オウム25年③外側だけ残る伝統教団 瓜生崇氏(真宗大谷派)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)の瓜生崇住職は、オウム真理教の後継団体「Aleph(アレフ)」などの脱会者支援を手掛けてきた。自身も「浄土真宗親鸞会」の脱会者。在家だった学生時代に入信し、熱心な布教活動を行った経験を持つ。現在は伝統教団の一員として、自坊の門徒や教えと向き合う瓜生住職は「伝統教団こそ宗教の危機を招いている」と話す。

瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

何が「良い宗教」なのか

――カルト視される教団の入信者と数多く向き合ってこられました。

 「アレフや浄土真宗親鸞会で、いろいろな入信者を見てきたが、さまざまな宗教のあり方を知った上で、既存の宗教に飽き足らない人が多かった。『阿弥陀さまがすくってくれます。安心ですよ。南無阿弥陀仏』と聞いて納得する人は、そもそもカルト視される教団には入らないという印象だ」

――オウム真理教に対する伝統教団の見方はどうでしょう。

 「問題意識や、人生に対する問いが伝統教団の担い手には薄い。伝統教団側は『オウムは悪い宗教で、我々は良い宗教』と思っているかもしれないが、人間の根源的な問いに答える形で伝道がなされているかという点では、むしろオウムの方が『良い宗教』で、伝統教団の方が『悪い宗教』と言えないか。そもそも良い宗教と悪い宗教が簡単に分けられると思う心自体が、オウムの事件を生んだのではないか」

 《現代の伝統仏教教団では、寺院の基本は世襲制。僧侶は寺に生まれ、当たり前のように教えに触れるが、瓜生氏はその〝当たり前〟の危うさを指摘する》

――伝統仏教教団の僧侶たちには、何が足りませんか。

 「例えば、地下鉄サリン事件の実行犯となった林郁夫受刑者(無期懲役確定、服役中)は、いろいろな新宗教を巡って、自分や人が救われる教えとは何かを真剣に求めた。しかし伝統仏教教団の大多数の僧侶たちには、宗教遍歴すらない。そこの枠から出て行こうともしない」

 「エホバの証人の信者たちにはノルマがあり、一軒一軒回って伝道している。伝統教団の人たちは『教団がなくなったら、経済的に困る』程度の危機感だ。そんなぐらいの『一生懸命』では、カルトの入信者たちとはすれ違う。『伝統教団が教えをもって教化すればオウムに入る人が少なくなる』というのは寝言だ。何も要求されず何も与えない、ぼんやりした宗教が良いというなら、それこそ宗教の危機ではないか」

伝道者は道を求めよ

 《瓜生氏が信仰する浄土真宗の教えは、一般的に修行などの身体性を伴わない。一方で麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の率いるオウム真理教は、ヨガを基に独自の修行を考案し、信者を増やしていった》

――伝統仏教教団の教えは、悩み苦しむ人に応えられないのでしょうか。

 「伝統仏教教団は、オウムに入信するような人々の悩みに応える教えを持っている。だが、教団の中にいる人たち自身が、教えを求めていない。求めているのは、耳に心地良い言葉と、懐古主義的なヒューマニズム、そして『いのちの大切さ』ぐらいだ」

 「教えに説かれることが本当にあるのかと疑問に思った人は、何らかの身体性を求める。浄土真宗親鸞会などにも身体性がある。信心をいただいて救われるということが、体験を通じて明確に自覚できると彼らは言う」

――身体性に頼ると危険ではありませんか。

 「身体性で宗教の真実性を自覚してしまうと、体験そのものを握り締めてしまう。これはオウムが陥ったわなでもある。体験そのものを真実にしてしまうと、『麻原元死刑囚が正しい』と逆の真理を語り始める」

 「仏教は皆が聞かねばならない教えではなく、私一人が聞いていく教え。ところが仏教教団の中にいることで、自分が『救われた人間』になってしまう。『いかに易しく伝えるか』ばかりが論点になってしまい、『私が聞いている教えは本当か』という問いが生まれてこない。伝道者が求道者になっていない。だが道を求めていない人の話を、求めている人が聞くはずがない」

カルト教団すら成立しない

 《地下鉄サリン事件から25年。この間に情報化社会が進展し、カルト教団の活動は全体的に縮小傾向にあるという》

――現在のカルト教団はどのような活動を展開しているのでしょうか。

 「インターネットが普及し、教団のネガティブな情報が即座に共有されるようになったので、昔のオウムのような大教団は生まれていない。せいぜい10~20人が集まる『ミニカルト』ができては消えていくのが現状だ。だからこそ、状況は見えにくい」

――アレフの現況をどう見ますか。

 「アレフは非常に静かだ。2018年7月の麻原元死刑囚の死刑執行後も静かだ。彼が教えた修行を地道にやり続けていこうという形をとっている。教団成立から40年ほどが経過することもあり、ある意味で成熟してきている」

 「アレフの幹部はヨガ教室を開いたりしているが、必ずしも入信に結び付いているわけではない。出家者もそれほど増えておらず、道場にもよるが、世俗化しつつあるのではないか」

――カルトが成立しにくい状況は、伝統教団にも共通しているかもしれません。

 「アレフにしか居場所がない人も多い。新宗教できちんと修行しようと思うと、できる教団は限られる。人間の根本苦を見つめることは、本来伝統教団の使命であるはずだが、伝統教団の方が現世利益化してしまっている。伝統教団にも真面目に信仰を追求している人たちはいるが、教団がそこに目を向けることはない。みんなにとって素晴らしい教団であろうとしすぎているのだろう」

――伝統教団の未来を、どのように考えていますか。

 「伝統教団には、寺や教団という足かせがあったからこそ、できた側面もある。私自身は、寺は教えに出遇う所だと思っている。簡単には捨てられない重たい物。それを先人が作ってくれたおかげで、仏法に出遇う人がいる。寺や教団にも意味は当然ある。しっかりと残さねばならない」

 「だが、このままだと教団の外側だけが残って肝心の中身が静かに死んでしまうのではないか。道徳のような別の物に生まれ変わってしまう危機感がある。真宗が道徳になっていくなら、存在意義はない」
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 瓜生崇(うりゅう・たかし)1974年、東京都生まれ。電気通信大学中退。同大学在学中に浄土真宗親鸞会へ入信し、同会講師などを経験。システムエンジニアを経て、2011年から真宗大谷派玄照寺(滋賀県東近江市)住職。日本脱カルト協会会員。著書に『なぜ人はカルトに惹かれるのか 脱会支援の現場から』(法蔵館、2020年)『さよなら親鸞会 脱会から再び念仏に出遇うまで』(サンガ伝道叢書、2017年)などがある。ネコ好き。

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
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