動じないクマのような精神力 櫻井随峰氏

 西山浄土宗の櫻井随峰前宗務総長は混乱期に宗務行政を担い、昨年9月の退任まで「火中の栗を拾わされた」とささやかれた。公立中学校の教師を経て出家した異色の元宗門トップ。新型コロナウイルスの感染拡大に対しても「クマが冬眠するように過ごすしかない」と動じない。混乱期を生き抜く強靭な精神力は、どのように培われたのだろうか。(大橋学修)

西山浄土宗の櫻井随峰前宗務総長

平穏な宗門取り戻す

 宗派や本山の仕事とは、無縁の半生を歩んできた。

 宗政の世界に身を置いた直接のきっかけは、僧侶資格を得るための「加行道場」で指導者になったこと。上司に当たる監督の日下俊精氏が宗務総長に選出され、数年後に自身も教学部長として内局に引き入れられた。

 管長・法主の任期や本山墓地拡張計画を巡り、宗議会が荒れていた時代。日下氏が任期満了で宗務総長を退任すると、今度は櫻井氏にお鉢が回ってきた。課題は山積していた。

 2016年の就任当初は財政再建のため、支出抑制を断行。一方で、総本山光明寺(京都府長岡京市)の拝観事業を拡大させ、宗門に回付金として還流させる道筋を付けた。近年は度重なる災害からの復旧や防災対策にも取り組んだ。「平穏無事な状態を取り戻すことはできた」と振り返る。

 コロナ禍では、御忌大会などの重要な法要を想定外の形で行ったが、泰然自若としていた。「うまくいかないときは、じっと我慢しながら、クマが冬眠するように過ごすしかない。クマは、必要があるから冬眠するのであって、ピンチのときにもやるべきことはある」

校内暴力には仏教で

 新潟県魚沼市出身。父は労働基準監督署で勤務していた。少年時代は、国のために身命をなげうつことをいとわない偉人たちの伝記や小説を読みあさり、「国士」になることを夢見ていた。

 高校卒業後は就職を考えていたが、進学を勧められて思い直した。「新選組の本拠があった京都に行こう」。京都市中京区の花園大学に進学した。何が国士なのか分かっていなかったが、夢は持ち続けていた。

 当時の花園大学は、後に臨済宗妙心寺派の管長を務めた故山田無文老師の学長最後の年。周囲からは僧堂に入ることを勧められたが、僧侶になろうとは微塵も思わなかった。「老師は輝いていて、神に近い人だと感じた。自分にはとてもなれない」

 卒業後の1982年4月から、教員として大阪市大正区の中学校に赴任した。校内暴力が荒れ狂っていたころで、かわいがっていた生徒から角材で襲われたことも。連日の飲酒とストレスで肝機能障害を患った。

 精神的支柱を求め、仏教に希望を見いだした。教員研修旅行で、釈尊が初めて法を説いたインドのサールナートを訪れたことも、何かの縁だった。「救いでなく、悟りを求めていた。暴力に対抗できるのは、それしかないと思っていた」

出会い―妻・師匠・教え

 30歳になる直前、妻と出会った。西山浄土宗の僧侶で宗門随一の説教師と評された故橋本随暢師の三女。師は、4人いた娘の夫全員が出家するなど影響力のある僧侶だった。

 兄弟子が苦しみながらも救いを求める姿に、心を動かされた。嘉禄の法難=用語解説=に行う念仏行脚に参加し、法然上人と心が通じ合った気がした。結婚して1年たたないころの妻には、事後承諾で出家。総本山光明寺の随身=用語解説=となった。

 その後、薬善寺(和歌山市)の住職となったが、「釈尊はありがたくても、阿弥陀如来はわからない」と感じていた。常光寺(京都府長岡京市)の菅田祐凖氏の元に通い詰めて薫陶を受け、阿弥陀仏の存在に対する疑いがなくなった。救れていることに気付いた。ただ、社会を見渡すと、救われない人々ばかりだった。「自分は救われているのに、救われていない人が、ばかに見えたり、かわいそうに思えたりした」という。

救いは特別でない

 21年間に及んだ「加行道場」の指導者生活では、歴代法主の講釈を聞く機会に恵まれた。総本山光明寺第77世・故須佐晋龍法主の「要懴悔=用語解説=が一番ありがたい」という言葉が頭に残った。

 要懴悔の一節に「勝縁勝境悉現前(しょうえんしょうきょうしつげんぜん)」という言葉がある。優れた縁と素晴らしい境地が、ことごとく目の前に現れる、という意味だ。

 「同じ生活をしていても、満足する人もいれば、不満を持つ人もいる。どのような状況でも、念仏を唱えていれば『勝縁勝境悉現前』なのだ」。そう感じるようになって、自分だけが救われているという高慢な考えも変わった。49歳のときだ。

 「自分が救われることは特別なことだと思っていた。そうではなく、たまたま、その縁にあずかっていると知った」

 花園大学で山田老師の後に学長になった故大森曹玄師は、「もはや国士は誰一人としていない」と語ったという。

 国士になるという夢は、いつの間にか消えていた。今の自分を国士だとも思っていない。「この国に生まれて、ただ幸せを感じている。身を粉にして働く人々を見ると頭が下がる思いがするし、僧侶の姿はかすむ」。そう笑った。
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【用語解説】嘉禄の法難(かろくのほうなん=浄土宗など)
 1227(嘉禄3)年に法然上人門下が弾圧された事件。上人の祖廟を壊して遺骸を鴨川に流そうと画策され、門下の高弟が配流された。上人没後で最大の法難。

【用語解説】随身(ずいしん=仏教全般)
 本山などで作務に従事しながら、法務や教えを学ぶ初心の僧侶。

【用語解説】要懴悔(ようさんげ=西山浄土宗など)
 中国浄土教の大家・善導大師の著書で、往生極楽を願う儀式を定めた『往生礼讃』の抜粋。

(文化時報2020年6月6日号から再構成)
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