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noteで連日記事公開 2021年ゴールデンウイーク


 こんにちは。宗教専門紙「文化時報」編集局です。

 年末年始に合わせ、文化時報の紙面で反響のあったインタビュー記事を連日、ブログサービス「note」で公開していきます。
 https://note.com/bunkajiho

 期間は4月29日~5月9日です。
 公開予定記事やスケジュールは、以下をご覧ください。
 https://note.com/bunkajiho/n/ne7d04757aa6c

 よろしくお願いいたします。

空き家活用「人の駅」 越前海岸に登場

 過疎化に悩む福井市西部の越前海岸エリアに活気を取り戻そうと、浄土真宗本願寺派善性寺(福井県越前町)の山田靖也住職らが参加する「福井市越前海岸盛り上げ隊」が、空き家を活用した「人の駅」の設置に着手した。イベントや宿泊を通じ、地域住民と訪問者が交流する取り組み。開設に向けたクラウドファンディングでは、約300万円の支援金が寄せられた。

改築される古民家「はりいしゃ」は、鍼灸院として使われていた

 「人の駅」の中心となるのは、「はりいしゃ」の屋号で呼ばれる築50年の空き家。クラウドファンディングで寄せられた資金を元手に改修工事を行い、ギャラリーやイベントスペース、宿泊所を兼ねた交流拠点とする。

 「盛り上げ隊」には、ガラス作家や写真家など多彩なメンバーが集う。山田住職は「クラウドファンディングを通じて、メンバー同士の結束が強まり、コラボレーションにも期待できるようになった。楽しんでもらえるよう工夫したい」と意気込みを語った。

移住者で僧侶だからこそ

 「盛り上げ隊」が活動する福井市越前海岸エリアは、鷹巣、棗(なつめ)、国見、越廼(こしの)、殿下(でんが)の5地域から成る。

 名古屋市出身の山田住職は、2014年に越廼地域へ移り住み、精進料理を提供する古民家レストラン「いただき繕(ぜん)福井越廼」を営んだ。地域の寺で聞いた法話をきっかけに僧侶を志し、16年に得度。空き寺となっていた善性寺を継いだ。「地域の魅力を発信することが、地域で生きる僧侶の役目」と語る。

地域への思いを語る山田靖也住職

 「盛り上げ隊」の発足から間もない2014年頃、隊長を務める長谷川渡さんに加入を勧められた。越前海岸エリアは漁業で成り立つ地域。自身は菜食主義者であり、「できることがあるのか」と戸惑ったが、「地元の人が見過ごしがちな魅力を広めたい」との思いで参加した。

 移住者で僧侶だからこそ、持てる視点があった。「耕作放棄地にはミカンやウメが自生し、空き家は少しの手入れで住める。十分に活用されていない宝物がたくさんある」。地域活性化の鍵は、地域に眠っていると考えた。

 状態の良い空き家や古民家に移住希望者を案内し、地元住民の話を聞く「空き家ツアー」、パンや古道具を販売する「しかうら古民家マーケット」などを、2年前から独自に開催。空き家見学と法話を合わせた「人生探検ツアー」は、「盛り上げ隊」の主な活動の一つにもなっている。

 善性寺周辺の民家は半数近くが無人。「何とか活用できないか」と相談されることも多く、地域を離れる門徒から「使ってほしい」と託されたことが、「空き家ツアー」のきっかけになったという。

 「地域の人に親しく相談していただけるのも、お坊さんという立場だからこそ。独り善がりの喜びではなく、『私もうれしい、みんなもうれしい』を目指したい」。山田住職は力を込めた。(安岡遥)

(文化時報2020年8月26日号から再構成)
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總持寺祖院が完全復興 能登半島地震から14年

 曹洞宗の大本山總持寺祖院(石川県輪島市)は6日、2007(平成19)年の能登半島地震からの復興を祝う落成慶讃法要を営んだ。地震では大部分の建物が被災。全国の寺院から支援を受け、14年かけて修復された。地域のシンボルでもある祖院の復興は、輪島市民にとっての悲願とあって、同日には市主催の能登半島地震・完全復興式典も行われた。

 總持寺祖院は1321(元亨元)年に瑩山紹瑾禅師によって開創。大本山總持寺は1898(明治31)年4月の火災を機に、現在地の横浜市鶴見区に移転したが、焼失を免れた伝燈院、慈雲閣、経蔵に加えて七堂伽藍が再建され、地域の信仰を集めていた。

 能登半島地震は2007年3月25日に発生。輪島市や七尾市などで震度6強を観測し、死者1人、負傷者359人に上った。總持寺祖院では登録文化財の17棟をはじめ大部分の建物が被害を受け、坐禅堂は倒壊の危機にひんした。

 震災から3カ月後の6月に復興委員会を立ち上げ、修復工事を開始。推定200㌧の山門は、全体を持ち上げて移動させ、耐震のための地盤改良も行った。

 落成慶讃法要は、江川辰三・總持寺貫首の導師で営まれ、大般若経の転読などを行い、14年にわたる復興への慶賀を表した。江川貫首は垂示で、「伽藍はすっかり整った。全国の宗門寺院の方々や復興を支援してくださった檀信徒などのおかげだ」と謝意を表し、「本山と祖院は一体。信仰のよりどころとして、護持発展のために今後もよろしく願いたい」と述べた。

 乙川暎元・總持寺監院は「多くの方々の祖院における思いが結実した結果と胸に刻みたい」と話し、小林昌道・大本山永平寺監院は「開創700年の年に復興落慶式が行われることは、慶賀に堪えない」と語った。

輪島市民の象徴、誇りの復興

 能登半島地震では、死者・負傷者だけでなく、住宅やそれ以外の建物約2千棟が全半壊した。伽藍が甚大な被害を受けた總持寺祖院の復興は、輪島市民にとっては震災の完全復興を象徴する出来事となった。

 梶文秋輪島市長は落成慶讃法要の祝辞で、「震度6強の地震が襲い、門前町を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害を受けた。總持寺祖院では、境内の風景が一変した」と振り返り、「祖院は地域住民の日常生活に溶け込んでおり、地域の誇りでもある。祖院の復興なくして震災からの復興なしと、この日を待ち望んでいた」と語った。

 落成慶讃法要の前に山門前で揮毫奉納を行った書家の阿部豊寿さんは、黒色のパネルに「禅」と金字でしたためた後、山門前に広げた畳約8畳分に相当する紙に力強く「完全復興」と書き上げた。「この町は700年間、總持寺祖院と共に歩んできた。明るく、災害に強い町として、これからも共に歩んでいく」とあいさつした。

(文化時報2021年4月12日号から再構成)
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宇宙に浮かぶ内陣 ホテル一体型・浄教寺

 改築工事を進めていた京都市中京区の浄土宗浄教寺(光山公毅住職)が7月21日、本尊の開眼と併せて竣工式を営んだ。三井不動産とタイアップし、寺院とホテルを一体化。ホテルは9月28日にグランドオープンした。京都市内では初めてのケースで、古都における寺院復興の事例として注目される。(大橋学修)

48基の灯籠に照らされる内陣

 1323.4平方㍍の敷地に、鉄骨一部鉄筋コンクリート9階地下1階建て延べ6885.41平方㍍を建てた。1階部分に「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」のエントランスと、浄教寺の本堂、寺務所を置く。

 本堂は、光山住職の「古い物を生かし、今の時代に合ったしつらえに」との要望を受け、大西法衣佛具店の大西晋平社長がデザイン。内陣を中央に据えた回廊式で、信州善光寺の戒壇巡りのように、薄暗い空間に光輝く内陣が浮かび上がる。

 内陣は回廊より50㌢ほど高くなっており、旧本堂の柱や梁などを活用。須弥壇(しゅみだん)は以前よりも高さを抑えた。天蓋(てんがい)や幢幡(どうばん)などの荘厳仏具は修理を施し、内陣の周囲に巡らせた48基の灯籠に照らされて、それぞれが輝きを放つ。

 回廊の天井や壁、床は黒を基調に仕上げ、随所に金銀のラメをちりばめた。極楽浄土に至る道程の宇宙空間をイメージしたという。

 平安後期に制作された地蔵菩薩立像や、同寺創建の礎を築いた平重盛の座像を奉安。同寺を菩提寺とする日本南画家、平尾竹霞(ちくか)の作品など、各種の寺宝や建設前の発掘調査で発見された鬼瓦なども展示し、歴史と芸術を感じさせる空間となっている。

持続可能な新手法

 浄教寺がホテルを併設した背景には、観光都市・京都の市街地にある好立地を生かして、持続可能な寺院にしたいという光山住職の決断があった。

 光山住職は、東京都文京区の善雄寺で生まれ育ち、銀行に勤めながら法務を手伝った。浄教寺はかつて叔父が住職を務めていたが、後継者として自分に白羽の矢が立った。

 ただ、堂宇は古く、檀信徒数は約100軒と多くない。京都の市街地に立地する強みを生かして、ホテルにすれば再興できると、銀行勤めで培った経済感覚で考えたという。

 実際に不動産賃貸という新たな収益源を得たことで、堂宇の改築費や寺院運営費の一部を捻出できた。檀信徒の金銭的負担は全くないどころか、護持会費の徴収を廃止したという。

 光山住職は「経済的な独立なくして、教化はあり得ない。100年、200年後を考えた活動をしなければならない」と強調。「浄教寺の手法は、寺院再生の一つの在り方。お寺の文化的な意義を伝えながら、企業体として収益を得る画期的な案件だと感じる」と話す。

浄教寺の歴史を物語る所蔵品を展示した回廊

開かれたお寺に

 「人が集まることでお寺が生きる。お寺をいかに生かすのかが、これからの私たちの仕事ではないか」

 光山住職の考えに基づいて、ホテルの運営を担う三井不動産も、寺院一体型という特色を最大限に生かし、立地だけに頼らないホテルを目指す。

 ロビーには本堂を眺められる窓を設け、館内の調度品にはかつて浄教寺にあった部材を活用。宿泊者が毎朝の勤行に参加し、写経体験などができるプログラムも用意した。「開かれたお寺でありたい」という光山住職の願いを形にした。

 また、本堂の回廊部分に寺宝を展示したのは、檀信徒が浄教寺を誇れるようにするためだという。光山住職は「これまで絵画や墨跡の軸を大切にしすぎて、しまいこんでいた。興味を持つ友人を連れてきてもらえるようなお寺でありたい」と話す。
        ◇
 浄教寺に併設する「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」(☎075-354-1131)の総客室数は167室。黒を基調としたデザインで、寺院と一体の雰囲気を醸し出している。JR京都駅前の三井ガーデンホテルに荷物を預ければ、浄教寺のホテルに搬送してくれる「バゲージサービス」(有料)もあり、身軽に京都市内の社寺を巡拝できる。

(文化時報2020年8月22日号から再構成)
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差別と地震、悲嘆は同じ 浄土宗・静永秀明氏

 悲嘆(グリーフ)を抱える人々に対し、「私たち仏教者は、スポンジのような役割を果たすべきだ」と語るのは、浄土宗金龍院(滋賀県甲賀市)の静永秀明住職(51)。浄土宗宗務庁の人権担当部署で勤務した経験が長く、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災地に行った経験からくる言葉だ。サラリーマンだった父が突然出家し、図らずも僧侶を志すことになった静永氏は「差別で苦しむ人も、大切な人を亡くした人にも、向き合う姿勢は同じ」と考えている。(大橋学修)

浄土宗金龍院の静永秀明住職。後ろの掛け軸は藤井門跡の染筆

父と私、出家の覚悟

 父は一般企業の管理職。公立の施設で結婚式の運営や食事の提供を請け負っていた。自身は小中学生の頃、旧国鉄の車掌長が身に着ける白い制服に憧れ、鉄道マンになることを夢見ていた。

 転機が訪れたのは、中学3年の時。当時48歳だった父が、突然出家すると言い出した。

 父は、極楽寺(奈良県葛城市)の住職の次男。跡継ぎは伯父だった。ところが金龍院の代務住職を務めるようになり、奈良県と滋賀県の2カ寺を掛け持ちすることが負担だった。そこで、父に白羽の矢が立ったという。

 父が転身を宣言したのは、当時住んでいた兵庫県西宮市の高校に入学願書を出した直後。「そんな話、聞いたこともない」と戸惑った。それでも、父が会社に提出する退職願をしたためる後ろ姿を見て、自分自身も将来は僧侶になる覚悟を固めた。

 父は金龍院の住職になり、自分は母方の祖母宅から西宮市の高校に通った。

上から目線ではダメ

 1988(昭和63)年に佛教大学に入学。大本山くろ谷金戒光明寺に設けられた学寮で修行しながら通学した。長らく在家として生活してきたため、数珠の掛け方など基本的な所作さえ知らなかった。3年生になる直前、総本山知恩院の藤井實應門跡(1898~1992)に仕える伴僧員に誘われ、少しでも僧侶の知識を身に付けようと、知恩院で奉職しながら大学に通うことを決めた。

 想像した以上に厳しい毎日だった。「こんな所、すぐにでも辞めてやる」。ただ、3カ月もすると藤井門跡との生活の中で多くの学びが得られることを実感し、退山する気持ちがなくなった。

 卒業後は浄土宗宗務庁に入り、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」の事務局に配属された。大学時代に故仲田直教授が講義で「浄土宗を背負っていくお前たちが、同和問題に一生懸命に取り組まないと、この問題は解決しない」と言っていたことを思い出した。

 当時は、差別戒名問題=用語解説=が解決していない時代。不当な差別に苦しむ人々を見て、それぞれの違いを認め、お互いを尊重することの重みを感じた。差別事象が発見されるたびに、人権団体への対応を迫られ、学びを深めた。

 「自分は当事者になれないが、寄り添う努力は必要だ。苦しむ人に手を差し伸べるという上から目線ではなく、そばにいて、空気のような存在でなければならない」と語る。

二つの震災と無力感

 仕事に慣れてきた1995(平成7)年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。翌18日、故郷の西宮市に向かった。にぎやかだった街は静まりかえり、聞こえるのはサイレンの音だけ。砂ぼこりにまみれた空気の中で、恐怖におののいた。上司から命じられて市内を自転車で巡り、被災寺院の調査に取り組んだ。何もできない自分の無力さを感じた。
 
 16年後、今度は東日本大震災が起きた。居ても立ってもいられない気持ちだったが、業務があって駆け付けることができない。人権啓発で縁のできた西光寺(宮城県石巻市)の樋口伸生副住職を通じ、必要物資を送った。ようやく足を運べたのは、西光寺での百箇日法要だった。「できることは限られている」。そう感じた。

 その後は、西光寺で営む遺族の集い「蓮の会」に参加するようになった。最初は「気を遣わねば」との思いが強かったが、口にしてはならない言葉さえ話さなければ、普段通りに振る舞う方が良いことに気付いた。

 阪神・淡路大震災では、西宮の街が復興する姿を見届けた。石巻市でも毎年3月、西光寺の2階から〝定点観測〟をしている。

 「建物が再建されても、人の心が戻らないと復興とは言えない。被災地にいれば、どうしても気がめいる。だから、お茶を飲みながら普通に話をして、心の中の重たいものを僕らが受け止めることが大切」

 そして、悲嘆を吸収していく。スポンジのように。
       ◇
【用語解説】差別戒名問題(仏教全般)
 平等思想を貫くべき仏教を信奉しているにも関わらず、被差別部落出身者の故人に、侮蔑的な文字を用いるなど、特殊な戒名を付けていた問題。

(文化時報2020年8月19日号から再構成)
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