月別アーカイブ: 2021年5月

太閤桜よ東北に咲け 「京の杜プロジェクト」定着

 真言宗醍醐派の総本山醍醐寺(仲田順和座主、京都市伏見区)が、東日本大震災で被災した東北の小学校に桜を届ける活動を着実に続けている。「京の杜プロジェクト」と題した取り組みで、地元の小学生らが太閤しだれ桜のクローン苗木を育て、毎年1本ずつ現地の小学校に贈ってきた。「命がつながっていることを、子どもたちに伝えたい」。震災は来年、発生から10年を迎える。(主筆 小野木康雄)

岩手県宮古市の市立津軽石小学校で行われた「京の杜プロジェクト」の植樹式=2017年3月

児童らが苗栽培

 京の杜プロジェクトは、醍醐寺と住友林業株式会社、KBS京都による共同企画として2012年度にスタート。京都市立醍醐小学校と立命館小学校の児童らが参加してきた。

 太閤しだれ桜は、1598(慶長3)年に豊臣秀吉が醍醐寺三宝院で催した「醍醐の花見」ゆかりの桜。貴重な品種を後世に残そうと、住友林業が2000年、クローン技術による増殖に成功した。

 児童らは、このクローン苗木を1年かけて育てる。まず秋に、育成用の堆肥を作るための落ち葉を、醍醐寺の境内で集める。春には苗木を受け取り、観察日記をつけるなどしながら栽培。翌年3月、児童代表が醍醐寺僧侶らと共に被災地の小学校を訪れ、植樹式に臨む。
 
 この間、児童らは醍醐寺での歴史学習や住友林業による環境学習など、関連するさまざまな勉強に取り組む。

自然と手を合わせる

 「東北の方々の思いや願いを直接知ることができた」「私たちも亡くなった人と通じ合えた気がした」
 
 醍醐小学校の元校長、林明宏氏の著書『宮古へ届けた醍醐の桜 「京の杜プロジェクト」醍醐小学校の軌跡』(大垣書店)に掲載された京都の児童らの感想だ。逆に、被災地の子どもたちからは「将来、醍醐寺をお参りして桜を見たい」との声が聞かれるという。

 一連の学習では、こうした交流を重視している。

 14年3月、京都から児童らが初めて被災地を訪れたとき、岩手県宮古市田老地区の防潮堤で、仲田座主は「まだ帰ってきていない命がある」と語り掛けた。津波で流されて行方不明になった人々のために、一心に拝むのだと説明すると、児童らは自然と手を合わせた。

植樹式前日には、宮古市内の防潮堤で総本山醍醐寺による法要が営まれた

 今年3月には、立命館小学校の児童らが福島県いわき市の小学校を訪れて植樹する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で訪問は取りやめとなった。

 立命館小学校の長谷川昭校長は「震災を知らない子どもたちが増えており、プロジェクトは震災や復興の意味を学ぶまたとない機会。訪問は中断しているが、自分たちの育てた桜が被災地で花を咲かせることに思いをはせてほしい」と話す。

僧侶ならではの支援

 京の杜プロジェクトが始まったきっかけは、醍醐寺による震災直後の支援だった。

 仲田順英執行をはじめ僧侶らがトラックに乗り、名水「醍醐水」や食料品、トイレットペーパーなどの日用品を積めるだけ積んで、被災地へ向かった。もちろん喜ばれたが、仲田執行には「今すぐできる支援は、僧侶にはないのではないか」と思えたという。

 現地でよく「醍醐寺は桜で有名ですね」と言葉を掛けられたこともあり、震災翌年の12年3月、縁のできた田老地区に桜を植えに行った。津波の爪痕が残る町を練行して回ると、あちこちで拝んでほしいと頼まれた。「これこそが僧侶のやるべきことだ」。桜の植樹を続けたいと願ったという。

 プロジェクトは、今や醍醐寺が最優先で取り組む事業の一つとなっており、熊本地震の被災地などにも派生している。

 「子どもたちには命の循環の勉強と心の教育になっている。命がつながり、いい縁を結ぶことがいかに大切かを、これからも伝えていきたい」。仲田執行は力を込めた。

(文化時報2020年11月4日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

一人親支援にお寺活用 孤立防ぐ「街HUBプロジェクト」

 困窮する一人親家庭の支援に、寺社や教会を活用する試みが進んでいる。一人親家庭の自立支援に取り組む一般社団法人ハートフルファミリー(藤澤哲也代表理事、東京都新宿区)が手掛ける「街HUBプロジェクト」は、宗教施設や店舗、支援団体が連携し、食料支援や精神面のサポートを提供。地域ぐるみの自立支援に、宗教者後押しを期待している。(安岡遥)

