新型コロナの罰則 根拠なき導入に警鐘

真宗念仏者・刑事法学者 平川宗信名誉教授に聞く

 新型コロナウイルス対策関連法が改正され、営業時間の短縮命令に従わない飲食店や入院に従わない感染者らへの罰則が盛り込まれた。前科のつく刑事罰こそ見送られたが、行政罰である20万円以下、30万円以下、50万円以下の過料が設けられたことに仏教界の関心は高く、かつてのハンセン病差別を想起させるとして、真宗大谷派は反対声明を出した。法改正の問題点は何か。「真宗大谷派九条の会」共同代表世話人で、刑事法の専門家でもある平川宗信名古屋大学名誉教授に聞いた。(編集委員 泉英明)

平川宗信(ひらかわ・むねのぶ)1944年生まれ。東京大学法学部卒。名古屋大学と中京大学の法学部教授を務め、現在は両大学の名誉教授。仏教をよりどころとする真宗念仏者として、「真宗大谷派九条の会」の共同代表世話人を務める。著書に『憲法的刑事法学の展開―仏教思想を基盤として』(有斐閣)など多数。

法改正は拙速、不適切

 《改正されたのは「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(特措法)と「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)。1月18日に開会した通常国会で審議され、2月3日に成立、10日後に施行されたことで、スピード審議を印象付けた》

──専門家から見て、今回の改正の問題点は。

 「まず非常に拙速です。安倍晋三前首相は『当面は現行法で対応する』と言い続けていました。当時、官房長官だった菅義偉首相も同様でしたが、年末に突然法改正の意向が示され、十分な議論もなく、衆議院・参議院合わせて4日ほどのスピード審議で可決した。あまりにもいきなり過ぎます。一般的に法改正で罰則を入れる時には、検討すべき要素が数多くあります。それらが全部飛ばされ、最初から罰則ありきでした。適切ではありません」

 「立法には、この法律が必要だという根拠となる『立法事実』がなければなりません。『このように感染が広がっているから、このような罰則が必要なのだ』ということが、きちんと示されていません。エビデンス(根拠)に基づいていないのです」

 「刑事罰で臨んだらどういうことが起こるのか、過料にすればどうか、過料もなく現状のままならどう推移していくのか。効果と副作用を含めて、どの対応が一番賢明であるかを考え、決めていくのが最近の刑事政策です」

憲法との整合性に問題

 《平川名誉教授は、日本国憲法との整合性や、「排除ありき」というかつての感染症対策に回帰する危険性を指摘する》

──憲法との兼ね合いはどうでしょう。
 
「改正法の内容を見ると、罰則は蔓延(まんえん)防止等重点措置と緊急事態宣言が前提になっています。これらが裁量によって決められる部分が大きい。しかも、要請命令は政令で定めます」

 「憲法が要請する通り、刑法は罪刑法定主義=用語解説=が基本です。何が犯罪となるのかを、国民に法律で示しておかねばならない。ところが、何をやったら処罰されるかが、この法律にほとんど書かれていません。政令で初めて分かるのです。『行政罰である過料ならばいいだろう』という話ではありません」

 「制裁を科す場合は合理的でなければなりません。過料に見合うだけの抑止が正確に示されない限り、合理的な制裁とはなりません。例えば営業時間の短縮は、なぜ午後8時までなら良くて、9時までならだめなのか。保健所調査への回答を拒否した場合にも過料は科されますが、守秘義務を負う弁護士や宗教者、新聞記者が、どこまで質問に答えねばならないのか。ほとんど配慮されていません」

──これまでの感染症対策の理念という観点からは、いかがですか。

 「感染症患者を危険な存在として社会から隔離排除するという考え方は、感染症患者の人権を侵害し、差別を引き起こしてきました。そうした歴史への反省が、らい予防法の廃止や感染症法の前文・本文の人権条項につながったのです。特措法にも患者の人権尊重や差別防止が書いてあります」

 「これらをきちんと考慮した上で、改正されたのでしょうか。患者差別につながる『お墨付き』を、国が与えていないか。検査や医療体制を整備する国の責任を具体的に規定するなど、患者の人権や治療を受ける権利を実質的に保障する条項を盛り込む必要があったはずです」

落ち度ではなく業縁

 《コロナ禍以降、感染者や家族、医療従事者への偏見などが表面化した。真宗念仏者として業縁=用語解説=による受け止めを説き、「穢(けが)れ」としないことを呼び掛ける》

──感染者へのバッシングが社会問題になっています。

 「バッシングする人々の感染者に対する感覚を見ていると、犯罪者や犯罪被害者への感覚との共通点を感じます。犯罪者は『社会にとって危害を及ぼす迷惑な存在で、社会から排除・抑圧すべきだ』という意識です。犯罪被害者への『落ち度があったから被害に遭ったのではないか』という偏見です。感染者のことも『危険な存在』『感染したことに落ち度があった』と見ていないでしょうか。感染自体は、いろいろな要素が重なった結果の『業縁』です」

 「犯罪とのもう一つの共通点は、穢れの問題です。日本は古代から犯罪を穢れと捉えてきました。巻き込まれた被害者も穢れた存在と見なされてしまう。そのままにしておくと神に罰を与えられるから、共同体の外に放逐しなければならない、という意識が残存している気がします。感染者のことも、穢れた存在と見ているのではないでしょうか。そう見てしまうと、家族や医療関係者にも穢れが広がります」

──解決の手立てはありますか。

 「罰則に賛同する方々は、疫病の時、強い力を持つ鬼神に祈禱(きとう)するように、国家権力に何とかしてほしいと考えているのだと思います。いわば依存であり、従属です。国家の強権に頼らず合理的な行動をとり、自分たちで危険を回避することが必要です」

 「感染しないことだけを考えると、周囲のすべてが自分に脅威を及ぼす人になってしまいます。自分だけが人間で、相手は人間ではないと思う。犯罪者を『人間じゃない』と非難する言い方を耳にしますが、誰かを『人間じゃない』と見た時には、こちらも人間性を失っています」

 「誰もが同じ人間であり、全ての命が共に生きられる世界を目指すのが本願。少なくとも感染者やその家族、医療従事者を排除しない。困っている人たちがいれば、できる範囲内で助ける。その意識で行動することによって、状況は変わるのではないでしょうか」
     ◇
【用語解説】罪刑法定主義
 どんな行為が犯罪となり、いかなる刑罰が科されるかをあらかじめ法律で定めるという原則。起源は英国のマグナ・カルタ(1215) までさかのぼるとされ、日本国憲法にも盛り込まれている。

【用語解説】業縁(ごうえん=浄土真宗)
 縁によって起こる行為などを指す。親鸞の弟子である唯円が記した『歎異抄』では、縁によっては、誰もが何をしでかすかわからない存在であることを親鸞が指摘している。

(文化時報2021年3月8日号から再構成)
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