出家したアパレルマン「冷たい社会、教えで変わる」

 阪神・淡路大震災を転機にアパレルマンから僧侶に転身した滋賀県草津市の浄土宗教善寺住職、橋本篤典氏(51)は「今の社会は冷たい」と考えている。死を身近に感じ、認定こども園の設立に奔走した末に行き着いたのは、市場原理に支配されて自己責任を問われる社会の傾向が、教えによって変わるという境地だった。(大橋学修)

震災と僧侶への不信

 橋本氏は、大手石油会社に勤める会社員を父として、1969年1月に神戸市で生まれた。中学2年の時、父が42歳で急逝。急性白血病だった。「人は死ぬ。生きることは当たり前ではない」。初めて死を実感した。

 亡き父の早期退職金や保険金のおかげで、生活に窮することなく、甲南大学に進学できた。当時はバブル絶頂期で、アルバイトで稼いでは浪費する毎日。就職活動も、売り手市場の恩恵を受け、希望した大手アパレル企業に採用された。

 入社4年目で、希望していた海外での買い付けを行う部署への配属が決まったが、配属先での仕事が始まる矢先の95年1月、阪神・淡路大震災が起きた。

 友人ががれきの下敷きになって絶命し、祖父も一度は助け出されたものの、地震翌日に亡くなった。そんなときに、大部分が崩落した百貨店の中から商品を引き揚げてくるよう会社から命令された。何もかもが嫌になり、退職した。

 妻の父で当時、教善寺の住職を務めていた芝原正道氏が、悩みや葛藤を受け止めてくれた。そして「こんな生き方もある」と示されたのが、僧侶になる道だった。

 実父を亡くしたとき、菩提寺の僧侶は読経して帰るだけで、父がどこに行ったのかという疑問には答えてくれなかった。それ以来、僧侶に対して不信感を抱えてきたが、義父の受け答えによって変わるのを感じた。

 震災翌年から3年間にわたり、浄土宗の僧侶養成を行う少僧都養成講座に入行。29歳で伝宗伝戒道場=用語解説=を満行した。さらに布教師養成講座へ通い詰め、信仰の深まりを感じた。

 「僧侶となって、日々のストレスを感じることが少なくなった。伝えようとする教えに噓をつかなくていいし、毎日のお念仏の実践で私自身が救われたから」と語る。

こども園で伝わる教え

 教善寺は当時、宗教法人の無認可保育園を運営していたが、赤字続きで閉園が決まっていた。ところが、ベッドタウンとして草津市の人口が急増し、待機児童が増えてきたことから、園の存続が地域から嘱望されるようになり、橋本氏に経営が託された。

 2003年5月に社会福祉法人三宝会を設立し、翌04年4月に公設民営の幼保連携型認定こども園「ののみち保育園」を開園。「手を合わす心、育てよう」を基本理念に、ビジネスの世界で活躍していた頃の手腕を生かそうとした。

 人を敬い、共感する。相手の幸せを願い、未来に希望を持つ―。これら全てが合掌に込められていると考え、基本理念を定めたが、浸透するまで10年を要した。教えを説く職員研修を開き、園児には毎週火曜に本堂で礼拝を行うなど、試行錯誤を繰り返した。

 経営に翻弄され、思うように布教活動に取り組めない心苦しさがあった。そんなとき、布教師仲間にこう言われた。「園児や保護者、職員に、毎日布教しているじゃないですか」

 その言葉に、救われた。「子どもに伝えることも、他寺に行って布教するのも、檀信徒への法話も、職員に理念を説明するのも、すべて同じお念仏のみ教えじゃないか」と気付かされた。

 最近、職員たちが「私たちはみんな、人を傷つけ自分も傷つきながら、一生を過ごしていく。だって、凡夫=用語解説=やからね」と話し合っているのを耳にした。教えに基づく生き方が、伝わっていると実感できた。

 「この世が娑婆=用語解説=と分かるだけで、世の中の見方は変わる」。そう考えている橋本氏は、こう強調する。「弱者の気持ちになり、自分のためではなく、得たものを他人や社会に返していける人を育てなければならない」
         ◇
【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場。加行、加行道場ともいう。

【用語解説】凡夫(ぼんぶ=仏教全般)
 仏教の道理を理解しない者、あるいは世俗的な事柄にひたる俗人。

【用語解説】娑婆(しゃば=仏教全般)
 汚辱と苦しみに満ちた現世を示す言葉。サンスクリット語で忍耐を表す言葉を音写したもので、浄土の対比語として用いられるため、忍土とも漢訳される。

(文化時報2020年6月10日号から再構成)
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