「グリーフケアは僧侶の使命」当事者、学んで向き合う

 大切な人を亡くした悲嘆(グリーフ)について当事者が学び、回復につなげていく浄土宗の寺院がある。京都市右京区の西寿寺。「グリーフケアは僧侶の使命。そこに命を懸けている」と話す村井定心住職も、当事者だった。3月3日には、活動のきっかけとなった黒川雅代子龍谷大学短期大学部教授を招いて講演会を開き、身近な人との死別を経験した10人ほどが集まった。(大橋学修)

黒川雅代子教授を招いて行われたグリーフケアの講演会=京都市右京区の西寿寺

 村井住職は2009年3月、西寿寺の先代住職が急逝したことで、悲しみに暮れた。それが、黒川教授が寄稿したグリーフケアに関する新聞記事を読み、「心の救いにつながった」。以来、講演会を繰り返し開き、自身の悲嘆と向き合ってきた。

 4年ほど経過した頃、先代住職との死別が自分自身の人生に必要なことだったと感じるようになった。「気の毒なのは庵主さんではなく、私だったのだと気付いた。仏さまにお預けしたのだから、安心していいのだ」

 亡くなったのは、自分の作る食事が健康に配慮していなかったせいではないのか。そう自分自身を責めたことがあったが、「庵主さんが身をもって教えてくださった」と感じるようになったという。
 
 寺を訪れる遺族たちへの対応も変わった。「頭で理解しようとしていたのが、心で気持ちが分かるようになった。『頑張らなくても良いのですよ。理解してくれる人の前では、悲しんで良いのですよ』と言えるようになった」

 この日の講演で黒川教授は「予備知識がなく、周囲に死別を体験した人がいなければ、話を聞いてくれる人や話せる場がない」と語った。高齢になって配偶者と死別すれば必ず孤独を感じるとも指摘し、「従前からコミュニティーを作っておくことが必要」と伝えた。

 3カ月前に配偶者と死別したという参加者は「グリーフケアの話を聞いて、本当にピタリときた。悲しみは悲しみなので、そこにどう向き合うのかが大切に感じる」と話していた。

西寿寺の村井定心住職

喪失と回復の往復

 グリーフケアは、2005年のJR福知山線脱線事故を機に広く知られるようになり、11年の東日本大震災でもその重要性が指摘された。黒川教授は、遺族会の運営支援に携わる専門家として知られる。

 黒川教授によると、グリーフは喪失に対するさまざまな反応のこと。食欲不振や睡眠障害などの「身体的反応」、悲しみや怒りなどの「心理的反応」、「行動反応」があり、人によって表れる反応は異なる。

 特に「行動反応」には、スケジュールを埋めて活発に活動しようとする「過活動」があり、他人から見ると回復したと誤解されやすい。子どもを亡くした夫婦で、夫が「過活動」となって妻が引きこもるケースもあり、互いに反感を抱く原因にもなるという。

 こうした悲嘆反応にある状態を「喪失志向」、これからの人生をどのように歩むのかを考える状態を「回復志向」と呼ぶ。時間薬という言葉もあるが、心の状態は喪失志向と回復志向の間を往復するように揺れ動き、徐々に悲嘆から脱却する経緯をたどる。

グリーフケアの模式図

 どんな人でも、自分がどう生きていくかをイメージする。想定していた人生の舞台から登場人物がいなくなることで、喪失志向に陥るのだという。

 黒川教授は「死別した人には、違う形で登場してもらう必要がある。過去はつらい思い出ではなく、豊かな人生に転換するものにしなければならない」と指摘。「どのような人に出会うのか、どんなサポートを受けるのかが大切。人との関わりが重要になる」と話した。

 また、「日本人には古来、悲嘆に向き合おうとする文化がある」と解説。万葉集に、悲嘆をテーマとして心を整理しようと詠まれた歌があることや、7日ごとに経を読んで悲しみを分かち合う中陰法要を例に挙げた。
          ◇
 黒川雅代子(くろかわ・かよこ) 1965年生まれ。龍谷大学短期大学部教授。かつて救急救命の看護師として多くの死別と向き合い、救命されても後遺症で不自由な生活を送らなければならない現実に直面。龍谷大学で社会福祉を学び直した。在学中に遺族のセルフヘルプ・グループ「神戸ひまわりの会」の立ち上げに関わったことが契機となり、グリーフケアの研究者としての道を歩んだ。

(文化時報2020年3月11日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム