伝統の「貝寺」発信

浄土宗本覚寺・山岡龍史住職

 和歌山県白浜町の浄土宗本覚寺は、徳川御三家の紀州藩に縁があり、藩主に珍しい貝殻の収集を命じられた歴史から「貝寺」と呼ばれている。所蔵する約千種・3万点に上る貝殻を活用し、お寺を地域のシンボルにできないか。在家出身で音響照明の仕事をしてきた山岡龍史住職(44)は「新しいことにチャレンジしたい」と話す。

隠れた所に音響照明のプロの技。機材はネットオークションで買った

 山岡住職は1976年、松山市生まれ。内装工事業を営む家庭で育った。四国八十八ヶ所霊場51番札所石手寺(真言宗豊山派)が子どもの頃の遊び場で、高校時代に読んだダンテの『神曲』でキリスト教にも死後の世界があると知った。

 専門学校を卒業後、20歳の時にイベントやコンサートで音響照明を手掛ける地元企業に就職。愛媛県や高知県の文化会館で、派遣職員として勤務した。

 結婚相手の父親は、浄土宗寺院の住職。義兄と義弟も法務を手伝っていた。人手は足りていたが、義父に「得度して寺を手伝わないか」と誘われた。「僧侶という生き方もいいかも」と、転職して仕事の都合をつけながら、2年4期にわたり修行する教師養成道場に入った。

 『観無量寿経』の一節から、自分自身が大きな慈悲に支えられていることに気付いた一方、道場では講師陣からは「教えを伝える僧侶としての姿勢」を学んだ。感じるだけでなく、伝えるのが宗教者だと思い知った。

空間を感じ、魅力伝える

 浄土宗教師としての資格を得た後も、会社勤務の傍ら休日に法務を手伝うだけだった。「果たして、これが自分自身の歩む道なのだろうか」。こなしているだけのような日々に疑問が湧いていた頃、別の寺院の法要を手伝った縁で、「貝寺」の後継者にならないかと誘われた。

 伝統ある寺だと聞いていた。だが、いつも集まるのは、御詠歌の講員と檀家総代しかいない。「寺が心のよりどころであってほしい」。2016年4月に住職として晋山した後は、地域の人々と交流するために試行錯誤した。

 「寺の空間を感じることが、阿弥陀仏を感じることに通じるはず」。音響照明の仕事をしてきた経験を生かし、翌17年1月25日の御忌大会では、刑務所で慰問活動に取り組む女性デュオを招いてコンサートを開いた。秋の十夜法要では尺八の演奏会を開催。以来、年2回程度のペースでイベントを行っている。

 少子高齢化が進み、リゾート地でありながらさびれつつある白浜町のことが気に掛かる。最近は東京に本社がある企業がサテライトオフィスを置くようになるなど明るい材料もあるが、地域の魅力のさらなる発信が必要と感じている。

 幸いなことに「貝寺」には、先代住職が整備した「貝の展示室」がある。「寺は地域のシンボル。新しいことにチャレンジし、町の発展に貢献したい」と意気込む。

(文化時報2020年12月19日号から再構成)
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