オウム25年④元死刑囚への違和感 平野喜之氏(真宗大谷派)

※2020年3月に行ったインタビュー連載を再構成しました。

 人間にとって救いとは何か。罪を償うとはどういうことか。2018年7月に死刑が執行された井上嘉浩元死刑囚は、拘置所でこう問い続けたという。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)の平野喜之住職は、数奇な因縁でオウム真理教事件と関わるようになり、井上元死刑囚と11年にわたり交流。拘置所から188通の手紙を受け取った。「井上君に持った違和感の正体は何かと、今も考え続けている」と言う。

平野喜之(ひらの・よしゆき)1964年、京都生まれ。金沢大学大学院(数学専攻)博士課程、大谷大学大学院(仏教学専攻)博士課程満期退学。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)住職、金沢大学非常勤講師。「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」事務局を務める。

直立不動でお辞儀した後輩

 《平野氏は07年に「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」を設立。死刑執行後に解散したが、新たに「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」を立ち上げ、カルト教団からの脱会者支援などを行っている》

――井上元死刑囚とは、どのようにして知り合われたのですか。

 「井上君は、京都の私立洛南高校の6学年後輩に当たる。共通の恩師である宗教担当の虎頭祐正先生から『君の後輩が地下鉄サリン事件に関わっている。裁判が長く続きそうだが、一度会ってやってくれないか』と、1995年の逮捕後に連絡があった。その時は断ったが、1審で無期懲役だったのが2審で死刑となり、改めて『ご両親と会ってほしい』と頼まれた。2006年11月、僕が留守を預かる京都の京極寺(相応学舎)で話を聞いた」

 「お母さんは『優しかった息子が麻原(彰晃=本名・松本智津夫=元死刑囚)に出会って変わってしまった』と語り、お父さんは『高裁はいい加減だ』と憤っていた。両親は『弁護士から悔いのないように活動してほしいと言われたが、何をしていいか分からない』とおっしゃっていた」

――井上元死刑囚の両親と会って、どうされたのですか。

 「活動を手伝ってあげられないかなと思い、井上君に一度手紙を書いてみた。すぐに返事があり、何度かやりとりした後、本人と会うことにした」

 「洛南高校出身で大谷派僧侶の菱木政晴先生、虎頭先生と僕の3人で東京拘置所に行った。彼は直立不動で頭を下げ、『ありがとうございます』とあいさつした。誠実な人だなという印象を持った」

 「彼は京都から高校の先輩や先生が来てくれてうれしかったのか、終始ニコニコしていた。ただ、今も耳に残っているのは、『こんなところに何年もいるんですよ』という言葉。罪に打ちひしがれた姿を想像していたのだが、全く違った明るい印象に違和感を抱いた」

「正解」知る人を求めて

 《井上元死刑囚の精神鑑定を行った西田公昭立正大学教授は、精神年齢が高校生ぐらいだと分析し「マインドコントロールや虐待を受けた環境では、一般成人と同じような成長は望めない」と指摘したという》

 「私も彼の幼さと明るさに違和感を覚えた。その後、本格的に交流を始めた2007年から、死刑が執行された18年まで、印象は変わらなかった。違和感を持ったまま、その正体は何だったのかと考え続けている」

――交流を重ねるうちに、井上元死刑囚の内面に変化は感じられましたか。

 「麻原元死刑囚への崇拝やオウムの教義からは抜け切れており、教団を外側から見ることはできるようになっていた。しかし、カルトで培われた精神性からは、離れられなかったのではないか。それがカルトの本当の恐ろしさだと思う」

 「オウムにいたとき井上君は、『正解』を知っている完全なる人を求め、自分もそうなりたいと考えていた。地位を利用したスピリチュアル・アビュース(霊的虐待)だけでなく、教祖や幹部の支配欲と信者の服従したい欲が結びついたとき、カルトになる。彼は犯した罪と向き合いながら、自分の支配欲や服従欲に気付きつつあった」

