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お寺は子ども預かれる? ママ記者が振り返る一斉休校

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府が2~3月に小中高校・特別支援学校の一斉休校を要請したのは記憶に新しい。予定外の休校に苦慮する家庭を助けようと、一部のお寺は地域の子どもを預かったが、難しさもあったという。当時小学2年生だった娘がいる本紙記者が対応を振り返った。(磯部五月)

子ども食堂は、子どもが安全に過ごせる場所としても注目を集めている=2020年1月、東本願寺


高額な預かり保育

 小学校の集団登校班で作る会員制交流サイト(SNS)のグループで、2月27日に一斉休校を知った。親同士で不安を共有するメッセージをやりとりしたことを鮮明に覚えている。

 わが家は学童保育の申請要件を満たさず、民間の預かり保育は1日最長10時間で、保険と交通費を含めると約8千円。仮に15日間預けると12万円が必要な上に、学習指導も給食もない。

 休校を前に、子どもが安全に過ごせる場所はないかと探した。子ども食堂などを含めて調べたが、京都市内では見つからなかった。「お寺は、子どもの受け入れ場所になれないのだろうか」。ふと疑問が湧いた。

全国のお寺が対応

 調べると、全国で子どもを預かろうとするお寺が複数あった。浄土真宗本願寺派極楽寺(新潟県小千谷市)の麻田弘潤住職は、研修会講師などの自身の仕事がキャンセルになり、3月4日から自身の子ども3人と一緒に地域の子どもたちを最大10人受け入れた。

 昼食は弁当持参で、お寺の中での過ごし方は自由。周知は公開範囲を限定したSNSで行い、必要以上の責任を負わないよう配慮した。麻田住職は「お坊さんは、生き方やものの見方を説く。何かが起きた時が今なのだとしたら、仏さまの教えを生かすのは今ではないか。お寺が少しでも立ち止まって考える場所になってほしい」と話した。

 浄土真宗本願寺派恩栄寺(石川県加賀市)では、日下賢裕住職が地元の山中温泉街で子どもたちに直接声をかけ、3月2日から顔見知りの小学生5、6人が宿題を持って集まったという。日下住職は「特別なことをしたという意識はない」と振り返る。お寺が子どもたちの日常生活に溶け込む原風景があった。

 一方で、思うように進まなかった寺院もあった。

 日蓮宗廣昌寺(高松市)の大道弘喜住職は「廣昌寺臨時お子さま見守り処」を、ボランティアの須田珠恵さんと共同で3月3日に開設。地元のテレビやラジオに取り上げられ、SNSでシェアされるなど反響はあったが、13日までの正式な利用は2件だったという。

 大道住職は「必要な人に情報が届いていないのか、それとも宗教施設への遠慮があるのか。今後に向けた検討が必要」と総括する。ただ、それでも「喜ばしいきっかけではなかったが、これを機会にお寺が開かれていけばいいと思う」と力を込めた。

 臨済宗妙心寺派東國寺(静岡県藤枝市)は、小学1年生以上の児童を対象とした「自習室」を3月5日に始めた。塚原史方住職が顧問弁護士と相談し、飲食物の提供を控えることなどを決めて開放したが、13日時点で利用者はなかった。塚原住職は「地域の受け皿や助けになればと考え、現実的な受け入れのあり方を模索した。二世帯住宅が多いという地域性もあったかもしれない」と語る。

 お寺と親しく接する普段の取材では忘れがちになるが、一般の人々には宗教施設への入りにくさが、やはりあるのだろうか。

自治体と連携可能

 大谷栄一佛教大学教授(宗教社会学)は「調査に基づいた意見ではない」と前置きした上で、「各お寺が文化活動や社会活動を通じ、布教・伝道以前の日頃の関係性を、地域と深める必要があるのではないか」と指摘する。実際に子どもを預かるかどうかは、「お寺が災害時に避難所となることで自治体と協定を結ぶ例に倣い、市町村レベルで連携できる可能性がある」と分析した。

 文化庁の宗教年鑑によると、2018年時点で全国には寺院が7万7112カ寺ある。新型コロナウイルスが終息し、社会が日常を取り戻すとき、お寺が子どもを預かる取り組みだけでなく、地域の子ども食堂などの社会活動にコミットし、公共性を高めることで、大きな力となる。

 結局、わが家は他県で生活する夫の両親に娘を預かってもらい、3週間離れて暮らすことになった。運良く義父母が助けてくれたが、頼る人がなく、民間に預けるお金もない家庭は、仕事を休まなくてはならず収入が減り、経済的困難に直面したはずだ。

 子育て世帯は家族や会社、周りに「迷惑をかけないように」と、少なからず無理をしながら生きている。1時間でも30分でもいい、子どもが境内の端っこで遊んでいられるような、用事がなくても安心して立ち寄れるようなセーフティーネットとしてのお寺があれば、と実感した。

(文化時報2020年3月28日号から再構成)
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ITで災害に備え 阪大院「災救マップ」リニューアル

 稲場圭信大阪大学大学院教授(宗教社会学)らの研究グループは、寺社などの宗教施設を含む避難所約30万カ所の情報を公開するインターネットサービス「未来共生災害救援マップ(災救マップ)」をリニューアルした。被災状況の共有が可能になったほか、独立電源通信機「たすかんねん」との組み合わせで高い防災効果を発揮する。ITを活用した災害への備えが進む。

災救マップのリニューアルについて発表する大阪大学大学院の稲場圭信教授


 災救マップは、2014年にスマートフォン用の無料アプリとして始まったが、頻繁なメンテナンスが必要であったことから、今回のリニューアルによってウェブブラウザでのサービスとした。

 スマートフォンやタブレット端末などから被災状況を投稿できる機能を充実させた。「避難所として利用可能か」「傷病者、要介護者は何人か」「水道などのインフラは稼働しているか」といった情報をリアルタイムに共有できる。津波発生時に備えて現在地の標高も表示できる。

