太閤桜よ東北に咲け 「京の杜プロジェクト」定着

 真言宗醍醐派の総本山醍醐寺(仲田順和座主、京都市伏見区)が、東日本大震災で被災した東北の小学校に桜を届ける活動を着実に続けている。「京の杜プロジェクト」と題した取り組みで、地元の小学生らが太閤しだれ桜のクローン苗木を育て、毎年1本ずつ現地の小学校に贈ってきた。「命がつながっていることを、子どもたちに伝えたい」。震災は来年、発生から10年を迎える。(主筆 小野木康雄)

岩手県宮古市の市立津軽石小学校で行われた「京の杜プロジェクト」の植樹式=2017年3月

児童らが苗栽培

 京の杜プロジェクトは、醍醐寺と住友林業株式会社、KBS京都による共同企画として2012年度にスタート。京都市立醍醐小学校と立命館小学校の児童らが参加してきた。

 太閤しだれ桜は、1598(慶長3)年に豊臣秀吉が醍醐寺三宝院で催した「醍醐の花見」ゆかりの桜。貴重な品種を後世に残そうと、住友林業が2000年、クローン技術による増殖に成功した。

 児童らは、このクローン苗木を1年かけて育てる。まず秋に、育成用の堆肥を作るための落ち葉を、醍醐寺の境内で集める。春には苗木を受け取り、観察日記をつけるなどしながら栽培。翌年3月、児童代表が醍醐寺僧侶らと共に被災地の小学校を訪れ、植樹式に臨む。
 
 この間、児童らは醍醐寺での歴史学習や住友林業による環境学習など、関連するさまざまな勉強に取り組む。

自然と手を合わせる

 「東北の方々の思いや願いを直接知ることができた」「私たちも亡くなった人と通じ合えた気がした」
 
 醍醐小学校の元校長、林明宏氏の著書『宮古へ届けた醍醐の桜 「京の杜プロジェクト」醍醐小学校の軌跡』(大垣書店)に掲載された京都の児童らの感想だ。逆に、被災地の子どもたちからは「将来、醍醐寺をお参りして桜を見たい」との声が聞かれるという。

 一連の学習では、こうした交流を重視している。

 14年3月、京都から児童らが初めて被災地を訪れたとき、岩手県宮古市田老地区の防潮堤で、仲田座主は「まだ帰ってきていない命がある」と語り掛けた。津波で流されて行方不明になった人々のために、一心に拝むのだと説明すると、児童らは自然と手を合わせた。

植樹式前日には、宮古市内の防潮堤で総本山醍醐寺による法要が営まれた

 今年3月には、立命館小学校の児童らが福島県いわき市の小学校を訪れて植樹する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で訪問は取りやめとなった。

 立命館小学校の長谷川昭校長は「震災を知らない子どもたちが増えており、プロジェクトは震災や復興の意味を学ぶまたとない機会。訪問は中断しているが、自分たちの育てた桜が被災地で花を咲かせることに思いをはせてほしい」と話す。

僧侶ならではの支援

 京の杜プロジェクトが始まったきっかけは、醍醐寺による震災直後の支援だった。

 仲田順英執行をはじめ僧侶らがトラックに乗り、名水「醍醐水」や食料品、トイレットペーパーなどの日用品を積めるだけ積んで、被災地へ向かった。もちろん喜ばれたが、仲田執行には「今すぐできる支援は、僧侶にはないのではないか」と思えたという。

 現地でよく「醍醐寺は桜で有名ですね」と言葉を掛けられたこともあり、震災翌年の12年3月、縁のできた田老地区に桜を植えに行った。津波の爪痕が残る町を練行して回ると、あちこちで拝んでほしいと頼まれた。「これこそが僧侶のやるべきことだ」。桜の植樹を続けたいと願ったという。

 プロジェクトは、今や醍醐寺が最優先で取り組む事業の一つとなっており、熊本地震の被災地などにも派生している。

 「子どもたちには命の循環の勉強と心の教育になっている。命がつながり、いい縁を結ぶことがいかに大切かを、これからも伝えていきたい」。仲田執行は力を込めた。

(文化時報2020年11月4日号から再構成)
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一人親支援にお寺活用 孤立防ぐ「街HUBプロジェクト」

 困窮する一人親家庭の支援に、寺社や教会を活用する試みが進んでいる。一人親家庭の自立支援に取り組む一般社団法人ハートフルファミリー(藤澤哲也代表理事、東京都新宿区)が手掛ける「街HUBプロジェクト」は、宗教施設や店舗、支援団体が連携し、食料支援や精神面のサポートを提供。地域ぐるみの自立支援に、宗教者後押しを期待している。(安岡遥)

