月別アーカイブ: 2019年10月

真宗大谷派 城端別院善德寺 文化財調査に取り組むNPO立ち上げ

真宗大谷派 城端別院善德寺

 

文化財調査に取り組むNPO立ち上げ

文化庁・富山県・南砺市の支援を受け

 

真宗大谷派の城端別院善德寺(富山県南砺市)は19日に、NPO法人「善德文化研究振興会」の設立総会を催した。11月1日に県に法人設立を申請し、これを機に同寺所有の古文書や貴重史料の調査解読に取り組み、法宝物や本堂を含む堂宇の国重要文化財指定への昇格も視野に活動を進めていく。

城端別院善德寺は江戸時代、加賀藩の庇護のもと越中の真宗寺院の触頭役として隆盛を誇り、山門、本堂、太鼓楼、鐘楼の四つの建物が県の文化財に指定されている。また、行基作と伝えられる本尊・阿弥陀如来像や、親鸞聖人直筆の「唯信抄」をはじめ、古文書など1万点以上の宝物を有する。

同別院には長年にわたる「文化財護持の会」(黒川紘紀会長)があり、昨年2月の理事会でNPO法人設立に向け、広く活動への理解と資金協力を呼び掛け、安定的な運営につなげることを目的に1000人以上の賛助会員を募ることを決めていた。

設立総会では、「文化財護持の会」を発展的にNPO法人へと移行し、今後は文化庁・富山県・南砺市の支援を受ける形で本格的に活動を始動する意向。亀渕卓輪番は「城端別院は国宝級の什器・法宝物・古文書類を有しており、四つの県指定文化財も含めて国の重文に持っていければ。そのためには歴史をしっかりと解き明かしていかなければならない」と話している。当面は5年の調査期間を設定して進めていく。

NPOアーユス 社会参画仏教を学ぶ

NPOアーユス

 

メイヤー氏を招き講演

社会参画仏教を学ぶ

 

NPOアーユス仏教国際協力ネットワークは11日、エンゲイジド・ブッディズム(社会参画仏教)の研究者であるセオドア・メイヤー氏を招いた勉強会を、浄土宗龍岸寺(京都市下京区)で関西定例会に併せて開催した。

社会参画仏教は、仏教を精神的支柱として社会を変革しようとする運動。メイヤー氏は、「社会参画仏教が、共産主義と資本主義に並ぶ第3の選択肢と位置付けられている。個人の悩みを突きつめると、グローバルな課題につながる」と説明し、メイヤー氏自身も社会的課題に向き合う人材の育成に取り組んでいると語った。

アーユスが支援するNPOメコン・ウォッチが、社会的課題の解決に取り組む人材の育成を目指す一環として、日本の若者たちにメイヤー氏の活動を伝えたいと計画し、今回の勉強会の開催につながった。

アーユスで関西地域の世話役を務める中平了悟氏(浄土真宗本願寺派西正寺住職)は「社会の抱える課題の解決が、個人の悩みの解消につながる発想は興味深い」と話し、同じく世話人の池口龍法龍岸寺住職は「日本のエンゲイジド・ブッディズムは、地域や社会に寄り添っていこうとする取り組みが中心。社会そのものを変革しようとする姿勢に驚きを感じた」と語った。

天台宗 滋賀教区十王寺で特別授戒会

天台宗

 

滋賀教区十王寺で特別授戒会

檀信徒60人が“おかみそり”の勝縁

 

天台宗滋賀教区の十王寺(湖南市・藤支良道住職)で13日、祖師先徳鑽仰大法会の特別授戒会と結縁灌頂が営まれた。檀信徒60人が伝戒師の叡南覺範毘沙門堂門跡門主から“おかみそり”を授かり、勝縁を喜んだ。

特別授戒会は、滋賀教区の山岡智恢前宗務所長が奉行、10月1日に就任したばかりの安藏玄周宗務所長が戒行事を勤め、授戒会の前には、随行長の小堀光實延暦寺執行が挨拶した。前日には、台風の中で水尾寂芳延暦寺副執行が説戒を行った。結縁潅頂は12人ずつ五会勤めた。

叡南門主は授戒後、恵心僧都の『往生要集』の一節を挙げ、「私どもはいつも奇麗な心ではいられない。仏さまは泥の中から奇麗な花を咲かせる蓮のように、奇麗な心で人々の念仏を受け取ってくださる。仏さまのお心を受け止め、念仏唱える生活を」と述べた。

同寺は奈良時代に創建された湖南三山・長寿寺の本坊で、円頓授戒は47年ぶり。10年がかりで書院建設を手掛け、2年間の準備期間を経て特別授戒会に臨んだ。藤支住職は「檀信徒の皆さんが強い思いを持って進めてくれた。大法会のご縁に執行できてありがたい仏縁をいただけた。まだ60人が本堂の都合で受けられておらず、5年以内にでも再度行いたい」と話していた。

司馬遼太郎記念館 『坂の上の雲』武人企画展を開催

司馬遼太郎記念館

 

広瀬中佐“最期の手紙”

『坂の上の雲』武人企画展を開催

 

司馬遼太郎記念館は、企画展「『坂の上の雲』に見る武人の教養―広瀬武夫の“最期の手紙”にちなんで」を29日から開催する。

小説『坂の上の雲』に登場する日露戦争の旅順口閉塞作戦で指揮を執った広瀬武夫中佐(当時少佐)が、戦死前に幼なじみだった東寺の執事、松永昇道師(のち東寺派管長)に宛てた1904年3月7日付の“最期の手紙”を同館が入手したことで実現した。

1904年に松永師の手元から行方不明になっていた“最期の手紙”を大正期に京都の医師が骨董店で手に入れた。医師は松永師へ手紙を返却しようとしたが、松永師は「せっかく入手したもの」と述べ、自らの歌詞を添えて手紙の保管を医師へと託した。一連の経緯を、日本海海戦30年を機に1935年5月、文化時報社と京都新聞の前身の一つ、京都日出新聞が“最期の手紙”について新聞に掲載。今回入手された手紙と共に、 当時の新聞記事も保管されていた。

広瀬中佐が松永師へ送った手紙には、自らの仕事について書かれ、松永師から送られたお守りに感謝し、厚意に報いる決意が記されていた。

同記念館では、“最期の手紙”を軸にした企画展を29~4月19日まで開催する。また、11月3日からは上村洋行館長のトークイベントも開催し、司馬遼太郎や“最期の手紙”などについての語りを楽しむことができる。

真言律宗宗議会 宗本一体の実求め規則等見直し提起

真言律宗宗議会

 

宗本一体の実求め規則等見直し提起

称徳天皇ご遠忌へ早急に委員会も

 

真言律宗(大矢実圓管長)は17日、第80次宗議会(辻村泰範議長)を開いた。松村隆誉宗務長は、任期満了年に当たり、宗本一体の実を挙げるための規則等の整備が必要と述べた。

例年10月3日の光明真言会開白に合わせて宗会を招集しているが、今回は同時期に大英博物館で行われている「奈良―日本の信仰と美のはじまり」展に松村宗務長らが出席のため、日程を変更した。

前回までの議会での意見交換を経て内局で整理したものを示す予定になっていたが、議案上程は無く、松村宗務長が所感、「4年間を振り返っての課題等」とする文面を提示した。

議員からは、西大寺の運営に関わる「入山料化」など懸案事項について、松村宗務長の任期満了までに内局で整理して議会で審議できるよう、たたき台を作ってほしいと要請があった。

報告では、西大寺の土塀修理は第1期が約70%の進捗状況で、第2期工事も控えているとした。

明年に迫った称徳天皇ご遠忌に関する件は、時期や内容などを早急に決める必要があり、委員会を設置して検討することで合意した。また松村宗務長が改めて提起した「宗規・宗憲の見直し」については、かねて懸案であり、別途人選して委員会を設置するよう議員から要請があった。

ご遠忌を記念し、「道鏡を知る会」(幾島一恵代表)が藪内佐斗司東京藝術大学大学院教授に依頼した道鏡像は、ほぼ完成した。西大寺に奉納されるが、奉安場所等、検討している。

なお台風19号により宗内寺院にも被害が出ていることが報告された。神奈川県横浜市の称名寺では客殿の瓦が20枚飛ぶなどの被害があり、福島県いわき市の長福寺では床下浸水し、道路が不通になった。境内には土砂が流入し、現在も土砂のかき出しを行っている。

妙心寺派龍安寺 松山新命住職の晋山式営む

妙心寺派龍安寺

 

松山新命住職の晋山式営む

先人の思いを受け継ぐ覚悟

 

大本山妙心寺派大雲山龍安寺で16日、松山侑弘住職の晋山式が営まれた。約100人の老師、住職らが見守る中、石庭で有名な龍安寺の新たな一歩がしるされた。

あわせて営まれた退山式で、田代玄英前住職は「皆さま方に多大な指導を賜ったことに、厚く御礼申し上げる。新命老師を何卒、よろしくお願い申し上げる」と述べた。

龍安寺は1450年に妙心寺中興の日峰宗舜禅師の法嗣、義天玄承禅師により創建され、松山新住職は第17世住職となる。松山新住職は、先人の思いを継承し、法灯を護持する決意を表明した。

妙心寺塔頭退蔵院の松山英照住職の次男として1985年に生を受けた 松山新住職は、91年に則竹秀南霊雲院住職につき、得度した。青山学院大学経済学部に進学し、2008年に平林寺僧堂(埼玉)へ入門。11年に塔頭の壽聖院住職に就任し、16年10月に龍安寺副住職に就任した。

総本山禅林寺 加野景子さんがリサイタル

総本山禅林寺

 

ストラディバリウスを演奏

加野景子さんがリサイタル

 

総本山永観堂禅林寺で9日、世界で活躍するニューヨーク在住のバイオリニスト・加野景子さんが、時価7億円といわれるストラディバリウスを独奏するミニリサイタルを大殿で行った。(写真)

加野さんは、檀家総代・加野温さんの義理の娘。昨年11月、日本音楽財団の第24回楽器貸与委員会で、加野さんに1725年製ストラディバリウス「ウィルヘルミ」が貸与されることとなり、名楽器を活かすために永観堂禅林寺で演奏したいとの希望で、リサイタルが行われることになった。

大殿にバッハ作曲の不朽のバイオリン独奏曲「シャコンヌ」の美しい音色が響き、加野さんは「『シャコンヌ』は宇宙を内包するような曲で、人類全部を包み込む力があり、仏教に通じるところを感じる」と演奏した感想を話していた。

前日の8日には、ミュージックビデオを制作するため、大殿内部の荘厳や庭園の青もみじなどを背景に撮影した。ビデオは海外でも販売され、永観堂の魅力が国外に伝えられる効果も期待される。北林大尚本山部長は「総本山の素晴らしさを海外の人にも知っていただき、仏教文化への興味を通じて、仏教そのものにも触れていただきたい」と話した。

成田山大阪別院明王院 開創85周年記念大祭営む

成田山大阪別院明王院

 

開創85周年記念大祭営む

芙蓉宗務総長や小林京阪教区長らも随喜

 

真言宗智山派の成田山大阪別院明王院は開創85周年を迎え、住職の橋本照稔大本山成田山新勝寺貫首導師のもと、記念大法要を15日に厳修した。別院主監や小林慶昭京阪教区長らが随喜し、数多くの稚児行列が晴れやかに、大導師や式衆らのお練りの先頭を飾った。

同山では開創当初の客殿を移転し改築して1999年に入仏落慶した大師堂の位牌壇増築等記念事業を行っている。

式典では橋本貫首が、新たに責任役員・総代に就任した加藤好文氏(京阪ホールディング会長) らに委嘱状を贈呈した。

芙蓉良英宗務総長は「関西地区を代表する不動明王信仰の聖地として、成田山大阪別院は頼もしい存在。大日大聖不動明王の霊威により人々を密厳浄土にお導きいただきたい」と祝辞。加藤総代も「90周年の山門建立に向け、計画は着実に進行している。関西熱誠信徒の祈りを集め、ご本尊不動明王の霊効ますます極められんことを願う」と話した。

飯島照輝主監は次に控える90周年に向け、総工費10億円で総ひのき造りの山門建立工事に着手することを発表し、信徒各位に協力を要請した。

日蓮宗の位置付けは戦国仏教が正確か? 『戦国仏教と京都』(法藏館)より

日蓮宗の位置付けは戦国仏教が正確か?

『戦国仏教と京都』(法藏館)より

 

法華宗(日蓮宗)や浄土真宗は教界では鎌倉仏教の範疇に数えられているが、教線拡張し、組織として確立されたのは織田信長や豊臣秀吉がいた戦国時代であったことから、「戦国仏教」と位置付けるのが正確ではないかと、歴史学者の間で研究が進んでいる。

『戦国仏教―中世社会と日蓮宗』(湯浅治久著・中公新書)に続いて、このほど法藏館から河内将芳著『戦国仏教と京都―法華宗・日蓮宗を中心に』が刊行された。

従来から藤井学京都府立大学名誉教授が、諸大名や公家の支援を得てこなかった浄土真宗ならびに日蓮宗は、戦乱や災害で多くの人が苦しんだ人々を対象として「戦国時代」に伸長し、一定の社会基盤を得たのは鎌倉期より戦国期であると指摘していた。河内氏はその論を受け継ぎ、織田信長・豊臣秀吉といった武家や公家などの権力者と大寺院が集結する一大政治都市・京都に注目し、「戦国仏教」としての法華宗(日蓮宗)に、どのような特徴・特質があったのかを、歴史学から読み解いた。

応仁の乱直後は、「法華宗繁昌」「京中充満」の勢力を有し、その勢いが「天文法華の乱」を招いたとされる。近江方の大名と連合を組んだ山門延暦寺大衆に敗れ、京都から退転。その後帰還を果たし、信長の延暦寺焼き打ち後は、その影響下から解放され、権力者らと直接対峙。ついには秀吉の大仏千僧会に出仕し、「国家」の一翼を担う「宗」の一つとして認識されていく。

天文法華の乱では、応仁の乱をはるかに超える大火に見舞われたとの研究もあるが、法華宗(日蓮宗)は、京都から退転の後に禁教され、山門延暦寺に上納金を納めることで和解して市中に戻った。宗団の危機ともいうべき事態に、門流を越えた本山が一致団結して勧進(募財)を行い、そのほとんどを織田政権へ贈与するなど(本山頂妙寺蔵『京都十六本山会合用書類』等)、過去に対立した勝劣派、一致派を超えた協力関係ができていた。

中近世移行期における法華宗(日蓮宗)の社会的地位の変遷がわかる同書には、現代に危機が叫ばれる宗教教団に示唆を与える内容も含まれる。

真宗佛光寺派 寝殿ホール上棟式営む

真宗佛光寺派

寝殿ホール上棟式営む

時代に応じた新施設へ

真宗佛光寺派は9日、慶讃法会の基盤整備事業として進める寝殿ホールの上棟式を行った。
渋谷真覚門主を導師に、内局や慶讃法会事務局委員、大登建設の関係者ら約20人が参拝して法要を営み、真覚門主が棟札を授与した。
新たな寝殿は、200人規模のホールを備え、門徒のみならず地域の人々にも開放する。〝時代に応じた基盤〟として音響や照明設備も整え、結婚式や葬儀、イベントなど利用希望者の多様なニーズに応じられるという。真覚門主は「寝殿ホールは全国の佛光寺門信徒や地域の皆さんに、研修や交流の場として何世代にもわたり親しんでもらう建物となると思います。工事の進捗とともに、新たな姿を思うことが楽しみです」と〝お言葉〟を述べた。
佐々木亮一宗務総長は、「後世の皆さんが良かったと思える建物を、皆で力を合わせ、知恵を出し切って作り上げたい」と力強く挨拶した。式典を終えて佐々木宗務総長は「以前の寝殿は老朽化していて用途に制限があった。建て替え後には利用者からさまざまなアイデアを出していただき、新しい拠点になることを確信している」と語った。