 稲場教授は「情報の精度を高めるため、利用者からの情報提供を受け付けている。たくさんの人に利用してほしい」と話す。

 独立電源通信機「たすかんねん」は、東日本大震災の際に広範囲で通信手段が失われたことを教訓に、一般企業などと共同で2017年から開発。太陽光と風力で発電し、非常用電源として携帯電話約200台を充電できる。Wi-Fi 機能を搭載し、非常時には災救マップと連動して安否情報を収集する。

独立電源通信機「たすかんねん」


 LED照明や防犯カメラも備え、平常時の防犯などにも役立つ。稲場教授は「お寺にもぜひ取り入れてほしい」と話していた。

(文化時報2020年3月28日号から再構成)
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開創700年へ 石川・輪島市と連携 曹洞宗大本山總持寺

 曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)が開創700年を迎える来年に向け、總持寺祖院のある石川県輪島市と共同で「禅と海 里づくり・交流促進プロジェクト」に取り組んでいる。開創700年の機運を高めるロゴやのぼり、ポスターを制作。9月11~21日には祖院を中心に門前町を彩るライトアップイベント「ぜんのきらめき」が行われる。

ロゴやポスターを発表する大本山總持寺の関係者ら

 ロゴマークは「700」の文字と、祖院のシンボルである山門や白字橋をあしらった。のぼりは、ロゴの背景に枯山水を表現したデザイン。ポスターには開山の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師とゆかりの定賢律師を描き、「お二人の想いが未来へ受け継がれる」との言葉を記している。

 總持寺は1321(元亨元) 年に創建。1898(明治31)年の大火で境内が焼失し、1911(同44)年、大本山は輪島市から横浜市鶴見区に移り、大本山があった地は祖院となった。

 祖院はその後、山門、仏殿などが再建されて、根本道場の威厳を伝えていたものの、2007年の能登半島地震により伽藍が大きな被害を受けた。

 今年3月には交流促進プロジェクトの会議が開かれ、大本山總持寺の乙川暎元監院、總持寺祖院の鈴木永一監院、梶文秋輪島市長ら20人が出席。全国曹洞宗青年会の山田俊哉副会長らが、来年3、4月に祖院の境内で開く精進料理や一文字写経などについて説明した。

 9月11~21日の「ぜんのきらめき」は、開創700年記念イベントとして実施。山門にデジタルアートを投影し、ペットボトルで作った照明が境内を埋め尽くす。和太鼓の演奏も行われる。

總持寺開創700年を記念するポスター

 さらに来年4月6日には能登半島地震からの復興を祝う落慶法要を営み、来年9月12~15日には大本山總持寺開創700年慶讃法要・御両尊御征忌会を行う。

 乙川監院は「輪島市が積極的に開創700年を後押ししていただき、曹洞宗の未来を背負う青年会も多彩なイベントを計画してくれている。ぜひ多くの人に地震から復興した祖院に来ていただき、輪島市のランドマークとして地域を盛り上げたい」と話している。

(文化時報2020年4月1日号から再構成)
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肩肘張らずに名刹改革 異色の尼僧が心掛けたこと

 「徳川家の許しがなければ入れない」。京都市伏見区の浄土宗清凉院は、かつてそう言われた名刹だったが故に、かえって人々から敬遠されていた。それが今では、檀信徒や地域住民が運営に積極的に関わる寺へと変化。波乱万丈の半生を歩んできた橘髙貞量住職(55)が、風穴を開けたという。何がそうさせたのか。(大橋学修)

地域の子どもと笑顔を見せる橘髙貞量住職=京都市伏見区の清凉院


 清凉院は、徳川家康の側室、お亀の方が、尾張徳川家の始祖である義直を産んだ地にある尼寺。普段は檀信徒以外には公開していない。

 唯一拝観できる機会が、浄土宗京都教区が毎年秋に開催する「京都浄土宗寺院特別大公開」。寺宝の見学や法話など、寺院ごとに特色を生かした行事が行われる人気の企画だ。

 清凉院では、橘髙住職が寺の縁起や本尊について解説し、離れで「尼カフェ」と名付けた接待を行う。好評の丹波大納言を煮込んだぜんざいは、檀信徒の松原春美さん(72)のお手製。これを楽しみに毎年参拝する人がいるほどだ。ほかにも十数人の檀信徒らが、カフェや受付で運営に携わっている。

 最初に特別大公開に参加したのは、橘髙住職が入寺して間もない2013年秋。とても一人では対応できないと思い、檀信徒に手伝いを頼んだ。「何でもできると肩肘張らずに、何もできないからと素直にお願いすることが大切。そうすれば、楽になれる」という。

 檀家総代の種子田隆男さん(80)は、自分ではできないことを全て請け負ってくれた。橘髙住職は「私にとってナイトであり、お父さん。阿弥陀さまの片腕のよう」と語る。

みんなで奉仕して、食べて、楽しんで

 特別大公開への参加がきっかけとなり、清凉院は徐々に地域に開かれていく。書道教室やヨガ教室の会場となり、月に1度行う境内や本堂の大掃除には、教室の生徒らも参加。近所の子どもたちが、池のメダカをのぞきに来るようになるなど、人の輪ができ始めた。

 檀信徒の寒風澤(さぶさわ)和子さん(68)は「みんなを喜ばせるのが好きな庵主さんを中心に、ワンチームになっている」。松原さんは「まるで実家に帰ったかのような家庭的な感覚で、掃除の日が本当に楽しみ」と語る。

 橘髙住職が入寺した当初は、檀信徒同士の関係がうまくいっていなかったという。

 このため橘髙住職は、人と人をつなぐことに心を砕き、相手の欠点を見るのでなく長所に気付けるよう導いた。仲たがいしていた人々は、互いに良い印象を持つようになり、相手の体調を気遣うほどになった。「お寺は人が集まる場所。みんなで奉仕して、食べて、楽しんで。それが本来の姿だと思う」と語る。

寂聴さんから紹介

 そんな橘髙住職は、異色の経歴の持ち主でもある。

 大阪芸術大学に進学したものの、「諸行無常を感じた」として、中退。いろいろな物事を客観的に見つめるようになりたいと、瀬戸内寂聴僧尼の門をたたき、清凉院を紹介された。京都市東山区の浄土宗尼僧道場で学んだ後、加行を受けて浄土宗僧侶となった。

 だが、教師資格を得たにもかかわらず、確執があって清凉院を退山。故郷に帰って葬儀会社に就職した。父の介護と死を経験した後、介護福祉士に転身し、さらには介護支援専門員(ケアマネジャー)となった。「約20年間、いろいろと旅をしてきた」と言う。

 転機となったのは、京都医療福祉専門学校(京都市伏見区)の通信科で福祉を学び始めたこと。スクーリングで京都に通う際、再び清凉院に顔を出すようになり、師僧で当時住職だった福谷貞元僧尼と交流が復活した。

 ある日、「あんたを跡継ぎにする」と師僧から突然の電話があった。「終活でも始められたのか」と軽く受け止めた翌日、仕事中に見知らぬ番号から立て続けに電話が入った。師僧の逝去を知らせる連絡だった。

 長すぎたブランクのせいで、すぐには入寺できなかった。清凉院に関係する僧侶の支援を受けながら、半年かけて学び直し、住職に就任した。

 紆余曲折を経たことで、大切な人を亡くして悲嘆に暮れる人々や、介護の悩みを持つ人々に、共感できるようになった。橘髙住職は言う。

 「一般にはおせっかいと思われることも、僧侶という立場だと、自然なこととして受け止めてもらえる。阿弥陀さまがしたいことを『代わりにしなさい』と言われているように感じる」

(文化時報2020年3月25日号から再構成)
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介護者カフェが寺開く 京都・金剛寺

 介護者がつらさや悩みを語り合う「介護者カフェ」を始める浄土宗寺院が増えている。京都市東山区の金剛寺(中村徹信住職)は、コーヒーを味わいながら心をほぐす取り組みを基に、地域に開かれた寺院を目指してきた。2020年度は、宗門による「介護者カフェ」の立ち上げ支援が本格化。さらなる広がりが見込まれることから、金剛寺の活動が先進事例として注目されそうだ。(大橋学修)

介護者カフェを開いている京都・金剛寺の中村徹信住職

 在家出身の中村住職が金剛寺住職に就任したのは06年。どんな公益活動ができるか模索し、当初は写経会など仏教色を前面に出した催しを企画したが、手応えを感じなかったという。

 転機は5年前に訪れた。「お寺で活動したい人がいる」と知人を通じて紹介されたのは、喫茶店のマスター。ミルを使って参加者自身が豆をひき、自分でコーヒーを入れて共に味わう「おてらカフェin金剛寺」を始めた。

 開始は午前7時。参加者らは朝のコーヒータイムを楽しんだ後、木魚体験の別時念仏会を営む。

 さらに、参加者の特技を発表するワークショップの時間も設けている。参加した若者が会員制交流サイト(SNS)で拡散させ、さまざまな人が集まるようになったという。

話しやすい場の力

 介護者カフェを始めたきっかけは、19年1月に宗門が開いた総本山知恩院冬安居道場(教化高等講習会)。下村達郎香念寺住職(東京教区)が講演し、自坊で運営している介護者カフェについて紹介していた。

 お寺でカフェを開くノウハウは、十分に積んでいた。「これならできる」。下村住職から、介護者のケアに詳しい浄土宗総合研究所の東海林良昌研究員を紹介され、宗門の支援を受けることに。同年9月に1回目を開催した。

 金剛寺の介護者カフェでは、介護の専門家を招いて、講演と座談会を行っている。今年今月は新型コロナウイルスの感染拡大を懸念して中止したが、これまでに4回開いた。

 中村住職は「会館などで行うケアラーズカフェとは異なり、歴史を培った寺が持つ『場の力』が話しやすさにつながっている」と指摘。「介護者はそれぞれ悩みが異なっても、自分1人だけではないのだと思える」と語る。

 浄土宗は、介護者カフェについて「苦に寄り添う活動だからこそ、寺院で行う意義がある」としている。19年度から支援員の派遣を試行しており、金剛寺を含む10カ寺で開設にこぎつけた。
 
 20年度はさらに実施する寺院を増やそうと、立ち上げに対する支援経費を一般会計予算に盛り込んでいる。

 在宅介護をしている介護者は、気持ちを打ち明ける機会や場所が限られている。一方で寺院にとっては、檀信徒が各地に分散する都市部だと特に、地元住民から地域の拠点として認識してもらえない悩みがある。

 中村住職は「朝のカフェと介護者カフェで、人と人をつなぐ触媒の役割を果たせたことで、新たなコミュニティーが形成されてきた」と手応えを感じている。
              ◇
 【用語解説】介護者カフェ
 在宅介護の介護者(ケアラー)らが集まり、悩みや疑問を自由に語り合うことで、分かち合いや情報交換をする場。「ケアラーズカフェ」とも呼ばれる。主にNPO法人や自治体などが行い、孤立を防ぐ活動として注目される。

 【用語解説】別時念仏会(べつじねんぶつえ=浄土宗など)
 時間を特別に設けて念仏をとなえ続ける修行方法。

(文化時報2020年3月21日号から再構成)
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お堂の鐘は地域の絆 高知の〝ポツンと山寺〟

高知の山寺、真言宗智山派寳珠寺

 つづら折りの山道の先に、ポツンと建つ小さな地蔵堂。平家の落人伝承がある高知県香美市香北町の山中に、真言宗智山派の寳珠寺はある。田中弘明住職を訪ねて「山寺日記」という記事にしたのが、2013年2月20日号。あれからお寺がどうなったのか気になり、再訪した。(春尾悦子)

 高知市内から車で香美市立やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム)を通り過ぎ、県立香北青少年の家から山中へと分け入る。しばらく行くと、視界が開け、きれいに整備された小さな伽藍が現れる。最近整備された林道のおかげで、7年前よりは進みやすくなっていた。

 「若い人にも生きづらい世の中なんでしょう。何かに引かれ、導かれて来るようだ」。出迎えてくれた田中住職が、そう語った。

 「北向き地蔵」と呼ばれるお地蔵さまの元を、若者たちが訪れ、一心不乱に拝む姿を見かけるようになったという。お茶を勧めると、驚くほど冗舌に話し始める。引きこもりで悩んでいた子どもや親が訪れては、胸の内を打ち明け、ほっとしたように帰っていく。ここに来ると、不思議と素直になって、いろいろな話がしたくなるのだそう。

 相変わらず地域の人たちの憩いの場となっている。地蔵堂の前にはウッドデッキやベンチを設けた。子どもたちが遠足に来ることも。境内に山水を集めて滝を作り、桜が咲く頃に「地蔵流し」という新たな年中行事を行うようになった。

8年前に移住、独特の葬送儀礼に驚く

 寳珠寺は代々、兼務寺院として受け継がれてきたが、智山派元教学課長の田中住職と、元信徒課長で智山派専修学院の副生徒監も務めたことのある智恵さん夫妻が移り住み、8年前に晋山式が行われた。以来、「毎朝、鐘の音が聞こえる。ああ住職がいるんだなあ」と、お参りに来る人が少しずつ増えてきた。

 野菜や米は、檀家たちが届けてくれる。檀家百数十軒でも、2人ならどうにか食べていける。田中住職が着任してから戻ってきた檀家や、新たに檀家になった人もいるそうだ。

寳珠寺を預かる田中住職夫妻


 数年前に行った超宗派の柴燈大護摩供と火渡りは、里の人ばかりか、出仕した僧侶にも好評だったため、昨年10月には2度目を執り行った。僧侶の宗派は天台宗、高野山真言宗、曹洞宗、日蓮宗、金峯山修験本宗と多岐にわたり、関東から訪れた人もいたという。

 旧物部村に伝わる葬送儀礼をつかさどる「オシ」の人たちも加わった。寺域は旧物部村の端に位置するそうで、田中夫妻が寺に入ったとき、屋根裏には独特の「お面」がたくさんあったという。

 今も、古い形の宗教儀礼が色濃く残る。50年たたないと先祖代々の墓に納骨できない、という慣習もその一つ。若者は都会に出てしまい、墓じまいや平地の霊園に墓を移す依頼が少なくないのだそうだ。

 檀家は先祖代々の墓に入るまで、山奥の一人墓で眠る。田中住職は「墓参りは登山だ」と言い切る。行くのは至難の業。とにかく山寺での暮らしには、体力がいるのだと、笑顔で話した。

(文化時報2020年3月18日号から再構成)
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災害対応で宗教と協力、社協の4割に 寺社の避難所は倍増

 災害対応を経験した全国の社会福祉協議会のうち約4割が、宗教団体のボランティアを受け入れていたことが、稲場圭信大阪大学大学院教授らの研究グループによる調査で明らかになった。自治体が協定を結び避難所に指定した寺社などの宗教施設が6年間で倍増したことも分かった。災害時における宗教と行政、社協の連携が進んでいる。

調査結果を発表する稲場圭信大阪大学大学院教授(右)。左は研究分担者の川端亮教授=2020年3月9日


 今年1~2月、全国の1826社協に聞き取り調査を実施し、794社協から回答を得た。

 それによると、災害対応に当たった経験のある321社協のうち、41.8%にあたる134社協が宗教団体によるボランティアを受け入れていた。

 受け入れた宗教団体の活動について「満足」と回答した社協は8割にのぼり、理由として「職員が対応できない危険な作業を、宗教者が率先してこなしてくれた」などの声があった。

 一方、宗教団体のボランティアを受け入れなかった103社協については、宗教団体からの申し出がなかったという理由が8割を占めた。「宗教色を前面に出していたから」が2.9%、「政教分離の考えから」が1.9%と、宗教を理由に受け入れを断ったケースは4.8%にとどまった。

 さらに、行政と宗教団体の連携状況についても2014年以来6年ぶりに調査を行い、全国の1741自治体に聞き取り調査。自治体と災害時協定を結び指定避難所となっていた宗教施設数は、14年時点の272カ所から661カ所と、約2.4倍に増加した。

 宗教団体と災害時協定を結ぶ自治体数も、95自治体から121自治体に増えた。

 宗教団体の持つ物資や人的資源は、災害対応において大きな強みとなる。稲場教授は「宗教と行政、社協の災害時連携は、今後さらに拡大するだろう」と予測している。

特定の宗教・宗派を利するわけではない

 自治体や社会福祉協議会が、災害の救援期に宗教者や宗教施設に協力を求める背景には、東日本大震災の教訓がある。

 稲場圭信大阪大学大学院教授らの調べによると、震災では少なくとも100カ所の宗教施設が緊急避難所として開放された。津波による浸水被害を受けた学校や公民館の代わりに高台の神社が住民を救った例や、約3カ月間にわたり300人以上もの避難者を受け入れた寺院もあったという。

 交通機関が不通になった都心では、多くの帰宅困難者が出た。このため東京都は2017年から、東京都宗教連盟と連携し、神社仏閣を受け入れ先とする取り組みを進めている。首都直下地震が起きた場合、都内の帰宅困難者は500万人以上にのぼるとの試算があることから、指定避難所だけでは収容し切れないと踏んだ。

 一方、東日本大震災では宗教者らのボランティア活動も注目された。僧侶や聖職者らが続々と被災地に入り、犠牲者の追悼や炊き出し、がれきの撤去などに当たった。もちろん布教や勧誘が目的ではないことが大前提だった。

 宗教者の災害支援と言えば復旧・復興期の心のケアが注目されがちだが、被災者や行政職員から宗教者が信頼を得られたのは、救援期の活動があったためだということは、見過ごせない。

 東日本大震災以降に相次いだ自然災害でも、宗教者らは着実に経験を積んだ。16年の熊本地震では、真如苑救援ボランティアSeRV(サーブ)が熊本市東区で、天理教災害救援ひのきしん隊が熊本県益城町で、現地の社会福祉協議会と協力し、ボランティアセンターの立ち上げを支援した。

 宗教団体が〝応援社協〟として駆け付け、丁寧かつ迅速にボランティアセンターの運営に当たれることは、他の社会福祉協議会にも伝わっている。人徳のある宗教者らしい応対が、現場の緊迫感を和らげたと評価する声もあるという。

