出世街道捨て出家「自分の力だけ信じていた」

 「信じられるのは自分の力だけ」と考えていた婦人服ブランド開発会社のバイヤーが、出世街道を投げ捨てて出家したのは、自分以外の力によって生かされていると感じるようになったからだった。浄土宗安楽寺(大阪府泉大津市)の常住(とこずみ)哲也住職(48)がそれまで敬遠していた仏教に目を向けるようになったのは、妻や師匠との出会いがきっかけだった。(大橋学修)

常住哲也住職

父の急逝と苦学生活

 大阪府阪南市で1972(昭和47)年5月、建具店を営む父のもとで生まれた。バブル経済の華やかな時世で育った少年は、ツアーコンダクターになることを夢見ていた。大学進学を控えた高校3年の6月、父のがんが発覚。すでに末期で、11月末に急逝した。

 「こんな大事な時に、なぜ僕だけ…。神も仏もあるものか」

 心の落ち着かないまま臨んだ受験は、失敗に終わった。経済的な余裕もなく、進学を諦めようと考えていたが、兄と母の援助で予備校に通い、1年後の受験を目指すことになった。

 アルバイトで学費を稼ぎながら通える近畿大学の夜学を受験し、経済学部に合格。朝8時から午後3時半まで、生活協同組合で仕分け作業のアルバイト。終業後に通学し、帰路は毎日終電だった。日曜日は泥のように眠った。

 在学中にバブルが崩壊し、憧れだった旅行業界にも陰りが見えはじめた。興味の方向はファッション業界に向かい、卒業後は婦人服ブランドを展開する老舗企業に入社。店舗での接客を振り出しに、5年目にはバイヤー、7年目には新規事業の立ち上げメンバーとなり、海外を飛び回るようになった。

見守られている喜び

 妻との出会いは、高校時代の剣道部の先輩が縁だった。多忙な学生生活の中でも交際を続け、28歳で結婚した。妻は、安楽寺住職の二人娘の長女だったが、次女が寺を継ぐことが決まっていた。

 結婚前は寄り付きもしなかった寺だったが、入籍後は大きな法要があるたびに、親族として裏方の仕事を手伝うようになった。檀信徒が手を合わせる前で、布教師である義父が法話を行っていた。

 亡くなった父は、消えてなくなったと思っていた。

「念仏を唱えることで極楽浄土に往生する。行き先があって、見守ってくれている」。このような信仰があったのかという驚きと、見守られていることへの喜びが込み上げた。

 「生かされている」をテーマとする法話もあった。会社で出世街道を駆け抜けているのは、自分の力によるものだと思っていた。「仕事ができて、結婚できたのは、ありがたいことなのだ。周りや父母がいることで、自分が存在しているのだ」。父の死後、がむしゃらに生きてきた肩の荷が下りた気がした。

 社内を見渡すと、以前の自分と同じような人たちがいる。ライバルを出し抜こうとする人もいる。「以前の自分と同じように考えている人に、今思っていることを伝えたい」。そう考えて仕事に取り組むと、周囲が協力してくれるようになった。さらに仕事への道が開けた。

阿弥陀如来に献じる灯明を準備する

妻と義父も驚愕

 安楽寺の後継者を迎え入れる見込みだった妻の妹が、在家に嫁ぐことになった。アパレル業界でチャンスをつかもうと磨いてきたアンテナが反応した。「僧侶を目指したい。自分の思いを伝えたい」。妻は驚いた表情で「本当にするの?」と尋ね、期待していなかった義父も驚愕した。

 会社の上司に辞意を伝え、1年後の退職を目指して後進を育成。浄土宗僧侶としての基礎知識を学ぶ教師養成道場に、退職してすぐ入行した。夏と冬に開かれる2週間の道場に、計4回入行し、36歳の時に伝宗伝戒道場=用語解説=に入った。

 伝宗伝戒道場では、暗闇の中で灯明に照らされた阿弥陀如来に礼拝を重ねる修行がある。それまでの人生が思い起こされ、懺悔の気持ちが沸き上がった。

 安楽寺で法務に励む一方、義父も現役として活動しており、時間はあった。そんな折に声を掛けてくれたのが、同じ泉大津市にある生福寺の石原成昭住職。地域貢献に取り組む泉大津青年会議所(JC)への勧誘だった。親しみやすい石原住職を見て、「これからのお坊さんは、身近な存在でなければ」と感じた。

 メンバーとともに2009年に設立したのが、NPO法人「泉州てらこや」。石原住職が理事長、常住住職は福理事長となった。中学校への出前授業や、東日本大震災で被災した地域の特産品の販売、地域イベントなどに、現在も取り組む。

 地域に入っていくことが、これからの僧侶に求められると考えている。つらい気持ちを抱える人の相談を受けるには、身近な存在になることが必要だからだ。

 常住住職は言う。「寄り添うとは、相手の世界の一員となること。思いを共に感じたい」
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【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

(文化時報2020年12月12日号から再構成)
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