お寺は子ども預かれる? ママ記者が振り返る一斉休校

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府が2~3月に小中高校・特別支援学校の一斉休校を要請したのは記憶に新しい。予定外の休校に苦慮する家庭を助けようと、一部のお寺は地域の子どもを預かったが、難しさもあったという。当時小学2年生だった娘がいる本紙記者が対応を振り返った。(磯部五月)

子ども食堂は、子どもが安全に過ごせる場所としても注目を集めている=2020年1月、東本願寺


高額な預かり保育

 小学校の集団登校班で作る会員制交流サイト(SNS)のグループで、2月27日に一斉休校を知った。親同士で不安を共有するメッセージをやりとりしたことを鮮明に覚えている。

 わが家は学童保育の申請要件を満たさず、民間の預かり保育は1日最長10時間で、保険と交通費を含めると約8千円。仮に15日間預けると12万円が必要な上に、学習指導も給食もない。

 休校を前に、子どもが安全に過ごせる場所はないかと探した。子ども食堂などを含めて調べたが、京都市内では見つからなかった。「お寺は、子どもの受け入れ場所になれないのだろうか」。ふと疑問が湧いた。

全国のお寺が対応

 調べると、全国で子どもを預かろうとするお寺が複数あった。浄土真宗本願寺派極楽寺(新潟県小千谷市)の麻田弘潤住職は、研修会講師などの自身の仕事がキャンセルになり、3月4日から自身の子ども3人と一緒に地域の子どもたちを最大10人受け入れた。

 昼食は弁当持参で、お寺の中での過ごし方は自由。周知は公開範囲を限定したSNSで行い、必要以上の責任を負わないよう配慮した。麻田住職は「お坊さんは、生き方やものの見方を説く。何かが起きた時が今なのだとしたら、仏さまの教えを生かすのは今ではないか。お寺が少しでも立ち止まって考える場所になってほしい」と話した。

 浄土真宗本願寺派恩栄寺(石川県加賀市)では、日下賢裕住職が地元の山中温泉街で子どもたちに直接声をかけ、3月2日から顔見知りの小学生5、6人が宿題を持って集まったという。日下住職は「特別なことをしたという意識はない」と振り返る。お寺が子どもたちの日常生活に溶け込む原風景があった。

 一方で、思うように進まなかった寺院もあった。

 日蓮宗廣昌寺(高松市)の大道弘喜住職は「廣昌寺臨時お子さま見守り処」を、ボランティアの須田珠恵さんと共同で3月3日に開設。地元のテレビやラジオに取り上げられ、SNSでシェアされるなど反響はあったが、13日までの正式な利用は2件だったという。

 大道住職は「必要な人に情報が届いていないのか、それとも宗教施設への遠慮があるのか。今後に向けた検討が必要」と総括する。ただ、それでも「喜ばしいきっかけではなかったが、これを機会にお寺が開かれていけばいいと思う」と力を込めた。

 臨済宗妙心寺派東國寺(静岡県藤枝市)は、小学1年生以上の児童を対象とした「自習室」を3月5日に始めた。塚原史方住職が顧問弁護士と相談し、飲食物の提供を控えることなどを決めて開放したが、13日時点で利用者はなかった。塚原住職は「地域の受け皿や助けになればと考え、現実的な受け入れのあり方を模索した。二世帯住宅が多いという地域性もあったかもしれない」と語る。

 お寺と親しく接する普段の取材では忘れがちになるが、一般の人々には宗教施設への入りにくさが、やはりあるのだろうか。

自治体と連携可能

 大谷栄一佛教大学教授(宗教社会学)は「調査に基づいた意見ではない」と前置きした上で、「各お寺が文化活動や社会活動を通じ、布教・伝道以前の日頃の関係性を、地域と深める必要があるのではないか」と指摘する。実際に子どもを預かるかどうかは、「お寺が災害時に避難所となることで自治体と協定を結ぶ例に倣い、市町村レベルで連携できる可能性がある」と分析した。

 文化庁の宗教年鑑によると、2018年時点で全国には寺院が7万7112カ寺ある。新型コロナウイルスが終息し、社会が日常を取り戻すとき、お寺が子どもを預かる取り組みだけでなく、地域の子ども食堂などの社会活動にコミットし、公共性を高めることで、大きな力となる。

 結局、わが家は他県で生活する夫の両親に娘を預かってもらい、3週間離れて暮らすことになった。運良く義父母が助けてくれたが、頼る人がなく、民間に預けるお金もない家庭は、仕事を休まなくてはならず収入が減り、経済的困難に直面したはずだ。

 子育て世帯は家族や会社、周りに「迷惑をかけないように」と、少なからず無理をしながら生きている。1時間でも30分でもいい、子どもが境内の端っこで遊んでいられるような、用事がなくても安心して立ち寄れるようなセーフティーネットとしてのお寺があれば、と実感した。

(文化時報2020年3月28日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

大丸の新選組羽織、壬生寺へ 仏縁で技術結集、復元

 律宗大本山の壬生寺(京都市中京区)と大丸京都店が新選組の隊服「浅葱色のだんだら模様の羽織」を復元し、同寺に奉納された。松浦俊海貫主や松浦俊昭副住職をはじめとする関係者らが集い、半年以上にわたる復元事業の成功を祝った。

羽織を復元した大丸京都店の北川公彦店長(右)と壬生寺の松浦俊昭副住職


 事業は、大丸京都店の「古都ごとく京都プロジェクト」の一環。同店が創業300周年を迎えた2017年、俊昭副住職が「当時の大丸が発注を受けたといわれる新選組の隊服を復元しては」と提案したのがきっかけだった。

 同店の総合プロデュースで、京友禅の老舗「千總」が図案、草木染の「染司よしおか」が染色を担当した。実物を知る手掛かりがほとんど残されていない中、愛好者らの助言を基に、当時一般的だった麻の布地とタデアイの染料を選び、俊海貫主が揮毫(きごう)した「誠」の文字を染め抜いた。昨年夏に制作を始め、今年2月末に完成した。

 3月27日、「壬生菜祭2020法要」に合わせて奉納。当日初めて完成品を目にしたという「染司よしおか」の6代目、吉岡更紗さんは「理想の色を出すのに苦労したので、仕立て上がった姿はとても感慨深い」と話していた。

 俊昭副住職は「小さな菜の花が集まって大輪の花を咲かせる壬生菜のように、京都を代表する職人が集まってこの羽織を作り上げることができた。ご本尊の地蔵菩薩がご縁を結んでくださったおかげ」と語った。

(文化時報2020年4月8日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

ITで災害に備え 阪大院「災救マップ」リニューアル

 稲場圭信大阪大学大学院教授(宗教社会学)らの研究グループは、寺社などの宗教施設を含む避難所約30万カ所の情報を公開するインターネットサービス「未来共生災害救援マップ(災救マップ)」をリニューアルした。被災状況の共有が可能になったほか、独立電源通信機「たすかんねん」との組み合わせで高い防災効果を発揮する。ITを活用した災害への備えが進む。

災救マップのリニューアルについて発表する大阪大学大学院の稲場圭信教授


 災救マップは、2014年にスマートフォン用の無料アプリとして始まったが、頻繁なメンテナンスが必要であったことから、今回のリニューアルによってウェブブラウザでのサービスとした。

 スマートフォンやタブレット端末などから被災状況を投稿できる機能を充実させた。「避難所として利用可能か」「傷病者、要介護者は何人か」「水道などのインフラは稼働しているか」といった情報をリアルタイムに共有できる。津波発生時に備えて現在地の標高も表示できる。

 稲場教授は「情報の精度を高めるため、利用者からの情報提供を受け付けている。たくさんの人に利用してほしい」と話す。

 独立電源通信機「たすかんねん」は、東日本大震災の際に広範囲で通信手段が失われたことを教訓に、一般企業などと共同で2017年から開発。太陽光と風力で発電し、非常用電源として携帯電話約200台を充電できる。Wi-Fi 機能を搭載し、非常時には災救マップと連動して安否情報を収集する。

独立電源通信機「たすかんねん」


 LED照明や防犯カメラも備え、平常時の防犯などにも役立つ。稲場教授は「お寺にもぜひ取り入れてほしい」と話していた。

(文化時報2020年3月28日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

【速報】西山浄土宗・堀本法主が退任表明 内局受諾

 西山浄土宗管長の堀本賢順総本山光明寺第86世法主(79)が管長と法主を退任する意向を示していることが、関係者への取材で分かった。8月19日に申し入れがあり、宗内局は慰留に努めたものの、翻意は困難と判断して9月10日に正式受諾した。心身ともに健康だが、1期5年で退任する意向を2016年の就任当初から示していた。宗は、1カ月以内に次の法主を推戴する委員会を開催する。

堀本賢順法主(2020年7月撮影)


 堀本法主は1941年2月生まれ。大阪府交野市の光林寺出身。神戸大学を卒業後、大阪府庁で勤務した。師僧の逝去を機に、67年に宗門学校の西山短期大学に入学し、68年に法脈を相承する「加行」を成満。同年に光林寺住職となった。

 故上田良準第81世法主の薫陶を受け、西山教学の研究に没頭。西山短期大学教授を経て、96年から8年間にわたって同短期大学学長を務め、「広谷法談」の講師として教鞭をとった。2016年7月に管長・法主に推戴され、同年12月に晋山した。

 法主就任後は、宗議会の要請を受け、自ら「広谷法談」の講師として法脈を伝え、全国4ブロックを巡って教えを伝える「巡錫(じゅんしゃく)」も実施。昨年光明寺で営んだ大授戒会では、新型コロナウイルスの感染拡大を予期したかのように、「今後、難儀にあったり絶対的なピンチに陥ったりして、よこしまな道にそれそうになることもある。それを押しとどめるのが戒体」と垂示していた。

 西山浄土宗は、京都府長岡京市の光明寺を総本山とする伝統仏教教団。専修念仏を広めた法然上人を宗祖とし、その弟子の西山国師証空上人を派祖としている。傘下の寺院数は約600カ寺で、愛知県以西に広く分布する。

(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

開創700年へ 石川・輪島市と連携 曹洞宗大本山總持寺

 曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)が開創700年を迎える来年に向け、總持寺祖院のある石川県輪島市と共同で「禅と海 里づくり・交流促進プロジェクト」に取り組んでいる。開創700年の機運を高めるロゴやのぼり、ポスターを制作。9月11~21日には祖院を中心に門前町を彩るライトアップイベント「ぜんのきらめき」が行われる。

ロゴやポスターを発表する大本山總持寺の関係者ら

 ロゴマークは「700」の文字と、祖院のシンボルである山門や白字橋をあしらった。のぼりは、ロゴの背景に枯山水を表現したデザイン。ポスターには開山の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師とゆかりの定賢律師を描き、「お二人の想いが未来へ受け継がれる」との言葉を記している。

 總持寺は1321(元亨元) 年に創建。1898(明治31)年の大火で境内が焼失し、1911(同44)年、大本山は輪島市から横浜市鶴見区に移り、大本山があった地は祖院となった。

 祖院はその後、山門、仏殿などが再建されて、根本道場の威厳を伝えていたものの、2007年の能登半島地震により伽藍が大きな被害を受けた。

 今年3月には交流促進プロジェクトの会議が開かれ、大本山總持寺の乙川暎元監院、總持寺祖院の鈴木永一監院、梶文秋輪島市長ら20人が出席。全国曹洞宗青年会の山田俊哉副会長らが、来年3、4月に祖院の境内で開く精進料理や一文字写経などについて説明した。

 9月11~21日の「ぜんのきらめき」は、開創700年記念イベントとして実施。山門にデジタルアートを投影し、ペットボトルで作った照明が境内を埋め尽くす。和太鼓の演奏も行われる。

總持寺開創700年を記念するポスター

 さらに来年4月6日には能登半島地震からの復興を祝う落慶法要を営み、来年9月12~15日には大本山總持寺開創700年慶讃法要・御両尊御征忌会を行う。

 乙川監院は「輪島市が積極的に開創700年を後押ししていただき、曹洞宗の未来を背負う青年会も多彩なイベントを計画してくれている。ぜひ多くの人に地震から復興した祖院に来ていただき、輪島市のランドマークとして地域を盛り上げたい」と話している。

(文化時報2020年4月1日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

肩肘張らずに名刹改革 異色の尼僧が心掛けたこと

 「徳川家の許しがなければ入れない」。京都市伏見区の浄土宗清凉院は、かつてそう言われた名刹だったが故に、かえって人々から敬遠されていた。それが今では、檀信徒や地域住民が運営に積極的に関わる寺へと変化。波乱万丈の半生を歩んできた橘髙貞量住職(55)が、風穴を開けたという。何がそうさせたのか。(大橋学修)

地域の子どもと笑顔を見せる橘髙貞量住職=京都市伏見区の清凉院


 清凉院は、徳川家康の側室、お亀の方が、尾張徳川家の始祖である義直を産んだ地にある尼寺。普段は檀信徒以外には公開していない。

 唯一拝観できる機会が、浄土宗京都教区が毎年秋に開催する「京都浄土宗寺院特別大公開」。寺宝の見学や法話など、寺院ごとに特色を生かした行事が行われる人気の企画だ。

 清凉院では、橘髙住職が寺の縁起や本尊について解説し、離れで「尼カフェ」と名付けた接待を行う。好評の丹波大納言を煮込んだぜんざいは、檀信徒の松原春美さん(72)のお手製。これを楽しみに毎年参拝する人がいるほどだ。ほかにも十数人の檀信徒らが、カフェや受付で運営に携わっている。

 最初に特別大公開に参加したのは、橘髙住職が入寺して間もない2013年秋。とても一人では対応できないと思い、檀信徒に手伝いを頼んだ。「何でもできると肩肘張らずに、何もできないからと素直にお願いすることが大切。そうすれば、楽になれる」という。

 檀家総代の種子田隆男さん(80)は、自分ではできないことを全て請け負ってくれた。橘髙住職は「私にとってナイトであり、お父さん。阿弥陀さまの片腕のよう」と語る。

みんなで奉仕して、食べて、楽しんで

 特別大公開への参加がきっかけとなり、清凉院は徐々に地域に開かれていく。書道教室やヨガ教室の会場となり、月に1度行う境内や本堂の大掃除には、教室の生徒らも参加。近所の子どもたちが、池のメダカをのぞきに来るようになるなど、人の輪ができ始めた。

 檀信徒の寒風澤(さぶさわ)和子さん(68)は「みんなを喜ばせるのが好きな庵主さんを中心に、ワンチームになっている」。松原さんは「まるで実家に帰ったかのような家庭的な感覚で、掃除の日が本当に楽しみ」と語る。

 橘髙住職が入寺した当初は、檀信徒同士の関係がうまくいっていなかったという。

 このため橘髙住職は、人と人をつなぐことに心を砕き、相手の欠点を見るのでなく長所に気付けるよう導いた。仲たがいしていた人々は、互いに良い印象を持つようになり、相手の体調を気遣うほどになった。「お寺は人が集まる場所。みんなで奉仕して、食べて、楽しんで。それが本来の姿だと思う」と語る。

寂聴さんから紹介

 そんな橘髙住職は、異色の経歴の持ち主でもある。

 大阪芸術大学に進学したものの、「諸行無常を感じた」として、中退。いろいろな物事を客観的に見つめるようになりたいと、瀬戸内寂聴僧尼の門をたたき、清凉院を紹介された。京都市東山区の浄土宗尼僧道場で学んだ後、加行を受けて浄土宗僧侶となった。

 だが、教師資格を得たにもかかわらず、確執があって清凉院を退山。故郷に帰って葬儀会社に就職した。父の介護と死を経験した後、介護福祉士に転身し、さらには介護支援専門員(ケアマネジャー)となった。「約20年間、いろいろと旅をしてきた」と言う。

 転機となったのは、京都医療福祉専門学校(京都市伏見区)の通信科で福祉を学び始めたこと。スクーリングで京都に通う際、再び清凉院に顔を出すようになり、師僧で当時住職だった福谷貞元僧尼と交流が復活した。

 ある日、「あんたを跡継ぎにする」と師僧から突然の電話があった。「終活でも始められたのか」と軽く受け止めた翌日、仕事中に見知らぬ番号から立て続けに電話が入った。師僧の逝去を知らせる連絡だった。

 長すぎたブランクのせいで、すぐには入寺できなかった。清凉院に関係する僧侶の支援を受けながら、半年かけて学び直し、住職に就任した。

 紆余曲折を経たことで、大切な人を亡くして悲嘆に暮れる人々や、介護の悩みを持つ人々に、共感できるようになった。橘髙住職は言う。

 「一般にはおせっかいと思われることも、僧侶という立場だと、自然なこととして受け止めてもらえる。阿弥陀さまがしたいことを『代わりにしなさい』と言われているように感じる」

(文化時報2020年3月25日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

【速報】お寺を国有化、年内めど 浄土宗と中国財務局

 宗教法人の解散手続きが進む浄土宗金皇寺(こんこうじ)(島根県大田市)について、境内地などの法人所有資産の国有化が年内に完了する見通しとなったことが8日までに分かった。8月24日付で、中国財務局松江財務事務所が国有化するための条件を提示。鐘楼と山門の撤去は求めた一方、本堂と庫裏は現状のまま国有化する方針を示した。宗は月内に撤去を始め、譲渡に向けた最終手続きに入る。

国有化が決まった金皇寺。山門奥が本堂で、左が鐘楼。庫裏は本堂右の林の中にある

 金皇寺は、檀信徒数減少などによって財務状況が悪化。住職が2013年に死去し、後継者の確保や堂宇の維持が困難と判断した檀信徒約20戸が、15年に宗教法人の解散を決議した。

 しかし、約12万平方㍍に及ぶ土地・建物の処分ができず、解散手続きを進めることができなかった。全日本仏教会の戸松義晴理事長らが、宗教法人法50条3項の「処分されない財産は、国庫に帰属する」を根拠として折衝を進め、財務局から一定の理解が得られた。

 宗は昨年10月25日、寺の責任役員を担う元檀家総代ら5人と協議。林啓碩教区会議長を清算人として手続きを進める方針を確認した。今春には、松江財務事務所に事前協議届を提出。これを受け、松江財務事務所が7月22日、現地調査を行っていた。

 松江財務事務所は、倒壊した場合に周囲に影響を与えかねない鐘楼と山門の撤去を求めたが、本堂と庫裏は倒壊しても問題ないと判断。本堂ごと境内地を引き受け、国有化後も放置することにした。一方で、墓地の処理や境内地の草刈り、庫裏内に残された冷蔵庫などの生活物資の搬出を宗・檀信徒側に求めた。

 宗は8月27、28日に金皇寺で墓地の撥遣(はっけん)式を行い、草刈りを行った。今月中に委託した地元業者が、鐘楼などの撤去や生活物資の搬出などを行う。

【用語解説】撥遣式(はっけんしき=浄土宗)
 一般的に「魂抜き」や「お性根抜き」と呼ばれる法会の浄土宗における正式名称。仏像・菩薩像、曼陀羅(まんだら)、位牌、お墓、石塔など、礼拝の対象となるものを修理・処分する際に行われる。

(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

介護者カフェが寺開く 京都・金剛寺

 介護者がつらさや悩みを語り合う「介護者カフェ」を始める浄土宗寺院が増えている。京都市東山区の金剛寺(中村徹信住職)は、コーヒーを味わいながら心をほぐす取り組みを基に、地域に開かれた寺院を目指してきた。2020年度は、宗門による「介護者カフェ」の立ち上げ支援が本格化。さらなる広がりが見込まれることから、金剛寺の活動が先進事例として注目されそうだ。(大橋学修)

介護者カフェを開いている京都・金剛寺の中村徹信住職

 在家出身の中村住職が金剛寺住職に就任したのは06年。どんな公益活動ができるか模索し、当初は写経会など仏教色を前面に出した催しを企画したが、手応えを感じなかったという。

 転機は5年前に訪れた。「お寺で活動したい人がいる」と知人を通じて紹介されたのは、喫茶店のマスター。ミルを使って参加者自身が豆をひき、自分でコーヒーを入れて共に味わう「おてらカフェin金剛寺」を始めた。

 開始は午前7時。参加者らは朝のコーヒータイムを楽しんだ後、木魚体験の別時念仏会を営む。

 さらに、参加者の特技を発表するワークショップの時間も設けている。参加した若者が会員制交流サイト(SNS)で拡散させ、さまざまな人が集まるようになったという。

話しやすい場の力

 介護者カフェを始めたきっかけは、19年1月に宗門が開いた総本山知恩院冬安居道場(教化高等講習会)。下村達郎香念寺住職(東京教区)が講演し、自坊で運営している介護者カフェについて紹介していた。

 お寺でカフェを開くノウハウは、十分に積んでいた。「これならできる」。下村住職から、介護者のケアに詳しい浄土宗総合研究所の東海林良昌研究員を紹介され、宗門の支援を受けることに。同年9月に1回目を開催した。

 金剛寺の介護者カフェでは、介護の専門家を招いて、講演と座談会を行っている。今年今月は新型コロナウイルスの感染拡大を懸念して中止したが、これまでに4回開いた。

 中村住職は「会館などで行うケアラーズカフェとは異なり、歴史を培った寺が持つ『場の力』が話しやすさにつながっている」と指摘。「介護者はそれぞれ悩みが異なっても、自分1人だけではないのだと思える」と語る。

 浄土宗は、介護者カフェについて「苦に寄り添う活動だからこそ、寺院で行う意義がある」としている。19年度から支援員の派遣を試行しており、金剛寺を含む10カ寺で開設にこぎつけた。
 
 20年度はさらに実施する寺院を増やそうと、立ち上げに対する支援経費を一般会計予算に盛り込んでいる。

 在宅介護をしている介護者は、気持ちを打ち明ける機会や場所が限られている。一方で寺院にとっては、檀信徒が各地に分散する都市部だと特に、地元住民から地域の拠点として認識してもらえない悩みがある。

 中村住職は「朝のカフェと介護者カフェで、人と人をつなぐ触媒の役割を果たせたことで、新たなコミュニティーが形成されてきた」と手応えを感じている。
              ◇
 【用語解説】介護者カフェ
 在宅介護の介護者(ケアラー)らが集まり、悩みや疑問を自由に語り合うことで、分かち合いや情報交換をする場。「ケアラーズカフェ」とも呼ばれる。主にNPO法人や自治体などが行い、孤立を防ぐ活動として注目される。

 【用語解説】別時念仏会(べつじねんぶつえ=浄土宗など)
 時間を特別に設けて念仏をとなえ続ける修行方法。

(文化時報2020年3月21日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

お堂の鐘は地域の絆 高知の〝ポツンと山寺〟

高知の山寺、真言宗智山派寳珠寺

 つづら折りの山道の先に、ポツンと建つ小さな地蔵堂。平家の落人伝承がある高知県香美市香北町の山中に、真言宗智山派の寳珠寺はある。田中弘明住職を訪ねて「山寺日記」という記事にしたのが、2013年2月20日号。あれからお寺がどうなったのか気になり、再訪した。(春尾悦子)

 高知市内から車で香美市立やなせたかし記念館(アンパンマンミュージアム)を通り過ぎ、県立香北青少年の家から山中へと分け入る。しばらく行くと、視界が開け、きれいに整備された小さな伽藍が現れる。最近整備された林道のおかげで、7年前よりは進みやすくなっていた。

 「若い人にも生きづらい世の中なんでしょう。何かに引かれ、導かれて来るようだ」。出迎えてくれた田中住職が、そう語った。

 「北向き地蔵」と呼ばれるお地蔵さまの元を、若者たちが訪れ、一心不乱に拝む姿を見かけるようになったという。お茶を勧めると、驚くほど冗舌に話し始める。引きこもりで悩んでいた子どもや親が訪れては、胸の内を打ち明け、ほっとしたように帰っていく。ここに来ると、不思議と素直になって、いろいろな話がしたくなるのだそう。

 相変わらず地域の人たちの憩いの場となっている。地蔵堂の前にはウッドデッキやベンチを設けた。子どもたちが遠足に来ることも。境内に山水を集めて滝を作り、桜が咲く頃に「地蔵流し」という新たな年中行事を行うようになった。

8年前に移住、独特の葬送儀礼に驚く

 寳珠寺は代々、兼務寺院として受け継がれてきたが、智山派元教学課長の田中住職と、元信徒課長で智山派専修学院の副生徒監も務めたことのある智恵さん夫妻が移り住み、8年前に晋山式が行われた。以来、「毎朝、鐘の音が聞こえる。ああ住職がいるんだなあ」と、お参りに来る人が少しずつ増えてきた。

 野菜や米は、檀家たちが届けてくれる。檀家百数十軒でも、2人ならどうにか食べていける。田中住職が着任してから戻ってきた檀家や、新たに檀家になった人もいるそうだ。

寳珠寺を預かる田中住職夫妻


 数年前に行った超宗派の柴燈大護摩供と火渡りは、里の人ばかりか、出仕した僧侶にも好評だったため、昨年10月には2度目を執り行った。僧侶の宗派は天台宗、高野山真言宗、曹洞宗、日蓮宗、金峯山修験本宗と多岐にわたり、関東から訪れた人もいたという。

 旧物部村に伝わる葬送儀礼をつかさどる「オシ」の人たちも加わった。寺域は旧物部村の端に位置するそうで、田中夫妻が寺に入ったとき、屋根裏には独特の「お面」がたくさんあったという。

 今も、古い形の宗教儀礼が色濃く残る。50年たたないと先祖代々の墓に納骨できない、という慣習もその一つ。若者は都会に出てしまい、墓じまいや平地の霊園に墓を移す依頼が少なくないのだそうだ。

 檀家は先祖代々の墓に入るまで、山奥の一人墓で眠る。田中住職は「墓参りは登山だ」と言い切る。行くのは至難の業。とにかく山寺での暮らしには、体力がいるのだと、笑顔で話した。

(文化時報2020年3月18日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム

災害対応で宗教と協力、社協の4割に 寺社の避難所は倍増

 災害対応を経験した全国の社会福祉協議会のうち約4割が、宗教団体のボランティアを受け入れていたことが、稲場圭信大阪大学大学院教授らの研究グループによる調査で明らかになった。自治体が協定を結び避難所に指定した寺社などの宗教施設が6年間で倍増したことも分かった。災害時における宗教と行政、社協の連携が進んでいる。

調査結果を発表する稲場圭信大阪大学大学院教授(右)。左は研究分担者の川端亮教授=2020年3月9日


 今年1~2月、全国の1826社協に聞き取り調査を実施し、794社協から回答を得た。

 それによると、災害対応に当たった経験のある321社協のうち、41.8%にあたる134社協が宗教団体によるボランティアを受け入れていた。

 受け入れた宗教団体の活動について「満足」と回答した社協は8割にのぼり、理由として「職員が対応できない危険な作業を、宗教者が率先してこなしてくれた」などの声があった。

 一方、宗教団体のボランティアを受け入れなかった103社協については、宗教団体からの申し出がなかったという理由が8割を占めた。「宗教色を前面に出していたから」が2.9%、「政教分離の考えから」が1.9%と、宗教を理由に受け入れを断ったケースは4.8%にとどまった。

 さらに、行政と宗教団体の連携状況についても2014年以来6年ぶりに調査を行い、全国の1741自治体に聞き取り調査。自治体と災害時協定を結び指定避難所となっていた宗教施設数は、14年時点の272カ所から661カ所と、約2.4倍に増加した。

 宗教団体と災害時協定を結ぶ自治体数も、95自治体から121自治体に増えた。

 宗教団体の持つ物資や人的資源は、災害対応において大きな強みとなる。稲場教授は「宗教と行政、社協の災害時連携は、今後さらに拡大するだろう」と予測している。

特定の宗教・宗派を利するわけではない

 自治体や社会福祉協議会が、災害の救援期に宗教者や宗教施設に協力を求める背景には、東日本大震災の教訓がある。

 稲場圭信大阪大学大学院教授らの調べによると、震災では少なくとも100カ所の宗教施設が緊急避難所として開放された。津波による浸水被害を受けた学校や公民館の代わりに高台の神社が住民を救った例や、約3カ月間にわたり300人以上もの避難者を受け入れた寺院もあったという。

 交通機関が不通になった都心では、多くの帰宅困難者が出た。このため東京都は2017年から、東京都宗教連盟と連携し、神社仏閣を受け入れ先とする取り組みを進めている。首都直下地震が起きた場合、都内の帰宅困難者は500万人以上にのぼるとの試算があることから、指定避難所だけでは収容し切れないと踏んだ。

 一方、東日本大震災では宗教者らのボランティア活動も注目された。僧侶や聖職者らが続々と被災地に入り、犠牲者の追悼や炊き出し、がれきの撤去などに当たった。もちろん布教や勧誘が目的ではないことが大前提だった。

 宗教者の災害支援と言えば復旧・復興期の心のケアが注目されがちだが、被災者や行政職員から宗教者が信頼を得られたのは、救援期の活動があったためだということは、見過ごせない。

 東日本大震災以降に相次いだ自然災害でも、宗教者らは着実に経験を積んだ。16年の熊本地震では、真如苑救援ボランティアSeRV(サーブ)が熊本市東区で、天理教災害救援ひのきしん隊が熊本県益城町で、現地の社会福祉協議会と協力し、ボランティアセンターの立ち上げを支援した。

 宗教団体が〝応援社協〟として駆け付け、丁寧かつ迅速にボランティアセンターの運営に当たれることは、他の社会福祉協議会にも伝わっている。人徳のある宗教者らしい応対が、現場の緊迫感を和らげたと評価する声もあるという。

 今回、稲場教授らが発表した調査結果は、宗教者による災害支援が活発になってきたことを裏付けたと言える。

 自治体や社会福祉協議会の中には、政教分離の原則や住民からの苦情を懸念するところもあるだろう。特定の宗教・宗派を優遇したり援助したりすることにはならないと納得させるためには、超宗教・超宗派で活動することや、宗教間で協力すること、布教と勧誘を絶対に行わないことなどを、宗教団体が確約する必要がある。

 異常気象による災害や来るべき南海トラフ巨大地震、首都直下地震への備えは、宗教者や宗教施設の協力なしにはできないのが現状だ。宗教界は万全を期し、襟を正して期待に応えてほしい。(主筆 小野木康雄)

(文化時報2020年3月14日号から再構成)
(購読のお申し込みは0800-600-2668またはお問い合わせフォーム