 今回、稲場教授らが発表した調査結果は、宗教者による災害支援が活発になってきたことを裏付けたと言える。

 自治体や社会福祉協議会の中には、政教分離の原則や住民からの苦情を懸念するところもあるだろう。特定の宗教・宗派を優遇したり援助したりすることにはならないと納得させるためには、超宗教・超宗派で活動することや、宗教間で協力すること、布教と勧誘を絶対に行わないことなどを、宗教団体が確約する必要がある。

 異常気象による災害や来るべき南海トラフ巨大地震、首都直下地震への備えは、宗教者や宗教施設の協力なしにはできないのが現状だ。宗教界は万全を期し、襟を正して期待に応えてほしい。(主筆 小野木康雄)

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
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オウム25年⑤完 アクリル板越しの出遇い 鈴木君代さん(真宗大谷派)

※2020年4月18日号のインタビュー特別編を再構成しました。

 真宗大谷派(東本願寺)宗務所に勤務する同派僧侶の鈴木君代さんは、元オウム真理教幹部の井上嘉浩元死刑囚と、2018年7月に死刑が執行されるまでの10年間、交流を続けてきた。同じ京都・太秦で育ち、若い頃から悩みを抱えた同世代の二人。「もしかしたら京都の道端ですれ違っていたかもしれない」「面会室のアクリル板の向こうにいたのは、私だったかもしれない」。鈴木さんは、井上元死刑囚の存在やカルトに入信する若者の存在が、ひとごととは思えなかったという。
 

鈴木君代(すずき・きみよ) 京都市生まれ。真宗大谷派僧侶・シンガーソングライター。真宗大谷派宗務所勤務。10歳からギターを始め、京都市内のライブハウスや全国の寺院で演奏活動を行っている。

私であるあなたへ

 鈴木さんは、「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」の会報『悲』第4号(2008年8月発行)に、ある文章を投稿した。それを読んだ井上さんから「一度、お会いしたい」と手紙が届き、交流が始まった。

 鈴木さんは、幼い頃に両親が離婚したため叔母の養女となり、二人の弟と共に叔母に育てられた。複雑な家庭環境からか、幼少期から情緒不安定な面があった。もがきながら「自分は何のために生まれてきたのか」と道を求め、人を求め、寺院を訪ねて歩いた。

 『悲』には次のような内容の文章を投稿した。

 《私はたまたま親鸞聖人の仏教に出遇えたことで、悩みながらも、歩ませてもらっています。どんな人に出遇ったか。人はその出遇いによって一生が決まるといっていいかと思います。誰もが、出遇おうとしても出遇うことのできない苦しさ、押し寄せてくる不安、どうしようもない孤独感とともにいます》

 《もう一度、出遇えなかった人に、生きて遇ってもらいたい。どこかですれ違っていた私であるあなたに、死んでほしくないと同時に、一生背負っていかなければならない人殺しを誰にもしてもらいたくない。生きて大切な誰かと出遇ってもらいたい》

 井上元死刑囚は高校2年のとき、「何のために生まれてきたのか」という深い悩みを抱え、オウム神仙の会(後のオウム真理教)の本を偶然手に取った。鈴木さんもまた、幼い頃から暗い闇の中で、どう生きればいいのか分からず、悩み続けていた。

「寺は風景でしかなかった」

 日本中が震撼した1995年の地下鉄サリン事件で大きく取り上げられたのが、元信者の「寺は風景でしかなかった」という言葉だった。

 長い年月で、お寺は本来の姿を見失ってしまったのではないか。真実の教えを伝えることに真摯に向き合っているのか。社会のさまざまな問題に対峙する姿勢を持たないお寺は、もはや「寺」と呼ぶことさえできないのではないか―。「今も私のこととして迫ってくる言葉です」と、鈴木さんは言う。

 鈴木さんは高校生の頃から東西本願寺のお晨朝に毎朝のように参加し、さまざまな僧侶の法話を聞いた。中でも、後に師となる和田稠氏の法話に感銘を受け、「親鸞聖人の仏教に生きていきたい」と思った。

 「『何のために生まれてきたのか』を、仏教の大学なら学べる」。そう考えて大谷大学文学部哲学科に入学し、アルバイトで学費を賄いながら通った。

 ただ、当時はアルバイトだけで精いっぱいだった。卒業はしたものの、「親鸞聖人の仏教を勉強できなかった」との思いから、宗派の職員になれば勉強を続けられるかもしれないと、真宗大谷派の宗務所に就職した。そして仕事をしながら学びを深め、僧侶となった。

優しく純真で、16歳のまま

 井上元死刑囚との初対面は2009年3月。「よく来てくれました。ありがとう」と礼儀正しくお辞儀をされた。オウム真理教の幹部という社会が作りあげたイメージには、似つかわしくなかった。

 「あなたには、本当に出遇うべき人に出遇ってほしかった」。そう伝えたいがために東京拘置所に赴いたが、会話は故郷のことから始まった。

 「優しく純真で、16歳のままのような人でした。近所の広沢池を愛犬と散歩していたことなど、お互いが知っている土地のことを話し、すごく近しくなりました」

 その後も面会は月に1度ほどのペースで続き、週に3回は鈴木さんの元に手紙が届いた。面会室の20分という限られた時間で、井上元死刑囚は「きょうは顔色が悪いけれど、大丈夫?」と鈴木さんの体調を思いやり、励まし、自らが学んだ仏教のことや、鈴木さんが差し入れで送った和田稠氏の本のことなどについて話した。

 「井上さんはオウムの本を手に取り、私は和田先生に出遇った。もし出遇った人が違っていたなら、私が拘置所にいたかもしれません」

 井上元死刑囚が逮捕されて、最初に母親に差し入れを求めた本は『大蔵経』だった。拘置所で漢文の『大蔵経』を翻訳していたという。

 「私への手紙には、妙好人(浄土真宗の在俗の篤信者)の言葉や『華厳経』『涅槃経』『法句経』の内容を書き示し、誕生日にはお母さんを通じて『法句経』の本をプレゼントしてくださった。これほどまで仏教を勉強している人でも、陥る闇があることを知りました」

面会室で似顔絵デッサン

 2010年1月、死刑が確定してからは、限られた人しか面会に行けなくなった。鈴木さんは、面会を許された数少ない一人だった。
 
 1995年7月に始まったオウム事件関連の刑事裁判は、2018年1月20日に終結した。いつ死刑執行があってもおかしくない状況になり、この年の3月14日、井上元死刑囚は大阪拘置所に移送された。

 「井上さんは毎日、自分の犯した罪の重さに苦悩し、懺悔(さんげ)していました。『二度と救済の名の下に、同様の事件が起きませんように』と言い続けていました」

 自分たちと同じように悩みを抱えた若者たちが、カルトに向かわないように。悲劇を繰り返さないために――。鈴木さんは、井上元死刑囚には人間の業についての語り部になってもらう使命がある、と信じていた。

 京都に住む鈴木さんは、東京拘置所のときよりも頻繁に面会に行けるようになった。

 あるとき、知り合いの記者から「井上さんは今、どのような顔をしているのですか」と尋ねられた。テレビで映し出されるのは、オウム真理教の信者だった頃の写真や映像ばかり。「似顔絵を描いてきてくれませんか」と頼まれた。

 幼い頃から絵を習っていた鈴木さんは、大阪拘置所の面会室で、デッサンをした。井上元死刑囚は「笑った顔は心証が悪いから」とちゃかし、和やかな面会になった。

 「東京と大阪とでは刑務官の雰囲気も違っていた。大阪の方が気さくで、私の描いたデッサンを見せると、『似ていますね』と言ってくれたり、私が部屋から出るときに、井上さんに『見送ってあげなさい』と声を掛けたりしていました」

 これが5月のことだった。翌6月の面会が、最後になった。

法名「釋遇光」に込めた思い

 7月6日午前、死刑が執行された。テレビのニュースで一報を知った鈴木さんは、血の気が引いてその場に座り込んだ。

 井上元死刑囚の母親から電話があり、一緒に遺体を迎えに行くため、車で大阪拘置所に向かった。西日本豪雨の影響で、高速道路は通行止め。普段なら40分ほどで行けるところを、4時間以上もかかった。

 刑務官から事務的な手続きの説明を受けた後、遺体と対面した。

 「ついこの間まで、少年のように『次の面会はいつ?』とニコニコ私に話しかけていた人が、白木のお棺の中に目を閉じて横たわっていました。アクリル板を通してしか会ったことのなかった私は、冷たくなった頬に泣きながら触れ、涙するお母さんの傍らに、ただいることしかできませんでした」

 通夜と葬儀は真宗大谷派の岡崎別院(京都市左京区)で営まれた。7日に営まれた通夜の導師は鈴木さんが務め、井上元死刑囚の法名も付けた。

 「井上さんは、人との出遇いを本当に大切にしている人で、『光』や『遇う』という言葉が好きでした。それで、法名は釋遇光としました」

 両親が遺影の写真を探したが、18歳までの写真しかなかった。父親が、拘置所の面会室で鈴木さんが描いた似顔絵を見て、「遺影にしよう」と提案した。鈴木さんは急いで画材店に行き、井上さんが好きだった空色を施して、額に入れた。

 「人からは『井上さんは最期に鈴木さんと出遇えて、幸せだったと思うよ』と慰めの言葉を掛けていただきます。でも、それはむしろ私の方でした。面会に行くと必ず、『よく来てくれたね。ありがとう』と深く頭を下げ、世界中で誰よりも私を待っていてくれました。そのことに、私自身が支えられていたのです」

「死」から始まる出遇い

 和田稠氏が「人間は死んで終わりではない。そこから始まる出遇いがある」と語っていたことを、鈴木さんは覚えている。

 「井上さんの存在は亡くなって終わりではありません。彼の生きざまや死にざまを通して、カルトに走る若者を救うことができれば、恩返しになると考えています。彼も『僕が話したことは、誰に言ってもいいからね』と話していました」

 もう井上元死刑囚から手紙は来ない。そう思っていたところ、未検閲で封印されていない7月5日付の手紙が、遺品の中から見つかった。執行当日に出そうとしていたものだった。
 
 便箋4枚の最後には、こうあった。「7月7日、七夕ですね。いのちの大空に、七夕の星々が輝いています。いのちの大空の下、いつも一緒です。ありがとう ありがとう 大丈夫 大丈夫」

 井上元死刑囚の手紙の末尾には、いつもカタカナで「ナム」と書かれていた。和田稠氏が手紙の最後に「ナム」と書いていたことを、鈴木さんがまねして書くようになり、それを井上さんも倣うようになった。

 「井上さんは和田先生と遇ったことがないけれど、私を通して遇い、思いを返してくれた。罪を犯す人は、特別な人ではない。井上さんは普通の人以上に純真でした」

 鈴木さんは井上元死刑囚の両親と交流を続け、今年の春彼岸にもお参りをした。実家にはご遺骨と、鈴木さんが贈った三つ折り本尊、そして拘置所でデッサンした似顔絵が今も飾られている。
        ◇
 鈴木君代(すずき・きみよ) 京都市生まれ。真宗大谷派僧侶・シンガーソングライター。真宗大谷派宗務所勤務。10歳からギターを始め、京都市内のライブハウスや全国の寺院で演奏活動を行っている。

(文化時報2020年4月18日号から再構成)
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オウム25年③外側だけ残る伝統教団 瓜生崇氏(真宗大谷派)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)の瓜生崇住職は、オウム真理教の後継団体「Aleph(アレフ)」などの脱会者支援を手掛けてきた。自身も「浄土真宗親鸞会」の脱会者。在家だった学生時代に入信し、熱心な布教活動を行った経験を持つ。現在は伝統教団の一員として、自坊の門徒や教えと向き合う瓜生住職は「伝統教団こそ宗教の危機を招いている」と話す。

瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

何が「良い宗教」なのか

――カルト視される教団の入信者と数多く向き合ってこられました。

 「アレフや浄土真宗親鸞会で、いろいろな入信者を見てきたが、さまざまな宗教のあり方を知った上で、既存の宗教に飽き足らない人が多かった。『阿弥陀さまがすくってくれます。安心ですよ。南無阿弥陀仏』と聞いて納得する人は、そもそもカルト視される教団には入らないという印象だ」