「シングルファミリーパントリー」で参加者と交流する日野さん(左)。パンや米、バナナなどを21 家族に配布した

 理事の一人、西田真弓さんは、大学生の息子を持つシングルマザー。一人親家庭の平均年収は一般家庭の約3分の1と言われ、「悩みの大部分は経済的なことだった」と、自身の子育てを振り返る。

 「子育て中のシングルマザー・ファーザーの話を聞いても、経済的な大変さはほとんど変わっていない。食べ物や生活物資の支援だけでなく、心の応援を届け、明日を生きる活力につなげてもらえれば」。そうした思いで、2019年、街HUBプロジェクトを立ち上げた。

 宗教施設や支援団体、店舗などが「マンスリーサポーター」となり、月々一定額を寄付。その上で、ハートフルファミリーが発行する冊子を置いたり、イベントや食料支援などの活動に参加したりする。必要に応じて弁護士やファイナンシャルプランナーなどの専門家へつなぐことも想定し、長期にわたる安定した自立支援を目指す。

 地域の中で孤立しやすい一人親家庭のサポートに欠かせないのは、「支援者の顔が見えること」と西田さん。支援を必要とする人が直接訪れ、周囲とのつながりを築く拠点が必要だという。「心の拠り所として日常的に人が集まる寺社は、支援のつながりを築く上で非常に重要」と期待を込める。

 例えば、広い境内を生かしたイベントの開催。子どもを見守る地域社会づくりを目指してハートフルファミリーが主催する「ぼっちぼっちフェス」には、これまでに全国の約20カ寺が会場を提供した。流通に乗せられない食材を受け入れ、困窮家庭に無料で提供する「フードパントリー」に取り組む寺院もある。

 西田さんは「継続を想定しない単発の活動では、本質的な自立支援につながりにくい。施設の規模や経済力に応じ、できることを無理なく続けてほしい」と呼び掛けている。

子育て支え、食料届ける 真宗大谷派西照寺

 真宗大谷派西照寺(日野賢之住職、石川県小松市)の衆徒、日野史さんは、街HUBプロジェクトのサポーターの一人。自身もシングルマザーで、僧侶として活動する傍ら、趣味の音楽を生かしたイベント運営や子ども食堂にも取り組む。

 ハートフルファミリーが携わる音楽イベントを地元の小松市へ招いたことがきっかけで西田さんと交流が生まれ、1年以上にわたって支援活動に関わっている。

 子ども食堂に集まる食材などを利用したフードパントリーが好評で、一人親を含む約50世帯の子育て家庭が訪れたこともある。現在は地元商店街と協力し、一人親家庭への食料支援を兼ねたイベントを企画しているという。

「後ろ指をさされる」

 だが、課題もある。地方では依然、一人親家庭に対する偏見が根強く、「知り合いに後ろ指をさされるのではないか」「他人から施しを受けていると思われたくない」との考えから、支援を受けることをためらう人が少なくない。

 日野さんは「一人親家庭のほとんどが支援を必要としており、食料配布などの具体的な支援を呼び掛ければ、頼ってくれる人も多い」と分析。一方、「シングルマザー・ファーザーであることを公表したくない人にも配慮し、『一人親家庭の支援』を前面に押し出すことは避ける必要がある」と話す。

 支援活動に積極的な寺院が少ないことも、課題の一つだという。「私の活動を知り、『えらいね』『立派だね』と声を掛けてくれる人は多い。だが、『一緒にやらないか』と誘えば『忙しいから』と二の足を踏む人がほとんど」と、もどかしさをにじませる。

 北陸は真宗王国と呼ばれ、西照寺の近隣にも多くの浄土真宗寺院がある。「活動を理解してもらうことには苦労もあるが、子どもたちの笑顔を見ると『お寺でよかった』と感じる。困っている人のため、施設やマンパワーを活用してくれるお寺が増えれば」と、日野さんは語った。

(文化時報2020年10月24日号から再構成)
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「迎合せず、関われ」武道家兼僧侶が語る仏教の〝型〟

 岐阜県高山市の浄土宗大雄寺(だいおうじ)住職、田中玄恵氏(53)は、僧侶でありながら武道家でもある。拳法「太道(たいどう)」の師範として、道場長を務めるほどの腕前だ。同じ動きを繰り返して体に染み込ませ、僧侶としても修行を重ねる。目指すのは、聖なる空気を身にまとうこと。「社会の人々は、不安定な世の中においても、和尚と寺だけは違う雰囲気であってほしいと願っている。聖性がなければならない」と語る。(大橋学修)

田中玄恵(たなか・げんえ) 1967年2月生まれ。97年から浄土宗大雄寺住職。拳法「太道」師範。1997年から同寺住職。大本山くろ谷金戒光明寺の布教師会副会長として、後進の指導にも当たる。趣味はギターの弾き語りで、長渕剛の「乾杯」が得意曲。家族は4人と犬1匹。

厳しい修行を求めて

 生まれ育った大雄寺は、市街地にほど近い東山寺院群の一角にある。同級生には寺院子弟が多く、周囲からは僧侶になることが当然と見なされ、自身も疑いを持たなかった。ただ、武道に憧れて、柔道や空手、少林寺拳法などさまざまな道場に通い詰める青少年時代を送った。

 浄土宗の僧侶になるための大学には、大正大学(東京都豊島区)と佛教大学(京都市北区)がある。進学先に選んだのは、佛教大学。武道の聖地とされる武徳殿=用語解説=が、京都にあったからだ。友人や先輩から聞きかじった禅宗の僧堂のようなイメージを膨らませ、相応の覚悟を決めて入学した。

 進学した1980年代、1年生は大本山くろ谷金戒光明寺の学寮で暮らさなければならなかった。ところが自分が求めていたほどの厳しさはなく、ならば武道で自らを鍛えようと、京都市内の道場を渡り歩いた。

 カルチャースクールのような道場は、自分には必要ない。武道の精神を継承し続ける所に行きたい―。そうして巡り合ったのが、少林寺拳法の流れをくむ拳法「太道」。自分が求めた厳格な世界があった。大学卒業後には道場の内弟子となって拳法三昧の生活を送り、師範の資格も得た。

優秀な人の、響かない話

 内弟子となって2年が経った頃、拳法の師から「地元に帰って、武道をしながら仏法を広めることも仕事だぞ」と言われた。自身もそう考えていたが、武道家としてはともかく、僧侶として納得できるものを得ていないことが気になった。

 浄土宗教師の研鑽の場として開設される修練道場に同級生が入っていたことを思い出し、自らも入行を決めた。教学や法式の勉強ならどこでもできるが、修行は違う。「武道と同様、同じことを繰り返すことで、雰囲気を身にまとえる。〝和尚臭さ〟を身につけなければ」

 修練道場では、各界で活躍する講師が、自らの信仰をもって熱心に語っていた。「教学とは、信仰だ」。たとえ優秀な研究者であっても、信仰を持たない人の話は心に響かないことにも気付いた。

突き詰めれば世捨て人

 満行後は、経験を生かしてほしいと頼まれて、宗務庁教学局職員や修練道場の指導員として勤務。ようやく大雄寺に戻れたのは、30歳の時だった。

 帰郷してすぐ、拳法「太道」の道場を開いた。武道家ではなく、僧侶として必要だと感じたためだった。「僧侶は突き詰めれば世捨て人。世間にとって必要ない存在だからこそ、世間に関わるための手段がいる」

 社会との関わり合いは、武道を通じてだけではない。地域の子どもたちに寺を開放して勉強を手伝い、新型コロナウイルスの感染拡大で休校が続いた際には、居場所として機能した。年に数回、ジャズコンサートも開いている。寺に来たことがない人が気軽に入れるようにするためだという。

 「『いつでもお参りください』と寺が言っても、現実は入れる状況にない。こちらが歓迎する状況を作らなければならない」。僧侶も寺院も、社会が何を求めているかを考えるべきだと言う。

 一方で「社会や風潮に迎合することなく、本来はこうあるべきだという教えの視点が必要だ」とも。雰囲気や聖性をまとい、社会に受け入れられる何かをにじませるのが、僧侶だと考えている。
        ◇
【用語解説】武徳殿(ぶとくでん)
 平安神宮の造営に際して1899(明治32)年に建設された大日本武徳会の演武場。武術教員養成所(後の武道専門学校)も開設され、「東の講道館、西の武徳殿」と評された。現在は京都市武道センターの施設として、さまざまな武道が行われている。

(文化時報2020年9月9日号から再構成)
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noteで連日記事公開 2021年ゴールデンウイーク


 こんにちは。宗教専門紙「文化時報」編集局です。

 年末年始に合わせ、文化時報の紙面で反響のあったインタビュー記事を連日、ブログサービス「note」で公開していきます。
 https://note.com/bunkajiho

 期間は4月29日~5月9日です。
 公開予定記事やスケジュールは、以下をご覧ください。
 https://note.com/bunkajiho/n/ne7d04757aa6c

 よろしくお願いいたします。

空き家活用「人の駅」 越前海岸に登場

 過疎化に悩む福井市西部の越前海岸エリアに活気を取り戻そうと、浄土真宗本願寺派善性寺(福井県越前町)の山田靖也住職らが参加する「福井市越前海岸盛り上げ隊」が、空き家を活用した「人の駅」の設置に着手した。イベントや宿泊を通じ、地域住民と訪問者が交流する取り組み。開設に向けたクラウドファンディングでは、約300万円の支援金が寄せられた。

改築される古民家「はりいしゃ」は、鍼灸院として使われていた

 「人の駅」の中心となるのは、「はりいしゃ」の屋号で呼ばれる築50年の空き家。クラウドファンディングで寄せられた資金を元手に改修工事を行い、ギャラリーやイベントスペース、宿泊所を兼ねた交流拠点とする。

 「盛り上げ隊」には、ガラス作家や写真家など多彩なメンバーが集う。山田住職は「クラウドファンディングを通じて、メンバー同士の結束が強まり、コラボレーションにも期待できるようになった。楽しんでもらえるよう工夫したい」と意気込みを語った。

移住者で僧侶だからこそ

 「盛り上げ隊」が活動する福井市越前海岸エリアは、鷹巣、棗(なつめ)、国見、越廼(こしの)、殿下(でんが)の5地域から成る。

 名古屋市出身の山田住職は、2014年に越廼地域へ移り住み、精進料理を提供する古民家レストラン「いただき繕(ぜん)福井越廼」を営んだ。地域の寺で聞いた法話をきっかけに僧侶を志し、16年に得度。空き寺となっていた善性寺を継いだ。「地域の魅力を発信することが、地域で生きる僧侶の役目」と語る。

地域への思いを語る山田靖也住職

 「盛り上げ隊」の発足から間もない2014年頃、隊長を務める長谷川渡さんに加入を勧められた。越前海岸エリアは漁業で成り立つ地域。自身は菜食主義者であり、「できることがあるのか」と戸惑ったが、「地元の人が見過ごしがちな魅力を広めたい」との思いで参加した。

 移住者で僧侶だからこそ、持てる視点があった。「耕作放棄地にはミカンやウメが自生し、空き家は少しの手入れで住める。十分に活用されていない宝物がたくさんある」。地域活性化の鍵は、地域に眠っていると考えた。

 状態の良い空き家や古民家に移住希望者を案内し、地元住民の話を聞く「空き家ツアー」、パンや古道具を販売する「しかうら古民家マーケット」などを、2年前から独自に開催。空き家見学と法話を合わせた「人生探検ツアー」は、「盛り上げ隊」の主な活動の一つにもなっている。

 善性寺周辺の民家は半数近くが無人。「何とか活用できないか」と相談されることも多く、地域を離れる門徒から「使ってほしい」と託されたことが、「空き家ツアー」のきっかけになったという。

 「地域の人に親しく相談していただけるのも、お坊さんという立場だからこそ。独り善がりの喜びではなく、『私もうれしい、みんなもうれしい』を目指したい」。山田住職は力を込めた。(安岡遥)

(文化時報2020年8月26日号から再構成)
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總持寺祖院が完全復興 能登半島地震から14年

 曹洞宗の大本山總持寺祖院(石川県輪島市)は6日、2007(平成19)年の能登半島地震からの復興を祝う落成慶讃法要を営んだ。地震では大部分の建物が被災。全国の寺院から支援を受け、14年かけて修復された。地域のシンボルでもある祖院の復興は、輪島市民にとっての悲願とあって、同日には市主催の能登半島地震・完全復興式典も行われた。

 總持寺祖院は1321(元亨元)年に瑩山紹瑾禅師によって開創。大本山總持寺は1898(明治31)年4月の火災を機に、現在地の横浜市鶴見区に移転したが、焼失を免れた伝燈院、慈雲閣、経蔵に加えて七堂伽藍が再建され、地域の信仰を集めていた。

 能登半島地震は2007年3月25日に発生。輪島市や七尾市などで震度6強を観測し、死者1人、負傷者359人に上った。總持寺祖院では登録文化財の17棟をはじめ大部分の建物が被害を受け、坐禅堂は倒壊の危機にひんした。

 震災から3カ月後の6月に復興委員会を立ち上げ、修復工事を開始。推定200㌧の山門は、全体を持ち上げて移動させ、耐震のための地盤改良も行った。

 落成慶讃法要は、江川辰三・總持寺貫首の導師で営まれ、大般若経の転読などを行い、14年にわたる復興への慶賀を表した。江川貫首は垂示で、「伽藍はすっかり整った。全国の宗門寺院の方々や復興を支援してくださった檀信徒などのおかげだ」と謝意を表し、「本山と祖院は一体。信仰のよりどころとして、護持発展のために今後もよろしく願いたい」と述べた。

 乙川暎元・總持寺監院は「多くの方々の祖院における思いが結実した結果と胸に刻みたい」と話し、小林昌道・大本山永平寺監院は「開創700年の年に復興落慶式が行われることは、慶賀に堪えない」と語った。

輪島市民の象徴、誇りの復興

 能登半島地震では、死者・負傷者だけでなく、住宅やそれ以外の建物約2千棟が全半壊した。伽藍が甚大な被害を受けた總持寺祖院の復興は、輪島市民にとっては震災の完全復興を象徴する出来事となった。