――11年間の支援活動で戸惑ったことは。

 「井上君は『僕は10の殺人事件に関わった罪に問われているが、実際に殺人をしたことはない』『機関誌に自分の意見をもっと反映させてほしい』と主張した。自己主張が強すぎて、意思疎通がうまくいかないことがあった」

 「ある時から、支援する私たちが彼に願っていた方向と、彼の向いていた方向がどんどんずれていって、そのギャップに私たちは困惑した。『私たちが共に願っていたことはこういうことだったよね?』と確認する話をしたいと思っていたところで、死刑が執行されてしまった」

人生を狂わせた説法

 《平野氏は金沢大学大学院に在学中、オウム真理教と接点があった。当時の罪の意識が、脱会者支援へと突き動かしているという》

――オウム真理教と関わったきっかけは。

 「1989年11月、坂本堤弁護士一家失踪事件が起きた(後に殺害されていたことが判明)。同じ月の下旬、オウム真理教の金沢支部に行き、麻原元死刑囚と会った」

 「虎頭先生から、僕と同じく洛南高校から金沢大学理学部数学科に行ったM君がオウムに入信したのではないかと親御さんが心配しているから、調べてほしい―と頼まれていた。ただ、失踪事件でオウムが疑われていたので僕は警戒し、ボクシング経験者で先輩のSさんに同行を頼んだ」

――どうなりましたか。

 「麻原元死刑囚の説法の後、新実智光元死刑囚から『人生相談を受けていきなさい』と勧められた。僕が『ヨガには興味がない』『あんな説教はおかしい』と言うと、新実元死刑囚は僕にではなく、M君に『どうしてあんな奴を呼んだんだ』と怒鳴った。見かねたSさんは、男気があったからこそ心配して、『僕はM君と一緒に帰る』と道場に残った。それがSさんを見た最後だった」

 「結果として、ミイラ取りがミイラになった。Sさんはオウムに入信し、今は金沢市にある後継団体『山田らの集団』の幹部を務めている。Sさんの人生を狂わせたという罪が、僕の活動の原点にある」

人がペット化されるカルトの世界

 ――カルトの組織構造には、どのような特徴があると考えますか。

 「カルトは双方向の信頼関係を崩し、上下関係を支配・被支配の関係にしてしまう。仏教でいう『畜生道』、つまり人がペット化される世界だ。源信僧都の『往生要集』には『畜生道にある者は常に恐れを抱いている』とある。だから相手の顔色を常にうかがう」

 「脱会させれば成功だと考えられがちだが、後遺症は残るし、本人は脱会が正しかったのかと悩み続ける。『教団から抜けると地獄に落ちる』と言われていたために『自分の方が間違っていたのでは』と教団に戻ろうとすることもある。依存したいという精神性から違うカルト宗教に入信し直す『カルトサーフィン』もよく起きる」

 《井上元死刑囚は拘置所で「カルトの被害者を一人も出したくない」という願いを持って生きていたという。その姿を知る者として、平野氏は「亡くなった後も彼の願いに生きなければ」との思いに至り、脱会者支援を続けることにした》

――カルト問題について、寺院関係者には何を訴えたいですか。

 「自分のお寺が受け皿になるのは難しい。でもカルト問題を勉強し、理解した上で、困った人が訪れてきたときに、専門家や支援者につなげる役割を果たしてほしい」

 「井上君には社会を良くしたいとの思いがあった。麻原元死刑囚はおそらく、野心をもって宗教を利用し、自分が王様になりたいと考えていた。社会を変えたいという点では井上君も麻原元死刑囚も同じだったが、結果として井上君は手足として利用されてしまった」

 「カルト問題は教祖が教義を利用して野望を果たそうとする問題であり、宗教問題。伝統教団の人々も、カルトの仕組みや教義は知っておくべきだ」
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 平野喜之(ひらの・よしゆき)1964年、京都生まれ。金沢大学大学院(数学専攻)博士課程、大谷大学大学院(仏教学専攻)博士課程満期退学。真宗大谷派浄専寺(石川県かほく市)住職、金沢大学非常勤講師。「Compassion 井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会」事務局を務める。

(文化時報2020年3月18日号から再構成)
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