――オウム真理教に対する伝統教団の見方はどうでしょう。

 「問題意識や、人生に対する問いが伝統教団の担い手には薄い。伝統教団側は『オウムは悪い宗教で、我々は良い宗教』と思っているかもしれないが、人間の根源的な問いに答える形で伝道がなされているかという点では、むしろオウムの方が『良い宗教』で、伝統教団の方が『悪い宗教』と言えないか。そもそも良い宗教と悪い宗教が簡単に分けられると思う心自体が、オウムの事件を生んだのではないか」

 《現代の伝統仏教教団では、寺院の基本は世襲制。僧侶は寺に生まれ、当たり前のように教えに触れるが、瓜生氏はその〝当たり前〟の危うさを指摘する》

――伝統仏教教団の僧侶たちには、何が足りませんか。

 「例えば、地下鉄サリン事件の実行犯となった林郁夫受刑者(無期懲役確定、服役中)は、いろいろな新宗教を巡って、自分や人が救われる教えとは何かを真剣に求めた。しかし伝統仏教教団の大多数の僧侶たちには、宗教遍歴すらない。そこの枠から出て行こうともしない」

 「エホバの証人の信者たちにはノルマがあり、一軒一軒回って伝道している。伝統教団の人たちは『教団がなくなったら、経済的に困る』程度の危機感だ。そんなぐらいの『一生懸命』では、カルトの入信者たちとはすれ違う。『伝統教団が教えをもって教化すればオウムに入る人が少なくなる』というのは寝言だ。何も要求されず何も与えない、ぼんやりした宗教が良いというなら、それこそ宗教の危機ではないか」

伝道者は道を求めよ

 《瓜生氏が信仰する浄土真宗の教えは、一般的に修行などの身体性を伴わない。一方で麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の率いるオウム真理教は、ヨガを基に独自の修行を考案し、信者を増やしていった》

――伝統仏教教団の教えは、悩み苦しむ人に応えられないのでしょうか。

 「伝統仏教教団は、オウムに入信するような人々の悩みに応える教えを持っている。だが、教団の中にいる人たち自身が、教えを求めていない。求めているのは、耳に心地良い言葉と、懐古主義的なヒューマニズム、そして『いのちの大切さ』ぐらいだ」

 「教えに説かれることが本当にあるのかと疑問に思った人は、何らかの身体性を求める。浄土真宗親鸞会などにも身体性がある。信心をいただいて救われるということが、体験を通じて明確に自覚できると彼らは言う」

――身体性に頼ると危険ではありませんか。

 「身体性で宗教の真実性を自覚してしまうと、体験そのものを握り締めてしまう。これはオウムが陥ったわなでもある。体験そのものを真実にしてしまうと、『麻原元死刑囚が正しい』と逆の真理を語り始める」

 「仏教は皆が聞かねばならない教えではなく、私一人が聞いていく教え。ところが仏教教団の中にいることで、自分が『救われた人間』になってしまう。『いかに易しく伝えるか』ばかりが論点になってしまい、『私が聞いている教えは本当か』という問いが生まれてこない。伝道者が求道者になっていない。だが道を求めていない人の話を、求めている人が聞くはずがない」

カルト教団すら成立しない

 《地下鉄サリン事件から25年。この間に情報化社会が進展し、カルト教団の活動は全体的に縮小傾向にあるという》

――現在のカルト教団はどのような活動を展開しているのでしょうか。

 「インターネットが普及し、教団のネガティブな情報が即座に共有されるようになったので、昔のオウムのような大教団は生まれていない。せいぜい10~20人が集まる『ミニカルト』ができては消えていくのが現状だ。だからこそ、状況は見えにくい」

――アレフの現況をどう見ますか。

 「アレフは非常に静かだ。2018年7月の麻原元死刑囚の死刑執行後も静かだ。彼が教えた修行を地道にやり続けていこうという形をとっている。教団成立から40年ほどが経過することもあり、ある意味で成熟してきている」

 「アレフの幹部はヨガ教室を開いたりしているが、必ずしも入信に結び付いているわけではない。出家者もそれほど増えておらず、道場にもよるが、世俗化しつつあるのではないか」

――カルトが成立しにくい状況は、伝統教団にも共通しているかもしれません。

 「アレフにしか居場所がない人も多い。新宗教できちんと修行しようと思うと、できる教団は限られる。人間の根本苦を見つめることは、本来伝統教団の使命であるはずだが、伝統教団の方が現世利益化してしまっている。伝統教団にも真面目に信仰を追求している人たちはいるが、教団がそこに目を向けることはない。みんなにとって素晴らしい教団であろうとしすぎているのだろう」

――伝統教団の未来を、どのように考えていますか。

 「伝統教団には、寺や教団という足かせがあったからこそ、できた側面もある。私自身は、寺は教えに出遇う所だと思っている。簡単には捨てられない重たい物。それを先人が作ってくれたおかげで、仏法に出遇う人がいる。寺や教団にも意味は当然ある。しっかりと残さねばならない」

 「だが、このままだと教団の外側だけが残って肝心の中身が静かに死んでしまうのではないか。道徳のような別の物に生まれ変わってしまう危機感がある。真宗が道徳になっていくなら、存在意義はない」
             ◇
 瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
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オウム25年②信者も被害者だった 楠山泰道氏(日蓮宗)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 日蓮宗大明寺(神奈川県横須賀市)の楠山泰道住職は、約30年前からオウム真理教の脱会者支援に取り組んできた。地下鉄サリン事件と教団への強制捜査があった1995年には、他宗教の聖職者や医師、弁護士らと共に「日本脱カルト協会」を設立。「サリン事件で加害者となった信者も、マインドコントロールをかけられた〝被害者〟であると受け止めることが必要」と話す。

楠山泰道(くすやま・たいどう)1947年生まれ。立正大学仏教学部仏教学科卒。日蓮宗大明寺住職、日本脱カルト協会顧問。深愛幼稚園園長、宗教法人大明寺「青少年こころの相談室」室長。著書に『法華経の輝き―混迷の時代を照らす真実の教え』(大法輪閣、2014年)、『カルトから家族を守る』(毎日新聞社、00年)などがある。

善良さが社会を敵視した

 《1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件は死者13人、負傷者6千人以上を出し、オウム真理教の幹部や信者が多数逮捕された》

――事件について、どのような考えを持っていますか。

 「事件には2種類の被害者がいる。一つはサリンをまかれたことで突然亡くなり、後遺症を負った何の罪もない人たち。もう一つは、実行した信者とその家族だ。彼らもまた、マインドコントロールをかけられたことによって、健やかな人生や青春を奪われた被害者に違いない」

 「では加害者は誰なのかと言えば、当時の社会背景を作った人々。すなわちこの問題について何も考えず、興味も持たなかった大人たちではないだろうか」

 《楠山氏は地下鉄サリン事件の前から、オウム真理教をはじめカルト視される教団からの脱会者支援を行っていた》

――脱会者支援を始めたきっかけは、何だったのですか。

 「オウムの脱会者支援を始めたのは1990年。当時、私は教員をしており、青少年の非行問題に取り組んでいた。その中に入信した子がいて、脱会させたのが活動の始まりだった」

 「カルト宗教の情報を共有する勉強会を毎月重ねるうち、入信してしまった子を取り返したいという親御さんが、どこにも相談できずに集まってきた。これまで約200人と会い、40人ぐらいの脱会に関わった」

――カルトの一番の問題は何でしょうか。

 「入信するとお金を奪われるだけでなく、人生の大事な時間と人間関係を壊される。家族や友人、社会での居場所が失われてしまう」

 「入信するのはまっすぐで良い人が多く、教団の教えにより世の中を救おう、善いことをしようと思っている。だからこそ、解決しがたい。脱会させようとして『間違っているよ』と指摘すると、『なんで邪魔するんだ』と敵視される」

――攻撃性を強めていくわけですね。

 「カルトの特徴は、カルト的理想郷をつくろうとする点にある。例えばオウム真理教がオウム王国をつくろうとしたように、信者を出家させて家族と断絶させ、マインドコントロールしていく。すると社会から攻撃されていると信じ切って、自分たちを守ろうと団結し、執念深く行動するようになる」

宗教テロを予防しない国

 《公安調査庁によると、オウム真理教の後継団体は、主流派の「Aleph(アレフ)」が2019年に約100人の信者を獲得。死刑執行後も、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚への絶対的帰依を示している。「山田らの集団」、「ひかりの輪」も活動を続けている》

――アレフの活動をどう見ていますか。

 「札幌市白石区に大きな拠点がある。オウムを知らない若い信者たちはみんな『事件は政府の陰謀だ』『マスコミのでっち上げだ』と信じている。ヨガ教室から入信させ、出家主義をとっている」

――現状ではどんな対策が有効でしょうか。

 「日本は多くのカルト教団が存在してきたにもかかわらず、カルト問題については何ら方法も手段も持っていない。オウム事件ですら、再発防止策を講じることなく闇に葬ってしまった」

 「英国やドイツなど海外メディアから取材を受けると、彼らの問題意識は『宗教テロ』の予防だとわかる。米国でもオウム事件を参考に対策を立てたと言われている。日本はおそらく誰も予防のことなど考えていない」

――カルトの定義が難しいという側面もあります。

 「カルトは本来、熱狂的な集団と呼ばれるもの。問題は、常識を超えて反社会的な行動を取る破壊的なカルトだ」

 「もっとも、私は宗教者として『宗教違反』をする団体が問題だと考えている。私の場合は仏教だが、社会的常識を逸脱した行為や人権を無視する行為は『宗教違反』と認定できる。『あなたたちの教えは宗教違反です』とはっきり言える教団や宗教者が求められているのではないか。社会問題になったときに、信教の自由を保ちながらも、『宗教違反』や破壊的カルトだと見極める仕組みがなければならない」

死刑に奪われた機会

 《日本脱カルト協会は2018年3月15日、麻原元死刑囚を除く死刑囚12人について、死刑を執行せず、無期懲役に減刑する恩赦を検討するよう求める要請書を、法相に提出した。しかし7月6日に麻原元死刑囚を含む7人、同26日に6人の死刑が執行された》

――死刑執行についてはどうお考えですか。

 「オウム事件は『宗教テロ』だった。あれだけ優秀な人たちがなぜ入信し、問題を起こしたのか。人を殺し、命が失われる修行などあってはならない。それなのになぜ、彼らは一生懸命〝修行〞に励んだのか。私はマインドコントロールという言葉を頼りにしたが、今でも半分は納得できない」

 「だが、優秀な人たちがマインドコントロールを受けてテロリストになる過程について、知見が得られるはずの機会は、死刑執行によって奪われた。彼らが生きてさえいれば、マインドコントロールが解けた段階でわかることがあった」

 「信者と教祖が一緒に死刑になるのは正しいのか。麻原元死刑囚が救ってくれると信じた元死刑囚もいたが、麻原元死刑囚は結局、何もできなかった。アレフなどの残された信者たちに向かって、当時の幹部が証言し、解明できることはあった。何もできなくなった悔しさが残る」

――宗教の役割をどう考えますか。

 「伝統仏教の役割は、心穏やかに健康でいることが生きる価値だ、と教えること。これをカルトが教えるから問題になる。泣いて来た人を笑顔で帰してあげる。苦しい人を救ってあげる。そうしたことを、お寺は仕事にしなければならない。宗教者の目的は、救うことなのだから」
            ◇
 楠山泰道(くすやま・たいどう)1947年生まれ。立正大学仏教学部仏教学科卒。日蓮宗大明寺住職、日本脱カルト協会顧問。深愛幼稚園園長、宗教法人大明寺「青少年こころの相談室」室長。著書に『法華経の輝き―混迷の時代を照らす真実の教え』(大法輪閣、2014年)、『カルトから家族を守る』(毎日新聞社、00年)などがある。

(文化時報2020年3月11日号から再構成)
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