の要望だった。

かえって不利?税制優遇の解除懸念

 持続化給付金への待望論が出る一方で、不安視する意見も多く上がった。中でも、持続化給付金の対象となることで、宗教法人に対する税制優遇措置が解かれるのではないかという懸念が強かった。

※※※今週の文化時報プレミアムは、noteで有料配信します※※※
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(文化時報2020年6月13日号から再構成)
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【速報】法然上人「裸像」を調査 文化財級か

 浄土宗大本山百萬遍知恩寺(京都市左京区)が所蔵し、法然上人の裸像としては唯一現存するといわれる「張り子の御影」について、東京国立博物館が11日、調査を始めた。江戸期以前に制作された法然上人像が少ない中、遅くとも室町期の作とみられることが判明。文化財級の尊像と認定される可能性があるという。今後、CTスキャナーを使って内部調査などを行い、正確な年代を特定する。

 「張り子の御影」は、百萬遍知恩寺を実質的に開いた法然上人の門弟、勢観房源智上人(1183~1238)が造ったと伝わる。高さ47.9㌢、幅32.7㌢(膝部分)の座像で、頭部は高さ15.1㌢、幅11.9㌢。裸体は細部に至るまで精密に表現されており、正絹の黒衣(法衣)を着せて法主棟の内仏として奉安されている。学識者による調査は今回が初めて。

 調査に当たった東京国立博物館の浅見龍介学芸企画部企画課長によると、造形から鎌倉―室町期に制作された可能性が高いという。現存する法然上人像はこれまで、鎌倉期に制作された當麻寺(奈良県葛城市)のものが最も古いとされている。

 また、「張り子の御影」の名の通り、これまでは麻布に漆を塗って造る「脱活乾漆(だっかつかんしつ)」の技法が用いられていると考えられていたが、調査では木造の可能性があることも分かった。

 着せられていた黒衣にも特徴があり、仏像用に細工されたものではなく、人が着る衣と同じ縫製が行われていた。白衣や襦袢(じゅばん)、ふんどしまで着せていることが判明した。

 調査の様子を傍らで見守った福原隆善法主は「生きておられる法然上人のありのままの姿を表したのだろう。お顔から、若い頃の姿のように見える。比叡山を下りて間もない頃のように感じる」と語った。

(文化時報2020年12月16日号掲載前の速報)
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仏教は心の病院 生の意義は死から

 仏教は心の病院―。そのたとえが腑に落ちたという僧侶が、宮城県にいる。仙台市宮城野区の浄土宗慈恩寺住職、樋口法生氏。東日本大震災で多くの犠牲者を出した石巻市の出身で、10年近く遺族らに寄り添ってきた。「仏教は、待つ宗教。生きることで苦しみを感じた人を、いつでも受け入れる」。生きる意義は、死と向き合うからこそ見いだせるという。(大橋学修)

浄土宗慈恩寺住職・樋口法生氏


死者は守られないのか

 樋口氏は、石巻市の西光寺住職の次男として生まれた。学校の教師になる夢を持っていたが、「仏飯をいただいて育った上は、僧侶の資格を取って恩返しすべきだ」と父に説得され、大正大学仏教学部に進学した。父は前々住職の養子で、市役所職員や新聞記者として働きながら寺を守っていたという。

 「他のこともしてみたい」。そんな煮え切らない思いを抱えたまま、伝宗伝戒道場=用語解説=に入行。その直前、友人の運転する車で事故に遭い、重傷を負った。命を失ってもおかしくない大事故。「自分は守られた」と、人知を超えた存在からの恩恵を感じた。

 しかし、その思いは、東日本大震災を経験したことで、大きく変容した。

 石巻市内では多くの人々が身近な人を失い、住み慣れた家屋を流された。火葬場は使えず、移動もままならない状況で、遠く離れた別の火葬場に行かなければならなかった。土葬を余儀なくされる場合もあった。

 どのように生きればいいのか。誰もが真っ暗闇の中にいた。「命が助かった。信仰していたから守られた」。そんな声も聞いた。

 すると、疑問が湧き起こった。亡くなった人は、守られなかったのだろうか。守られるとは、どういうことか。亡くなった人と残された人の違いは何か―。

 「釈尊は、諸行無常であると説かれている。信仰があるから守られるとは言えない。祈りでなんとかなるのなら、なんとかしてくれ」

いつかは出会える

 亡くなった人も残された人も救われるのは、いずれは浄土で出会えるという「俱会一処=用語解説=」の教えだと、遺族と向き合うことで確信するようになった。

 「震災から9年を経た今も、遺族の中には一日に何度も気持ちが上下する不安定な人がいる。また会える、いつかは出会えるという思いが、唯一の明かりになり、せめてもの救いとなっている」

 震災や自死で残された遺族のために、法話会を定期的に開いている。涙を流したり、怒ったり。参加者からは、いろいろな思いがあふれる。同じ境遇の人同士が話をする場になるという、お寺が持つ可能性を感じている。

 「僧侶が思う以上に、教えは求められている」。多くの悲嘆と向き合ってきたからこそ、浄土宗の教えが現代にも生きることを確信している。

限りがあるから、換算できる

 新型コロナウイルスの感染拡大で外出自粛が求められていたさなか、花園大学の佐々木閑教授の講演を動画投稿サイト「ユーチューブ」で聴いた。「仏教は心の病院」という言葉を聞き、「まさにその通り」と感じた。「これまで私が思い、行動してきたことを的確に表す言葉だった。お寺の存在意義を再確認した」

 心が健康な人は、仏教を求めないかもしれない。生きる力があれば、「無」や「空」といった教えに関心が向くかもしれない。ただ、人はいつ命を失うか分からない。「命の問題に直面したときは、念仏の教えでなければうまくいかない」と強調する。

 その上で、人間は生老病死の四苦に振り回される存在なのに、その事実から目を背けていると指摘。生きることの意義は、死と向き合うからこそ感じとれるのだという。

 樋口氏は言う。「死に向かって生きていると言われると、絶望するしかない。しかし寿命には限りがあり、限りがあるから時間に換算できる。だからこそ、時間を大切に過ごせるし、死を迎えても大丈夫だと思えるようになる」
        ◇
【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 僧階を持つ僧侶になるための道場。「加行」「加行道場」とも言う。

【用語解説】俱会一処(くえいっしょ=浄土系仏教)
 念仏の信仰に生きる人は、臨終後に浄土に生まれ、浄土の仏・菩薩たちと共に一つのところで出会えるという教え。

(文化時報2020年6月3日号から再構成)
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地域包括、終活で充実 カフェで「官仏連携」

 終活をキーワードに地域包括ケアシステム=用語解説=を充実させようという取り組みが、神奈川県厚木市で進んでいる。終活カウンセラーと公的機関、お寺が協力し、「お寺『終活カフェ』」を開催。「心、体、先の不安をケアできる交流の場」と位置付け、1年間で約30人がメンバー登録した。地域包括ケアシステムにお寺を活用する事例として注目を集めそうだ。

曹洞宗長谷寺で開かれた「お寺『終活カフェ』」=2019年10月、神奈川県厚木市

営業・宗教勧誘は行わない

 厚木市の住宅街にある曹洞宗長谷寺(ちょうこくじ)。約千年の歴史がありながら焼失を繰り返し、1993年に加藤英宗住職(51)が再建した。檀家を持たない一方で、ヨガや詩吟、坐禅会などの〝寺子屋〟に人が集まる。

 ここを会場に開く「お寺『終活カフェ』」で中心的な役割を果たしているのが、終活カウンセラー上級の資格を持つ「神奈川葬祭」企画営業部次長、髙橋良彦さん(56)。仕事で付き合いのあった長谷寺と厚木市南毛利地域包括支援センターをつないだ。

 カフェでは、営業活動や宗教勧誘を一切行わない。昨年6月に「地域の相談窓口『地域包括支援センター』ってなに?」をテーマに第1回を開催。以降は老人ホームの選び方やエンディングノートの活用法など、参加者から提案のあった講演会を開いてきた。

 加藤住職の法話や後半に行うカフェタイムも好評で、参加者は終活にまつわるさまざまな悩みや苦労話を語り合う。

 髙橋さんは「死生観にたけた宗教者が参加すれば、きちんとした地域包括ケアシステムが構築できる」と話している。

弔いを宗教に任せる

 髙橋さんは「終活に関する相談は、『死んだら自分はどうなるのか』と死生観に踏み込んでくる。医療・介護の専門職では対処が難しい」と話し、宗教者の役割に期待する。

 「お寺『終活カフェ』」は、お寺で開く流れが自然にできた。もともとは、市内の主婦が会員制交流サイト「フェイスブック」で始めた「老後を真剣に考える会」が出発点。ファミリーレストランで情報交換する内輪の勉強会で、そこに髙橋さんと長谷寺の関係者も参加していた。

 髙橋さんは「葬儀で後悔する人をなくしたい」との思いから、市内の地域包括支援センターと協力し、2016年から終活講座や相談会を行ってきた。「生き方や人生に関する悩みは、お寺が相談窓口になればいいのではないか」と話す。

カフェタイムでは、終活関連の話をざっくばらんに語り合う=2019年7月、神奈川県厚木市の曹洞宗長谷寺

 一方、地域包括支援センターは、住民から介護に関するよろず相談を受けており、市町村が設置主体となっている。公的機関として、宗教法人との協働には難しい面もあるが、お寺は安心できる会場で僧侶は心のケアの専門家、と位置付けている。

 厚木市南毛利地域包括支援センターの職員で保健師の鈴木瑞穂さん(37)は「お寺で話をしたい、聞きたいという需要は少なからずある。必要な方に支援が届くよう、カフェを通じて情報発信したい」と語る。

 お寺にとっても、メリットは大きい。長谷寺には、「お寺『終活カフェ』」への参加をきっかけに、ふらりと訪れる人や坐禅会に関心を持つ人が増えた。加藤住職は「地域に開かれていて、いろいろな専門家に相談できる環境を作るのが、本来のお寺の役割」と強調する。

 地域包括ケアシステムは高齢者の健康を扱うため、医療・介護を中心に構築されている。生前のケアは得意だが、死後の弔いまで目配りできているケースは少ない。弔いを宗教に任せれば、切れ目のない看取りによって、最期まで自分らしく生きるという地域包括ケアシステムの理念が達成される。

 新型コロナウイルスの影響で、カフェの開催は今年4月に予定されていた第7回が延期されたまま中断している。再開し「厚木モデル」として普及することが期待される。(主筆 小野木康雄)
     ◇
【用語解説】地域包括ケアシステム
誰もが住み慣れた地域で自分らしく最期まで暮らせる社会を目指し、厚生労働省が提唱している仕組み。医療機関と介護施設、自治会などが連携し、予防や生活支援を含めて一体的に高齢者を支える。団塊の世代が75歳以上となる2025年をめどに実現を図っている。

(文化時報2020年6月10日号から再構成)
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僧侶になったバーテンダー「誰もが救われる」

 「命尽きる前に思い出して、お念仏を唱えてくれれば、必ず往生できる」。浄土宗光明寺(兵庫県三木市)の住職、小泉慶典氏(53)は、そう言い切る。青年時代にバーテンダーやコピーライターを経験し、仏門へ。今では布教師として、自死遺族の支援にも取り組む。往生できるという確信はいつ、どのようなきっかけで生まれたのか。(大橋学修)

浄土宗光明寺の小泉慶典住職

レールに乗ることへの抵抗感

 父は先代の住職で、中学校の社会科教員と兼業していた。小泉氏は、少年の頃から聞き分けのいい子どもとして育ったが、進学先の同志社大学では2年を待たずして退学。「みんなが浮かれている状況になじむことができず、大学がつまらなく感じた」。時代はバブルの真っ盛りだった。