「シングルファミリーパントリー」で参加者と交流する日野さん(左)。パンや米、バナナなどを21 家族に配布した

 理事の一人、西田真弓さんは、大学生の息子を持つシングルマザー。一人親家庭の平均年収は一般家庭の約3分の1と言われ、「悩みの大部分は経済的なことだった」と、自身の子育てを振り返る。

 「子育て中のシングルマザー・ファーザーの話を聞いても、経済的な大変さはほとんど変わっていない。食べ物や生活物資の支援だけでなく、心の応援を届け、明日を生きる活力につなげてもらえれば」。そうした思いで、2019年、街HUBプロジェクトを立ち上げた。

 宗教施設や支援団体、店舗などが「マンスリーサポーター」となり、月々一定額を寄付。その上で、ハートフルファミリーが発行する冊子を置いたり、イベントや食料支援などの活動に参加したりする。必要に応じて弁護士やファイナンシャルプランナーなどの専門家へつなぐことも想定し、長期にわたる安定した自立支援を目指す。

 地域の中で孤立しやすい一人親家庭のサポートに欠かせないのは、「支援者の顔が見えること」と西田さん。支援を必要とする人が直接訪れ、周囲とのつながりを築く拠点が必要だという。「心の拠り所として日常的に人が集まる寺社は、支援のつながりを築く上で非常に重要」と期待を込める。

 例えば、広い境内を生かしたイベントの開催。子どもを見守る地域社会づくりを目指してハートフルファミリーが主催する「ぼっちぼっちフェス」には、これまでに全国の約20カ寺が会場を提供した。流通に乗せられない食材を受け入れ、困窮家庭に無料で提供する「フードパントリー」に取り組む寺院もある。

 西田さんは「継続を想定しない単発の活動では、本質的な自立支援につながりにくい。施設の規模や経済力に応じ、できることを無理なく続けてほしい」と呼び掛けている。

子育て支え、食料届ける 真宗大谷派西照寺

 真宗大谷派西照寺(日野賢之住職、石川県小松市)の衆徒、日野史さんは、街HUBプロジェクトのサポーターの一人。自身もシングルマザーで、僧侶として活動する傍ら、趣味の音楽を生かしたイベント運営や子ども食堂にも取り組む。

 ハートフルファミリーが携わる音楽イベントを地元の小松市へ招いたことがきっかけで西田さんと交流が生まれ、1年以上にわたって支援活動に関わっている。

 子ども食堂に集まる食材などを利用したフードパントリーが好評で、一人親を含む約50世帯の子育て家庭が訪れたこともある。現在は地元商店街と協力し、一人親家庭への食料支援を兼ねたイベントを企画しているという。

「後ろ指をさされる」

 だが、課題もある。地方では依然、一人親家庭に対する偏見が根強く、「知り合いに後ろ指をさされるのではないか」「他人から施しを受けていると思われたくない」との考えから、支援を受けることをためらう人が少なくない。

 日野さんは「一人親家庭のほとんどが支援を必要としており、食料配布などの具体的な支援を呼び掛ければ、頼ってくれる人も多い」と分析。一方、「シングルマザー・ファーザーであることを公表したくない人にも配慮し、『一人親家庭の支援』を前面に押し出すことは避ける必要がある」と話す。

 支援活動に積極的な寺院が少ないことも、課題の一つだという。「私の活動を知り、『えらいね』『立派だね』と声を掛けてくれる人は多い。だが、『一緒にやらないか』と誘えば『忙しいから』と二の足を踏む人がほとんど」と、もどかしさをにじませる。

 北陸は真宗王国と呼ばれ、西照寺の近隣にも多くの浄土真宗寺院がある。「活動を理解してもらうことには苦労もあるが、子どもたちの笑顔を見ると『お寺でよかった』と感じる。困っている人のため、施設やマンパワーを活用してくれるお寺が増えれば」と、日野さんは語った。

(文化時報2020年10月24日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

「迎合せず、関われ」武道家兼僧侶が語る仏教の〝型〟

 岐阜県高山市の浄土宗大雄寺(だいおうじ)住職、田中玄恵氏(53)は、僧侶でありながら武道家でもある。拳法「太道(たいどう)」の師範として、道場長を務めるほどの腕前だ。同じ動きを繰り返して体に染み込ませ、僧侶としても修行を重ねる。目指すのは、聖なる空気を身にまとうこと。「社会の人々は、不安定な世の中においても、和尚と寺だけは違う雰囲気であってほしいと願っている。聖性がなければならない」と語る。(大橋学修)

田中玄恵(たなか・げんえ) 1967年2月生まれ。97年から浄土宗大雄寺住職。拳法「太道」師範。1997年から同寺住職。大本山くろ谷金戒光明寺の布教師会副会長として、後進の指導にも当たる。趣味はギターの弾き語りで、長渕剛の「乾杯」が得意曲。家族は4人と犬1匹。

厳しい修行を求めて

 生まれ育った大雄寺は、市街地にほど近い東山寺院群の一角にある。同級生には寺院子弟が多く、周囲からは僧侶になることが当然と見なされ、自身も疑いを持たなかった。ただ、武道に憧れて、柔道や空手、少林寺拳法などさまざまな道場に通い詰める青少年時代を送った。

 浄土宗の僧侶になるための大学には、大正大学(東京都豊島区)と佛教大学(京都市北区)がある。進学先に選んだのは、佛教大学。武道の聖地とされる武徳殿=用語解説=が、京都にあったからだ。友人や先輩から聞きかじった禅宗の僧堂のようなイメージを膨らませ、相応の覚悟を決めて入学した。

 進学した1980年代、1年生は大本山くろ谷金戒光明寺の学寮で暮らさなければならなかった。ところが自分が求めていたほどの厳しさはなく、ならば武道で自らを鍛えようと、京都市内の道場を渡り歩いた。

 カルチャースクールのような道場は、自分には必要ない。武道の精神を継承し続ける所に行きたい―。そうして巡り合ったのが、少林寺拳法の流れをくむ拳法「太道」。自分が求めた厳格な世界があった。大学卒業後には道場の内弟子となって拳法三昧の生活を送り、師範の資格も得た。

優秀な人の、響かない話

 内弟子となって2年が経った頃、拳法の師から「地元に帰って、武道をしながら仏法を広めることも仕事だぞ」と言われた。自身もそう考えていたが、武道家としてはともかく、僧侶として納得できるものを得ていないことが気になった。

 浄土宗教師の研鑽の場として開設される修練道場に同級生が入っていたことを思い出し、自らも入行を決めた。教学や法式の勉強ならどこでもできるが、修行は違う。「武道と同様、同じことを繰り返すことで、雰囲気を身にまとえる。〝和尚臭さ〟を身につけなければ」

 修練道場では、各界で活躍する講師が、自らの信仰をもって熱心に語っていた。「教学とは、信仰だ」。たとえ優秀な研究者であっても、信仰を持たない人の話は心に響かないことにも気付いた。

突き詰めれば世捨て人

 満行後は、経験を生かしてほしいと頼まれて、宗務庁教学局職員や修練道場の指導員として勤務。ようやく大雄寺に戻れたのは、30歳の時だった。

 帰郷してすぐ、拳法「太道」の道場を開いた。武道家ではなく、僧侶として必要だと感じたためだった。「僧侶は突き詰めれば世捨て人。世間にとって必要ない存在だからこそ、世間に関わるための手段がいる」

 社会との関わり合いは、武道を通じてだけではない。地域の子どもたちに寺を開放して勉強を手伝い、新型コロナウイルスの感染拡大で休校が続いた際には、居場所として機能した。年に数回、ジャズコンサートも開いている。寺に来たことがない人が気軽に入れるようにするためだという。

 「『いつでもお参りください』と寺が言っても、現実は入れる状況にない。こちらが歓迎する状況を作らなければならない」。僧侶も寺院も、社会が何を求めているかを考えるべきだと言う。

 一方で「社会や風潮に迎合することなく、本来はこうあるべきだという教えの視点が必要だ」とも。雰囲気や聖性をまとい、社会に受け入れられる何かをにじませるのが、僧侶だと考えている。
        ◇
【用語解説】武徳殿(ぶとくでん)
 平安神宮の造営に際して1899(明治32)年に建設された大日本武徳会の演武場。武術教員養成所(後の武道専門学校)も開設され、「東の講道館、西の武徳殿」と評された。現在は京都市武道センターの施設として、さまざまな武道が行われている。

(文化時報2020年9月9日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム