真宗大谷派高山教区・高山別院 本堂大規模改修という大事業を終え

真宗大谷派高山教区・高山別院

 

本堂大規模改修という大事業を終え

 

宗祖親鸞聖人が顕らかにした念仏の教えは、弟子の嘉念坊善俊上人によって今から770年余り前、飛騨の地にもたらされた。以来、飛騨各地に念仏道場が次々と開かれ、飛騨御坊照蓮寺(高山別院)を中心道場として飛騨真宗の土壌が培われてきた。

飛騨御坊は創建以来、8回の焼失に見舞われた。戦後の火災では、用材調達の困難と防火面から鉄筋コンクリートの耐火様式が採用され、1963年に落成。以来50年を経て雨漏りが激しく、東日本大震災を機に耐震調査を行った結果、現在の基準に達していないことが判明。総予算4億4500万円をかけて、屋根修復と耐震工事を御遠忌事業とすることが決定した。

しかし、教区内から「それだけのお金をかけるのなら、小さくても木造の新築がよい」「いずれ建て直さなくてはならないのだから、屋根の修復だけでいいのでは」等の意見が出るなど、スムーズには進まなかった。

4年前に高山教区教務所長(当時は高山別院輪番兼任)に就任した出雲路善公教務所長は、“教区改編”と“御遠忌の円成”という二つの命題を抱えて高山に赴いた。大規模改修に関して手続き上はしかるべき議決機関で決定され問題はなかったが、募財に関し意見が錯綜する中で、「教区の人々との対話が不足していた。今は昔のように本山や別院、教区が決定すれば、ご懇念を運ぶという時代ではなくなってきていることを感じた」と感想を述べる。

雨漏りも深刻となる中で時間的猶予もなく、御遠忌概要と予算を決めるべく連日のように会議を開き、各組への説明会を行った後、2015年11月に御遠忌御修復決意集会が開かれた。

出雲路教務所長は「さまざまな意見が出された期間は、高山教区にとって非常に大事な時間だった。賛成する側も反対する側も、共に別院に対する熱い思いがあることが確認された。そして『なぜ別院が必要なのか』『別院の存在する意義は』『別院はどうあるべきなのか』という根本的な問題が改めて問われた」といい、この時に厳しい意見を言っていた各寺院の住職・門徒役員が率先し、また先頭に立って募財に協力した。

焼失のたびに再建してきた飛騨真宗門徒の別院に寄せる思いを再確認させられたという出雲路教務所長は、「再建のたびに、想像を絶する先人たちのご苦労があったことを忘れてはならない。それとともに、教区内のこれまでの御遠忌問題が皆さんの身体の中に、先人から引き継がれてきた脈々と流れる内なる念仏者の魂が呼び起こされて、さまざまな言葉となって表れてきたことを実感した。これで別院の環境は整った。今後はお念仏に触れ、お念仏を子や孫に伝えていく精神共同体の発信基地となり続けることを願ってやまない」と語っている。