 梶文秋輪島市長は落成慶讃法要の祝辞で、「震度6強の地震が襲い、門前町を中心に家屋倒壊や土砂崩れなどの被害を受けた。總持寺祖院では、境内の風景が一変した」と振り返り、「祖院は地域住民の日常生活に溶け込んでおり、地域の誇りでもある。祖院の復興なくして震災からの復興なしと、この日を待ち望んでいた」と語った。

 落成慶讃法要の前に山門前で揮毫奉納を行った書家の阿部豊寿さんは、黒色のパネルに「禅」と金字でしたためた後、山門前に広げた畳約8畳分に相当する紙に力強く「完全復興」と書き上げた。「この町は700年間、總持寺祖院と共に歩んできた。明るく、災害に強い町として、これからも共に歩んでいく」とあいさつした。

(文化時報2021年4月12日号から再構成)
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宇宙に浮かぶ内陣 ホテル一体型・浄教寺

 改築工事を進めていた京都市中京区の浄土宗浄教寺(光山公毅住職)が7月21日、本尊の開眼と併せて竣工式を営んだ。三井不動産とタイアップし、寺院とホテルを一体化。ホテルは9月28日にグランドオープンした。京都市内では初めてのケースで、古都における寺院復興の事例として注目される。(大橋学修)

48基の灯籠に照らされる内陣

 1323.4平方㍍の敷地に、鉄骨一部鉄筋コンクリート9階地下1階建て延べ6885.41平方㍍を建てた。1階部分に「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」のエントランスと、浄教寺の本堂、寺務所を置く。

 本堂は、光山住職の「古い物を生かし、今の時代に合ったしつらえに」との要望を受け、大西法衣佛具店の大西晋平社長がデザイン。内陣を中央に据えた回廊式で、信州善光寺の戒壇巡りのように、薄暗い空間に光輝く内陣が浮かび上がる。

 内陣は回廊より50㌢ほど高くなっており、旧本堂の柱や梁などを活用。須弥壇(しゅみだん)は以前よりも高さを抑えた。天蓋(てんがい)や幢幡(どうばん)などの荘厳仏具は修理を施し、内陣の周囲に巡らせた48基の灯籠に照らされて、それぞれが輝きを放つ。

 回廊の天井や壁、床は黒を基調に仕上げ、随所に金銀のラメをちりばめた。極楽浄土に至る道程の宇宙空間をイメージしたという。

 平安後期に制作された地蔵菩薩立像や、同寺創建の礎を築いた平重盛の座像を奉安。同寺を菩提寺とする日本南画家、平尾竹霞(ちくか)の作品など、各種の寺宝や建設前の発掘調査で発見された鬼瓦なども展示し、歴史と芸術を感じさせる空間となっている。

持続可能な新手法

 浄教寺がホテルを併設した背景には、観光都市・京都の市街地にある好立地を生かして、持続可能な寺院にしたいという光山住職の決断があった。

 光山住職は、東京都文京区の善雄寺で生まれ育ち、銀行に勤めながら法務を手伝った。浄教寺はかつて叔父が住職を務めていたが、後継者として自分に白羽の矢が立った。

 ただ、堂宇は古く、檀信徒数は約100軒と多くない。京都の市街地に立地する強みを生かして、ホテルにすれば再興できると、銀行勤めで培った経済感覚で考えたという。

 実際に不動産賃貸という新たな収益源を得たことで、堂宇の改築費や寺院運営費の一部を捻出できた。檀信徒の金銭的負担は全くないどころか、護持会費の徴収を廃止したという。

 光山住職は「経済的な独立なくして、教化はあり得ない。100年、200年後を考えた活動をしなければならない」と強調。「浄教寺の手法は、寺院再生の一つの在り方。お寺の文化的な意義を伝えながら、企業体として収益を得る画期的な案件だと感じる」と話す。

浄教寺の歴史を物語る所蔵品を展示した回廊

開かれたお寺に

 「人が集まることでお寺が生きる。お寺をいかに生かすのかが、これからの私たちの仕事ではないか」

 光山住職の考えに基づいて、ホテルの運営を担う三井不動産も、寺院一体型という特色を最大限に生かし、立地だけに頼らないホテルを目指す。

 ロビーには本堂を眺められる窓を設け、館内の調度品にはかつて浄教寺にあった部材を活用。宿泊者が毎朝の勤行に参加し、写経体験などができるプログラムも用意した。「開かれたお寺でありたい」という光山住職の願いを形にした。

 また、本堂の回廊部分に寺宝を展示したのは、檀信徒が浄教寺を誇れるようにするためだという。光山住職は「これまで絵画や墨跡の軸を大切にしすぎて、しまいこんでいた。興味を持つ友人を連れてきてもらえるようなお寺でありたい」と話す。
        ◇
 浄教寺に併設する「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」(☎075-354-1131)の総客室数は167室。黒を基調としたデザインで、寺院と一体の雰囲気を醸し出している。JR京都駅前の三井ガーデンホテルに荷物を預ければ、浄教寺のホテルに搬送してくれる「バゲージサービス」(有料)もあり、身軽に京都市内の社寺を巡拝できる。

(文化時報2020年8月22日号から再構成)
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差別と地震、悲嘆は同じ 浄土宗・静永秀明氏

 悲嘆(グリーフ)を抱える人々に対し、「私たち仏教者は、スポンジのような役割を果たすべきだ」と語るのは、浄土宗金龍院(滋賀県甲賀市)の静永秀明住職(51)。浄土宗宗務庁の人権担当部署で勤務した経験が長く、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災地に行った経験からくる言葉だ。サラリーマンだった父が突然出家し、図らずも僧侶を志すことになった静永氏は「差別で苦しむ人も、大切な人を亡くした人にも、向き合う姿勢は同じ」と考えている。(大橋学修)

浄土宗金龍院の静永秀明住職。後ろの掛け軸は藤井門跡の染筆

父と私、出家の覚悟

 父は一般企業の管理職。公立の施設で結婚式の運営や食事の提供を請け負っていた。自身は小中学生の頃、旧国鉄の車掌長が身に着ける白い制服に憧れ、鉄道マンになることを夢見ていた。

 転機が訪れたのは、中学3年の時。当時48歳だった父が、突然出家すると言い出した。

 父は、極楽寺(奈良県葛城市)の住職の次男。跡継ぎは伯父だった。ところが金龍院の代務住職を務めるようになり、奈良県と滋賀県の2カ寺を掛け持ちすることが負担だった。そこで、父に白羽の矢が立ったという。

 父が転身を宣言したのは、当時住んでいた兵庫県西宮市の高校に入学願書を出した直後。「そんな話、聞いたこともない」と戸惑った。それでも、父が会社に提出する退職願をしたためる後ろ姿を見て、自分自身も将来は僧侶になる覚悟を固めた。

 父は金龍院の住職になり、自分は母方の祖母宅から西宮市の高校に通った。

上から目線ではダメ

 1988(昭和63)年に佛教大学に入学。大本山くろ谷金戒光明寺に設けられた学寮で修行しながら通学した。長らく在家として生活してきたため、数珠の掛け方など基本的な所作さえ知らなかった。3年生になる直前、総本山知恩院の藤井實應門跡(1898~1992)に仕える伴僧員に誘われ、少しでも僧侶の知識を身に付けようと、知恩院で奉職しながら大学に通うことを決めた。

 想像した以上に厳しい毎日だった。「こんな所、すぐにでも辞めてやる」。ただ、3カ月もすると藤井門跡との生活の中で多くの学びが得られることを実感し、退山する気持ちがなくなった。

 卒業後は浄土宗宗務庁に入り、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」の事務局に配属された。大学時代に故仲田直教授が講義で「浄土宗を背負っていくお前たちが、同和問題に一生懸命に取り組まないと、この問題は解決しない」と言っていたことを思い出した。

 当時は、差別戒名問題=用語解説=が解決していない時代。不当な差別に苦しむ人々を見て、それぞれの違いを認め、お互いを尊重することの重みを感じた。差別事象が発見されるたびに、人権団体への対応を迫られ、学びを深めた。

 「自分は当事者になれないが、寄り添う努力は必要だ。苦しむ人に手を差し伸べるという上から目線ではなく、そばにいて、空気のような存在でなければならない」と語る。

二つの震災と無力感

 仕事に慣れてきた1995(平成7)年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。翌18日、故郷の西宮市に向かった。にぎやかだった街は静まりかえり、聞こえるのはサイレンの音だけ。砂ぼこりにまみれた空気の中で、恐怖におののいた。上司から命じられて市内を自転車で巡り、被災寺院の調査に取り組んだ。何もできない自分の無力さを感じた。
 
 16年後、今度は東日本大震災が起きた。居ても立ってもいられない気持ちだったが、業務があって駆け付けることができない。人権啓発で縁のできた西光寺(宮城県石巻市)の樋口伸生副住職を通じ、必要物資を送った。ようやく足を運べたのは、西光寺での百箇日法要だった。「できることは限られている」。そう感じた。

 その後は、西光寺で営む遺族の集い「蓮の会」に参加するようになった。最初は「気を遣わねば」との思いが強かったが、口にしてはならない言葉さえ話さなければ、普段通りに振る舞う方が良いことに気付いた。

 阪神・淡路大震災では、西宮の街が復興する姿を見届けた。石巻市でも毎年3月、西光寺の2階から〝定点観測〟をしている。

 「建物が再建されても、人の心が戻らないと復興とは言えない。被災地にいれば、どうしても気がめいる。だから、お茶を飲みながら普通に話をして、心の中の重たいものを僕らが受け止めることが大切」

 そして、悲嘆を吸収していく。スポンジのように。
       ◇
【用語解説】差別戒名問題(仏教全般)
 平等思想を貫くべき仏教を信奉しているにも関わらず、被差別部落出身者の故人に、侮蔑的な文字を用いるなど、特殊な戒名を付けていた問題。

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はじまりは京都から 大谷大学、国際学部を新設

 真宗大谷派(東本願寺)の関係学校、大谷大学(京都市北区)は2021年4月、文学部国際文化学科を改組し、国際学部を新設する。スローガンは、「世界と共生したいあなたへ はじまりは京都から」。世界中から多くの観光客が訪れる観光都市・京都の特色を生かしながら、国際的なコミュニケーション能力などを身に付けた学生の育成を目指す。新学部スタートへの思いを木越康学長に聞いた。(編集委員 泉英明)

 木越康(きごし・やすし)1963 年2月、石川県生まれ。大谷大学大学院文学研究科博士後期課程(真宗学専攻)満期退学。大谷大学短期大学部助教授、同文学部教授などを経て2016 年4月に学長就任。著書に『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(法藏館)、『〈死者/生者〉論』(共著・ぺりかん社)など多数。金沢教区光專寺衆徒。

4学部制に移行

 《大谷大学は2018年度に社会学部と教育学部を設置し、文学部の単科大学から複数の学部を有する大学へ移行した。国際学部の新設は当初から構想されており、これでいよいよ4学部が出そろう》

──国際文化学科をベースに、4月から国際学部が新設されます。

 「文学部に社会学部と教育学部を加えて3学部にしたことは『伝統を、社会に開き、未来へつなぐ』という大きなコンセプトに基づいていました。仏教を中心とした伝統を現代で社会化し、教育という未来を見据えたのです。今回は未来から、さらに世界を視野に入れようということです。国際学部の新設で、目指してきた形がいったん整います」

 「現行の国際文化学科は定員90人ですが、学部化にあたり定員を100人に増やします。4学年で40人増えますが、短期大学部を閉鎖したので全体の定員数はほぼ変わりません。4学部制が大学規模にも適していると考えています」

 《国際学部には「英語コミュニケーションコース」「欧米文化コース」「アジア文化コース」の3コースがある。語学の強化のみならず、仏教を基軸に置く大学として、異文化への理解を深めることに特色を持つ》

──新学部設置に向けた準備が進んでいます。

 「1990年代から国際文化学科を有してきたので、ゼロからのスタートではありません。すでに教員スタッフや留学先も確保できています。文部科学省からも大きな指摘はありません」

 「『はじまりは京都から』と銘打って、京都という国際的な環境の中で学ぶことが特長の一つです。2年生からは留学なども積極的に行いますが、1年生は京都という土地を生かしたグローバル社会との出会いを経験してもらいます」

 「新学部長にお願いしているのは、国際的な異文化理解を深めることです。宗教を含めた他者理解は、仏教徒にとってはしやすいのではないでしょうか。日本には『信じる宗教がない』という感覚を持つ人が多いかもしれませんが、国際社会では相手が大事にする宗教を含めた他者理解が必要になります。仏教を根幹に置きながら、他の宗教とも出会うような学びが必要です」

「~ファースト」はあり得ない

 《新型コロナウイルスの影響で、各大学は前期にリモート授業などを余儀なくされるなど、対応に追われている。大谷大学も例外ではなく、新入生らのサポートを実施した》

国際学部新設の記者会見に臨む木越学長(右)=2020年9月16日

──コロナ禍での新学部開設となりそうです。

 「一般的な注意事項に従い、一つずつ注意しながら行うしかありません。全体が苦しんでいる時には、全体でどう立ち上がるかを発信し、対話の態度を取り続けねばなりません。国際社会では『~ファースト』という言葉がありますが、仏教的視点から見ると『~ファースト』というような考え方にはなりません。このような視点を持った学生を育てたいですね」

 「2020年はリモート授業を取り入れましたが、教員も学生も、ハードもソフトも全く準備できていない状態でした。学生が混乱したまま付いてこられず、前期が終わってしまったのではないかと危惧しています。もしオンライン授業を一部だけでも継続するなら、ハードをきちんと整える備えが必要です」

 「精神的な部分の心配もあります。『コロナ鬱』ともいわれ始めていますが、閉じこもってしまった日常が、人間の精神にどんな影響を及ぼすのかは分かりません。本学は1年生の最初から指導教員がいて、メールアドレスを渡すことで、学生と教員が個別にやり取りできる関係を築いています。6月からは登校可能日を設けて、大学で指導教員の授業を受ける機会も作りました。ウェブ環境を整える支援については、一律5万円の準備金を支給しています」

仏教は揺るぎない柱

── 国際学部が開設される2021年度は、開学120周年で、10年間のグランドデザインの最終年度となる節目の年です。

 「現在のスローガン『Be Real 寄りそう知性』は、使い始めて4年ほどです。私自身、いまだに、この言葉の意味を考えながらかじ取りを行っています。今後も方針は大きく変わることはないでしょう。また、『寄りそう知性』という言葉は国際社会の中で大切な視点です。新たなグランドデザインも、これまでのコンセプトをより強く展開するような形で発信されるのではないでしょうか」

──大谷派の関係学校としては、どのように展望されていますか。

 「大谷大学は全ての学部で大谷派の教師資格を取得することが可能です。現代の住職は兼業が前提になる場合が多い。例えば社会学部で公務員を目指しながら、あるいは教育学部で教員免許を取得しながら、大谷派の教師資格も有することができます。これが複数学部化の狙いの一つでもあります。最初は宗門内にも学部を増やすことに心配の声がありましたが、仏教を背景にしながらの複数学部化を経て、大学は活性化しています」

 「『Be Real』という言葉を生み出す時、『もっと仏教を前面に押し出すべきだ』という議論もありました。仏教は大谷大学の揺るぎない柱です。新しいグランドデザインにも、この精神は継承されるでしょうし、もっと仏教らしい大学の在り方の実現可能な形を考えることになるでしょうね」

(文化時報2020年9月19日号から再構成)
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コロナ禍に学ぶ僧侶たち オンライン駆使「Zoom安居」

 新型コロナウイルスの感染拡大に寺院や僧侶がどう向き合うかを考えるオンライン学習会「Zoom安居(あんご) 」が順調に回を重ねている。文化時報紙上セミナー講師の鵜飼秀徳氏もスタッフやパネリストとして参加。僧俗や宗派を問わず、さまざまな切り口で寺院と僧侶の未来を見据えようとしている。

「Zoom安居」に登壇した鵜飼秀徳氏


チャット機能で議論

 「新型コロナウイルスは、人々の生活を大きく変えた。大半は仕事が減り、収入が減少した。それは、信者からお布施を預かる私たち僧侶も同じだ」

 司会を務める浄土宗玄向寺(長野県松本市)の荻須真尚副住職が、テレビ会議システム「Zoom(ズーム)」を通じて参加者らに語り掛けた。7月21日の第3回Zoom安居。「コロナで変容したお布施について」をテーマに、行政書士で葬祭カウンセラーの勝(すぐれ)桂子氏と鵜飼氏が対談した。

 勝氏は、コロナ禍で法事の中止や延期が相次いだことについて「多くの人にとって、供養はイベントにすぎなかった」との見方を示し、鵜飼氏も「これまでの宗教活動に、宗教性は存在していたのか」と疑問を呈した。

 対談の最中にも、チャット機能を使って参加者が質問や意見を入力していく。その中から「オンライン法要はお布施に直結しないのではないか」という意見を、荻須副住職が紹介した。

 勝氏は「法要をやってほしい人は、自分から香典を包む。そもそもお坊さんには、お布施がなければ法要をしないのかと問いたい」と応じ、鵜飼氏は「仏教は伝来して以来、常に最新のツールを駆使して社会をリードし、新しい価値を生み出してきた。それが、戦後からはなぜか古典回帰している」と語り、オンライン法要の導入に対して消極的になることを批判した。

 さらに鵜飼氏は「東日本大震災でも同様のケースが見られたが、コロナ禍で減ったお布施は元に戻らないのではないか」と指摘。一方で勝氏は「気持ちをどれだけ救ったかで、お気持ちの額は決まる。オンラインだからといって安くする必要は全くない」と強調した。

鵜飼氏と対談した勝桂子氏

僧侶の踏ん張り時

 Zoom安居は無料で開催。政府の緊急事態宣言で社会が緊迫していた5月、浄土宗一向寺(栃木県佐野市)の東好章住職が企画し、荻須副住職らに呼び掛けて始まった。趣旨に賛同する僧侶らが続々と申し込み、5月21日の第1回には100人が参加した。

 第2回は6月29日、「コロナ禍における差別問題とグリーフ(悲嘆)ケア」をテーマに行われた。福島第1原発事故を巡り、放射能への不安や福島県民への差別が生じたこととの類似点を探り、「コロナ差別」と言われる状況を読み解こうとした。また、コロナ禍で十分な別れができないまま故人を葬送する遺族へのケアについても考えた。

 荻須副住職は「非常時に寺院が直面した問題は、平常時からあって気付かなかったか、小さなこととして捉えていたものだ」と話す。

 例えば葬儀の簡素化など、以前から「寺離れ」や「宗教離れ」と言われてきた状況は、コロナ禍で加速し、終息後も元に戻らない可能性が高いと考えている。

 荻須副住職は「コロナ禍は、寺院・僧侶の踏ん張り時。いま何をすべきかを考え、実践するための勉強会として、Zoom安居を継続したい」と話している。

(文化時報2020年8月8日号から再構成)
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