 東京で絵描きとして活動していた友人宅に転がり込み、実家には事後報告。「二度と戻らない」と伝えた。「生き方を決められ、レールに乗って粛々と過ごすことが嫌だった」。文章を扱う仕事を夢見たが、生活のために、レストランのウエーターやバーテンダーなどの職を転々とした。
 
 20歳を過ぎ、コピーライターの職を得た。スキルアップを目指して1年余りで転職したが、思うように仕事が進まず、プレッシャーに押しつぶされて退職。バーテンダーに戻った。

 バックコーラスや作曲活動を行う女性と結婚。神奈川県藤沢市に引っ越した。折しもフリーランスのコピーライターとして仕事をもらい、さまざまな広告のコピーを6年間、綿々とつづり続けた。

僧侶養成講座で圧倒

 僧侶となったきっかけは、結婚式。音信不通だった両親に出席を請うと、「僧侶の資格を取るなら、出席してもいい」と言われた。

 それだけの理由で、佛教大学の仏教通信課程で学び、29歳の時に僧侶資格を得た。すると、教えが気にかかるようになった。「まだ自分は何も分かっていない」。きちんと知った上で、身の振り方を考えようと思った。

 妻を藤沢市に残して、いったん実家の光明寺に戻った後、藤沢市に近い鎌倉市の大本山光明寺で、布教師養成講座が開催されることを知った。妻に会いに行くチャンスと思って気楽に参加してみると、後に大正大学の教授となった林田康順氏がノンストップで何時間も話し続ける講義内容に圧倒された。教えの素晴らしさと、伝えることの大切さに気付いた瞬間だった。

 「極楽浄土には、実際に阿弥陀さまがおられる。お念仏を唱えれば、そこに往生できる。この世で大切な方との別れがあっても、いずれはお浄土で肩をたたき合ったり、抱き合ったりできる」。小泉氏がそう断言する理由は、明解だ。「人間が説くのではなく、仏さまが説かれたのだから、間違いない」

 修了後は、総本山知恩院の布教師会に入会。さらに、休眠状態だった大本山金戒光明寺布教師会の活動再開にも関わった。

状況に応じるな

 金戒光明寺布教師会は、法然上人の教えをそのまま伝えることを最も重視している。時代とともにライフスタイルが変化しても、人間がたどる生老病死は変わらない。苦しみは、昔も今も同じ。だからこそ、当時の教えは現代にもそのまま通用するという。

 小泉氏は、僧侶の役割をパイプにたとえる。「太さや長さが違っていて、表面がどんな色をしていてもいいが、筒の中は奇麗でないと、教えに異物が入る」

 金戒光明寺布教師会のメンバーが中心となって取り組む「自死遺族のための法話の会」でも活動。自坊の檀信徒に話すときと、同じ内容を伝えている。「残された人は、亡くなった人と、お浄土で再会できる」と確信しているからだ。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、右往左往する僧侶を苦々しく思っている。「これまでは『仏さまに生かされている』『仏さまのおかげ』と言いながら、コロナ禍になって『この世は苦しみ』などと語り出した僧侶がいる。状況によってコロコロ変わる教えで、人が救われるのか」

 その上で、こう指摘する。

 「法然上人の教えで、誰もが必ず救われる。浄土宗の僧侶は、たとえ納得してもらえなくても、繰り返し説かなければならない。後から気付いてお念仏を唱えてくれれば、往生できるのだから」

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Zoomで医療者ケア 宗教者が悩み聴く

 新型コロナウイルスへの対処で疲弊した医療従事者に安らぎの場を提供しようと、上智大学の研究者らが「感染症と闘う医療・介護従事者の話を聴く会」を立ち上げた。心理専門職や臨床宗教師=用語解説=がテレビ会議システム「Zoom(ズーム)」で相談を受け付け、傾聴を通じて悩みに寄り添う。コロナ禍で社会の分断が進む中、職種を超えた支え合いが期待されている。(安岡遥)

