嫌った故郷で住職継ぐ

浄土宗林昌寺 静永敬雄氏

 三重県伊賀市の浄土宗林昌寺は、「一村一カ寺」という言葉が当てはまる典型的な中山間地域の寺院だ。唯一のお寺だからこそ、寺族の一挙手一投足が地域住民の目に留まる。そんな環境を嫌って、29年間にわたり一般企業に身を置いた静永敬雄氏(56)は、4年前に専任の住職となった。「たとえ地域から人がいなくなっても、寺の存在感は発揮したい」。そう考えるまでになった心境の変化とは―。(大橋学修)

一時は「逃げ切った」

 林昌寺には、小学4年生の時に移り住んだ。僧侶で元NHK記者の父が、祖父の後を継いで住職になったからだ。6年生までは父の言い付け通り朝のお勤めに出ていたが、中学に入ると嫌に思うようになった。

 地域の人々から言動を注視され、将来は住職になるのが当然と思われている。「自分は後を継ぎたくない」。佛教大学を勧める父の反対を押し切り、金沢大学法学部に入学した。それでも父は口うるさく僧侶になるよう求めたので、道場に入りながらも修行期間を調整。僧侶になることなく、1988年4月に日本経済新聞社へ入社した。「逃げ切った」と思った。

 大阪本社販売局に配属され、販売店との折衝などで西日本各地を飛び回る日々。林昌寺に寄り付きもしなかったが、妻子をもうけたことを契機に、帰省するようになった。父は、面と向かって「帰ってこい」とは一言も言わなかったが、老いを深めていた。

 95年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。当時は、兵庫県西宮市と芦屋市が担当区域だった。翌日にオフロードバイクで現地入りし、取引する販売店を目指して、壊滅的な被害を受けた街を巡った。世の無常を感じ、いつしか寺を継承しようという気持ちが湧いた。

 「地域に関わりのない住職が葬儀を勤めるよりも、幼い頃から見知った私が執り行った方が良いのではないか」
 
 幸いにも、伝宗伝戒道場=用語解説=に入行する単位取得方法が変更され、一般企業で就業していても道場に入りやすくなった。決算で忙しい12月の開催だったにもかかわらず、同僚たちも会社も協力的だった。2008年12月に満行し、僧侶資格を得た。

動画配信に活路

 林昌寺の法灯を絶やすまいと、17年に日経を退職し、住職に専念するようになった。地域で行われる集まりには全て顔を出し、道で出会った人には必ず声を掛ける。そうして地域と一体になろうとするのは、寺院を公的機関と考えているからだ。

 「あくまで寺に住まわせてもらっている身。だから、檀信徒がスイッチを入れるとすぐ起動できるよう、待機状態であることが必要だ」。ただ、林昌寺の立地する伊賀市中柘植(つげ)地区にも、過疎が忍び寄る。兼業農家が大部分を占め、若い世代が農業に関わる家は少ない。静永氏は「今後10年間で耕作放棄が進むのではないか」と危惧する。

林昌寺は、中山間地域の中柘植地区に立地する

 地区では毎年1月半ばに「勧請縄(かんじょうなわ)さん」と呼ばれる無病息災を祈る行事が営まれる。直径15センチほどの縄3本でしめ縄を作り、地区を流れる柘植川を渡して架ける。近年は縄を結える人が少なくなり、周辺には行事が途絶えた地区もある。そうした地区ほど、若い世代が流出して人口が減っている。

 人口減少が進めば、他の寺の住職を兼ねる兼務寺院や住職のいない無住寺院が増え、寺院消滅の危機を招く。静永氏は「兼務寺院として一時は存続できても、そうした寺院を檀信徒は信頼しない。結局、仏事を営むビジネスになってしまう」と話す。

 若い世代を、いかに地域につなぎ留めるか。

 試みているのは、懐かしい古里の風景を紹介する動画の配信だ。伊賀霊場会が動画投稿サイト「ユーチューブ」に開設した「法然上人伊賀霊場チャンネル」で、豊岡浩史念佛寺副住職、西野龍弥西念寺住職とともに伊賀霊場を巡り、地域の情景や霊場の特色を紹介している。これまでに50カ寺中21カ寺で取材を終えた。

 「住職として寺を残していくことは当然のこと。寺の存在感を発揮するためには、人との関係性が大切」と話す静永氏。かつての自分のように、地域を出て行った人々と縁を結ぶことで、いつまでも地域に心を残してもらうことを目指している。具体的な取り組みは、これからだ。
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 【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)
 浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

(文化時報2021年1月28日号から再構成)
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