看護と仏教、連携を模索

 医療では解決できない患者の思いに寄り添う場として、寺院を活用できないだろうか。看護と仏教が、在宅ケアなどで協働できる可能性はあるのか。そうした協力関係を模索するリレートーク「看仏連携」が、大阪市天王寺区の浄土宗大蓮寺(秋田光彦住職)で開かれた。医療・介護従事者と僧侶ら計約100人が参加。宗教者と医療者の実践例を聞いたほか、ワークショップを通じて課題を共有した。

「看仏連携」について話し合う僧侶と医療・介護従事者ら=浄土宗大蓮寺

 リレートーク「看仏連携」は2020年1月18日に開催された。参加した医療・介護従事者らは「医療・介護は閉鎖された世界。患者や利用者、家族を助けたくても寄り添えない部分がある」と口をそろえ、宗教者に対して死生観のプロフェッショナルとしての役割を期待した。
 
 緩和ケア病棟看護師の松山寛子さんは「医療従事者と患者には見えない上下関係がある。本当の思いを患者さんは話しておらず、こちらも受け止めきれていないと感じている」と指摘。立場の違いで本音が言いづらくなっているとし、「家族や友人らではない第三者が必要」と語った。

 宗教と関係のない人が、患者や家族の話を聞く「傾聴ボランティア」を行うケースもあるが、宗教者は死生観にたけているからこそ、医療現場に必要だという。松山さんは 「『天国に行ったら愛する人に会える』と言われるだけで、救いになる」と話した。

 兵庫県内の病院で勤務する看護師の松原綾さんは「僧侶であるからこそ、スピリチュアルな悩みに迫れる。寄り添っていただくだけでも救われる」と強調。「残された家族 のグリーフ(悲嘆)ケアにも僧侶の力が必要。泣ける自分がいることを知ってもらうこともできる」と語った。

大勢の医療・介護従事者が僧侶らの話に耳を傾けた=浄土宗大蓮寺

 在宅医療の現場でも宗教者が必要、との声もあった。国立東京医療センター看護師長の澁谷舞利子さんは「自分らしく、自宅で最期を迎えるために、僧侶との連携が必要」と説き、京都鞍馬口医療センター看護師長の一條智子さんは「患者は思いを話す場がない。終活など、医療では対応できないことを話し合える場が求められている」と話した。

 厚生労働省は、医療・介護や生活支援などを一体的に提供する「地域包括ケアシステム」を提唱。高齢者が住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最期まで続けられる環境づくりを進めている。

 地域包括ケアシステムの目標年度は2025年。今後は在宅医療が活発になることが予想されている。訪問看護師のニーズが高まるとともに、宗教者には「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング=ACP)などを通じて早い段階から死生観を語り合うことが求められる可能性もある。
 
          ◇
 
 リレートークで登壇した僧侶や医療者らは、どのような実践を重ね、「看仏連携」が必要だと考えるに至ったのか。登壇者の主な発言を紹介する。

宗教とケアの出会いを
秋田光彦・浄土宗大蓮寺住職

秋田光彦氏 1997年に大蓮寺塔頭の應典院を再建し、社会・文化活動の拠点として開放。近年は多様な専門職と終活に取り組む

 お寺は全国に約7万4千カ寺あるとされる。コンビニや保育所の数をはるかにしのぎ、最大の社会資源であるといえる。
 
 資源には四つある。まず歴史・伝統、次に自然。鎮守の森という言葉があるように、お寺があると緑は守られる。三つ目は空間。人々が集まって祈り、学ぶ。そして時間。合理的に割り切れないあの世とか永続的な時間の感覚が、お寺にはある。
 
 仏教は伝統儀式や作法を通じて、日本人の死生観を文化的に支えてきた。一方で、少子化や家族の多様性により、寺離れや墓じまいが進んでいる。公共や臨床の場に宗教者が参画することも増えてきた。
 
 高齢者が住み慣れた地域で自分らしい暮らしを全うできるよう、厚生労働省が進めている「地域包括ケアシステム」は、地域住民が助け合う「互助」を打ち出しているが、町内会があれば問題が解決するわけではない。どのような医療やケアを受けたいかを事前に話し合っておく「人生会議」(アドバンス・ケア・プランニング=ACP)は、病院から在宅へ、施設から地域へ、治療から対話へとケアの基軸を転換させており、宗教者には親しみがある。
 
 だが、宗教者には専門性がなく、ケアの現場に入ることへのためらいがある。ケアをする側には、宗教者への戸惑いがある。お互いがきちんと出会うことが大切だ。
 
 お寺は、いろいろな方々が出会い、交流できる場でもある。「双方が連携すべきだ」と、強く言うつもりはない。揺らぎながら、関わり合うきっかけができればと思う。

お寺で開く「介護者カフェ」
東海林良昌・浄土宗雲上寺副住職

 

東海林良昌氏 宮城県塩竈市生まれ。浄土宗総合研究所研究員、世界仏教徒連盟副事務総長なども務める。専門は浄土宗史など。

 在宅介護では、介護者が深い悩みを抱えるケースが多く、ときには命が失われる。高齢者同士による「老老介護」や、子育てと介護を同時に行う「ダブルケア」、介護離職などの問題が顕在化している。
 
 孤立しがちな介護者へのケアは、行政サービスの対象となっておらず、草の根の市民活動が重要だ。お寺は地域のよりどころ。介護者同士の情報交換や語り合いができるよう、自坊の雲上寺(宮城県塩竈市)で「介護者カフェ」を開催している。

 意見を交えるのではなく、共に悩みを語り、分かち合う。お下がりを利用し、お寺にある物を使っている。仏さまが見守っているという寺院の場の力と、僧侶や寺族の共感力が特色だといえる。
 
 浄土宗としても開催を支援しており、9都道府県20カ寺で実施している。地域の中で「助けて」と言える場所は、たくさんあっていい。お寺がそういう場所になればいいと考えている。

看護から仏事へのバトンパス
三浦紀夫・ビハーラ21事務局長

三浦紀夫氏 真宗大谷派僧侶。得度前は百貨店で10年間、仏事相談員として勤めていた。医療・介護と連携し、独居高齢者を支援している。

 終末期ケアからグリーフワーク(喪の作業)、つまり看護から仏事へのバトンパスが、私の考える第一の看仏連携だ。
 
医師や看護師は、患者の死亡確認から霊安室に向かうところまでは知っているが、その先どうなるのかは分かっていない。逆に僧侶は、その前のことを知らない。果たして、 バトンはしっかり手渡されているのか。投げ渡されているのが実情ではないか。
 
第二は、患者や家族の不安・不快な気持ちを和らげるアプローチ。接し方の難しい患者の元へ僧侶が行き、気持ちを聞かせてもらう。
 
そして第三が、僧侶による看護・介護職への「死の教育」だ。
 
私がセミナーで講義すると、医療者はかなりの確率で、人が命を終えたらどうなるかを「考えたことがない」と言う。そういう医療者は、しっかりした死生観を持たずに、人が亡くなる場面に立ち会っていることを自覚してほしい。

がん看護で考える看仏連携
志方優子・JCHO大阪病院がん看護専門看護師

志方優子氏 大阪府立大学看護学部博士前期課程修了。JCHO大阪病院では緩和ケアチーム看護師として患者や家族と関わっている

 2006年のがん対策基本法制定に伴い、がんとの共生がうたわれるようになった。医療者でも理解は深まっていないが、医療現場ではがんと診断されたときから治療と並行して緩和ケアを行い、生活の質(QOL)の改善を図っている。
 
 全人的苦痛(トータルペイン)という考え方がある。痛みやだるさといった身体的苦痛、不安や鬱などの精神的苦痛、社会的苦痛、それからスピリチュアルペインだ。
 
 「なぜ私がこんな病気になったのか」「罰が当たった」「自分の人生は無意味だった」。こうした表現で現れてくるスピリチュアルペインは、病院だけでは解決できない。解決できると思う方が、怖い気もする。
 
 医療者には、問題解決型の思考が染みついてしまっている。答えを出すことが急かされないコミュニケーションの場や、困っているときにそっと手を差し伸べるような環境が、必要とされているのではないだろうか。

仏教の死生観からケアを考える
鍋島直樹・龍谷大学文学部教授

鍋島直樹氏 龍谷大学大学院実践真宗学研究科長。臨床宗教師研修の研修主任として、心のケアに当たる僧侶を養成している

 「地域包括ケアシステム」においては、多職種連携が重要とされている。看護師と僧侶は、相互に補完する関係にあると言えるだろう。
 
 死は亡くなった本人だけではなく、悲しみ、弔う人がいて初めて成立する。死とは、悲しみと愛があふれることである。
 
 いつどんな所でも、心を支えてくれるよりどころとなるのが、宗教だ。仏教には死生観と共に救済観がある。善悪を問わなくてもいい。全ての死は悲しく、尊く、そのままで救われる。
 
 スピリチュアルケアに当たる僧侶は、患者の苦悩の中にある心の物語に寄り添う。原点は〝 Not doing, but being 〟(何かをすることではなく、そばにいること)。くず籠のようにそばにいて、ありのままの気持ちを受け止める。
 
 東日本大震災を機に東北大学で誕生した臨床宗教師の養成も進んでいる。布教や宗教勧誘をせず、相手の気持ちを尊重するのが特徴となっている。

(文化時報2020年1月25日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム