月別アーカイブ: 2020年8月

お堂の鐘は地域の絆 高知の〝ポツンと山寺〟

高知の山寺、真言宗智山派寳珠寺

 つづら折りの山道の先に、ポツンと建つ小さな地蔵堂。平家の落人伝承がある高知県香美市香北町の山中に、真言宗智山派の寳珠寺はある。田中弘明住職を訪ねて「山寺日記」という記事にしたのが、2013年2月20日号。あれからお寺がどうなったのか気になり、再訪した。(春尾悦子)

 高知市内から車で香美市立やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム)を通り過ぎ、県立香北青少年の家から山中へと分け入る。しばらく行くと、視界が開け、きれいに整備された小さな伽藍が現れる。最近整備された林道のおかげで、7年前よりは進みやすくなっていた。

 「若い人にも生きづらい世の中なんでしょう。何かに引かれ、導かれて来るようだ」。出迎えてくれた田中住職が、そう語った。

 「北向き地蔵」と呼ばれるお地蔵さまの元を、若者たちが訪れ、一心不乱に拝む姿を見かけるようになったという。お茶を勧めると、驚くほど冗舌に話し始める。引きこもりで悩んでいた子どもや親が訪れては、胸の内を打ち明け、ほっとしたように帰っていく。ここに来ると、不思議と素直になって、いろいろな話がしたくなるのだそう。

 相変わらず地域の人たちの憩いの場となっている。地蔵堂の前にはウッドデッキやベンチを設けた。子どもたちが遠足に来ることも。境内に山水を集めて滝を作り、桜が咲く頃に「地蔵流し」という新たな年中行事を行うようになった。

8年前に移住、独特の葬送儀礼に驚く

 寳珠寺は代々、兼務寺院として受け継がれてきたが、智山派元教学課長の田中住職と、元信徒課長で智山派専修学院の副生徒監も務めたことのある智恵さん夫妻が移り住み、8年前に晋山式が行われた。以来、「毎朝、鐘の音が聞こえる。ああ住職がいるんだなあ」と、お参りに来る人が少しずつ増えてきた。

 野菜や米は、檀家たちが届けてくれる。檀家百数十軒でも、2人ならどうにか食べていける。田中住職が着任してから戻ってきた檀家や、新たに檀家になった人もいるそうだ。

寳珠寺を預かる田中住職夫妻


 数年前に行った超宗派の柴燈大護摩供と火渡りは、里の人ばかりか、出仕した僧侶にも好評だったため、昨年10月には2度目を執り行った。僧侶の宗派は天台宗、高野山真言宗、曹洞宗、日蓮宗、金峯山修験本宗と多岐にわたり、関東から訪れた人もいたという。

 旧物部村に伝わる葬送儀礼をつかさどる「オシ」の人たちも加わった。寺域は旧物部村の端に位置するそうで、田中夫妻が寺に入ったとき、屋根裏には独特の「お面」がたくさんあったという。

 今も、古い形の宗教儀礼が色濃く残る。50年たたないと先祖代々の墓に納骨できない、という慣習もその一つ。若者は都会に出てしまい、墓じまいや平地の霊園に墓を移す依頼が少なくないのだそうだ。

 檀家は先祖代々の墓に入るまで、山奥の一人墓で眠る。田中住職は「墓参りは登山だ」と言い切る。行くのは至難の業。とにかく山寺での暮らしには、体力がいるのだと、笑顔で話した。

(文化時報2020年3月18日号から再構成)
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災害対応で宗教と協力、社協の4割に 寺社の避難所は倍増

 災害対応を経験した全国の社会福祉協議会のうち約4割が、宗教団体のボランティアを受け入れていたことが、稲場圭信大阪大学大学院教授らの研究グループによる調査で明らかになった。自治体が協定を結び避難所に指定した寺社などの宗教施設が6年間で倍増したことも分かった。災害時における宗教と行政、社協の連携が進んでいる。

調査結果を発表する稲場圭信大阪大学大学院教授(右)。左は研究分担者の川端亮教授=2020年3月9日


 今年1~2月、全国の1826社協に聞き取り調査を実施し、794社協から回答を得た。

 それによると、災害対応に当たった経験のある321社協のうち、41.8%にあたる134社協が宗教団体によるボランティアを受け入れていた。

 受け入れた宗教団体の活動について「満足」と回答した社協は8割にのぼり、理由として「職員が対応できない危険な作業を、宗教者が率先してこなしてくれた」などの声があった。

 一方、宗教団体のボランティアを受け入れなかった103社協については、宗教団体からの申し出がなかったという理由が8割を占めた。「宗教色を前面に出していたから」が2.9%、「政教分離の考えから」が1.9%と、宗教を理由に受け入れを断ったケースは4.8%にとどまった。

 さらに、行政と宗教団体の連携状況についても2014年以来6年ぶりに調査を行い、全国の1741自治体に聞き取り調査。自治体と災害時協定を結び指定避難所となっていた宗教施設数は、14年時点の272カ所から661カ所と、約2.4倍に増加した。

 宗教団体と災害時協定を結ぶ自治体数も、95自治体から121自治体に増えた。

 宗教団体の持つ物資や人的資源は、災害対応において大きな強みとなる。稲場教授は「宗教と行政、社協の災害時連携は、今後さらに拡大するだろう」と予測している。

特定の宗教・宗派を利するわけではない

 自治体や社会福祉協議会が、災害の救援期に宗教者や宗教施設に協力を求める背景には、東日本大震災の教訓がある。

 稲場圭信大阪大学大学院教授らの調べによると、震災では少なくとも100カ所の宗教施設が緊急避難所として開放された。津波による浸水被害を受けた学校や公民館の代わりに高台の神社が住民を救った例や、約3カ月間にわたり300人以上もの避難者を受け入れた寺院もあったという。

 交通機関が不通になった都心では、多くの帰宅困難者が出た。このため東京都は2017年から、東京都宗教連盟と連携し、神社仏閣を受け入れ先とする取り組みを進めている。首都直下地震が起きた場合、都内の帰宅困難者は500万人以上にのぼるとの試算があることから、指定避難所だけでは収容し切れないと踏んだ。

 一方、東日本大震災では宗教者らのボランティア活動も注目された。僧侶や聖職者らが続々と被災地に入り、犠牲者の追悼や炊き出し、がれきの撤去などに当たった。もちろん布教や勧誘が目的ではないことが大前提だった。

 宗教者の災害支援と言えば復旧・復興期の心のケアが注目されがちだが、被災者や行政職員から宗教者が信頼を得られたのは、救援期の活動があったためだということは、見過ごせない。

