月別アーカイブ: 2019年10月

大英博物館に奈良の寺社宝物が 「奈良―日本の信仰と美のはじまり」展

大英博物館に奈良の寺社宝物が

「奈良―日本の信仰と美のはじまり」展

 

奈良県県下の寺や神社が所蔵する仏像や宝物を展示した「奈良―日本の信仰と美のはじまり」がロンドンの大英博物館で開催されている。

東大寺の国宝「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」(奈良時代)など、国宝5件を含む計15件と、大英博物館所蔵の「法隆寺金堂壁画」(1949年の火災で焼損した壁画の明治時代の模写)など、8件の屈指の宝物が展示されている。

開館前日の2日、大本山東大寺、総本山唐招提寺、大本山薬師寺、総本山西大寺の僧侶約10人が出仕し、無魔円成を祈念して同館で法要を営んだ。また、春日大社の巫女が神楽を舞い、古都の文化を披露した。

「京都とは異なる古都奈良の趣、知られざる魅力が、多くの人を引きつけていたようだった」と、法要の導師を勤めた松村隆誉西大寺執事長は語った。

総本山醍醐寺 霊宝館で中国展開催記念特別展

総本山醍醐寺

 

霊宝館で中国展開催記念特別展

中国と日本で100万人が拝観

 

総本山醍醐寺は中国展開催を記念し、秋期特別展「悠久の祈り~醍醐寺の至宝」を12月10日まで霊宝館で開催している。

2016年に中国・上海市の上海博物館と西安市の陜西歴史博物館で「醍醐寺展」が開かれ、80万人を超える人が拝観した。また中国展を記念した「醍醐寺展」が、昨年と今年初めに東京のサントリー美術館と福岡の九州国立博物館で開かれ、中国と日本を合わせると100万人を超える人が会場を訪れた。

秋期特別展では、東京と福岡で公開した至宝の中でも、特に関心を呼んだ国宝「五大尊像」(写真)をはじめ、快慶作「不動明王坐像」(重文)や、俵屋宗達筆「扇面散図屏風」(重文)など、国宝15点、重要文化財31点を含む、よりすぐりの約80点余を展示している。

総本山知恩院 令和天皇即位で慶祝法要

総本山知恩院

 

令和天皇即位で慶祝法要

門跡ら名号松を植樹

 

総本山知恩院は22日、今上陛下御即位慶祝法要と名号松植樹法要を、伊藤唯眞門跡の親修で営んだ。

「大永の御忌鳳詔」を発して御忌大会を営むように命じた後柏原天皇など、知恩院は歴代天皇と縁の深い門跡寺院のため、「即位の礼」の挙行を慶ぶ法会を勤め、併せて“天下泰平、万民法楽”を願った。法然上人御堂(衆会堂)で営まれた慶祝法要には山内関係者、おてつぎ奉仕団員ら約70人が参列。限定の御朱印が授与されることもあり、一般参拝者も約400人が集まった。

伊藤門跡は表白で、法然上人の徳が広く知られ、歴代の朝廷が帰依したことを伝え、安泰な世の中になることを願った。井桁雄弘執事長は「平成の天皇陛下は、30余年の間に戦後の慰霊や被災者へのきめ細かい気遣いなど、国の象徴として国民のために尽くされた。令和の天皇陛下も国民のために尽くされる優しい方で、国民も安心できると思う」と語った。

慶祝法要後は、来年4月に落慶する御影堂前に名号松の植樹の法要を営み、(写真)伊藤門跡や井桁執事長らが土入れを行った。御影堂の大規模修理前も、鳥取県の願行寺が昭和50年代に寄進した名号松が植えられていたが、工事に伴い移植されていた。

御影堂正面の大香炉を挟む形で東西に植樹された松は幹が根元から6本に分かれており、南無阿弥陀仏の6字に見立てた。大﨑順敬総務部長は「人の手が入らず自然に根元から6本に分かれた松を探して、小林造園さんが寄進を申し出てくださった。落慶を控えた令和元年の即位の礼の日に植樹したことは知恩院史に残り、御影堂前の松がいつ植えられたのかが後世の人にも容易にわかる」と話した。

妙心寺微笑会 微笑会記念大会を開催

妙心寺微笑会

 

微笑会記念大会を開催

さらなる繁栄願い松の木を植樹

 

妙心寺微笑会は18日、「創立50周年記念大会」を開き、約420人が参加した。創立50周年を記念し、妙心寺と縁の深い彬子女王殿下の隣席を得て、小倉宗俊管長らが松の木を植樹。記念公演なども行われた。

妙心寺微笑会は、1970年に大本山妙心寺の全山防災設備を完備した際、妙心寺の国宝や重要文化財、堂塔伽藍の護持・顕彰、会員相互の研鑽や親睦を目的に設立。全国から多くの賛同を得て、妙心寺の寺宝修理への補助と、総会に合わせて信仰を深める集いを開催してきた。

式典では小倉管長や今年から就任した立石文雄会長が挨拶を行った。小倉管長は植樹した松の木について触れ、「微笑会は松以上に繁栄するために、一体となって精進に努めていただくことを願う。皆さまの熱い信心と深い理解をいただきたい」と話した。(写真)

彬子女王殿下は「文化財は生活の中に生きてこそ文化。妙心寺塔頭では文化財が生活の一部となり、日常として大切にされています。当たり前を支えていくために微笑会は大切」と述べられた。

記念公演では、「笛神」として広く知られる台湾の音楽家・蔡介誠氏がバイオリニストの蔡蕓翼氏と共に、「禅・心のひびき」のテーマで11曲を披露した。また50周年記念として開山正当忌荘厳図を元に、妙心寺開山無相大師の開山忌法要で江戸時代に施されていた室礼を大方丈に復元。志水一行妙心寺古文化研究所研究員が、開山正当忌荘厳の狩野山楽筆「龍虎図」や海北友松筆「花卉図」など妙心寺屏風の意味や特徴について詳しく説明した。

微笑会に入会して7年目という塩地修さん(大阪府高槻市)は「坐禅を通じて妙心寺にお世話になり、微笑会に入会した。笛神の演奏では身震いするほど感激した。生きている限り、妙心寺を応援したい」と述べた。

大本山川崎大師京都別院笠原寺 藤田貫首親修で40周年記念法要

大本山川崎大師京都別院笠原寺

 

藤田貫首親修で40周年記念法要

多くの女性支えた一日尼僧修行の寺

 

大本山川崎大師平間寺(藤田隆乗貫首)の京都別院笠原寺(山科区)は今年、開創40周年を迎えた。

同寺は弘法大師1150年御遠忌記念事業として、先代笠原政江尼の発願で大本山川崎大師平間寺の厄除弘法大師のご分躰を勧請し、1983年に建立された。この間、笠原尼が始めた「一日尼僧修行」で、多くの女性が縁を結んできた。

19日、住職である藤田貫首親修のもと、記念法要が営まれた。檀信徒らが参列する本堂でご詠歌が奉詠され、藤田貫首が大護摩供を奉修。平和、安穏を祈願した。

夫人の千裕尼と共に寺の運営を担う笠原隆裕主監は、法要後の式典で「記念事業として境内整備も完了し、関係者の皆さまにお礼を申し上げる。令和に入り、台風や水害で多くの人が被災された。亡くなられた方の冥福を祈るとともに、大師のご加護で災害のない、平和な世であるよう祈念する」と挨拶した。

藤田貫首は「京都で旅館経営等をしていた笠原尼の人生終盤に差し掛かっての発願で始まった当別院。笠原尼は幼い頃、川崎大師にお参りされていたそうで、大師信仰の篤い方だった。当時は珍しい『一日尼僧修行』を始められた。女性をターゲットにしたのが斬新で、人生経験豊富な笠原尼の下へ悩みを抱えた女性たちが訪れ、8500人以上の方が『一日尼僧修行』を含め、ご縁を結ばれたという。先代の子息である笠原主監と共に、奥さんも得度し僧侶として寺を支えておられる」と、弘法大師信仰と檀信徒の熱誠により、いっそうの隆盛を願った。

大谷大学博物館 柳宗悦・棟方志功と真宗―土徳の大地と民藝の美

大谷大学博物館

 

柳宗悦・棟方志功と真宗―土徳の大地と民藝の美

富山に息づく信仰風土にせまる

 

大谷大学博物館は2019年度特別展「柳宗悦・棟方志功と真宗―土徳の大地と民藝の美」を、11月28日まで開催している。

民藝運動の父と呼ばれる思想家・美学者の柳宗悦と、柳を師と慕った版画家の棟方志功。二人の思想や作品制作活動には、越中富山の信仰風土「土徳」が大きな影響を与えたという。

今回の展覧会では、「土徳」をテーマに取り上げ、二人のつながりや信仰について紹介。二人の作品や書跡、著作を通じて、真宗信仰が彼らに与えた影響をひもとく作品を展示する。

会期中は太田浩史日本民藝協会常任理事や、棟方志功研究家・石井頼子氏の記念講演会も企画している。

比叡山延暦寺 〝鬼太郎〞日本画で七不思議

比叡山延暦寺

 

大書院を特別公開

〝鬼太郎〞日本画で七不思議

 

比叡山延暦寺は、伝教大師1200年大遠忌を記念し、大書院を特別公開している。

会期中は、延暦寺に伝わる七不思議を〝鬼太郎〞らが訪れる日本画をはじめ、23点を展示する「ゲゲゲの鬼太郎と比叡山の七不思議展」を行い、にない堂や横川中堂など、七不思議の伝承が残る場所を巡るスタンプラリーも実施する。前期は31日まで。後期は11月6〜12月8日。

大書院は、1928年に東京から移築された大正時代の様式を伝える日本式の建物。通常は非公開で、迎賓館として用いている。公開に際しては、より延暦寺に親しんでもらおうと、古くから伝わる七不思議を〝鬼太郎〞のキャラクターで紹介した。

展示する日本画は豊和堂が制作。七不思議は「なすび婆」「一文字狸」などで、「一つ目小僧」は、総持坊に残る慈忍和尚の姿を描いたとされる絵をモチーフにした。山田晋也社長は「想像との兼ね合いを考えながらドラマを作り、先人への経緯を込めて描いた」と話す。

大書院の内部や展示作品は全て撮影可能で、SNSへの公開も自由。拝観料1000円。

今出川行戒参拝部長は「ただ大書院を公開するのではなく、あまり知られていない七不思議を初めて絵で公開することでPRできないかと企画した。内部をこれだけ自由に公開するのは初めて。SNSでも宣伝してほしい」と話している。

弘法大師奉讃会 「お大師さんの心にふれる集い」開催

弘法大師奉讃会

 

「お大師さんの心にふれる集い」開催

平和祈念法要や法話など

 

広島県西部の真言宗寺院で結成する弘法大師奉讃会は25日、「お大師さんの心にふれる集い」を広島市の広島国際会議場フェニックスホールで午後1時から開催する。

法要は「弘法大師報恩謝徳平和祈念法要」。法話は、「お大師さまのみ教え 令和に生きる」と題して、真言宗御室派宗務総長でもある吉田正裕大聖院座主が行う。

引き続き、一同で原爆慰霊碑を参拝する。

詳細は大願寺内の事務局(☎0829―44―0179)へ。

真宗佛光寺派常光寺 本堂・庫裏の修復落慶法要営む

真宗佛光寺派常光寺

 

本堂・庫裏の修復落慶法要営む

渋谷真覚門主親修 賑やかな一日に

 

真宗佛光寺派大阪教区の常光寺(佐々木太道住職・大阪市淀川区)は13日、渋谷真覚門主の導師で本堂と庫裏の修復落慶法要を営んだ。佐々木亮一宗務総長ら約150人が参拝し、帰敬式や庭儀式も行われ、賑やかな一日となった。

真覚門主が執行した午前中の帰敬式は10人が受式し、午後から営まれた庭儀式の稚児行列には約40人の子どもたちが参加。朱や緑のきらびやかな稚児装束をまとい、隣接する「くすのきホール」から同寺周辺を練り歩いた。

同寺は鎌倉時代の創建。都市聞法の道場として、毎年7月に「紫陽聞信会」を開いている。本堂を最後に修復したのは1982年。今回は阪神淡路大震災や砂州などの影響で本堂が傾き、2018年5月から約1年5ヵ月の修復工事を行った。

工事では地盤補強に本堂と庫裏を5㎝上げ、柱の下に薬剤を60本投入。床や庫裏の廊下、天井なども取り換え、入り口付近は岐阜県のヒノキを用いて修復した。また着工直後に大阪北部地震や台風21号の被害を受けたことで、大通りに面した塀なども修復することになった。

落慶法要後には、浄土真宗本願寺派の釈徹宗如来寺住職が記念講話を行った。釈住職は「便利になり行く現代社会は、時間にゆとりを持てるはずだが、明らかに忙しく感じる」と話し、長い時間の中に身を置く宗教、寺院には独特の時間の流れがあると説明。「お寺は、世間とは別の理屈で動く。苦しみの中で別の理屈で生きていることは大切」だと伝えた。