「Zoom」による傾聴のイメージ(感染症と闘う医療従事者の話を聴く会提供)

経験踏まえ、医師が始める

 世話人代表の井口真紀子氏は、上智大学大学院実践宗教学研究科で心のケアを学んでおり、在宅医療や家庭医療を手掛ける医師でもある。自身の経験や周囲の声から医療従事者の窮状を知り、「心の重荷を降ろす場を作りたい」との思いで会を設立した。

医療現場では感染防止のため、最小限の時間で診察が行われている。患者とは距離をとり、会話も最低限。面会の受け入れを停止した緩和ケア病棟で、一人きりで亡くなっていく患者を見送った医療従事者もいる。こうした接触の制限が、患者との心の交流まで制限してしまう。

 井口氏は「家庭医療や緩和ケアは、治療以外での触れ合いも大切にする分野。十分なケアが行えていないと感じ、葛藤する医療従事者が多い」と分析する。

 認定臨床宗教師として傾聴に当たる高野山真言宗の僧侶、井川裕覚氏は「答えの出ない問題と向き合っている医療従事者にとって、話すことを通じて自身をケアする時間は極めて重要」と話している。

臨床宗教師はチームの一員

 「なぜ、私が死ななければならないのか」「神も仏もない」―。患者の吐き出す苦しみは、ときに不条理だ。治療の専門家である医師や看護師が満足な答えを示すことは、難しい。臨床宗教師は、そのような叫びにひたすら耳を傾け、苦痛を分かち合う。

 向き合う相手は、患者だけではない。治療に当たる医師や看護師、患者の生活を支えるソーシャルワーカーなど、共に働く医療スタッフの悩みに寄り添うのも臨床宗教師の役割だ。

 コロナ禍の今、医療従事者の抱えるストレスは枚挙にいとまがない。感染の危険と隣り合わせの労働環境、家族や友人を感染させてしまうことへの不安。町へ出れば、心ない言葉や交通機関への乗車拒否など、いわれのない差別を受けることもある。

 龍谷大学大学院で臨床宗教師の研修を担当する鍋島直樹教授(実践真宗学)は、「感染症と闘う医療・介護従事者の話を聴く会」の活動について「医療者と宗教者の日頃の信頼関係のたまもの」と分析する。「医療従事者にとって、臨床宗教師はチームの一員。同じ職場で悩みを分かち合ってきたという信頼があるからこそ、他人に言えないような心の苦しみを打ち明けられる」と話す。

経験を語り継ぐ…傾聴から継承へ

 鍋島教授はさらに、傾聴において重要なのは「継承する姿勢」だと指摘する。
 神戸市出身の鍋島教授は、阪神・淡路大震災の被災者の話を傾聴する機会も多い。自身も被災者の一人として耳を傾けた経験が、防災意識を高めるきっかけになったという。

 医療従事者への傾聴についても同様だ。懸念されている感染拡大の第2波や、アフターコロナの社会の変化に対応するためにも、感染防止の最前線に立つ医療従事者の苦悩から学ぶべき点は多い。鍋島教授は「苦しみを分かち合うだけにとどまらず、教訓として語り継ぐ努力が必要」と語る。

 「聴く会」のサポーターの一人である上智大学の島薗進教授(宗教社会学)は、傾聴の基本は「体、行動、空間を相手と共有すること」と話す。身体的に接近することで「自分が相手のためにしている行動、相手が自分のためにしてくれている行動がはっきりと伝わり、共感や思いやりが生まれやすくなる」という。

 だが、コロナ禍の影響で、対面での傾聴活動は難航している。テレビ会議システム「Zoom(ズーム)」などが導入されつつあるが、「体、行動、空間」の伴わない画面越しのやりとりでは、心の交流にも限界がある。

 一方、物理的な距離に関係なく、自由に人間関係が築けるという利点もある。例えば宗教界では、祈りの場に「Zoom」が活用され、世界中の人々が心を合わせたケースもあった。

 島薗教授は「阪神・淡路大震災以降、市民同士が協力し合う〝横の支援関係〟が非常に重視されている。今回の活動を通じ、強い支援の輪が築かれることを期待している」と語った。
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【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う、心のケアの専門職。2011年の東日本大震災をきっかけに、東北大学で養成が始まった。近年は医療従事者との協働が進む。ほかにも、浄土真宗本願寺派のビハーラ僧、キリスト教系のチャプレンなど、主に緩和ケアの現場で終末期の患者に寄り添う宗教者が知られている。

(文化時報2020年6月3日号から再構成)
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教えは救い そのままで

 「自分の信念ではなく、教えをそのまま伝えるのが布教師の役割だ」。浄土宗法輪寺(兵庫県尼崎市)の北村隆彦住職(49)はそう語る。布教師は、特に研鑽を積んだ僧侶でないとなれないが、若かりし頃は僧侶になることさえ拒んでいたという。教えが救いになると確信し、自死遺族に法話を行うまでになった北村氏。どんな心境の変化があったのか。(大橋学修)

勇気のない進学

 住職の長男として生まれたときから、法輪寺の跡継として嘱望されていた。小学校の文集に書いたのは「将来は、お坊さんになる」。それが思春期になると、忌避するようになった。

 高校は、父の了承を得つつも地元から離れようと、浄土宗関連学校の上宮高校(大阪市天王寺区)を選んだ。しかし、3年の担任は法輪寺にゆかりがあり、現在は校長を務める山縣真平氏。強力な勧めに抗し切れず、佛教大学仏教学部仏教学科に進学した。

 「逃げたい割には、逆らい切れない。だからと言って、したいこともない。親のせい、人のせいにして不平を口にするが、飛び出す勇気もない。自分自身が嫌だった」。それなりに単位を取得し、伝宗伝戒道場=用語解説=に入った。

 道場のせんべい布団にくるまりながら「本気でやっている人はいいな」としみじみ感じた。道場長だった森田康友興善寺住職(奈良市)の指導が心に響き、僧侶の道へと心が向いた。

人は簡単に死ぬ

 世間を知らなければ教えを説けないと、大学卒業後はあえて一般企業に就職した。洋服に刺繍を施す会社の営業マン。バブル崩壊直後だったが、社内には華やかな雰囲気が残っており、会社のヨットでのクルージングが新入社員の歓迎会だった。

 先輩社員が、うまく帆を上げられず苦戦していた。ようやく風を捉え、くわえたばこでロープに体を預けた瞬間、船が揺れて海に転落した。帰らぬ人となった。

 「こんな簡単に人が死ぬのか」。帰宅した夜、怖くて泣いた。涙しながら一心に念仏を唱え、阿弥陀仏にすがる自分がいた。

 中途で退職し、浄土宗教師が自己研鑽する教師修練道場に入行。そこで出会った日下部謙旨氏ら指導者に触発され、布教師の道を歩み始めた。

 2015年には、所属する大本山くろ谷金戒光明寺の布教師会の有志で、東日本大震災で死別した人たちのための法話会をスタート。年5回のペースで営むようになった。

 仏教の教えが伝わりにくいと言われている現代社会。それでも北村氏は「救われたいと思う人がいるからこそ、浄土がどのような所かを真剣に説かなければならない」と強調する。

 「自分が癒やしてあげていると勘違いしてはならない」とも語る。大切な人を突然亡くすという痛みは、想像はできても、実際に感じることはできない。「むしろ、自分が学ぶことの方が断然多い」と語る。

 教えを自分なりに解釈することにも否定的だ。「自分なりに考えたものは、その人の信念であって、仏の教えではない。教えに向き合い、信仰をもって伝えることが、僧侶としてやるべきことだ」と話した。
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【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 僧階を持つ僧侶になるための道場。「加行」「加行道場」とも言う。

(文化時報2020年5月20日号から再構成)
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今や寺院は企業化 僧侶は自らを省みよ