 東日本大震災以降に相次いだ自然災害でも、宗教者らは着実に経験を積んだ。16年の熊本地震では、真如苑救援ボランティアSeRV(サーブ)が熊本市東区で、天理教災害救援ひのきしん隊が熊本県益城町で、現地の社会福祉協議会と協力し、ボランティアセンターの立ち上げを支援した。

 宗教団体が〝応援社協〟として駆け付け、丁寧かつ迅速にボランティアセンターの運営に当たれることは、他の社会福祉協議会にも伝わっている。人徳のある宗教者らしい応対が、現場の緊迫感を和らげたと評価する声もあるという。

 今回、稲場教授らが発表した調査結果は、宗教者による災害支援が活発になってきたことを裏付けたと言える。

 自治体や社会福祉協議会の中には、政教分離の原則や住民からの苦情を懸念するところもあるだろう。特定の宗教・宗派を優遇したり援助したりすることにはならないと納得させるためには、超宗教・超宗派で活動することや、宗教間で協力すること、布教と勧誘を絶対に行わないことなどを、宗教団体が確約する必要がある。

 異常気象による災害や来るべき南海トラフ巨大地震、首都直下地震への備えは、宗教者や宗教施設の協力なしにはできないのが現状だ。宗教界は万全を期し、襟を正して期待に応えてほしい。(主筆 小野木康雄)

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
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オウム25年⑤完 アクリル板越しの出遇い 鈴木君代さん(真宗大谷派)

※2020年4月18日号のインタビュー特別編を再構成しました。

 真宗大谷派(東本願寺)宗務所に勤務する同派僧侶の鈴木君代さんは、元オウム真理教幹部の井上嘉浩元死刑囚と、2018年7月に死刑が執行されるまでの10年間、交流を続けてきた。同じ京都・太秦で育ち、若い頃から悩みを抱えた同世代の二人。「もしかしたら京都の道端ですれ違っていたかもしれない」「面会室のアクリル板の向こうにいたのは、私だったかもしれない」。鈴木さんは、井上元死刑囚の存在やカルトに入信する若者の存在が、ひとごととは思えなかったという。
 

鈴木君代(すずき・きみよ) 京都市生まれ。真宗大谷派僧侶・シンガーソングライター。真宗大谷派宗務所勤務。10歳からギターを始め、京都市内のライブハウスや全国の寺院で演奏活動を行っている。

私であるあなたへ

 鈴木さんは、「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」の会報『悲』第4号(2008年8月発行)に、ある文章を投稿した。それを読んだ井上さんから「一度、お会いしたい」と手紙が届き、交流が始まった。

 鈴木さんは、幼い頃に両親が離婚したため叔母の養女となり、二人の弟と共に叔母に育てられた。複雑な家庭環境からか、幼少期から情緒不安定な面があった。もがきながら「自分は何のために生まれてきたのか」と道を求め、人を求め、寺院を訪ねて歩いた。

 『悲』には次のような内容の文章を投稿した。

 《私はたまたま親鸞聖人の仏教に出遇えたことで、悩みながらも、歩ませてもらっています。どんな人に出遇ったか。人はその出遇いによって一生が決まるといっていいかと思います。誰もが、出遇おうとしても出遇うことのできない苦しさ、押し寄せてくる不安、どうしようもない孤独感とともにいます》

 《もう一度、出遇えなかった人に、生きて遇ってもらいたい。どこかですれ違っていた私であるあなたに、死んでほしくないと同時に、一生背負っていかなければならない人殺しを誰にもしてもらいたくない。生きて大切な誰かと出遇ってもらいたい》

 井上元死刑囚は高校2年のとき、「何のために生まれてきたのか」という深い悩みを抱え、オウム神仙の会(後のオウム真理教)の本を偶然手に取った。鈴木さんもまた、幼い頃から暗い闇の中で、どう生きればいいのか分からず、悩み続けていた。

「寺は風景でしかなかった」

 日本中が震撼した1995年の地下鉄サリン事件で大きく取り上げられたのが、元信者の「寺は風景でしかなかった」という言葉だった。

 長い年月で、お寺は本来の姿を見失ってしまったのではないか。真実の教えを伝えることに真摯に向き合っているのか。社会のさまざまな問題に対峙する姿勢を持たないお寺は、もはや「寺」と呼ぶことさえできないのではないか―。「今も私のこととして迫ってくる言葉です」と、鈴木さんは言う。

 鈴木さんは高校生の頃から東西本願寺のお晨朝に毎朝のように参加し、さまざまな僧侶の法話を聞いた。中でも、後に師となる和田稠氏の法話に感銘を受け、「親鸞聖人の仏教に生きていきたい」と思った。

 「『何のために生まれてきたのか』を、仏教の大学なら学べる」。そう考えて大谷大学文学部哲学科に入学し、アルバイトで学費を賄いながら通った。

 ただ、当時はアルバイトだけで精いっぱいだった。卒業はしたものの、「親鸞聖人の仏教を勉強できなかった」との思いから、宗派の職員になれば勉強を続けられるかもしれないと、真宗大谷派の宗務所に就職した。そして仕事をしながら学びを深め、僧侶となった。

優しく純真で、16歳のまま

 井上元死刑囚との初対面は2009年3月。「よく来てくれました。ありがとう」と礼儀正しくお辞儀をされた。オウム真理教の幹部という社会が作りあげたイメージには、似つかわしくなかった。

 「あなたには、本当に出遇うべき人に出遇ってほしかった」。そう伝えたいがために東京拘置所に赴いたが、会話は故郷のことから始まった。

 「優しく純真で、16歳のままのような人でした。近所の広沢池を愛犬と散歩していたことなど、お互いが知っている土地のことを話し、すごく近しくなりました」

 その後も面会は月に1度ほどのペースで続き、週に3回は鈴木さんの元に手紙が届いた。面会室の20分という限られた時間で、井上元死刑囚は「きょうは顔色が悪いけれど、大丈夫?」と鈴木さんの体調を思いやり、励まし、自らが学んだ仏教のことや、鈴木さんが差し入れで送った和田稠氏の本のことなどについて話した。

 「井上さんはオウムの本を手に取り、私は和田先生に出遇った。もし出遇った人が違っていたなら、私が拘置所にいたかもしれません」

 井上元死刑囚が逮捕されて、最初に母親に差し入れを求めた本は『大蔵経』だった。拘置所で漢文の『大蔵経』を翻訳していたという。

 「私への手紙には、妙好人(浄土真宗の在俗の篤信者)の言葉や『華厳経』『涅槃経』『法句経』の内容を書き示し、誕生日にはお母さんを通じて『法句経』の本をプレゼントしてくださった。これほどまで仏教を勉強している人でも、陥る闇があることを知りました」

面会室で似顔絵デッサン

 2010年1月、死刑が確定してからは、限られた人しか面会に行けなくなった。鈴木さんは、面会を許された数少ない一人だった。
 
 1995年7月に始まったオウム事件関連の刑事裁判は、2018年1月20日に終結した。いつ死刑執行があってもおかしくない状況になり、この年の3月14日、井上元死刑囚は大阪拘置所に移送された。

 「井上さんは毎日、自分の犯した罪の重さに苦悩し、懺悔(さんげ)していました。『二度と救済の名の下に、同様の事件が起きませんように』と言い続けていました」

 自分たちと同じように悩みを抱えた若者たちが、カルトに向かわないように。悲劇を繰り返さないために――。鈴木さんは、井上元死刑囚には人間の業についての語り部になってもらう使命がある、と信じていた。

 京都に住む鈴木さんは、東京拘置所のときよりも頻繁に面会に行けるようになった。

 あるとき、知り合いの記者から「井上さんは今、どのような顔をしているのですか」と尋ねられた。テレビで映し出されるのは、オウム真理教の信者だった頃の写真や映像ばかり。「似顔絵を描いてきてくれませんか」と頼まれた。

 幼い頃から絵を習っていた鈴木さんは、大阪拘置所の面会室で、デッサンをした。井上元死刑囚は「笑った顔は心証が悪いから」とちゃかし、和やかな面会になった。

 「東京と大阪とでは刑務官の雰囲気も違っていた。大阪の方が気さくで、私の描いたデッサンを見せると、『似ていますね』と言ってくれたり、私が部屋から出るときに、井上さんに『見送ってあげなさい』と声を掛けたりしていました」

 これが5月のことだった。翌6月の面会が、最後になった。

法名「釋遇光」に込めた思い

 7月6日午前、死刑が執行された。テレビのニュースで一報を知った鈴木さんは、血の気が引いてその場に座り込んだ。

 井上元死刑囚の母親から電話があり、一緒に遺体を迎えに行くため、車で大阪拘置所に向かった。西日本豪雨の影響で、高速道路は通行止め。普段なら40分ほどで行けるところを、4時間以上もかかった。

 刑務官から事務的な手続きの説明を受けた後、遺体と対面した。

 「ついこの間まで、少年のように『次の面会はいつ?』とニコニコ私に話しかけていた人が、白木のお棺の中に目を閉じて横たわっていました。アクリル板を通してしか会ったことのなかった私は、冷たくなった頬に泣きながら触れ、涙するお母さんの傍らに、ただいることしかできませんでした」

 通夜と葬儀は真宗大谷派の岡崎別院(京都市左京区)で営まれた。7日に営まれた通夜の導師は鈴木さんが務め、井上元死刑囚の法名も付けた。

 「井上さんは、人との出遇いを本当に大切にしている人で、『光』や『遇う』という言葉が好きでした。それで、法名は釋遇光としました」

 両親が遺影の写真を探したが、18歳までの写真しかなかった。父親が、拘置所の面会室で鈴木さんが描いた似顔絵を見て、「遺影にしよう」と提案した。鈴木さんは急いで画材店に行き、井上さんが好きだった空色を施して、額に入れた。

 「人からは『井上さんは最期に鈴木さんと出遇えて、幸せだったと思うよ』と慰めの言葉を掛けていただきます。でも、それはむしろ私の方でした。面会に行くと必ず、『よく来てくれたね。ありがとう』と深く頭を下げ、世界中で誰よりも私を待っていてくれました。そのことに、私自身が支えられていたのです」

「死」から始まる出遇い

 和田稠氏が「人間は死んで終わりではない。そこから始まる出遇いがある」と語っていたことを、鈴木さんは覚えている。

 「井上さんの存在は亡くなって終わりではありません。彼の生きざまや死にざまを通して、カルトに走る若者を救うことができれば、恩返しになると考えています。彼も『僕が話したことは、誰に言ってもいいからね』と話していました」

 もう井上元死刑囚から手紙は来ない。そう思っていたところ、未検閲で封印されていない7月5日付の手紙が、遺品の中から見つかった。執行当日に出そうとしていたものだった。
 
 便箋4枚の最後には、こうあった。「7月7日、七夕ですね。いのちの大空に、七夕の星々が輝いています。いのちの大空の下、いつも一緒です。ありがとう ありがとう 大丈夫 大丈夫」

 井上元死刑囚の手紙の末尾には、いつもカタカナで「ナム」と書かれていた。和田稠氏が手紙の最後に「ナム」と書いていたことを、鈴木さんがまねして書くようになり、それを井上さんも倣うようになった。

 「井上さんは和田先生と遇ったことがないけれど、私を通して遇い、思いを返してくれた。罪を犯す人は、特別な人ではない。井上さんは普通の人以上に純真でした」

 鈴木さんは井上元死刑囚の両親と交流を続け、今年の春彼岸にもお参りをした。実家にはご遺骨と、鈴木さんが贈った三つ折り本尊、そして拘置所でデッサンした似顔絵が今も飾られている。
        ◇
 鈴木君代(すずき・きみよ) 京都市生まれ。真宗大谷派僧侶・シンガーソングライター。真宗大谷派宗務所勤務。10歳からギターを始め、京都市内のライブハウスや全国の寺院で演奏活動を行っている。

(文化時報2020年4月18日号から再構成)
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オウム25年④元死刑囚への違和感 平野喜之氏(真宗大谷派)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 人間にとって救いとは何か。罪を償うとはどういうことか。2018年7月に死刑が執行された井上嘉浩元死刑囚は、拘置所でこう問い続けたという。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)の平野喜之住職は、数奇な因縁でオウム真理教事件と関わるようになり、井上元死刑囚と11年にわたり交流。拘置所から188通の手紙を受け取った。「井上君に持った違和感の正体は何かと、今も考え続けている」と言う。

平野喜之(ひらの・よしゆき)1964年、京都生まれ。金沢大学大学院(数学専攻)博士課程、大谷大学大学院(仏教学専攻)博士課程満期退学。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)住職、金沢大学非常勤講師。「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」事務局を務める。

直立不動でお辞儀した後輩

 《平野氏は07年に「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」を設立。死刑執行後に解散したが、新たに「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」を立ち上げ、カルト教団からの脱会者支援などを行っている》

――井上元死刑囚とは、どのようにして知り合われたのですか。

 「井上君は、京都の私立洛南高校の6学年後輩に当たる。共通の恩師である宗教担当の虎頭祐正先生から『君の後輩が地下鉄サリン事件に関わっている。裁判が長く続きそうだが、一度会ってやってくれないか』と、1995年の逮捕後に連絡があった。その時は断ったが、1審で無期懲役だったのが2審で死刑となり、改めて『ご両親と会ってほしい』と頼まれた。2006年11月、僕が留守を預かる京都の京極寺(相応学舎)で話を聞いた」

 「お母さんは『優しかった息子が麻原(彰晃=本名・松本智津夫=元死刑囚)に出会って変わってしまった』と語り、お父さんは『高裁はいい加減だ』と憤っていた。両親は『弁護士から悔いのないように活動してほしいと言われたが、何をしていいか分からない』とおっしゃっていた」

――井上元死刑囚の両親と会って、どうされたのですか。

 「活動を手伝ってあげられないかなと思い、井上君に一度手紙を書いてみた。すぐに返事があり、何度かやりとりした後、本人と会うことにした」

 「洛南高校出身で大谷派僧侶の菱木政晴先生、虎頭先生と僕の3人で東京拘置所に行った。彼は直立不動で頭を下げ、『ありがとうございます』とあいさつした。誠実な人だなという印象を持った」

 「彼は京都から高校の先輩や先生が来てくれてうれしかったのか、終始ニコニコしていた。ただ、今も耳に残っているのは、『こんなところに何年もいるんですよ』という言葉。罪に打ちひしがれた姿を想像していたのだが、全く違った明るい印象に違和感を抱いた」

「正解」知る人を求めて

 《井上元死刑囚の精神鑑定を行った西田公昭立正大学教授は、精神年齢が高校生ぐらいだと分析し「マインドコントロールや虐待を受けた環境では、一般成人と同じような成長は望めない」と指摘したという》

 「私も彼の幼さと明るさに違和感を覚えた。その後、本格的に交流を始めた2007年から、死刑が執行された18年まで、印象は変わらなかった。違和感を持ったまま、その正体は何だったのかと考え続けている」

――交流を重ねるうちに、井上元死刑囚の内面に変化は感じられましたか。

 「麻原元死刑囚への崇拝やオウムの教義からは抜け切れており、教団を外側から見ることはできるようになっていた。しかし、カルトで培われた精神性からは、離れられなかったのではないか。それがカルトの本当の恐ろしさだと思う」

 「オウムにいたとき井上君は、『正解』を知っている完全なる人を求め、自分もそうなりたいと考えていた。地位を利用したスピリチュアル・アビュース(霊的虐待)だけでなく、教祖や幹部の支配欲と信者の服従したい欲が結びついたとき、カルトになる。彼は犯した罪と向き合いながら、自分の支配欲や服従欲に気付きつつあった」

――11年間の支援活動で戸惑ったことは。

 「井上君は『僕は10の殺人事件に関わった罪に問われているが、実際に殺人をしたことはない』『機関誌に自分の意見をもっと反映させてほしい』と主張した。自己主張が強すぎて、意思疎通がうまくいかないことがあった」

 「ある時から、支援する私たちが彼に願っていた方向と、彼の向いていた方向がどんどんずれていって、そのギャップに私たちは困惑した。『私たちが共に願っていたことはこういうことだったよね?』と確認する話をしたいと思っていたところで、死刑が執行されてしまった」

人生を狂わせた説法

 《平野氏は金沢大学大学院に在学中、オウム真理教と接点があった。当時の罪の意識が、脱会者支援へと突き動かしているという》

――オウム真理教と関わったきっかけは。

 「1989年11月、坂本堤弁護士一家失踪事件が起きた(後に殺害されていたことが判明)。同じ月の下旬、オウム真理教の金沢支部に行き、麻原元死刑囚と会った」

 「虎頭先生から、僕と同じく洛南高校から金沢大学理学部数学科に行ったM君がオウムに入信したのではないかと親御さんが心配しているから、調べてほしい―と頼まれていた。ただ、失踪事件でオウムが疑われていたので僕は警戒し、ボクシング経験者で先輩のSさんに同行を頼んだ」

――どうなりましたか。

 「麻原元死刑囚の説法の後、新実智光元死刑囚から『人生相談を受けていきなさい』と勧められた。僕が『ヨガには興味がない』『あんな説教はおかしい』と言うと、新実元死刑囚は僕にではなく、M君に『どうしてあんな奴を呼んだんだ』と怒鳴った。見かねたSさんは、男気があったからこそ心配して、『僕はM君と一緒に帰る』と道場に残った。それがSさんを見た最後だった」

 「結果として、ミイラ取りがミイラになった。Sさんはオウムに入信し、今は金沢市にある後継団体『山田らの集団』の幹部を務めている。Sさんの人生を狂わせたという罪が、僕の活動の原点にある」

人がペット化されるカルトの世界

 ――カルトの組織構造には、どのような特徴があると考えますか。

 「カルトは双方向の信頼関係を崩し、上下関係を支配・被支配の関係にしてしまう。仏教でいう『畜生道』、つまり人がペット化される世界だ。源信僧都の『往生要集』には『畜生道にある者は常に恐れを抱いている』とある。だから相手の顔色を常にうかがう」

 「脱会させれば成功だと考えられがちだが、後遺症は残るし、本人は脱会が正しかったのかと悩み続ける。『教団から抜けると地獄に落ちる』と言われていたために『自分の方が間違っていたのでは』と教団に戻ろうとすることもある。依存したいという精神性から違うカルト宗教に入信し直す『カルトサーフィン』もよく起きる」

 《井上元死刑囚は拘置所で「カルトの被害者を一人も出したくない」という願いを持って生きていたという。その姿を知る者として、平野氏は「亡くなった後も彼の願いに生きなければ」との思いに至り、脱会者支援を続けることにした》

――カルト問題について、寺院関係者には何を訴えたいですか。

 「自分のお寺が受け皿になるのは難しい。でもカルト問題を勉強し、理解した上で、困った人が訪れてきたときに、専門家や支援者につなげる役割を果たしてほしい」

 「井上君には社会を良くしたいとの思いがあった。麻原元死刑囚はおそらく、野心をもって宗教を利用し、自分が王様になりたいと考えていた。社会を変えたいという点では井上君も麻原元死刑囚も同じだったが、結果として井上君は手足として利用されてしまった」

 「カルト問題は教祖が教義を利用して野望を果たそうとする問題であり、宗教問題。伝統教団の人々も、カルトの仕組みや教義は知っておくべきだ」
         ◇
 平野喜之(ひらの・よしゆき)1964年、京都生まれ。金沢大学大学院(数学専攻)博士課程、大谷大学大学院(仏教学専攻)博士課程満期退学。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)住職、金沢大学非常勤講師。「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」事務局を務める。

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オウム25年③外側だけ残る伝統教団 瓜生崇氏(真宗大谷派)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)の瓜生崇住職は、オウム真理教の後継団体「Aleph(アレフ)」などの脱会者支援を手掛けてきた。自身も「浄土真宗親鸞会」の脱会者。在家だった学生時代に入信し、熱心な布教活動を行った経験を持つ。現在は伝統教団の一員として、自坊の門徒や教えと向き合う瓜生住職は「伝統教団こそ宗教の危機を招いている」と話す。

瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

何が「良い宗教」なのか

――カルト視される教団の入信者と数多く向き合ってこられました。

 「アレフや浄土真宗親鸞会で、いろいろな入信者を見てきたが、さまざまな宗教のあり方を知った上で、既存の宗教に飽き足らない人が多かった。『阿弥陀さまがすくってくれます。安心ですよ。南無阿弥陀仏』と聞いて納得する人は、そもそもカルト視される教団には入らないという印象だ」

――オウム真理教に対する伝統教団の見方はどうでしょう。

 「問題意識や、人生に対する問いが伝統教団の担い手には薄い。伝統教団側は『オウムは悪い宗教で、我々は良い宗教』と思っているかもしれないが、人間の根源的な問いに答える形で伝道がなされているかという点では、むしろオウムの方が『良い宗教』で、伝統教団の方が『悪い宗教』と言えないか。そもそも良い宗教と悪い宗教が簡単に分けられると思う心自体が、オウムの事件を生んだのではないか」

 《現代の伝統仏教教団では、寺院の基本は世襲制。僧侶は寺に生まれ、当たり前のように教えに触れるが、瓜生氏はその〝当たり前〟の危うさを指摘する》

――伝統仏教教団の僧侶たちには、何が足りませんか。

 「例えば、地下鉄サリン事件の実行犯となった林郁夫受刑者(無期懲役確定、服役中)は、いろいろな新宗教を巡って、自分や人が救われる教えとは何かを真剣に求めた。しかし伝統仏教教団の大多数の僧侶たちには、宗教遍歴すらない。そこの枠から出て行こうともしない」

 「エホバの証人の信者たちにはノルマがあり、一軒一軒回って伝道している。伝統教団の人たちは『教団がなくなったら、経済的に困る』程度の危機感だ。そんなぐらいの『一生懸命』では、カルトの入信者たちとはすれ違う。『伝統教団が教えをもって教化すればオウムに入る人が少なくなる』というのは寝言だ。何も要求されず何も与えない、ぼんやりした宗教が良いというなら、それこそ宗教の危機ではないか」

伝道者は道を求めよ

 《瓜生氏が信仰する浄土真宗の教えは、一般的に修行などの身体性を伴わない。一方で麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の率いるオウム真理教は、ヨガを基に独自の修行を考案し、信者を増やしていった》

――伝統仏教教団の教えは、悩み苦しむ人に応えられないのでしょうか。

 「伝統仏教教団は、オウムに入信するような人々の悩みに応える教えを持っている。だが、教団の中にいる人たち自身が、教えを求めていない。求めているのは、耳に心地良い言葉と、懐古主義的なヒューマニズム、そして『いのちの大切さ』ぐらいだ」

 「教えに説かれることが本当にあるのかと疑問に思った人は、何らかの身体性を求める。浄土真宗親鸞会などにも身体性がある。信心をいただいて救われるということが、体験を通じて明確に自覚できると彼らは言う」

――身体性に頼ると危険ではありませんか。

 「身体性で宗教の真実性を自覚してしまうと、体験そのものを握り締めてしまう。これはオウムが陥ったわなでもある。体験そのものを真実にしてしまうと、『麻原元死刑囚が正しい』と逆の真理を語り始める」

 「仏教は皆が聞かねばならない教えではなく、私一人が聞いていく教え。ところが仏教教団の中にいることで、自分が『救われた人間』になってしまう。『いかに易しく伝えるか』ばかりが論点になってしまい、『私が聞いている教えは本当か』という問いが生まれてこない。伝道者が求道者になっていない。だが道を求めていない人の話を、求めている人が聞くはずがない」

カルト教団すら成立しない

 《地下鉄サリン事件から25年。この間に情報化社会が進展し、カルト教団の活動は全体的に縮小傾向にあるという》

――現在のカルト教団はどのような活動を展開しているのでしょうか。

 「インターネットが普及し、教団のネガティブな情報が即座に共有されるようになったので、昔のオウムのような大教団は生まれていない。せいぜい10~20人が集まる『ミニカルト』ができては消えていくのが現状だ。だからこそ、状況は見えにくい」

――アレフの現況をどう見ますか。

 「アレフは非常に静かだ。2018年7月の麻原元死刑囚の死刑執行後も静かだ。彼が教えた修行を地道にやり続けていこうという形をとっている。教団成立から40年ほどが経過することもあり、ある意味で成熟してきている」

 「アレフの幹部はヨガ教室を開いたりしているが、必ずしも入信に結び付いているわけではない。出家者もそれほど増えておらず、道場にもよるが、世俗化しつつあるのではないか」

――カルトが成立しにくい状況は、伝統教団にも共通しているかもしれません。

 「アレフにしか居場所がない人も多い。新宗教できちんと修行しようと思うと、できる教団は限られる。人間の根本苦を見つめることは、本来伝統教団の使命であるはずだが、伝統教団の方が現世利益化してしまっている。伝統教団にも真面目に信仰を追求している人たちはいるが、教団がそこに目を向けることはない。みんなにとって素晴らしい教団であろうとしすぎているのだろう」

――伝統教団の未来を、どのように考えていますか。

 「伝統教団には、寺や教団という足かせがあったからこそ、できた側面もある。私自身は、寺は教えに出遇う所だと思っている。簡単には捨てられない重たい物。それを先人が作ってくれたおかげで、仏法に出遇う人がいる。寺や教団にも意味は当然ある。しっかりと残さねばならない」

 「だが、このままだと教団の外側だけが残って肝心の中身が静かに死んでしまうのではないか。道徳のような別の物に生まれ変わってしまう危機感がある。真宗が道徳になっていくなら、存在意義はない」
             ◇
 瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
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オウム25年②信者も被害者だった 楠山泰道氏(日蓮宗)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 日蓮宗大明寺(神奈川県横須賀市)の楠山泰道住職は、約30年前からオウム真理教の脱会者支援に取り組んできた。地下鉄サリン事件と教団への強制捜査があった1995年には、他宗教の聖職者や医師、弁護士らと共に「日本脱カルト協会」を設立。「サリン事件で加害者となった信者も、マインドコントロールをかけられた〝被害者〟であると受け止めることが必要」と話す。

楠山泰道(くすやま・たいどう)1947年生まれ。立正大学仏教学部仏教学科卒。日蓮宗大明寺住職、日本脱カルト協会顧問。深愛幼稚園園長、宗教法人大明寺「青少年こころの相談室」室長。著書に『法華経の輝き―混迷の時代を照らす真実の教え』(大法輪閣、2014年)、『カルトから家族を守る』(毎日新聞社、00年)などがある。

善良さが社会を敵視した

 《1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件は死者13人、負傷者6千人以上を出し、オウム真理教の幹部や信者が多数逮捕された》

――事件について、どのような考えを持っていますか。

 「事件には2種類の被害者がいる。一つはサリンをまかれたことで突然亡くなり、後遺症を負った何の罪もない人たち。もう一つは、実行した信者とその家族だ。彼らもまた、マインドコントロールをかけられたことによって、健やかな人生や青春を奪われた被害者に違いない」

 「では加害者は誰なのかと言えば、当時の社会背景を作った人々。すなわちこの問題について何も考えず、興味も持たなかった大人たちではないだろうか」

 《楠山氏は地下鉄サリン事件の前から、オウム真理教をはじめカルト視される教団からの脱会者支援を行っていた》

――脱会者支援を始めたきっかけは、何だったのですか。

 「オウムの脱会者支援を始めたのは1990年。当時、私は教員をしており、青少年の非行問題に取り組んでいた。その中に入信した子がいて、脱会させたのが活動の始まりだった」

 「カルト宗教の情報を共有する勉強会を毎月重ねるうち、入信してしまった子を取り返したいという親御さんが、どこにも相談できずに集まってきた。これまで約200人と会い、40人ぐらいの脱会に関わった」

――カルトの一番の問題は何でしょうか。

 「入信するとお金を奪われるだけでなく、人生の大事な時間と人間関係を壊される。家族や友人、社会での居場所が失われてしまう」

 「入信するのはまっすぐで良い人が多く、教団の教えにより世の中を救おう、善いことをしようと思っている。だからこそ、解決しがたい。脱会させようとして『間違っているよ』と指摘すると、『なんで邪魔するんだ』と敵視される」

――攻撃性を強めていくわけですね。

 「カルトの特徴は、カルト的理想郷をつくろうとする点にある。例えばオウム真理教がオウム王国をつくろうとしたように、信者を出家させて家族と断絶させ、マインドコントロールしていく。すると社会から攻撃されていると信じ切って、自分たちを守ろうと団結し、執念深く行動するようになる」

宗教テロを予防しない国

 《公安調査庁によると、オウム真理教の後継団体は、主流派の「Aleph(アレフ)」が2019年に約100人の信者を獲得。死刑執行後も、麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚への絶対的帰依を示している。「山田らの集団」、「ひかりの輪」も活動を続けている》

――アレフの活動をどう見ていますか。

 「札幌市白石区に大きな拠点がある。オウムを知らない若い信者たちはみんな『事件は政府の陰謀だ』『マスコミのでっち上げだ』と信じている。ヨガ教室から入信させ、出家主義をとっている」

――現状ではどんな対策が有効でしょうか。

 「日本は多くのカルト教団が存在してきたにもかかわらず、カルト問題については何ら方法も手段も持っていない。オウム事件ですら、再発防止策を講じることなく闇に葬ってしまった」

 「英国やドイツなど海外メディアから取材を受けると、彼らの問題意識は『宗教テロ』の予防だとわかる。米国でもオウム事件を参考に対策を立てたと言われている。日本はおそらく誰も予防のことなど考えていない」

――カルトの定義が難しいという側面もあります。

 「カルトは本来、熱狂的な集団と呼ばれるもの。問題は、常識を超えて反社会的な行動を取る破壊的なカルトだ」

 「もっとも、私は宗教者として『宗教違反』をする団体が問題だと考えている。私の場合は仏教だが、社会的常識を逸脱した行為や人権を無視する行為は『宗教違反』と認定できる。『あなたたちの教えは宗教違反です』とはっきり言える教団や宗教者が求められているのではないか。社会問題になったときに、信教の自由を保ちながらも、『宗教違反』や破壊的カルトだと見極める仕組みがなければならない」

死刑に奪われた機会

 《日本脱カルト協会は2018年3月15日、麻原元死刑囚を除く死刑囚12人について、死刑を執行せず、無期懲役に減刑する恩赦を検討するよう求める要請書を、法相に提出した。しかし7月6日に麻原元死刑囚を含む7人、同26日に6人の死刑が執行された》

――死刑執行についてはどうお考えですか。

 「オウム事件は『宗教テロ』だった。あれだけ優秀な人たちがなぜ入信し、問題を起こしたのか。人を殺し、命が失われる修行などあってはならない。それなのになぜ、彼らは一生懸命〝修行〞に励んだのか。私はマインドコントロールという言葉を頼りにしたが、今でも半分は納得できない」

 「だが、優秀な人たちがマインドコントロールを受けてテロリストになる過程について、知見が得られるはずの機会は、死刑執行によって奪われた。彼らが生きてさえいれば、マインドコントロールが解けた段階でわかることがあった」

 「信者と教祖が一緒に死刑になるのは正しいのか。麻原元死刑囚が救ってくれると信じた元死刑囚もいたが、麻原元死刑囚は結局、何もできなかった。アレフなどの残された信者たちに向かって、当時の幹部が証言し、解明できることはあった。何もできなくなった悔しさが残る」

――宗教の役割をどう考えますか。

 「伝統仏教の役割は、心穏やかに健康でいることが生きる価値だ、と教えること。これをカルトが教えるから問題になる。泣いて来た人を笑顔で帰してあげる。苦しい人を救ってあげる。そうしたことを、お寺は仕事にしなければならない。宗教者の目的は、救うことなのだから」
            ◇
 楠山泰道(くすやま・たいどう)1947年生まれ。立正大学仏教学部仏教学科卒。日蓮宗大明寺住職、日本脱カルト協会顧問。深愛幼稚園園長、宗教法人大明寺「青少年こころの相談室」室長。著書に『法華経の輝き―混迷の時代を照らす真実の教え』(大法輪閣、2014年)、『カルトから家族を守る』(毎日新聞社、00年)などがある。

(文化時報2020年3月11日号から再構成)
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オウム25年①問われる信教の自由 小原克博氏(同志社大学)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 日本宗教史上例を見ない無差別大量殺人を犯したオウム真理教。教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚ら教団幹部13人の死刑が2018年に執行され、事件は平成のうちに幕を下ろしたかに見えるが、宗教界には解決できていない課題が依然残る。オウム事件とは何だったのか。警察の強制捜査から25年を迎えた今年、宗教者や宗教学者のインタビューを通して、改めて考えたい。

小原克博(こはら・かつひろ)1965年、大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。現在は同志社大学神学部教授、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。著書に『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社、2018年)などがある。

伝統教団が宗教教育を行うべきだ

 《小原克博同志社大学教授は、宗教者と研究者らでつくる「現代における宗教の役割研究会」(コルモス)のメンバーとして、ここ数年、オウム真理教事件をテーマに議論を重ねている。今回は「宗教リテラシー」を養う重要性を尋ねた》

――オウム真理教は、宗教と呼べるのでしょうか。

 「事件前からオウム真理教をおかしいとみていた宗教学者もいたが、ユニークだとして賛辞を贈った学者もいた。良い宗教と悪い宗教の境界線は、簡単に引けない。『無条件で非難しても構わない』という思考停止に陥らないためにも、異質な宗教を安易にカルトと断定することは避けねばならない」

――どうすれば良い宗教と悪い宗教を見分けられるのでしょうか。
 
 「ドメスティックバイオレンス(DV、夫婦や内縁者間の暴力)と似ているのだが、支配構造に入って洗脳されると『助けて』とすら言えなくなる。入る前に『この宗教はおかしいかもしれない』というセンサーを働かせることが大切だ。そのためには、宗教の基本を理解する『宗教リテラシー』が必要になる」

――「宗教リテラシー」を習得するのは、容易ではないように思えます。

 「戦後世代は公教育の中で宗教とは何かを教えられておらず、老いも若きも無知に等しい。現代社会で宗教教育が直接できるのは、伝統教団だ。戦前の日本人なら、お寺の日曜学校でお経を学んだり仏教唱歌を歌ったりすることで、子どもの頃から体得できた」

 《日本国憲法20条3項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との定めがある》

 「伝統教団にとっては、まずは自分たちの檀家や信者になってほしい、という切羽詰まった危機感はあると思う。それはわかるが、自分たちの信仰や教えを中心としながらも、広い視点で宗教とは何かを考えられるようにしてほしい。『宗教リテラシー』は、単なる知識ではない。信教の自由の大切さを納得できる教育が欠かせない」

荒唐無稽な宗教でも尊重する

 《事件当時、オウム真理教の幹部は「日本の寺は風景でしかなかった」と語った。その言葉に、伝統仏教教団の僧侶たちは衝撃を受けたと言われている》

――伝統教団は当時、オウム真理教を面と向かって批判していませんでした。なぜ見過ごしたのでしょうか。

 「端的に言えば、自分たちに関係ないと思っていた。縄張りを荒らされたら困るが、変わった宗教が妙な教祖の下でヨガをやっているだけならいいだろう、と静観していた。自分たちを正しいと思い込むだけで、積極的な批判や質問をしてこなかった」

――そうした態度が、オウム真理教の暴走を生んだと考えられませんか。

 「佐々木閑花園大学教授が指摘しているが、初期仏教のサンガには、修行のための厳格な『律』があった。もし麻原元死刑囚が『律』の重要性を理解していたら、不殺生戒を破る殺人は犯さなかっただろうし、ポアという言葉を簡単には使わなかったはずだ」

 「オウム真理教の唯一のルールブックは、麻原元死刑囚だった。『律』がないゆえに、自分たちの欲望や思いが暴走しても、止める仕組みがなかった」

――麻原元死刑囚の説く教えに引かれた若者もいました。

 「いつの時代にも、世の中の理屈や論理に満足できず、別の秩序や非日常的な世界に何かを求める人はいる。オウム真理教の幹部の多くは、最高の教育を受けて医師や弁護士などになっても、日常のレールを走り続けることに疑問を感じ、違う世界に飛び込んだ」

 「社会常識が分かっていない、と言って宗教を批判しても意味がない。常識では測れないものを求めてきた人たちの集団が、宗教教団だからだ」

――われわれにも奇異な目で見ない寛容性が必要だった、ということでしょうか。

 「いかに荒唐無稽で理解しがたい宗教でも尊重しなければならない、というのが、信教の自由における基本的な考え方。宗教戦争で体得した欧州と異なり、日本にはその大切さに気付く経験が乏しかった」

死刑執行、宗教界は無視するな

 《公安調査庁は1996年7月、破壊活動防止法に基づくオウム真理教の解散指定処分請求を公安審査委員会に行った。公安審査委は97年1月、請求を棄却。オウムは破防法の適用を免れた》

――破防法適用の是非を巡っては当時、信教の自由がテーマの一つになりました。
 
 「破防法を適用すべきだという意見が強かった当時、議論を積み上げ、簡単に宗教団体をつぶさないと決断したことは、正しかった」

 「日本には戦争の教訓がある。キリスト教や大本などは、秩序に反するとみられるや否や、国家につぶされてきた。国家権力が宗教団体の破壊や停止に関わったという戦時下の苦い記憶が生かされたと言える」

 《一連のオウム事件では、麻原元死刑囚を含む教団幹部13人の死刑が執行され、改めて死刑を巡る議論が起きた》

――麻原元死刑囚を除く幹部を死刑にしてよかったのかという疑問や、麻原元死刑囚自身を死刑にすべきだったのかという議論もあります。

 「死刑制度に対する檀家や信者の賛否は真っ二つに分かれる。仏教徒だからと言って、死刑に反対する人が極端に多いわけではない。だから各教団の意見がまとまりにくく、仏教界が一枚岩にならない」

 「だが、白黒はっきりさせなくても、死刑に関する議論はしなければならない。オウム事件の死刑執行を宗教界は無視すべきではない。国家が生殺与奪の権を握るという死刑制度を維持していいのか、宗教教団がそれを放任していていいのか、という問いが突き付けられている」
 

          ◇
 小原克博(こはら・かつひろ)1965年、大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。現在は同志社大学神学部教授、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。著書に『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』(日本実業出版社、2018年)などがある。
           ◇
【用語解説】オウム真理教事件
 1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件、94年の松本サリン事件、95年の地下鉄サリン事件など、オウム真理教が引き起こした数々の凶悪事件の総称。地下鉄サリン事件では、幹部らが東京都内の地下鉄5列車の車内で猛毒のサリンを散布し、乗客や駅員ら13人が死亡、6千人以上が重軽傷を負った。一連の裁判では、麻原元死刑囚の指示を受けた幹部や信者らが、教団を批判する人たちを襲い、強制捜査を阻止しようと無差別テロを起こしたと認定された。

(文化時報2020年3月7日号から再構成)
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【速報】天台宗・杜多内局 11月総辞職へ

 天台宗の杜多道雄宗務総長と内局が11月にも総辞職する方針であることが7日、関係者への取材でわかった。任期を来年3月まで残しての早期退任。新型コロナウイルスの影響で延期になった「不滅の法灯全国行脚」などを来年度に控え、次期内局による予算編成を見据えた。後任の宗務総長を決める選挙は現内局の退任日に行われ、20日前に立候補を締め切る。

 2022年までの祖師先徳鑽仰大法会は来年、宗祖伝教大師1200年大遠忌法要を控えており、宗派は4月にも不滅の法灯全国行脚や教区法要などの再開を目指す。比叡山延暦寺では10~11月に天台宗ゆかりの教団による法要が営まれる。そのことも踏まえ、就任後の各教団へあいさつ回りの時間も考慮した。

 天台宗務庁で今月4日に開いた宗議会代表者会議の直前、宗議会会派の新成会(細野舜海会長)と道興会(栢木寛照会長)の代表に、11月中旬から末頃までに退陣する方針が伝えられたという。

 天台宗の宗務総長は、東日本と西日本が交代で4年の任期で務めるのが近年の慣例。杜多宗務総長は東日本の所属のため、次期宗務総長は西日本から選出される公算が高い。

 代表者会議では、コロナ禍で苦しむ寺院への救済策として、宗派全寺院に後期の宗費収納を4割減額する案も示された。10月の通常宗議会での成立を目指す。

「グリーフケアは僧侶の使命」当事者、学んで向き合う

 大切な人を亡くした悲嘆(グリーフ)について当事者が学び、回復につなげていく浄土宗の寺院がある。京都市右京区の西寿寺。「グリーフケアは僧侶の使命。そこに命を懸けている」と話す村井定心住職も、当事者だった。3月3日には、活動のきっかけとなった黒川雅代子龍谷大学短期大学部教授を招いて講演会を開き、身近な人との死別を経験した10人ほどが集まった。(大橋学修)

黒川雅代子教授を招いて行われたグリーフケアの講演会=京都市右京区の西寿寺

 村井住職は2009年3月、西寿寺の先代住職が急逝したことで、悲しみに暮れた。それが、黒川教授が寄稿したグリーフケアに関する新聞記事を読み、「心の救いにつながった」。以来、講演会を繰り返し開き、自身の悲嘆と向き合ってきた。

 4年ほど経過した頃、先代住職との死別が自分自身の人生に必要なことだったと感じるようになった。「気の毒なのは庵主さんではなく、私だったのだと気付いた。仏さまにお預けしたのだから、安心していいのだ」

 亡くなったのは、自分の作る食事が健康に配慮していなかったせいではないのか。そう自分自身を責めたことがあったが、「庵主さんが身をもって教えてくださった」と感じるようになったという。
 
 寺を訪れる遺族たちへの対応も変わった。「頭で理解しようとしていたのが、心で気持ちが分かるようになった。『頑張らなくても良いのですよ。理解してくれる人の前では、悲しんで良いのですよ』と言えるようになった」

 この日の講演で黒川教授は「予備知識がなく、周囲に死別を体験した人がいなければ、話を聞いてくれる人や話せる場がない」と語った。高齢になって配偶者と死別すれば必ず孤独を感じるとも指摘し、「従前からコミュニティーを作っておくことが必要」と伝えた。

 3カ月前に配偶者と死別したという参加者は「グリーフケアの話を聞いて、本当にピタリときた。悲しみは悲しみなので、そこにどう向き合うのかが大切に感じる」と話していた。

西寿寺の村井定心住職

喪失と回復の往復

 グリーフケアは、2005年のJR福知山線脱線事故を機に広く知られるようになり、11年の東日本大震災でもその重要性が指摘された。黒川教授は、遺族会の運営支援に携わる専門家として知られる。

 黒川教授によると、グリーフは喪失に対するさまざまな反応のこと。食欲不振や睡眠障害などの「身体的反応」、悲しみや怒りなどの「心理的反応」、「行動反応」があり、人によって表れる反応は異なる。

 特に「行動反応」には、スケジュールを埋めて活発に活動しようとする「過活動」があり、他人から見ると回復したと誤解されやすい。子どもを亡くした夫婦で、夫が「過活動」となって妻が引きこもるケースもあり、互いに反感を抱く原因にもなるという。

 こうした悲嘆反応にある状態を「喪失志向」、これからの人生をどのように歩むのかを考える状態を「回復志向」と呼ぶ。時間薬という言葉もあるが、心の状態は喪失志向と回復志向の間を往復するように揺れ動き、徐々に悲嘆から脱却する経緯をたどる。

グリーフケアの模式図

 どんな人でも、自分がどう生きていくかをイメージする。想定していた人生の舞台から登場人物がいなくなることで、喪失志向に陥るのだという。

 黒川教授は「死別した人には、違う形で登場してもらう必要がある。過去はつらい思い出ではなく、豊かな人生に転換するものにしなければならない」と指摘。「どのような人に出会うのか、どんなサポートを受けるのかが大切。人との関わりが重要になる」と話した。

 また、「日本人には古来、悲嘆に向き合おうとする文化がある」と解説。万葉集に、悲嘆をテーマとして心を整理しようと詠まれた歌があることや、7日ごとに経を読んで悲しみを分かち合う中陰法要を例に挙げた。
          ◇
 黒川雅代子(くろかわ・かよこ) 1965年生まれ。龍谷大学短期大学部教授。かつて救急救命の看護師として多くの死別と向き合い、救命されても後遺症で不自由な生活を送らなければならない現実に直面。龍谷大学で社会福祉を学び直した。在学中に遺族のセルフヘルプ・グループ「神戸ひまわりの会」の立ち上げに関わったことが契機となり、グリーフケアの研究者としての道を歩んだ。

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【速報】浄土宗職員が新型コロナ感染、自宅待機

浄土宗の京都宗務庁=京都市東山区


 浄土宗は3日、京都宗務庁(京都市東山区)で職員1人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。感染経路は不明。症状は軽く、宗は経過観察のため自宅待機とした。15分以上の会話の有無など、保健所の基準に従って濃厚接触者を特定したが、PCR検査を全職員が受けられるよう準備を進めている。

 宗によると、感染した職員は、においや味を感じないことに気付き、自分からPCR検査を受けた。1日に検査結果が通知され、陽性が判明したという。

 宗は翌2日、京都宗務庁の消毒を行い、3日に管理職ら必要最小限の職員が出勤して対応を協議。濃厚接触者も自宅待機とし、それ以外は通常通り勤務するが、7日まで窓口の受付業務を中止し、電話やメールで対応することにした。

 夏季休庁期間と合わせて2週間の経過観察期間を設けるため、17日以降は通常通りに業務を行い、各種行事も予定通り開催する。全職員の検査結果次第で変更する可能性もある。

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