佐々木住職は、「修復工事では先人たちや、まだ見ぬ世代と会話をしていると感じた。歴史ある寺院を次の世代に引き継ぐ思いで溢れている」と決意を語っていた。

『改革の流儀 真宗王国に生かされて』 熊谷宗惠氏(真宗大谷派元宗務総長)

『改革の流儀 真宗王国に生かされて』

熊谷宗惠氏(真宗大谷派元宗務総長)

 

40年間の議員人生を回顧

お東紛争から半世紀を経て

 

真宗大谷派の熊谷宗惠元宗務総長(金沢市・仰西寺前住職)が、40年にわたる宗議会議員生活を振り返った『改革の流儀 真宗王国に生かされて』を発刊した。一人の宗政家の人生を通して現代教団史をひもとき、今日の宗門的課題も浮き彫りにする一冊として注目される。

熊谷氏は教団問題の折、1977年に改革派として宗議会議員に初当選し、10期40年間務め、一昨年に勇退。2001年に宗議会議長、03年から5年半にわたり第40代宗務総長を務めた。

本書は第1章「座談会」、第2章「波乱万丈、わが人生」、第3章「北國新聞連載エッセーから」、第4章「聖徳太子を仰いだ親鸞聖人(法話)」からなる。

大谷派ではかつて、宗門の法主、宗教法人の代表たる管長、東本願寺の住職という三つを親鸞聖人の血脈を引く大谷光暢師が兼ねていたが、1969年に光暢師が内局の承認を得ないで管長職だけを長男の光紹氏に譲る開申事件が起こった。

この後、時の訓覇内局との対立が激しくなり、同朋会運動を推進する改革派と、大谷家や大谷家を擁護する保守派との宗門内の対立、いわゆるお東紛争が続くこととなる。

第1章「座談会」では、約50年前に京都の本山と金沢教務所でお東紛争の渦中に身を置いた経験のある元宗議会議員の佐竹通氏(能登教区・專勝寺)が司会を務め、熊谷氏を初出馬から支えた冨祐彬氏(金沢教区本正寺、鶴来別院輪番)と、春秋賛氏(金沢教区仙龍寺、元教区会議長)と共に、改革をテーマに語り合った。

座談会の中で、宗門の混乱のさなかに宗政に乗り出そうとした思いを熊谷氏は、「けしからん状態になっていることへの憤りでした。戦後日本では天皇が戦前の現人神から象徴天皇に大きく変わったのに、ここでは親鸞聖人直系の大谷氏が法主、本願寺住職、管長の三権を束ねて、大谷光暢法主と取り巻く人たちによる教団の専横がまかり通っていたのです。このままでは、大谷家と取り巻きに宗門が引きずられていく、けしからんと。それで立ち上がりました」と語っている。

熊谷氏が改革の基本に置いたのは、教団は大谷家のものではなく、門徒のものであるという考えだった。「これは、親鸞聖人が亡くなって10年後、京につくられた六角堂の廟堂と御墓所を、聖人の末娘の覚信尼さまが、大谷家のものでなく門信徒のものであるとおっしゃった精神に通じます」とも説明する。

座談会での話題は多岐にわたり、来年5月に迎える金沢教区の御遠忌を前に惹起した教区の宗派経常費未納問題や、現代の宗門的課題として月例会の先細りの現状を憂慮する声も挙がった。また宗祖750回御遠忌に向けた募財と計画遂行に、宗務総長として取り組んだ当時の思いも、熊谷氏は忌憚なく披歴している。

第2章では、熊谷氏の人生の足跡をつぶさに紹介した。小学1年生で迎えた終戦、大谷大学で西洋哲学を専攻し、金松賢諒教授の伏見の自坊に通ってギリシャ語を学んだこと。教学研究所では恩師となる蓬茨祖運所長との出会い、先輩だった桑門豪氏(後の九州大谷短大学長)からは学問や教育の大切さを教えられたこと。その頃、折しも教団の近代化を進める同朋会運動のうねりが巻き起こり、熊谷氏もテキスト作りの基盤に携わることとなった。そして教学研究所時代には、妻となる公子さんとの出会いがあったことなども記されている。

第3章では約5年にわたって地元紙『北國新聞』の「みちしるべ」欄につづったエッセーをまとめて収録。第4章では2017年9月に小松市本龍寺の聞法会で話した熊谷氏の法話を収録している。

北國新聞社出版局。定価1500円。