 新型コロナウイルスの感染拡大や政府の緊急事態宣言などで揺れる社会を、戦時中と同じとみている有識者は少なくない。曹洞宗萩の寺東光院(大阪府豊中市)の村山廣甫住職(76)もその一人。先人たちが境内の萩を守り抜いた壮絶な歴史をひもとき、現代の仏教界にこう苦言を呈する。「寺院が企業化し、僧侶に気概がない」

萩を守って餓死

 東光院は735(天平7)年、行基菩薩がわが国最初の民衆火葬を執り行った際、死者の霊を慰めるために薬師如来像を造ったのが開創の由来。その際、淀川水系に群生していた萩の花を手折って霊前に供えたことから、萩は1200年以上にわたって同院で大切にされてきた。

 村山住職が50年前に26歳で赴任してきた際、信者から聞かされて驚いた話がある。食糧難だった戦時中、近隣住民から「イモ畑にしろ」と迫られても、僧侶たちは萩を守った。中には、気概を貫いて餓死した寺僧もいたという。

 「由緒ある萩の花を守らねばならないという使命感から、『死を賭してまで』という、やむにやまれぬ気持ちだったのだろう」

 東光院にとって、萩の植栽は単に植えて花を咲かせることではない。花の心を知った先人たちの願いや思いが、嫡々相承(てきてきそうじょう)=用語解説=されてきたのだと、村山住職は説明する。

 「萩を育て続けていると、『そこの草を取ってください』などと、花の声なき声が聞こえてくる。それはご先祖をおまつりして仏に出会うことと、何ら変わるところのない尊い仏の修行でもある」

納屋の一室で法要

 東光院は今春、恒例の「三十三観音まつり」の祭典を取りやめた。5月3~5日の期間中は内献=用語解説=で法要を営み、「新型コロナウイルス終息祈願の祈禱」を修行した。
 
 三十三観音まつりは、秋の「萩まつり道了祭」と同様、明治維新まで約250年間続いた川崎東照宮の「権現まつり」の流れをくむ。川崎東照宮は現在の大阪市北区にあった徳川家康をまつる神社で、境内には同宮付属の建国寺もあった。

 戊辰戦争で、長州藩は川崎東照宮に本営を置き、ちょうど家康の250回忌があった。長州藩士がわが物顔で境内を行き交う中、僧侶らは納屋の一室で懸命に法要を勤めたという。

 神道国教化を目指した明治新政府により、川崎東照宮と建国寺は廃絶されたが、東光院第8世・大雄義寧(だいゆう・ぎねい)大和尚が名跡を引き継ぎ、家康ゆかりの宝物を引き取った。現在の境内にある東照閣仏舎利殿・あごなし地蔵堂(豊中市有形文化財)は、旧川崎東照宮本地堂を移築した。

懸命の実践見せよ

 数々の法難に見舞われた東光院の歴史を見るにつけ、村山住職は、新型コロナウイルスに揺れる現代の宗教者に対し、違和感を持つようになった。「昔の僧侶は偉かった。今の僧侶も葬儀や法事だけでなく、人々の命を守るための教えを懸命に実践している姿を、背中で見せなければならない」と説く。

 東光院は今年の三十三観音まつりについて、祭典を取りやめてもポスターは例年通り制作した。そこには、伝統仏教も人々の健康と安全のために厄疫終息を祈り、がんばっていることを周知する意図があった。

 「今や寺院は企業化してそろばん勘定で行動し、人を集めることばかり考えている。新型コロナウイルスが蔓延する今こそ、僧侶は自らを省みなければならない」

 ただ、日本の仏教を取り巻く環境は、変革の時を迎えるのではないか、と感じている。「僧侶がそれを大いに自覚し、目覚めなければならない」。村山住職は力を込めた。
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【用語解説】
 嫡々相承(てきてきそうじょう=仏教全般)
 師から弟子へと仏法が正しく伝承されること。「師資相承」ともいう。

 内献(ないけん=仏教全般)
 檀信徒の参列や近隣寺院の出仕を頼まず、内々で簡略に法要を勤める形式。内勤め。

(文化時報2020年5月20日号から再構成)
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